耳に痛い話

耳に痛い話
歳をとるほどに、自分に対して耳の痛い話は届かない。
まだ、幼少や青年期・壮年期でも、信頼する先輩や家族がいれば、注意をしていただくことがあるが、私自身が高齢になれば、中々、同輩や後輩からは注意されることもなく時間が過ぎていく。
「私は、正しく生きているのだろうか」「自分自身の判断が間違っていないのか」省みるとどうだろう。

そのような時、私の判断(ものさし)から離れて、仏の判断(ものさし)が気づかしていただくことがある。「自分勝手だったよね」「自己中心的だよね」そして、自分の考え方を訂正していくことができる。何回も気づかせてもらえる有り難さがあることがとても心地よい時間でもある。

※中川個人の感想です。

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