居場所
先日、生活者の方と話した中で、私たちは、生活していく上で、安心した居場所が必要だと。生まれた時からの「家庭」や、「学びの場」や、「働く場」が、安心できる居場所と思い込んでいますが、どうなんだろうか。他者は安心した場であったとしても、私にとってはたして安心した場であったんだろうか。さまざまな状況で、1人1人安心した場は、違うと思われますが、安心できる場が必要であると思いますと。
その時、私(住職)は「お寺は、安心できる場になることはできるのか」を思いあぐねていると、「(お寺は)何も関係性のない第3の場所(サードプレイス)に成るのでは」と話されました。とてもうれしい言葉です。
生きている今を大切にすることは「安心」につながることと思いますが、刹那的な生き方では「安心」は生まれないと感じます。少しでも落ち着ける場としてお寺を利用してもらえればありがたいことです。
話は少し飛びますが、「大切な方がなくなった後の居場所をお寺は示しているのではないだろうか」と思いました。
大切な方が亡くなられてからのことを思う(願う)ことができるのは、私たち人間だけです。心が整っていて、寄り添う思いがないと難しいのかもわかりません。
「涅槃」というと「死」を思い浮かべますが、お釈迦さんが示す「涅槃」は、心が安心する状態のことです。ただ私たちには、生きている中で、心が安心できる状態が続くことは無い為、「いのち」終えた後の状態=「死」=「涅槃」と今では認識しているのだと思います。
※中川個人の感想です。
涅槃 梵語ニルヴァーナの音訳 さとりの境地のこと。すべての煩悩の火が完全に吹き消された境地のことで、仏教の最終的実践目的は涅槃に至ること
される。釈尊が亡くなったことをいう場合もある。【浄土真宗辞典】
