心地よいもの
私(住職)が生活していく上で、自分に心地良いものを求めています。
生まれた昭和31年からの生活は大きく変わりました。夏は蚊帳の中で団扇で扇いでもらって家族で寝ていたこと。ちゃぶ台を毎回出して食事をしていたこと。懐かしさはありますが、室内の空調設備やダイニングを手に入れ(心地良いものを手に入れ)たから、過去の生活に戻ることはできない自分がいます。有難い人生なのでしょう。
しかし、空しさがなくなることはありません。何故なのか。
いろいろなことが考えられると思いますが、僧侶として言うならば、心が落ち着かないからなんではないでしょうか。もう一度自分に向き合うことの1つに聞法があります。
阿弥陀様の「み教え」を聴くことです。何度聴いてもわからないとの声もお聞きします。本当にそうでしょうか。しっかり布教使に向き合いお聞かせいただいているでしょうか。
その場にいるのが心地悪いのでいいかげんな気持ちになっていないでしょうか。
その場に参加したことが無い方もいらっしゃいます。その方にとっては、魅力がないからなのだと思います。どのように伝えるのか本当に難しいです。
今日は秋千部会です。今1度、お寺の本堂にお上がりいただき、90分のご縁に遇いませんか。
