「眷属」展

眷属(けんぞく)
11月に入り、少し寒さを感じる気候になりました。京都の龍谷ミュージアムで開催中の「眷属」展に行きました。

仏教で使う「眷属」は、仏・菩薩につき従う者、仏弟子とあります。【浄土真宗辞典】

仏教は、多くの仏がいます。その仏を護っている眷属に焦点をあてる展覧会です。
眷属の魅力とは? 主である仏を護ることになった過程は? なんて勝手な想像をしてみたり。仏の「み教え」を正しく理解していることもあるような。それって、難しいことであるけどすてきなことに感じます。
展示では、善導の著書の「観無量寿経疏」があり、真宗で読誦する「勧衆偈」にも「眷属」があったのでその部分かなと思っていたら違う部分でした。

真宗では阿弥陀一仏と捉えがちで、他の諸仏などを見る機会は少ないので、多くの眷属を見ることができたのは楽しかったです。

しかし、阿弥陀一仏と言っても、高田派の本寺には、一光三尊仏がありますし、真宗寺院の本堂の荘厳には、親鸞聖人が尊ばれた、浄土七高僧や聖徳太子が安置されています。
それらも眷属と捉えることもできるのでしょうか。
※中川個人の感想です。

お寺とは⑧

お寺とは⑧
お寺とは⑦までは、「伝える」ことについて考えていたことを記載しました。
今回は、私(住職)が生活者がお寺に求めていることの変化として感じたことを記載します。
妙華寺は、江戸時代の久居藩が造った新しい町(久居)にできたお寺です。檀家制度の中で寺院活動をしています。2030年には創建350年を迎えようとしています。
お寺と檀家さんの関係は、江戸時代には、身分証明に関わることもありましたが、今は、以前よりゆるやかな檀家(家制度)としての関係が続いています。何代も続く檀家さんが、菩提寺としてのお寺に葬儀や年忌法要などの依頼があったり、お寺の行事(報恩講や彼岸会・千部会・盆)に参加され、お寺を維持されてきました。これは今も続いているのですが、これまでの家制度のような家族関係はなくなりつつあり、それに伴いこれまでの檀家としてお寺を支えていると言う意識に変化が起きています。
以前に、葬式をしないで火葬をすることや、お墓の事情もありお骨を引き取らない遺族のことは、都会のできごとかと思っていましたが、地方都市の私のお寺でも出てきました。
最近は、お寺に何を求められているか個人によってそれぞれです。
「既に亡くなられている方のお骨を納骨したい」「お寺で亡くなられた方の永代供養をお願いします」などの連絡をこれまで以上にいただきます。
まず、お寺が真宗高田派寺院であることを説明しますが、連絡をされた方にはそのような情報には関心がなく、ご自身の目の前にあるお骨が納骨できるかどうか。その後のことを任せること(永代供養)ができるかどうかが関心事なんだと感じます。

私(住職)から見ると、大切な人の死から、「いのち」についての思いや、関係性の捉え方は人それぞれですが、亡くなった方に対する、これまで、遺族が共有していた追慕や感謝の気持ちをあらわすことは少なくなっているように感じます。
生活者とお寺の関係も、生活者の求めるお寺として変わらなければいけない部分と、寺院として、伝えていかなければいけない「み教え」(教義)をこれまで以上にわかりやすく、生活者に伝える努力を惜しまないことしかないのかもわかりません。

11のお茶

11月のお茶
11月の炉開は、茶人のお正月とも言われます。茶壺に今年5月の新茶を半年間寝かせて(熟成させて)いた茶葉を茶臼で挽き使います。茶事の汁も、白味噌仕立てで、私は温かさを感じます。
茶室に囲炉裏をヒントに炉を創意したことが佗茶の始まりだとか聞いたことがあります。
茶室の炉を開くのには、畳替えが必要です。また、炉壇や灰の手入れも必要です。炉から風炉に変わる時にも申しましたが、炭や炭点前の道具など水屋の道具を替えることも大変ですが、これでまた冬を迎えるというか、続けることのできる励みの1つでもあると感じています。
11月19日の宗旦忌は、全国から多くの茶人が、今日庵に遺徳を追慕にみえます。一度伺う機会がありましたが、露地のイチョウの黄葉が素晴らしかったです。
11月は「亥の子餅」や「銀杏餅」が有名ですね。干菓子の有平糖は、炉の季節しか使わない(使えない)とか聞いたことがあり、有平糖のお菓子も楽しみにしています。

また、10月11月は本格的な茶会だけでなく、市民が楽しくお茶に親しむことができる三重県民茶会や市民茶会など公共施設などで多くの市民が、お茶一服を楽しんでいらっしゃいます。

教学院研究発表会

教学院研究発表大会
昨年は、聴講できませんでしたが、今年は聴講できました。
最初に、ご法主殿の挨拶で、高田派の僧侶が研鑽したことを発表できるのが、4月の興学布教大会と9月の法話大会と10月の教学院研究発表会の年3度の機会があります。江戸時代に「学山高田」と言われたように、更に高田派僧侶が研鑽できることを希望するとの挨拶でした。今回の4名の発表で、新しい刺激をいただきました。最初の発表は、報恩講の非時(ひじ)のことです。私のお寺でもそうですが、非時をご奉仕するにはとても多くの方のお力を借りなければできません。しかし、お寺を支えていただく方々も、高齢化の問題もあり、これまで通りのことをするのは難しい時代です。発表では、鈴鹿市の高田派寺院90ヶ寺で25年前に報恩講で非時をされていた寺院は、13ヶ寺で、25年後の今年は2ヶ寺になったそうです。いろいろな事情があることは承知していますがとても驚いています。2番目の発表では、日本に住んでいる外国人との多文化共生についてです。宗教的側面で考えると、外国人の宗教観と日本人の宗教観はまったく違うことを念頭に置かなければいけないこと。文化・言語が違うことを一面的に捉えるのではなく、一人の人間と人間との関係性をつくる努力が必要なように感じました。3番目は、親鸞聖人の「正定聚」についての発表でした。「証文類」に引用された経文から、先行研究を整理し、紹介され、文脈からの再検討を試み、発表者の立場を紹介されました。とても大きな課題についての発表ですので、私(住職)には難しい内容ですが、新たな着眼点に気づくこともできました。4番目は、専修寺所蔵の「見聞集」についての紹介でした。影印にて公開されていますが、原本は文化財の修理が終わり専修寺に戻ってくるそうです。書誌学的な紹介や内容についての紹介で興味深い内容でした。久しぶりに充実した時間を過ごすことができました。

※中川個人の感想です。

お寺の11月

お寺の11月
私のお寺が所属している組(そ)では、各寺で11月12月にお寺の報恩講をお勤めします。互いに出仕しあいますので、大体、そのお寺の報恩講の日時は決まっており、予定に入れています。急な、葬儀などを除いて出仕させていただきます。最近は、僧侶同士が会う機会も減っていますので、貴重な時間です。妙華寺は12月の第一週の日曜日に報恩講のお勤めをしています。その準備は、11月には始まっていますが、来年の準備も始まります。時間があっという間に過ぎてしまうのが11月です。