3月の聞法

LifeWalk2021オンライントークセッション
「仏教と自死~自死という死はどのように語られてきたか~」野呂 靖(せい)師

毎年3月1日の京都府「いのちの日」の賛同行事として、宗教者が京都市内をLifeWalk(行進)する活動があります。今年はコロナ禍で行進することが難しいので、オンラインを通してのトークセッションでした。
「仏教と自死(自殺)」について、法要の現場ではいろいろ意見がでます。仏教の初まりのお釈迦様の言葉から日本に伝えられた仏教が、現代まで自死(自殺)についてどのように語ってきたか文献などの調査からのお話でした。どのような死に方であっても善悪はとわれないのですが、人(僧侶)は、自死をいけないことと捉え、否定的な言葉を使ってしまうことで、当事者や遺族や関係者の心を傷つけてしまう現状があるのではないでしょうか。
その後、野呂さんとリメンバー名古屋自死遺族の会の野村清治さんのトークセッションで、自死遺族の声や思いなど貴重な意見を拝聴しました。

自死(自殺)を語ることは、とても繊細で難しいのですが、「死にたいほどの苦しい気持ち」を抱いている方に、私の願いとして「生きていてほしい」と願うのですが、その方の心の底の思いをどれだけくみ取れることができるのか難しい課題です。
その方への支援が多岐にわたり、早期の対応ができない場合や万全でないことも考えてしまいます。私(住職)に何ができるかと言われれば、ただ傾聴することしかありません。反復と沈黙(ちょっと待つ)を繰り返しながらその方の思い(意識)をくみ取っていくこと、その傾聴すらとても難しいことだと感じられます。

※中川個人の感想です。

彼岸の入りの今日、紫雲会に参加できました。昨年の8月以来ですので7ヶ月ぶりです。高田本山の布教伝道研修会の講師でもあります本願寺布教使の花岡静人師の法話です。「親鸞聖人のお手紙に聞く」と題され、晩年に近い時期に書かれた一通をご紹介されました。
法話の中で「苦痛」と「苦悩」や「苦悩」と「苦労」の言葉から感じることや、私から仏への視点と仏から私への視点から「信心」と「ご信心」の違いなど興味深く拝聴させていただきました。
また、聖人と関東の門弟との消息(手紙)のやりとりが、現在のような郵便制度の無い時代で、「命がけ」であったこと「私のいのちを投げ出してもよいほどのものに出遇うことがあってのこと」や、この消息(手紙)に書かれた法然聖人の言葉は、およそ50年前に親鸞聖人がお聞かせいただいた言葉で、この手紙に書かれた思いなど、手紙を通しての交流であるけれど、そこには聖人と門弟の距離を越えた本人どおしが対面されているような感じでなかっただろうかと想像したりしました。
最後に「聖人の手紙を読み、聖人に返事(返信)を書いてみてください」と締めくくられました。私は聖人のお手紙を読みっぱなしで返事を書くことなど思いもしなかったし、きちんと読まないと返事もかけないと改めて感じています。
この1年近く対面でご法話を聞くことが難しく「集う場」が少なくなっていますが、対面で法話をお聴かせいただく「場」には、とても心豊かな気持ちにさせていただくことです。「集う場」を継続して開催されている正覚寺様に感謝いたします。
※中川個人の感想です。