「ひと握りの人生」

「ひと握りの人生」 松田春喜著 あらま出版
津市の「東京大寿司」の大将の自叙伝。
「東京大寿司」には、家族の祝いなどで何度かお寿司をいただくことがありました。
「東京大寿司」のお寿司がおいしかったのは、食材や握りの技術もそうですが、大将やお店の姿勢が、お客においしく食べていただくという「おもてなしの心」だったのだと感じています。
惜しまれ、閉店されましたが、大将のこれまでの人生を拝読すると、知らないことも多く、とても魅力的な人柄と改めて気づきました。お寿司を通して人との関係を大切にできるから多くの方々に喜ばれ、ご自身も喜んできた人生なのだと感じました。
今は、大将の弟子・孫弟子が「東京大寿司」の看板を背負いながら活躍されているのが頼もしいです。
実家がお同行様で、年忌法要でお会いしていますが、引退後、お寺の行事にも参加されうれしく思っています。
※中川個人の感想です。

久居地域文化祭

久居地域文化祭
久居地域の文化祭が毎年開催されました。
美術展・盆栽・山野草展示販売会・生け花展・茶会・舞台発表会と地域の同好の方々が日頃の成果を発表しています。
私(住職)は、これまでも、久居文化協会茶道部の一員としてお手伝いさせていただいています。同じ時期に開催されますのでテーマは「秋」になりますが、毎年、趣向をこらしています。茶会と聞くと少し身構えてしまう方が多いかと思いますが、文化祭を楽しまれた皆様に気楽にお茶(薄茶)を一服さしあげています。コロナ下からすこしづづ以前の形に戻ってきています。お茶(薄茶)を通して、一期一会の時間を楽しんでいただくことができれば有難いです。

教学院研究発表大会

第30回教学院研究発表大会
今回は、3名の研究員の発表でした。
1、金信研究員から「専照寺所蔵宗学関係資料」のテーマで、専照寺の学僧 法定の活動の紹介をされました。真淳の後、高田教学を指導された1人とのことです。
2、田中明誠研究員から「村田静照師の念仏生活」と題して、幕末から昭和初期まで活躍された村田静照師を紹介されました。伊勢の地で「念仏」を声高らかに称する姿に多くの方が魅了されたことは、伝え聞いていますが、その人柄についてはあまり論じられていないように思われます。また、教学の師として仰いだ師匠はいたと思うが、定かではないようです。「念仏」を称える大切さを通して多くの方に支持されていたことを思うと魅力的な念仏者だったと感じます。新たな気づきをいただきました。
3、鷲山了悟研究員から「金子みすゞから学ぶお墓の意味」と題されて、真宗のお墓について発表されました。庶民の個人墓(家族墓)の初まりは、江戸時代に入ってからで、金子みすゞのいた今からおよそ100年前の日本のお墓を当時の視点で考えることとは、お墓への思いが多様化している、現在からすると、少し異なって見えるが、これから100年後のお墓事情はどうなっていくのか。想像もつかない思いです。
今回の節目の大会で、法主殿の挨拶で、教学院、仏教文化講座、宝物館、学階の連携の強化を考えられている発言をされました。「学山高田」に相応しい組織の再編は多くの方が望むところだと思います。
※中川個人の感想です。

広報津 歴史散歩

広報津 歴史散歩
新しく「津市」として近隣市町村が合併した平成18年2月から令和5年4月まで、広報津に市内の歴史遺産を紹介した200回の「歴史散歩」のコーナーがありました。その総集編として発行された冊子です。令和4年10月に津市内の歴史遺産の1つとして194「歴史散歩」として妙華寺の本堂(国登録有形文化材)も紹介されています。
いろいろな歴史遺産から郷土の歴史を振りかえる時間をいただきした。
※広報津には現在も「歴史散歩」のコーナーは続いています。

寺院運営

寺院運営
先日、寺院運営について考えさせられました。
寺院の役割は、教えを伝えること(布教)が一番の目的です。教えを通して、生きていく上で私自身の心の平安を得ます。そのことを喜び、仏徳讃嘆して生きていくのだと感じています。
その為、僧侶になろうとするものは、自らが選んだ宗派で得度をして、教学を学び、研鑽・資格を得る中で、僧侶としての活動をしています。教えを伝えるには、自らが学び続けなければできないと感じています。
また、住職は、お寺の代表責任役員として、宗教法人の運営(経営)もあります。法人の収入としては、葬儀や年忌法要の布施や、お盆や春秋の彼岸会・千部会・報恩講の志、檀家様の寺院維持費としての斎米料などが主な収入になります。支出は、高田本山へ納める義納金・儀式や行事の時の費用・布教使さんや行事をお手伝いいただく僧侶への法礼・衣や袈裟の新調・修繕・洗濯費・檀家さんへの教化する費用・境内の美化費用・境内建物の修繕や整備費用・住職などへの給与があります。
これらの会計事務を適切に行うには、僧侶としてではなく経営者の資質が必要になります。住職は、僧侶の側面と経営者の側面を兼ね備えることが必要です。でも、大変難しいように感じています。
妙華寺では、私が住職になってから、経営面の会計事務については税理士さんにお願いしています。

住職には、それ以外でも、お寺の歴史や本堂などの建築物への知識や、伝統文化の知識やマナー、境内の掃除などやるべきことはたくさんあり、いつも、時間に追われています。

「お寺は税金を払わない」と世間で認識されているようです。確かに、法人の収支計算にたいしては、公益法人と認められて非課税ですが、住職などへの給与は、所得申告をし、所得税を支払っています。それに伴い、市県民税や・社会保険料(健康保険・年金)も支払っています。多くの生活者と同じような給与所得者として生活をしています。

「教え」を伝えることが、生活者の寺院への関心が薄くなる現代では、期待されなくなり、ひいては、寺院経営も大変厳しい現実があります。
これまで必要とされていた寺院が、必要とされない時代にどう対応していくか、これまでの対応以上に、寺院や僧侶への改革が待っているように感じるのは、私(住職)だけでしょうか。

※中川個人の感想です。