今月の本

今月の本
「文類さんの話」 本川光定著 高田青少年会館
著者は私が通っていた中学の仏教の先生のお一人で、同じ組内のお寺のご住職様でもありました。著書は私が30代の頃に出版されています。当時も今も「正信偈」を解説された本は沢山ありますが、「文類(偈)さん」の解説本はまったくなかったように思い、出版されてすぐ求めた記憶があります。「文類(偈)さん」の最初「西方不可思議尊」は私には小さい時から聞き、自らも声を出してお勤めしてからことからかわかりませんが、とても温かい気持ちになります。著者の解説も、生生の独特と言うか個性が表現されていて、学生時代の頃を懐かしく感じています。
高田派では「文類さん」と親しみをこめて読んでいますが、正式には、『浄土文類聚鈔』の中で「念仏正信偈」と題されています。高田派では夕時の勤行にお勤めしています。
『顕浄土真実教行証文類』の「行巻」にある「正信念仏偈」と形式も内容も似ていますが、親鸞聖人は、「正信」と「念仏」の言葉が前後する「正信偈」と「文類(偈)さん」単に言葉だけ言い換えられのでないと思い幾つになっても2つの頌偈が気になります。
著者が往生される3日前の年末に津駅で偶然お会いし短く挨拶をしたのが最後でした。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「お粗末な自分」に気づいた先に見えてくること

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、「仏法を学び、仏法の大きさにだんだん気づかされていき、仏さんの”圧倒的な大きさ”を本当に感得できた人は、2つの行動を取ります」と続きます。

1つは「讃歎(さんだん)」、つまり仏さんをほめたたえるという行動です。
もう1つは「懺悔(さんげ)」。これは「本当にお粗末な私です」「参った」となること。この両方の行動をとるのです。

※仏さまのものさしで、はかると、私のものさしでは、はかることができないことに気づかされ、「おそれいりました」と言うしかありません。それがありがたいことなんですね。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「悲しみ」を共有することが、立ち直る力になる

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「大切な人の喪失後、自分と同じような環境にいる人と話し、悲しみを共有することは、喪失を乗り越えるグリーフケアの大切なプロセスになります」とあります。

この「共有」というのは、゛自分だけでない゛ということを実感できるということです。 実際に対面しなくても、頭の中では゛自分だけでない゛ということは理解しているはずですが、実際に同じような境遇の人に会い、話すことで初めて具体的に経験し、実感することができるのでしょう。

自然災害に限らず、突然死であってもそうでなくても、大切な人を失ったという現実を受け入れるスピードは人それぞれです。
それまでとは異なる新しい人生、別の人生を生きるようなものです。できるだけ境遇の近い人と、気持ちを共有することは、新しい人生に慣れていくために有効なことだといえす。

※私(住職)は、大学生活で下宿をした時、学校や町中で、初めて会う人でも三重県出身と聞くと少しほっとした経験があります。海外で日本人に会うとほっとする感覚なのかもわかりません。何を「共有」するかその時の自分の立ち位置により異なりますが、「 悲しみ」や「苦しみ」など気持ちに整理がつかない時、同じような「悲しみ」や「苦しみ」を経験された方との会話で自分の気持ちを落ち着かせることがあります。

お寺の変化④

お寺の変化④
お寺の社会貢献
令和3年1月25日付けで、文化庁から「宗教法人が行う社会貢献活動について(情報提供)」と題する事務連絡がありました。

大阪大学大学院教授の稲場圭信氏の活動の1つに10年前の東日本大震災で被災者への宗教者の活動や宗教施設の活用がベースとして、災害時に寺院施設を避難場所として活用することに行政が着目しお寺の社会貢献について新しく宗教活動として認識されることになったようです。

ポータルサイト「まいてら」を運営されている(一社)お寺の未来理事長の井出氏は、今回の文化庁の事務連絡に対して、「いわゆる公益事業として行われている社会貢献活動も各宗教法人の判断に基づき宗教活動と整理することが可能と考えられる」と称賛されました。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/pdf/92805001_01.pdf
「教義または教義を具体化した文書等(教憲等)に基づき、各宗教法人の判断による」という定めもあり、相応の根拠と判断が各寺院には求められることになりますが、根底には「社会通念」があることを文化庁も指摘しています。と述べています。

お寺の社会貢献が注目されていることは喜ばしいことです。

これまでのお寺も社会貢献として多くの事業や活動が興してきたことは貴重な社会的資源として今にも続いていますが、今のお寺としてできる社会貢献は何か改めて考えさせられます。
世の中が不条理であり、心の安寧・安心を求めるところに宗教があると考えていますが、社会と関わる実践的なこととして、地域の小さな私のお寺(妙華寺)でできることとは何か、それを可視化できるように考えています。

・地域のソーシャルキャピタルとしてのお寺の取り組み
①災害時における境内の開放(避難施設・スペースとして活用)
②人に寄り添う支援活動 「傾聴」活動(あなたの気がかりをお聴きします)
 ③今後、生きていくことに悩んでいらっしゃる方々に対する地域(行政など)の取り組み  の中、お寺ができることをわかりやすく示すことができればと考えています。
・お寺の文化の発信
 ①お寺のHP・寺院主催の講座・ワークショップの開催・登録文化財カードの配布
 ②久居城下案内人の会(ボランティア)と地域活性化などと連携
・地域の社会福祉協議会との連携
・おてらおやつクラブへの賛同
・自死(自殺)相談について取り組む団体への賛同

今、社会(世間)で注目されている多くの宗教者の実践活動にははるかにおよばない活動ですが、身の丈に合った活動を実践していきたいと思っています。

事 務 連 絡
令和3年1月25日
公益財団法人日本宗教連盟
都道府県宗教法人事務担当課
文 化 庁 宗 務 課
宗教法人が行う社会貢献活動について(情報提供)
近年、多くの宗教法人が、全国的に自然災害が発生する中で地域の防災・復
興に協力をされるなど、災害対策や地域支援などの社会貢献活動を行われてい
ると承知しています。
従来、このような活動の多くは、宗教法人法第6条に規定する公益事業とし
て各法人で整理されてきたものと思われますが、このたび、日本宗教連盟から、
このような活動と宗教活動の関係について問い合わせがあったため、宗教学に
関する学識有識者の意見等も踏まえ、下記のとおり、考え方等を整理しました
ので、情報提供させていただきます。

○宗教法人法上宗教活動の定義は行われておらず、国等には宗教法人の宗教上
の特性や慣習等宗教上の事項の尊重や不干渉が求められていること(宗教法
人法第84条・85条)から、宗教法人が行う活動が宗教活動にあたるかど
うかは、第一義的には各宗教法人の判断に委ねられていると考えられる。な
お、現状においても、宗教法人の中には、社会貢献活動を宗教活動と位置付
けて取り組んでいる例が見られるところである。
○上記の理由としては、
・宗教法人法成立に伴う施行通達(昭和26年7月31日文宗第23号(「宗
教法人に関する事務処理について(通達)」)においては「境内建物、境
内地であって同時に公益事業を行うためにも用いられるものは、境内建物、
境内地として処理してさしつかえないこと」とされていること、
・逐条解説宗教法人法(渡部蓊著)においては「単に宗教の教義をひろめ、
儀式行事を行い、および信者を教化育成することのみを宗教活動とし、し
たがってこれを行う団体が宗教団体として把握されるべきものとするいわ
れはなく、青少年の教化活動、孤児・難民の救済活動、社会の浄化活動な
ど、通常、いわゆる公益事業とか、慈善に関する運動として観念されるも
のがもっとも本来的な宗教活動として把握されることのあることは、じゅ
うぶん是認されよう。」とされていること、
・宗教法人制度の運用等に関する調査研究協力者会議主な意見等の概要(平
成19年3月)においては、「歴史的には、宗教団体の行う公益事業は宗
教活動の一部であった」「宗教活動と公益事業とは実際上、密接不可分な
関係にあるものも多く、宗教活動と公益事業が明確に区別できない場合も
ある」『宗教法人法においては、宗教活動は宗教法人にとって本来的「業
務」であり、公益事業は「行うことができる」「事業」であり、・・この
ようなことを踏まえて、それぞれの関係と在り方について考えるべきでは
ないか』とされていること
があり、いわゆる公益事業として行われている社会貢献活動も各宗教法人
の判断に基づき宗教活動と整理することが可能と考えられる。
○なお、各宗教法人が判断を行うにあたっては、以下の点に留意することが望
まれる。
・社会貢献活動が宗教活動に該当するか否かについては、教義または教義を
具体化した文書等(教憲等)に基づき、各宗教法人の判断によるものとさ
れることから、各宗教法人におかれては、根拠等を確認しておくことが望
まれる。教義や教憲等は、宗教法人規則等と異なり、所轄庁への提出・認
証、事務所への備付等は必要ないが、各宗教法人の教憲等の定めや慣習に
基づく取扱いが必要になると考えられる。
・「宗教法人法は、・・宗教そのものについては定義規定を置かず、社会通
念に委ねる立場をとっている。」(前記「逐条解説宗教法人法」)ことから、
社会貢献活動を宗教活動と整理するにあたっては、地域社会の宗教活動へ
のニーズをはじめとした社会通念を踏まえることが重要と考えられる。
・宗教活動は宗教法人をはじめとした宗教団体が行うものであることから、
宗教団体以外の団体等が行う社会貢献活動を宗教活動と整理することは適
当でないと考えられる。

メリシャカ(花祭り)は7日・8日です

今年も4月7日(水)8日(木)にメリシャカ(花祭り)を開催します。本堂正面入り口に花御堂(はなみどう)を安置します。誕生仏にご自由に手をお合わせください
よろしければ花御堂へお花を一輪お供えください。
隣寺の花祭りも開催されています。隣寺でスタンプをいただき妙華寺にお持ち頂きますと記念品をお渡しします。
※今年も新型コロナウィルス感染症の感染防止を考えお飲みいただく甘茶はご用意できません。ご了承ください。

※新型コロナウィルスの感染拡大防止の件について、様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。
花御堂は、いつも通り本堂前上がり口に安置します。
マスクの着用をお願いします。また体調が優れない場合はご参加は見合わせてください。
本堂入口にアルコール消毒液を設置するなどして対策を講じます。
とはいえ、決して不安や不満を抱えながら参加する催しでもありません。
ご無理のない判断をしてください。

お寺の宝物

お寺の宝物の1つに歴代ご法主の書かれた掛物があります。

常磐井 堯凞(墨山)筆 「弄花香満衣
高田本山第21世 弘化元年~大正8年(1844-1919)
近衞忠凞の第7子
当初「円褆」と号し、後 「常磐井」姓を名乗り 「堯凞」と改名 雅号「墨山」

漢詩 于良史「春山夜月」から
春山多勝事
賞翫夜忘帰
掬水月在手
弄花香満衣
興来無遠近
欲去惜芳菲
南望鳴鐘処
楼台深翠微

立花 大亀 筆 「掬水月在手
※立花大亀 明治32年~平成17年(1899-2005)
大正10年 堺市南宗寺で得度 後大徳寺塔頭徳禅寺住職
「発祥」二字額 本堂東楽の間に掲示

 

【本堂東楽の間の額「発祥」常磐井 堯凞筆】

3月の聞法

LifeWalk2021オンライントークセッション
「仏教と自死~自死という死はどのように語られてきたか~」野呂 靖(せい)師

毎年3月1日の京都府「いのちの日」の賛同行事として、宗教者が京都市内をLifeWalk(行進)する活動があります。今年はコロナ禍で行進することが難しいので、オンラインを通してのトークセッションでした。
「仏教と自死(自殺)」について、法要の現場ではいろいろ意見がでます。仏教の初まりのお釈迦様の言葉から日本に伝えられた仏教が、現代まで自死(自殺)についてどのように語ってきたか文献などの調査からのお話でした。どのような死に方であっても善悪はとわれないのですが、人(僧侶)は、自死をいけないことと捉え、否定的な言葉を使ってしまうことで、当事者や遺族や関係者の心を傷つけてしまう現状があるのではないでしょうか。
その後、野呂さんとリメンバー名古屋自死遺族の会の野村清治さんのトークセッションで、自死遺族の声や思いなど貴重な意見を拝聴しました。

自死(自殺)を語ることは、とても繊細で難しいのですが、「死にたいほどの苦しい気持ち」を抱いている方に、私の願いとして「生きていてほしい」と願うのですが、その方の心の底の思いをどれだけくみ取れることができるのか難しい課題です。
その方への支援が多岐にわたり、早期の対応ができない場合や万全でないことも考えてしまいます。私(住職)に何ができるかと言われれば、ただ傾聴することしかありません。反復と沈黙(ちょっと待つ)を繰り返しながらその方の思い(意識)をくみ取っていくこと、その傾聴すらとても難しいことだと感じられます。

※中川個人の感想です。

彼岸の入りの今日、紫雲会に参加できました。昨年の8月以来ですので7ヶ月ぶりです。高田本山の布教伝道研修会の講師でもあります本願寺布教使の花岡静人師の法話です。「親鸞聖人のお手紙に聞く」と題され、晩年に近い時期に書かれた一通をご紹介されました。
法話の中で「苦痛」と「苦悩」や「苦悩」と「苦労」の言葉から感じることや、私から仏への視点と仏から私への視点から「信心」と「ご信心」の違いなど興味深く拝聴させていただきました。
また、聖人と関東の門弟との消息(手紙)のやりとりが、現在のような郵便制度の無い時代で、「命がけ」であったこと「私のいのちを投げ出してもよいほどのものに出遇うことがあってのこと」や、この消息(手紙)に書かれた法然聖人の言葉は、およそ50年前に親鸞聖人がお聞かせいただいた言葉で、この手紙に書かれた思いなど、手紙を通しての交流であるけれど、そこには聖人と門弟の距離を越えた本人どおしが対面されているような感じでなかっただろうかと想像したりしました。
最後に「聖人の手紙を読み、聖人に返事(返信)を書いてみてください」と締めくくられました。私は聖人のお手紙を読みっぱなしで返事を書くことなど思いもしなかったし、きちんと読まないと返事もかけないと改めて感じています。
この1年近く対面でご法話を聞くことが難しく「集う場」が少なくなっていますが、対面で法話をお聴かせいただく「場」には、とても心豊かな気持ちにさせていただくことです。「集う場」を継続して開催されている正覚寺様に感謝いたします。
※中川個人の感想です。

国の登録有形文化材

「三重県ちょっと昔の建物めぐり~国登録有形文化材建造物~」
三重県内の登録有形文化材建造物を紹介したパンフレットが出来上がり少し分けていただきました。
【パンフレットの紹介】
国登録有形文化材建造物とは、平成8年にはじまった国の登録制度は、ゆるやかな規制のもとで身近な文化財を守り、地域の資産として活かすための制度です。
国登録有形文化材(建造物)は、建設後50年を経過した建造物のうち、次のいずれかに該当するものが登録されています。
①国土の歴史的景観に寄与するもの ②造形の規範となっているもの ③再現することが容易でないもの
で三重県内の登録件数は279件(令和3年3月1日現在)です。

活用しながら守り伝える
登録文化財は、指定文化財(国宝の専修寺御影堂など)よりも規制がゆるやかなため、文化財としての価値を保ちながら積極的に改修することができます。三重県内でも、元々学校や役場だった建物が、資料館、店舗、カフェやレストランとして活用されたりしています。

このパンフレットは、三重県庁や三重県総合博物館などで配布されるようです。
お寺にも少しありますのでご興味ある方は手に取ってください。

また、3年前に一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値をご認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも数に限りはありますが作成していただきました。春休みや夏休みには他県からもお越しいただいています。
是非、現地にお越しいただき実物を見て、庫裡(くり)にて「トレーディングカードありますか」(なくなり次第終了)とお声かけください。また、三重県内の登録有形文化財にも足をお運びいただきトレーディングカードを集めてみてはいかがですか。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
人事を尽くしたら「あとは、おまかせ」

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、剣道の達人の話から、仏教では、自分でできる精一杯を生きたら、「あとは、おまかせ」という部分があります。その教えを、仏教の心を知る、お念仏を称えるということを通して受け取られたのだろうと思います。とまとめられています。

※何でも自分が納得しないとうなづくことができない私(自分)がいますが、少し自分を離れて考えてみるとどうでしょうか。1度自分の尺度から離れてみることや、「おまかせ」できる教え(存在)に出遇うことがあればもう少し穏やかになる気がします。

3月のおてらおやつクラブ

3月のおてらおやつクラブ
3月は17日に支援団体様におすそ分けさせていただきました。
3月から4月は、別れや新しい出会いなど人生の節目になることも多く、不安や心配・希望など心が揺れ動く時期です。
おてらおやつクラブの活動としてお供え物が、一人親家族の生活の一助にでもなれば有難いです。

※お彼岸(春分の日)前日に10月にも「おてらおやつクラブ」の活動に賛同いただいた小田てつこ様から袋菓子をお持ちいただきました。ありがとうございます。4月のおてらおやつクラブで支援団体様にお届けします。
おてらおやつクラブ事務局では、コロナ禍でおてらおやつクラブに支援を希望されています一人親家族の皆さんが増えていらっしゃるそうです(おてらおやつクラブのHP)
もっともっとこの活動が拡がっていくことを願っています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。