火災

火災
気温が低くなり、乾燥する冬場は、火災が起こりやすいです。TV・新聞などでも報道され、誰もが注意はしているのですが、11月下旬、お寺の近くで火事がありました。幸い人的被害もなく消し止められましたが、お寺の前の通りも消防活動で、3時間ほど交通止めになっていました。
誰もが火の始末には注意しているのですが、起きてしまう場合もあるのでしょうか。
江戸時代から続く久居の町は江戸後期に「久居焼け」と呼ばれた火事で町全体が火に覆われ焼失した記録もあります。今のお寺の本堂は、それ以降にお同行様に支えながら建てられた本堂で、国登録文化財でもあります。毎年、文化財防火デイも1月にあり、火の始末には注意しているつもりですが、年末年始であわただしい時間、私(住職)も皆さんも、火の始末には万全の注意をして新しい年を迎えましょう。

2024(令和6年)のアーカイブ③

2024(令和6年)のアーカイブ③

インタビューを受けたこと
「伝える」ことに悩んでいた3月頃、初めてインタビューの依頼がありました。
まさしく、「伝える」側になるのですが、対話方式で、引き出される質問の真意を見つけ話をする難しさを感じました。質問について私の捉え方と相手の真意は、ずれている場合もあります。そのことを直ぐ伝えることができるのか、時間が経過してからでないとわからない場合もあります。記事になるまでに確認(校正)がありったり、改めてインタビューが加わることもあり「伝える」ことの難しさを再認識し、私(住職)が「伝えたい」ことをちゃんと引き出された内容であることに相手方のインタビュアーの傾聴力に敬服したことです。

2024(令和6年)のアーカイブ②

2024(令和6年)のアーカイブ②

②これからのお寺
少し先の話ですが、2030年に妙華寺がこの地に創建され350年を迎えることになります。また、同じ頃、高田本山の一光三尊仏御開扉も17年ぶりにあります。
大きな法会に対してどのように取り組んでいくか4月に世話方会にて相談させていただきました。今の世話方様の次の代が中心に取り組むことでもありそうです。もちろん住職も次の代が中心になると思いますが、精一杯、取り組んでいきますので、お同行の皆様もどうぞお知恵をお貸しいただき、より良い記念行事にしていきたいと思っています。
※創建300年法会は昭和53年に前回の一光三尊仏御開扉法会は、平成26年に厳修しています。

令和5年に「一般財団法人お寺と教会の親なきあと相談室」の趣旨に賛同して、令和5年5月13日に「親なきあと相談室」キックオフ講演会を、津市久居アルスプラザで開催させていただきました。10月7日には、妙華寺会館にて「親あるあいだの語らいカフェ」を、「傾聴僧の会」の有志に方にもお越しいただき開催しました。
今年から年3回(2月6月10月の第一土曜日)に開催しました。他者の話を聞くこと(傾聴)は、私(住職)にとって難しく感じることがあります。他者が伝える真意はなにかを丁寧に汲み取ろうとするには集中して話を聞くことになります。また、私の判断を他者に押しつけることもダメです。フラットに話を聞くことは実践するしかないのではないかと思っています。

2024(令和6年)のアーカイブ

2024(令和6年)のアーカイブ

①駐車場のコンクリート舗装
お寺の境内東側にある駐車場をコンクリート舗装しました。前住職の代に、以前は防災池を埋め立て駐車場にして、お同行の皆様の車への対応をしていました。その後、お寺の西側にも駐車場を整備しています。東側の駐車場は砂利敷きでしたが、1月下旬から3月初旬にかけてコンクリート舗装をし、使用していただいています。

国登録文化財に指定され20年

国登録文化財に指定され20年
妙華寺の本堂は、文政4年3月の久居大火にて焼失した本堂を当時のお同行の皆様のご尽力により安政4年に再建した本堂です。
平成16年11月に国登録文化財に指定されました。それから20年が経過しました。
改めて、その紹介文と英訳を紹介します。

国登録文化財
妙華寺 本堂 江戸時代

妙華寺は久居(ひさい)藩の城下町にある久居藤堂(とうどう)家菩提寺の玉せん寺(ぎょくせんじ)の西隣に並ぶように天和元年(1681)に建立された真宗高田派の寺院です。 文政四年(1821)の久居大火により焼失して、現在の本堂は安政四年(1857)の再建と 伝えられています。山門の奥に南面にして建つ本堂は、木造平屋建で表側(南側)を大 間(だいま)・奥の中央に内陣(ないじん)、その両側に余間(よま)、背面(北側)に 後堂(うしろどう)に区画し、建物の両側面には楽ノ間(がくのま)が配置されています。屋根は桟瓦葺の寄棟造り、錣(しろこ)葺で正面に向拝が突出しています。
高田本山専修寺(せんじゅじ)の御影堂(みえいどう)(重要文化財)と同じ手法が高田派の寺院の本堂建築等に取り入れられています。妙華寺は、藤堂家菩提寺と境内を 並列する待遇を受ける寺院でその本堂は、向拝の装飾的な構成や桟瓦葺の寄棟造りの屋 根に錣(しころ)にするなど特色のある外観をもっており久居の城下町の歴史的景観を留める貴重な建物です。
津市教育委員会

MYOKE-JI (designated as important cultural properties)

Myoke-ji is a time honoured temple of the Takada sect of the Shinshu Buddhist School, established in 1681, Edo period. It is located in jokamachi (towns surrounding daimyo’s castle) of Hisai-han (“han” is an estate of a daimyo), right next to the Gyokusen-ji, the temple of Hisai-han’s daimyo, Tohdo.
Myoke-ji was burned down by the huge fire which devastated the town of Hisai in 1821. The current building was rebuilt In 1857.
The wooden made main building placed at the back of the gate consists of Daima at the front, Naijin at the center of the back, Yoma on the both sides of Naijin, and Ushiro at behind. Gakunoma is located at the both sides of the main building.
Myoke-ji is specially allowed to situate beside Hisai-han’s daimyo, Tohdo’s temple, and is also constructed in the similar way as the head temple of the Takada sec.
Myoke-Ji is a precious temple maintaining historical atmosphere of Hisai’s jokamachi with distinctive appearance, such as decoratively carved eaves and Shikoro styled roof on Yosemune-zukuri architecture (roof sloping into four directions).
「英訳: (一社)お寺の未来 松﨑香織」

続いて、「すばらしきみえ」の掲載文も紹介します。
【「すばらしきみえ」三重の「国登録有形文化財」平成20年10月発行より】
久居の中心部を歩くと、久居旅籠町・久居東鷹跡町(ひがしたかと)など、かつての城下町を彷彿させる地名が続きます。
雲出川の北に広がる野辺野(のべの)の丘に居を構え、町を形成したのは、藤堂高虎の孫、高通(たかみち)で、寛文9年(1699)のことでした。久居とは彼がこの地に「永久に鎮居する」の意味を込め、命名したと伝わります。
久居二ノ町には、玉せん寺(ぎょくせんじ)と妙華寺(みようけじ)が並びます。どちらも藩主藤堂家ゆかりの名刹。しかし、文政4年(1821)の大火でいずれも焼失の憂き目に会いました。玉せん寺は、明治時代に再度本堂を失ってしまいましたが、妙華寺は安政4年(1857)の再建から今日にいたるまで、150年の間この地に建ち続けています。
現在、妙華寺本堂を訪ねると、随所から歴史の重みが伝わります。中でも見事なのは、参詣者が本堂に上がる場所・向拝(こうはい)に見られる装飾でしょう。エビのように曲がった化粧梁は、「海老虹梁」(えびこうりょう)、木鼻(きばな)のキバの無い動物は「獅子」、有る方は「象」を表していることなどを、住職の中川和則さんから教えてもらいました。
屋根に視線を移すと、途中で形が変わり、まるで2段構造になっているように見えます。この形が、兜の左右から後方に垂れて首筋を覆う錣(しころ)に似ていることから「錣葺」といわれる、独特の造りです。
開基は天和元年(1681)までさかのぼる妙華寺、寺の存在は、今後も久居の歴史の1ページを飾ることでしょう。

※玉せん寺(ぎょくせんじ)の「せん」は、旋の「方」が「さんずい」になります。

 

副住職からの案内

副住職からの案内
中川結幾(法名は、鳳瑞)からの案内

高田本山報恩講(お七夜)
令和7年1月13日(月・祝)朝7時からのお勤めの後、御影堂(みえいどう)にて法話をさせていただくことになりました。
※朝のお勤めは7時から始まりますが、法話は、お勤め終了後(8時前くらい)になります。
寒さの中、朝の早い時間ですが、ご都合の良い方は、ぜひ、ご聴聞ください。

また、高田本山専修寺のHPのYouTubeからも視聴できます。

位牌

位牌
最近、複数の方から位牌についておたずねがありました。

「位牌はどのように扱うのでしょうか」
高田派では位牌を使用しています。亡くなられた方の法名(一般に言われる戒名)を記載したもです。1人1人の法名が記された位牌や、繰り出し位牌と呼ばれている、白木が何枚もおさまるもの、日めくり形式の位牌(過去帳)など形もさまざまです。
仏壇の中に位牌を安置しますが、位牌を安置する位置は明記されていないので、どこに安置するかはさまざまです。また、嫁がれた方が実家の両親の位牌を嫁がれた方の住居で安置したいなどの要望は以前から聞こえてきます。嫁がれた方の居る空間(スペース)で心が落ち着く場所に安置していてはと話しています。
真宗では、位牌に霊魂があるわけもなく、亡くなられた方の法名を記した位牌に意味があるのかないのかのおたずねもあります。

一応、私の中で位牌について、私が、先代から聞いていることを記載します。
高田派では亡くなられた方の法名を位牌形式で大切に扱っています。
仏壇の中に位牌を安置するのはその為だと思います。ただ、仏壇の中で位牌の安置する位置についての明記はありません。
また、嫁がれた方が実家の両親を偲びたいので位牌を作って、嫁がれた方の空間(スペース)に安置されることは以前からあります。
位牌に霊魂はありませんが、位牌の法名を諸仏の1人として敬う気持ちが大切なのだと思います。
ご自身が心静かに手を合わせて、1日をはじめる。また、1日を省みる場所として仏壇がありますので、仏壇がなくても、位牌の場所で手を合わることで、心を整えることができれば良いのではないでしょうか」と伝えています。

※お寺の内仏(仏壇)では、日めくりの過去帳に法名を記しているので、1人1人の位牌はありません、歴代住職の位牌は、年忌法要や毎年の正月荘で本堂で使っています。

東久世通禧(みちとみ)

東久世通禧(みちとみ)をご存知でしょうか。
妙華寺の山号「寂陽山」を揮毫されています。
1834年(天保4年)から1912年(明治45年) 江戸時代(幕末)の公家・明治時代の政治家、茶人です。

詳細はインターネットでお調べください。

以前は、本堂に入った上に掲示していましたが、現在は、高田本山のご法主の山号額を掲示しています。

東久世通禧の山号額は、庫裡の玄関に掲示しています。

【山号額】には、「正二位伯爵通禧書」とありますので、1884年(明治17年)に伯爵になられていますので、1884年以降の書です。

また、掛軸の箱に、「東久世通禧公 当山に 歌一 画賛一ご来遊中に筆」と墨書された東久世通禧のかかれた、書と画賛の掛軸もあります。

東久世通禧がどのような経緯で妙華寺にこられたかはわかっていません。

12月のお茶

12月のお茶
今年も残りわずかになりました。師走は、いろいなことで忙しく、ゆっくりした時間をとるのが難しいです。最近、日常生活で「事始め」の言葉は使われなくなりましたが、お茶の世界では使われているようです。正月の準備を始める13日に先生に挨拶に伺うことに、今年お世話になったお礼と来年もよろしくお願いしますと言うことを直接伝える文化は、今の時代ではとても難しいかもしれませんが、豊かな気持ちを表しているような。
今教えをいただいている先生は、除夜釜を掛けられています。近くのお寺の除夜の鐘がつき始める頃から、親しい人と、お茶をいただきながら、1年を振り返るそうです。
炉の炭を埋火にして、元日の炉の炭につなげるのもすてきなものですね。
私も徹夜しても大丈夫な頃であれば、参加したいのですが、その体力もなく、残念でなりません。
また、茶家の正月荘りに、「炭俵」の荘りがあるそうです。

お寺の12月

お寺の12月
お寺の報恩講は、以前(昭和初期から昭和20年代?)は12月14日15日16日だったそうです。その後、私(住職)も出仕するようになった20代(昭和50年代)には、12月5日6日でした。平成に入り前住職の代に12月5日の一日となり、私の代になり、12月の第1日曜日に変更をしました。
今年の報恩講は、12月1日です。そうすると報恩講の準備を11月中に終えないとなりませんので、大変です。以前は、報恩講が終わるとすぐ西余間の絵伝を仕舞い、平素の荘厳にもどしていましたが、ここ3年くらい、年末までそのままで、正月荘の時に仕舞っています。 報恩講が終わり、お供え餅を切り分け、ご奉仕されました方々にお配りしています。
12月第2日曜の組内の報恩講が終わると、少し落ち着きますが、正月の準備がすぐさま始まります。毎年、その年の年忌の方の「繰り出し」表を正月元日に用意します。
前住職までは、毛筆で書かれていました。私(住職)の代になり、ワープロで打ち出すようにしましたので、少し楽になりました。31日は、元日の朝5時30分からの修正会の準備になります。西余間(向かって左側)に、妙華寺歴代の位牌や絵像を荘ります。また、正月に本尊にお供えをされる方々がお供えを届けていただきますので、内陣にお供えします。
17時頃に本堂でお勤めし、続いて内仏でお勤めして今年のお勤めが終わります。

尚、隣のお寺が除夜の鐘をついていますので、妙華寺では撞いていません。