葬祭の簡素化

葬祭の簡素化
葬祭について簡素化が進んでいます。もちろんこれまでどおり、大切な方とのお別れを丁寧にされる方の割合は多いですが、枕勤めも、通夜・葬儀もしないお別れも経験しました。年忌法要も、親御さんのそれほど遠くない年忌も勤めない方もいらっしゃいます。簡素化と言う言葉には、これまでの地域コミュニティや親族コミュニティが今とは違うほど豊かであったことは含まれてはいません。
更に、生前、墓じまいをされる方も増えています。それぞれに事情があるのはわかっているつもりですが、時代のせいにはしたくありません。
この考えを推し進めていくと、生きている時も生き方の簡素化が進んでいくのではないかと思っています。自立して生きていくことができず、他者の助けが必要になった時、簡素化と言うだけで、「いのち」の選別が始まっていくのかもわかりません。

一身田の高田本山では、親鸞聖人が往生され760年以上になりますが、1月9日から16日まで、「お七夜」と呼ばれる親鸞聖人の報恩講が勤まりました。以前よりは、参詣者も少なくなっていると言われていますが、毎年の報恩講に遇うことがうれしいと仰る方も私(住職)の周りには、たくさんいらっしゃいます。私(住職)もその1人です。遙か昔の方の報恩講(祥月命日)を有難く思う気持ちはどこからくるのでしょうか。

大切な方の祥月命日のお勤めを何年も続けられているお同行様も複数いらっしゃいます。寂しさや悲しみもあると思われますが、続けていく中で、亡き人を通して、今の自分と関係を結び直しているようにも感じることがあります。そこには、自分だけの思いから他者への思いを馳せる豊かな気持ちを感じることがあります。
※中川個人の感想です。

Screenshot