こころ

こころ
「私の心はどこにある」と聞かれたらどう応えますか。身体の一部のように感じる時もありますが、心は「物」でなく、空(くう)の思想家・龍樹菩薩なら、「心という言葉だけがあり、実際には存在しない」といわれそうです。
実態なきものにしがみつくから苦しみが生じるというのが思想の根本だからです。

仏教の教えを短い詩節の形で伝えたダンマ・バタに、「こころ」について語られています。
「心は捉えがたく、軽くたちさわぎ、欲望のまま動き回る」(ダンマ・パダ 35偈)
「心はきわめて見がたく、まことに微妙で、欲望のまま動きまわる 聡明な人はこの頃を制御し、制御された心は幸せをもたらす」(ダンマ・パダ 36偈)
「心は遠くにさすらい、独り動き、姿かたちなく胸の奥深くに潜んでいる」(ダンマ・パダ 37偈)

先日、TVドラマを見ていて「こころ」について「こころは、人と人の間にあるもの」語られることがありました。何気ない一言で、聞き流してしまいそうになりながら、「こころ」についてこれまで考えていない視点をいただきました。
私と他者の関係性とも関連する領域もありそうで、興味深く、自分の「こころ」について考える時間をいただきました。

※中川個人の感想です。
『摩訶止観』には、「質多とは天竺の音なり、この芳には心といふ。心とはすなはち慮知なり」【浄土真宗辞典】