鬼
鬼は、疫病や災害、不幸など悪い力の象徴として、邪気を払い、福を招くものとして伝わっているのが節分の豆まきのようです。
親鸞聖人の「愚禿悲歎述懐」の和讃の中で、「悪性さらにやめがたし こころは蠍蛇のごとくなり 修善も雑毒なるゆえに 虚仮の行とぞなづけたる」【3首】があります。
末法を生きる自分自身を厳しく見つめていらっしゃる言葉です。
「こころ」は、蛇(毒蛇)蠍(猛毒を持ったさそり)=悪性のたとえとして、わが心を見つめている姿に、私(住職)は、本当の自分の姿を自覚ができているか。と問われると思います。
「煩悩多い心であっても、どこか他者の役にたっている」なんて思ってしまうのが私(住職)なんだと思ってしまう自分がいます。
私の心の蠍蛇(邪気)を払うことができないことを自覚して、阿弥陀さんのはたらきに「まかせて」いくことは、阿弥陀さんが私の仏道修行をすべてしていただいてあるからのこと。
そのようなことを感じて過ごしています。
※中川個人の感想です。
