寺院経営

寺院経営
今の寺院は、戦後の宗教法人として存在している。妙華寺が創建された江戸時代に遡れば、どのような寺院経営(運営)をしていたのだろうか。

新しく造られた町(久居藩領)に寺領を与えられ、当時の高田派の1寺院としての三号(寂陽山 法苑院 妙華寺)を許され、本尊や三具足を下附されたことは記録として残っています。
また、新しい町の新寺であるので、檀家はいない状態で、新しい町に転入する家族が高田派であれば、妙華寺に加入(檀家入り)する形であったようです。これは、久居藩に新たに造られた他の宗派も同様と思われます。
寺領は与えられても、そこに本堂や諸堂や庫裡(くり=住まい)は、当時の檀家と共に長い年月をかけて造られてきました。創建当時の本堂や庫裡は、文政4年(1821)の久居の大火により焼失しました。その後、安政4年(1857)に再建されたのが今の本堂です。再建までの長い年月(36年間)、住職や寺族・檀家は、一丸となってお寺を護持することだったと思います。その後に、本堂の荘厳も少しづつ体裁を整えて今に至っているいることは有難いの一言では言い表すことができない気持ちです。

寺院の生活も、境内地の僅かな畑で野菜などは栽培していたようですが、多くは、斎米(ときまい)として檀家さんからの志や、布施・寄付でまかなうことだったと思います

今より、小さい、地域経済の中で寺院経営をしていたことは確かでしょう。
第一次・第二次世界大戦や戦後数年間の頃の厳しい経済状況のことは、祖父や両親からも聞いたこともあり、私(住職)が生まれた昭和30年代も質素や倹約の中で生活をしてきました。その後、日本経済が豊になる中でも、寺院経営はそれほど豊になる訳ではありませんでした。建造物の修復などは、大きな行事を迎える時に、寄付を募り、修復や改修をしています。これは、今も続いていますが、お寺への帰属意識が薄れる中では、今後、続けることは難しいと感じています。

寺院経営は、創建当時と同じように、檀家さんの志や布施・寄付によることは変わりません。
私が住職になってから、寺院会計について、税理士事務所に依頼して、助言をいただいています。どのような形で寺院がこれからも継続できるか、生活者の意識が大きく変化する今。大きな課題をいただいているようです。

多くの寺院の寺院経営はとても厳しく、将来を見通すことは難しいです。妙華寺も同じです。私(住職)としては、次にバトンを渡せることが第一の思いですが、その先を考えると、妙華寺がいつまで宗教法人として活動ができるかわからないのが現状です。

※中川個人の感想です。

【案内】3月の日曜学校は1日午前7時30分からです

【案内】3月の日曜学校は、1日朝7時30分からです
3月に入るとこれまでより暖かい日も増え、他者との交流も増えそうです。春彼岸の頃からお墓詣りも多くなります。
3月の日曜学校は1日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(歎仏偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。

また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

4年に一度

4年に一度
いつも、オリンピックから感動を貰っています。それでも、4年前のオリンピックの感動を、正確には思い出せない。悲しいことだが、記憶も記録も薄らいでいます。
4年間の努力が報われると感じるか、まだまだ羽ばたくことができるか。4年と言う時間をどのように解釈することが必要なのだろう。
4年前の自分と今の自分そして4年後の自分。私(住職)のことを振りかえると、4年前には、高齢者と呼ばれる世代に入って年金受給者になった頃。今年(今)は、古希と呼ばれる歳になる。4年後は、後期高齢者になる1年前の年齢で、免許更新がはたしてできるのだろうか、考えてしまう。
体力も気力の衰えも年々強く感じる中で、1日1日を過ごしています。
それでも、こうして生きていることには感謝をしています。

もう少し、時系列を長く見ると、高田本山の17年に一度の一光三尊仏御開扉や20年に一度の式年遷宮。50年ごとの祖師の御遠忌法会など、人生で何度遇うことができるか、考えて見るのも意義があることと感じています。

※中川個人の感想です。

真宗入門講座2

真宗入門講座2
今期の真宗入門講座は、高田本山専修寺の「一光三尊仏絵伝」の紹介です。
今回は、第1幅・第2幅の紹介でした。
第1幅は、「仏教の伝来」として、一光三尊仏像がインドで生まれ、朝鮮の百済に渡り、日本へ渡るかが描かれています。話は、下の段から上の段へ(①から⑥)に描かれている。
お釈迦さんの教えが、他者に伝わる一例として、他者の希望が叶うこともあるのでしょう。現世利益(げんせりやく)を、親鸞聖人はどのように捉えていたのか。考えさせられました。

第2幅は、「仏教の受容」として、日本に仏教(一光三尊仏像)が、渡ってきた頃が描かれています。話は、上の段から下の段(①から⑤)に描かれている。
私たちは、仏教が日本へ伝来する歴史は、日本史で学んでいます。一光三尊仏像としての物語としも興味深いものでした。
※中川個人の感想です。

居場所

居場所
先日、生活者の方と話した中で、私たちは、生活していく上で、安心した居場所が必要だと。生まれた時からの「家庭」や、「学びの場」や、「働く場」が、安心できる居場所と思い込んでいますが、どうなんだろうか。他者は安心した場であったとしても、私にとってはたして安心した場であったんだろうか。さまざまな状況で、1人1人安心した場は、違うと思われますが、安心できる場が必要であると思いますと。

その時、私(住職)は「お寺は、安心できる場になることはできるのか」を思いあぐねていると、「(お寺は)何も関係性のない第3の場所(サードプレイス)に成るのでは」と話されました。とてもうれしい言葉です。

生きている今を大切にすることは「安心」につながることと思いますが、刹那的な生き方では「安心」は生まれないと感じます。少しでも落ち着ける場としてお寺を利用してもらえればありがたいことです。

話は少し飛びますが、「大切な方がなくなった後の居場所をお寺は示しているのではないだろうか」と思いました。

大切な方が亡くなられてからのことを思う(願う)ことができるのは、私たち人間だけです。心が整っていて、寄り添う思いがないと難しいのかもわかりません。

「涅槃」というと「死」を思い浮かべますが、お釈迦さんが示す「涅槃」は、心が安心する状態のことです。ただ私たちには、生きている中で、心が安心できる状態が続くことは無い為、「いのち」終えた後の状態=「死」=「涅槃」と今では認識しているのだと思います。

※中川個人の感想です。
涅槃 梵語ニルヴァーナの音訳 さとりの境地のこと。すべての煩悩の火が完全に吹き消された境地のことで、仏教の最終的実践目的は涅槃に至ること
される。釈尊が亡くなったことをいう場合もある。【浄土真宗辞典】

御書

御書
高田派の歴代法主が発せられる書簡体の法語を「御書(ごしょ)」と称しています。
高田派で御書を積極的に取り入れたのは、10世真慧上人ですが、同時代に本願寺8世蓮如上人が「御文(おふみ)」による伝道に成果があったことに倣われたようです。
その後、高田派で「御書」が定着するのは、14世堯秀上人が、明暦3年(1657)に『御書4巻』を開版された以来のことのようです。【真宗高田派聖典】

本堂で年忌法要のお勤めは、お経・文類偈・三重念仏和讃で最後に、御書を拝読しています。御書は、高田派歴代上人の手紙形式の法語で、親鸞聖人の「み教え」をわかりやすく語っていただいています。
以前、お勤めをしていましたら、前住職が、灰葬の時、拝読した「御書」がとても心に響いたことをお聞かせいただきました。わかりやすいと言っても、古い形態の手紙形式で、古文の知識も必要と思えるのですが、耳から聴くことが、とても心に響いたそうです。
真宗は、聞法集団とも称して、「聴く」ことを大切にしてきました。布教使が、「み教え」を伝えることが、布教の基本であることを改めて感じました。
現在は、動画や書物などの情報の方がわかりやすいと感じますが、耳から入る情報に集中して自分のなかで消化していくことが大切なんだと改めて感じました。

※中川個人の感想です。

【案内】佛涅槃図

【案内】佛涅槃図を荘厳します
佛涅槃図は、釈迦(しゃか)の入涅槃の場面を描いたもので、釈迦が亡くなられた2月15日の涅槃会で本尊とされます。
平成24年から、妙華寺では、2月15日から1ヶ月間、本堂西余間(むかって左側)に涅槃図をお掛けしています。
妙華寺所蔵の佛涅槃図は、江戸時代の久居の大火で焼失しました。
今お掛けしていますのは、平成23年の親鸞聖人750回御遠忌の記念として高田本山より京都別院の佛涅槃図の複製が配布されましたものです。
京都別院の佛涅槃図は、室町時代の兆殿司筆で、大きさは、縦151.2cm 横128.7cmです。
本堂にお上がりいただきお詣りください。

※また、高田本山では、3月15日頃に如来堂にて佛涅槃図がかかります。(詳細は高田本山のHPでご確認ください)

骨董

骨董
骨董の定義をしっかりと知らないけれど、美術的であったり、技法などに価値がある古いものと思っています。国宝や重要文化財とは違う、身近なものであったり、手に取って鑑賞できるものとも感じます。

私(住職)が、骨董に興味を持ち始めたのは、お寺に伝わる法宝物からです。
寺院には、骨董と呼ぶのは適切ではありませんが、法宝物と呼ばれる大切に伝えてきたものがあります。多くは、本堂の荘厳としてありますが、それ以外にも、書物や掛軸など保管しています。

大切なものをどのように伝えてきたのか。これからどのように伝えていくのか。
扱い方を含めて、多くの事を専門家からお教えいただいて今の私(住職)の知識があります。

寺院の法宝物以外でも、骨董品が大切に扱われている茶道を学んだこともより興味をもつことの一因になっているようにも感じます。

※中川個人の感想です。


鬼は、疫病や災害、不幸など悪い力の象徴として、邪気を払い、福を招くものとして伝わっているのが節分の豆まきのようです。

親鸞聖人の「愚禿悲歎述懐」の和讃の中で、「悪性さらにやめがたし こころは蠍蛇のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる」【3首】があります。
末法を生きる自分自身を厳しく見つめていらっしゃる言葉です。
「こころ」は、蛇(毒蛇)蠍(猛毒を持ったさそり)=悪性のたとえとして、わが心を見つめている姿に、私(住職)は、本当の自分の姿を自覚ができているか。と問われると思います。
「煩悩多い心であっても、どこか他者の役にたっている」なんて思ってしまうのが私(住職)なんだと思ってしまう自分がいます。

私の心の蠍蛇(邪気)を払うことができないことを自覚して、阿弥陀さんのはたらきに「まかせて」いくことは、阿弥陀さんが私の仏道修行をすべてしていただいてあるからのこと。
そのようなことを感じて過ごしています。
※中川個人の感想です。

MATCHA

MATCHA
2月6日は「抹茶の日」とTVで紹介されていました。茶道具の風炉(ふろ=26)から「抹茶の日」と制定されたそうです。近年は、世界で抹茶ブームです。また、飲料としてでなく、抹茶を豊富に使うスィーツも数多くあり、抹茶生産が追いつかず販売価格が以前に比べて2倍ほどになっています。
昨年(HP2025-05-17)にも掲載しましたが、抹茶(薄茶)を愛飲している私(住職)にとって、MATCHAブームは、うれしさと同時に驚くばかりです。

私(住職)は、「抹茶」と聞くと、短絡的かもわかりませんが、「茶道」を思い浮かべます。
一服のお茶(抹茶)をおいしくいただいてもらうことを目的として、「もてなす」日本文化でもあります。茶道は、とても奥深く生涯続ける中で得られる境地は特別なもののように感じるのは私(住職)だけではないと思っています。
そのような茶道に関心を持ち、学び続ける方は減少しています。
茶道の「道」は、続けることだと思います。今の時代は、「続けること」が難しく思われているようです。

MATCHAブームと、「茶道」を一緒に語るのは筋違いと思いますが、ブームは一過性のものだから、「そんなものだよね」と言ってしまえばそれまですが、その世界(茶道)に身を置く者としては残念でなりません。

文化を「川の流れ」として見ると、上流から下流へ続く大きな流れに見えますが、川の流れがとどまることも、痩せ細ることもあることも事実です。そのような時代をこれまでの先人は、どのように乗り越えてきたのか。また、いつしか痩せ細り途絶えてしまうのか。考えさせられます。

※中川個人の感想