仏徳讃嘆

仏徳讃嘆

何時の時代でも、争い事が絶えません。それぞれの主張は正義であっても、対する立場から見れば、正義では無く争うことになるのだと感じます。冷静に、落ち着いてと言っても、双方が他者の立場を理解できなければ、かわることはないように思います。
私が生きていく上の欲望は無くなることはありません。

取り巻く状況は同じでも、「私とは」と内面を省みることができるのであれば、もう少し、他者のことも考えることができるのではないかと希望的な思いがあります。

私は、仏(阿弥陀如来)が(私に成り代わり仏の修行をしてくださいました)徳で往生できる身になることができました。仏徳讃歎する生活を送ることが、心平穏になることとなりました。このような言葉を聞くと驚かれるかもわかりませんが、仏法を聴聞していくと、自分自身が変わっていくのだと思います。いつも、自分の「ものさし」からしか考えられない私が、仏様の「ものさし」によって変わっていくことができる。とても有難いことです。
このことから、真宗寺院では、お寺の行事や法要の場で仏徳讃嘆しています。
「おかげさま」であったり「有難い」の言葉は、仏の徳をいただいて初めて感じる世界ではないでしょうか。
※中川個人の感想です。