浄土3部経②
「浄土3部経」という言い方は、法然の「選択本願念仏集」の二門章にはじまる。往生浄土を明らす根本聖典三部ということであるが、今はもっと厳密に、浄土真宗の根本教義を示す。『仏説無量寿経』康僧鎧(こうそうがい)訳 2巻 『仏説観無量寿経』畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳 1巻 『仏説阿弥陀経』鳩摩羅什(くまらじゅう)訳 1巻 をいう。【親鸞読み解き辞典】
『仏説観無量寿経』1巻 畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳
この経は、釈尊在世当時、王舎城におこった事件を契機として説かれたもので、その事情は、序文に示されている。悪友の提婆達多(だいばだった)にそそのかされたアジャセ太子が父のビンバシャラ王を幽閉し、その王のために食物を運んだ母の韋提希(いだいけ)夫人をも宮殿の奥に閉じ込めた。夫人は、ぎしゃくっせん(場所)に滞在していた釈尊を心に念じ、説法を求めて仏弟子の派遣を請うたところ、これに応じた釈尊みずからが王宮の夫人の前に現れた。そこで夫人は、この濁悪の世を厭い、苦悩なき世界を求め、とくに阿弥陀仏の極楽浄土を選んで、そこに往生するための観法について説法を請うた。こうして、正宗分にまず定善13観が説かれる。定善観法というのは、精神を統一して浄土と仏・聖衆(しょうじゅ)を観想することである。これらのうち第7の華座観が説かれる前に「苦悩を除く法を説こう」という釈尊の声に応じて阿弥陀仏が空中に住中する。この定善観の中心は第9の真身観である。さらに、みずから精神を統一しない散心のままで修する善である散善三福が九品(くぼん)に分けて説かれる。三福とは世・戒・行の三であり、上品には、行福、中品の上生と中生には戒福、中品下生には世福が説かれ、下品には、三福を修し得ない悪人のために、念仏の法が説かれているのである。ところが、流通分(るずうぶん)にいたって、念仏の一行が、アナン(氏名)に付属される。
親鸞は、釈尊の本意は定散二善の法を廃して、他力念仏の一行を勧めることにあるとして、この経には隠顕(顕彰隠密)があると見た。【浄土真宗辞典】
※顕彰隠密(けんしょうおんみつ) 浄土真宗で「仏説観無量寿経」と「仏説阿弥陀経」の教えを解釈する際に用いられる語。顕を顕説(けんせつ)、隠を隠彰(おんしょう)ともいう。顕説とは顕著に説かれている教義の意、隠彰とは隠微にあらわされている教義の意である。顕説の立場からいえば、「仏説観無量寿経」は、定散諸行往生を説くもので「仏説無量寿教」の第19願の法すなわち要門の教えを開説したものと捉える。
「仏説阿弥陀経」は、自力念仏往生を説くもので、「仏説無量寿教」の第20願の法すなわち真門の教えを開説したものと捉える。しかし、隠彰の立場からいえば、両経ともに他力念仏往生の法すなわち「仏説無量寿教」の第18願の教え(弘願法)が説かれているする。すなわち、顕説は表面に説かれた方便の教えであり、釈尊の真意は、これらの経に通底する隠彰にあるとされる。【浄土真宗辞典】
『仏説観無量寿経』は、有名な王舎城の悲劇が語られ、それを機縁として、浄土往生のための定善13観と散善3福が説かれる。そして、散善3福を九とおりの人間(九品)に配当して示すのであるが、下三品(下の上、下の中、下の下の人間)は三福無分の極悪人で、これらは一つとして善を行うことができないから、定散二善ではなしに「念仏の一行」だけが勧められている。また経末には、念仏行はとても優れた往生行であると説かれている。【親鸞読み解き辞典】

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