碑前のお勤め

碑前でのお勤め
妙華寺の境内には、お同行様各家の碑(墓)と戦没者の碑、「倶会一処」の碑、樹木の元の「三部石経」の碑、地蔵像と名号(みょうごう)の碑があります。戦没者の碑は、第二次世界大戦で戦死されましたお同行のご遺族が戦後協力して建てられました。「倶会一処」とは、『仏説阿弥陀経』の中の一文で、「往生してからも倶(とも)に会える場所」のことであります。「浄土三部経」と呼ばれる、『仏説無量寿経』、『仏説観無量寿経』、『仏説阿弥陀経』の経文を一字づつ石に書き続けて全てを書き終えて石碑を建てられた「三部石経」の碑。水屋の近くのお地蔵さんと共に「南無阿弥陀仏」の「名号(みょうごう)」の碑。建てられた時期は違いますが、私のいのちが、仏さまから誓われている中で安心できる日常を生きていることに感謝し、先に往生された方々に仏徳讃嘆させていただく思いでそれぞれの碑が建てられたことと感じています。

平成30年の10月から毎月16日の朝にそれぞれの碑の前でお勤めをしています。
1年間毎月同じ時間にお勤めしていますと、空のグラデーション(冬の夜明け前から夏の明るい色)や体感の変化に季節の移ろいを感じています。
※毎月16日の朝、高田本山では親鸞聖人の命日で御廟でお勤めがあります。
妙華寺の碑前のお勤めが16日であることは、それに準じて決めました。

高田本山お七夜

高田本山報恩講
高田本山のお七夜中に、派内寺院の責任役員大会が開催されます。高田本山の現状を説明されたり、今後の予定などを各寺院の責任役員の皆様に情報の共有をしていただき、寺院護持にご協力をお願いしています。
妙華寺からは、総代様に出席をお願いしています。今年も寒い中、参加していただきありがとうございました。
今年は、13日の午前中にお参りに行く時間がありました。
宝物館での特別展観「絵伝でたどる高田のものがたり」では、3つの絵伝が注目です。
真宗寺院の報恩講に掛る「親鸞聖人絵伝」以外に、高田派独自の「正統伝絵伝」と「一光三尊仏絵伝」を1度に拝見することができました。こちらの特別展は2月16日まで開催されていますので、ご興味のある方は是非足をお運びください。
昨年に続いて、お非時(ひじ)もいただくことができて有難かったです。

13日の晨朝(じんちょう)のお勤めの後、妙華寺の副住職が「功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と題して法話をお取次ぎさせていただきました。
今回も遠方で朝寒い時間にも関わらずお同行様が高田本山に駆けつけていただいたこと感謝申し上げます。副住職も、知っているお同行様のお顔を見て心強く感じていると後ほど聞きました。まだまだ修学中の副住職をお育ていただいていること、私(住職)もお礼申し上げます。しばらくの間ですが、高田本山のYouTubeで視聴できるようですので、ご興味のある方はご視聴ください。

創建350年に向けて①

創建350年に向けて①
妙華寺は、久居の地に延宝8年(1680)に寺領を与えられました。5年後の2030年に創建350年を迎えます。これまでの寺院のあり方を省みて、これからの寺院について改めて考えていこうと思います。
お寺のことを考える前に、自分自身について改めて考えてみたいと思います。
以前「からくりテレビ」と言う番組で、高齢の今の自分から若かった頃の自分へビデオレターで話しかけるコーナーがありました。その方の想いを聞くことが心に残っています。
今は、お正月番組の1コーナーとして続いています。

今の私(住職)は、いつの頃の自分に語りかけるでしょうか。また、皆さんはどうですか。
それと同時に、未来の世代に何を語りかけたいか考えていきたいと思います。

手紙

手紙
今の時代の手紙は、PCとプリンターを使ってきれいに印字した文字がほとんどです。
私(住職)が社会人になった20代にPCが、職場に導入されプリンターから印字されるのは、カナであったり、数字が主で日本語文章としてはあまり使えないものでした。ですので、その頃は手書きでハガキや手紙を書いていました。

巻紙はご存知でしょうか、半切紙を継ぎ合わせて巻いた紙で、墨書する手紙です。最近はあまり見ることもなくなりましたが、これまでの日本での手紙は巻紙に書かれていました。 親鸞聖人の真筆と認められている11通のうち7通の手紙が高田本山専修寺に所蔵されています。大きな展覧会などでガラス越しにみることができる貴重なものです。その7通の署名の仕方に注目された平松先生の文章に出合いました。4つに分類できるようで、そのことを含んで手紙を読むことで親鸞聖人の人柄が感じられるとのことです。日本の古い言葉を読みきることは大変難しいことですが、現代訳もあります。かかれた相手のことを含んで訳されているかもう一度読み返すのもいい機会になります。

【案内】高田本山の報恩講(お七夜)

【案内】高田本山の報恩講(お七夜)
親鸞聖人のご遷化が、今の暦で正月16日です。高田本山の報恩講は毎年ご正忌をご縁として正月9日から16日までお勤めされています。
七昼夜、親鸞聖人のご遺徳をしのび、ご恩を喜び報謝させていただきますので、「お七夜」と親しまれて呼ばれています。
昭和の時代ですと、お正月が過ぎ、年明けの仕事が始まっていますが、お七夜に参詣して本格的に仕事に取り組まれるということをお聞きしたこともあります。

期間中は、多くのイベントが山内を中心に行われますが、宝物館(燈炬殿)では、お七夜期間だけの「絵伝でたどる 高田乃ものがたり」展(1月9日から2月16日)が開催されます。ご関心・ご興味がありましたら是非お立ち寄りください。

また、13日晨朝のお勤めの(7時)の後、御影堂で妙華寺の副住職がお話させていただきます。朝が早いので、現地に行くことが難しい場合YouTubeでも配信されますので、ご視聴いただくこともできます。

七草がゆ

七草がゆ
1月7日は「七草がゆ」私(住職)が小さかった頃から、家族でよく食べていました。
「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ」
正月のごちそうを食べた胃を休めるためとか無病息災のためとか意味合いはあるのでしょうが、正月のおせちやお餅に飽きかけてきた時の楽しみだった。最近は、スーパーに売っているセットでいただいている。
新しい年になってもう一週間かまだ一週間はその時の気持ち次第ですが、時間は正確に刻まれています。

たいしたことではないが、今が私にとっては一番若い歳なのだから、できることをやっいこうと考えています。


「夢」の世界。小さかった頃はよく夢を見て、目覚めても覚えていた気がしますが、今はあまり覚えていません。今年の初夢も覚えていません。正夢・逆夢など夢にまつわる話は、文学などにもたくさんあるような。
私(住職)の中で、「夢」と聞くと、「夢の中へ」(井上陽水)の曲が流れてきます。「さがしものはなんですか」から始まるメロディーと歌詞は、当時の青春時代の思い出の一曲なんでしょう。
「夢」に戻ると、いろいろな評価がありますが、中世の夢告(むこく)の話は、尊いものだと考えられていたんだと思います。親鸞聖人の夢告も人生のこれからを決定づけるものだったと思います。
自分の中の「夢」をもう一度捉え直すことも大切ではないでしょうか。
皆さんは、どう思われますか。

悲しいことだが、今、私の居る世界には、仏がいないのか。

悲しいことだが、今、私の居る世界には、仏がいないのか。

『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の一節です。
『佛所遊履(ぶっしょゆうり) 国邑丘聚(こくおうくじゅ) 靡不蒙化(みふむけ) 天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがつしょうみょう) 風雨以時(ふうういじ) 災厲不起(さいれいふき) 国豊民安(こくぶみんなん) 兵戈無用(ひょうかむゆう) 崇徳興仁(しゅとくこうにん) 務修礼譲(むしゅらいじょう)』

と、説かれています。この文を分かりやすく換言しますと、

「仏が行かれるところは国も町も村も、その教えにさからうようなことはない。そのため世の中は平和に治(おさ)まり、太陽も月も明るく輝(かがや)き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は安穏(あんのん)にくらし、軍隊や武器をもって争うこともなくなる。人々は徳をもって思いやりの心で、あつく礼儀を重んじお互いにゆずり合うのである。」

真宗では、『鎮国文』と名づけています。

このような尊い教えをいただきながら、悲惨な戦争が繰り返されているのは、全く悲しいことです。私たちの家庭や日常生活を反省してみますと、親鸞聖人の”世の中安穏なれ 仏法ひろまれ”と申されるおことばがお念仏とともに力強く私たちの心に響いてまいります。

参照 高田本山 ひとくち法話No97 ―諸法会5― より

節目

節目
木材や竹の、節のある所。また比喩的に、物事の区切りとなる(大事な)所。

1年が終わろうとする頃、色んなことを思います。この1年の反省であったり、新しい1年への希望であったりします。目の前にあることに取り組んで生きていることも大切なことと思いますが、これまでの自分自身のあり方を振りかえることも必要なんでしょう。また、これからの希望があれば、生きていく上で励みにもなるのではないでしょうか。
時間の節目として、年末年始は特別なもののようです。日本では、1年の中にも、季節の節目もあり年中多くの節目に出合っているようにも感じます。

「人生の節目」と言う言葉を聞いたことがありますが、それは何時なんだでしょうか。きっと人によって違うのだろうけど、私(住職)の場合は「人生の節目」があったのだろうか。これからもあるのだろうか。

茶道で「竹有上下節」との言葉を知りました。禅語で「竹に上下の節あり」とあり、①竹の根本や基本である上下の節を軽んじないようにすることや。②人間にも区別があり、礼儀や節度を守らなければ、社会の調和は保たれないとの意味をあるそうです。
日常生活が節と節の間であっても節目があることで、しななやかにたくましく育つことのようにも感じるこの頃です。
歳を取れば、これまでにたくさんの「人生の節目」に出合ったと思いますが、それらはつながっているようにも感じます。そうこうしている内に、目の前のことをやらなければいけないことが迫っています。結論のない思いで終わってしまいそうな年末です。
※中川個人の感想です。

新年の準備

新年の準備
毎年ではありますが、後一週間もすると新年です。新年の準備は、本堂の西余間(向かって左側)に正月荘と称して、妙華寺の歴代上人の位牌や絵像を荘ります。絵像は、7代から前住職の11代までの掛軸を掛けます。開山上人坐像がありますので位牌の中心に荘ります。また、年回表(繰出表)も新たにします。
続いて修正会(元日朝5時30分)のお勤めの準備もします。本尊正面の前卓にお同行様からお供えいただいたものを披露します。
以前は、お仏飯のおさがりや、屠蘇をお出ししていましたが、コロナ後は、お持ち変える品に変更しました。また、高田本山のお七夜券を先着順に配布しています。