読書

読書
私(住職)の読書は、中学校時代から始まりました。純文学や歴史文学にはあまり興味なく、中高は、海外ミステリを好んで読んでいました。大学生から30代頃は、日本のミステリや五木寛之氏の本を読んでいました。僧侶としては、真宗関係の書物を拝読していました。大好きなミステリでも、手に取らない本と手に取って読む本があるのはどうしてか。真宗関係の書物も手に取る書物を無意識に選んでいるのはどうしてか。

他にも関心がある、心理学やエッセイなども選別しているのはどうしてか。
とても気になります。一度手にして読むことで、心がうれしく感じられた作者の本は、次に出版する本も手に取ってしまうことが多いです。
自分の中にある考え方に刺激を与えてくれたり、賛同できる本を求めているのだろうか。

そう思うと、自分の嗜好のものしか受け付けない状態なんだろうか。
同じことは、色んな情報を得る時にも感じます。自分の考えている(好んでいる)情報を選び取りながら自分の考えの中に取り入れている状態をどう考えたらいいのでしょうか。

少し、考えさせられます。
ただ、最近は、関心がある本を手にしても読み切るのに時間がかかるようになりました。
「積ん読」書物が増えることは避けなければいけないのにと思いつつ。

※中川個人の感想です。