秋のグリーフケア公開講座

春のグリーケア公開講座に続いて、秋のグリーフケア公開講座にも参加することができました。全てに参加はできませんでしたが、聴講して、毎回新しい気づきや忘れていたことを思い出させていただく学びの時間に感謝しています。聴講して個人の感想ですが記載させていただきます。
2016-09-27 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」 高木慶子
春に続いて、秋のグリーフケア公開講座が始まりました。今回も第1回目の講座は上智大学グリーフケア研究所 特任所長の高木慶子様のお話しで「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」との講題でお話しいただきました。悲嘆に寄り添うこと(ケア)側の難しさとして、悲嘆された方が、悲嘆を周囲に知らせることにもその方に「知らせる力」がないとできないこともあるようです。悲嘆からの回復として時間の存在もあります。また自らの悲しみを恵みとして気づくことになるのも悲嘆を乗り越えていく力になると話されました。真珠がアコヤ貝の中で育つ過程から悲嘆を乗り越えていく力が私たち一人一人の中にもあることだと紹介されました。また、高木先生の死生観を詩で表され大いなる存在に気づくことで、私が生かされていることに気づき、悲嘆を乗り越えていく力が生まれてくることを強調されました。また「人生」という言葉をもう一度考える機会になりました。高木先生のご講演の最後は全員で歌を歌う時間があります。わずかな時間ですがこの場にいる全員が一緒に歌うことで一体感が生まれるように感じます。
※中川個人の感想です。
2016-10-04 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「心を病むこどもたち」 水谷修
「夜回り」と聞くと消防団の「火の用心」を思うことですが、水谷先生が子ども達が夜の町にいることの危険と、もしもの時は頼ってくる場(人)がいることを周知するためパトロールを初めて夜の世界で25年間がんばっている水谷修先生を、「夜回り先生」と親しみこめて呼ばれるようになりました。
先生の友人との話で、夜間学校の教師になり「夜回り先生」になったようです。
夜、外にいる子ども達は家庭に居場所が無い為、外にいるようですが、夜外に外に出ず家の中でリストカットする子ども達がいることに気づき、「夜回り先生」の活動と共にリストカットをする子ども達への活動も今も続いているようです。外に出ない引きこもりの子ども達には、その子の引きこもっている場所に行き、一緒にいることから始めるそうです。また、リストカットをするに至る背景を一緒に考えなければ、子どもの心が開くことはできないようです。これまでの経験から、解決に至る方法として4つ示されました。①理論に基づいた臨床心理学がありますが、この方法は前例がないと限界があるようです。②科学に基づいた精神医療も日本の場合、薬だけの治療で心と体の治療としては限界があるようです。③非論理的であるが、体育系の水谷先生らしい、ストレスは心身のアンバランスで心が疲れている状態で発生するので、身体も疲れるようにすると夜も眠ることができストレスが少なくなるようであると経験を語られました。④私たち人間は今も神聖なもの(宗教)を「畏怖」として捉えているので、その神聖な宗教空間を居場所の無い子供達の居場所として提供できる可能性を実感されているようです。
またお話しの冒頭に、「美しいものをたくさん見てください」とおっしゃったのは、子ども達だけでなく、私たち大人への呼びかけでもあり、「美しいものを見る」と言うことは心に余裕を持つことと感じました。名もない花であってもちゃんと見ると「美しさ」があることと私(住職)は受け取りました。水谷先生は、とても語ることが多くて私(住職)の力では全てをまとめるのができないのですが、そこには、水谷先生が、多くの心を病んでいる子ども達を見てきて多くの子ども達が立ち上がっていった以上に、先生にも何も出来なかった子ども達の姿が今も脳裏から離れないから1つでも多くの事を私たちにに伝えようとされているからだと思いました。
※中川個人の感想です。
 2016-10-25 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「妻として 女優として 夫・大島渚と過ごした日々」小山明子
女優の小山明子さんが夫の大島渚さんの介護を通して感じた心の動きをお聞かせくださいました。結婚生活50年の中で病気で倒れられてから17年間のことを語られました。大島渚さんは監督として、小山明子さんは女優として活躍されて、またご子息二人の結婚もあり幸せの状態の時に大島渚さんが倒れられお世話をすることになった時は「どうして私が」とショックを受けられうつ病になられたそうです。4年間のうつ病の中で、自分が元気にならないと向き合えないことを感じたときから回復に向かわれたそうです。大島渚さんの病気のお世話といっても病床ですることは何も無く一緒にいるだけの時間に読書をされて、読後の良かった言葉をノートに書き始めてことが自分を変えていくことになったようです。大島渚さんの病気も徐々に良くなっていくことや、再び病気が悪くなったりする中で、自分だけの思いを手放すことや、どうしてこうなるかという思いを受け入れていくことを学んだそうです。介護の中ではイヤなことと感じることに楽しい気持ちを持たないと続かないことに気づかされたと語られました。また、大島渚さんがなくなられてから、待っていてくれる人がいない人生を感じているそうです。「自分が幸せの中にいる時は幸せは見えない」と言う言葉に小山明子さんと大島渚さんとの生活が充実していたことを感じました。
※中川個人の感想です。
2016-11-15    秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「夢みる心に宿るもの」 永田萌
イラストレーターの永田萌さんのお話でした。永田萌さんは兵庫県加西市出身で、阪神大震災の時は東京で個展が始まる時でご本人は東京にいらっしゃったそうです。地震のことを知り家族が心配で戻られたそうです。被災した神戸の光景を見ながら、その時永田さんは自分がイラストを描いていて良いのか?もっと役立つことをしないといけないのでと悩まれて、イラストが描けなくなったそうです。そのような状況の永田さんに、永田さんのイラストが大好きな被災された方が友人から永田さんの描かれたイラスト入りのポストカード送られイラストを見たら、悲しみにくれていた心がぱっと明るくなったことを永田さんに話されたことでイラストを描いてもよいのだと思われたそうです。その後お母様を病気で失う前に、病室でお母様から「60歳になったらあなたに本業以外で求められることがあれば引き受けなさい」と言われたそうです。その時の永田さんには遠い未来(20年後)のことのようでその時は分からなかったそうですが今そうなっている(本業以外で求められたことをしている)自分で、母の言っていたことが「年をとらないと分からないこと」と思われたそうです。ご自身の喪失体験から得たことをご自身のイラストを示していただきながらお話しされました。
最初にイラストについて定義として、イラストとは「説明する」・「証明する」・「図解する」ことで、「目に見えないものを確かに存在するものとして具現化する」ことだそうです。例えば、「愛」・「夢」・「希望」を描くこと。また古くは天国や地獄などの宗教画、偉人の伝記、地図も入るようです。イラストを描くにあたり必要な資質として、表現力・理解力・想像力・発想力・幅広い知識・人間に対する好奇心・共感する力・愛情を挙げられました。また、イラストは、依頼者があって制作がスタートするので、アートととは違うそうです。また、伝達する媒体にあった表現をすることも依頼者が主体であることと思いました。人間の感情を描くことは、愛・夢・希望・幸せだけでなく、いかりや憎悪・絶望も描くことがあるようです。人間の感情を超えるものとして、慈愛・なぐさめと永田さんは表現したイラストが、私たちの悲しみを生き抜く力としてあることがわかりイラストを今も描かれているそうです。人が人に寄り添うようにイラストが、その人にさりげなく邪魔にならないようにあることはグリーフケアの1つとしてイラストの力を感じました。
 今、永田さんは京都市こどもみらい館の館長をされています。こども達のグリーフについて現状は大人以上に大変な状況であるようです。悲しみの中にある私はどうしてもうつむきがちになりがちで一点しか見ることができないでいます。でもいつか少し視点が違う向きに向くことができれば違う景色を見ることになるのでその時にイラストが少しでもお役にたてればとおっしゃられたことが印象的でした。
※中川個人の感想です。
2016-11-22 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「臨床で考える悲嘆」 徳永進
医師でありノンフィクション作家の徳永進先生のお話。医師として末期の患者様のお世話をしながらそのご家族と患者の関係を語られました。一人の患者さんがなくなられた時その家族や関係者のグリーフはそれぞれ違うのでグリーフケアのあり方は何が正解か分からないこと。言葉には表層言語と深層言語があり、ともすれば末期の患者やそのご家族に医師として前もって考えていた言葉(形式的な言葉)を使いながら接しようとするのだがそれでは患者や家族には伝わらない。患者や家族からの思わず出る本音の言葉にその人の内実が出ている場面に何度も出合われたそうです。
大切な方をなくされた家族(遺族)の言葉を中心に、死について語られました。「死」について考えたり話す時どうしても身構えたり神聖に考えることもありますが、「死」ももっと身構えずに当たり前として捉えることの大切さを強調されました。末期の患者さんで死が近づいているのだけど、患者さんには歯が痛いことのほうが切実な問題として医師に訴えてこられたこともあったそうです。先生の経営されている診療所(末期患者の緩和ケア)では、本来禁止される飲酒や喫煙もある程度許されているようで、飲酒や喫煙をしたいが為、入所を希望される患者さんもいらっしゃるそうです。また末期の患者さんの緩和ケアは癌患者と規定されているようですが癌患者以外の難病(HIVを除く)や死に直面される患者さんに対する緩和ケアが行われていないことも知りました。人間の生まれてから死に至る姿の全てが受け入れられることができれば良いのですが私たちは立派な時の姿しか認めない心をもっていると晩年の介護などにも影響がでるようです。死を迎える姿は失禁があったり、よだれがたれていたり目やにだらけだったり、譫妄(せんもう)や幻聴があったりしながら滅びていく姿でありますがそれは私もその姿で滅びていくことで何ら変わらない姿であることを共有することが「やさしさ」にも通じていくようです。悲嘆を和らげるものとして、ご本人が笑うことや誇りを持てるかまた、帰属する場があるかなど、本音の言葉(深層言語)をお聞かせながらのお話しは心打つものでした。また、講演の途中で患者様のお一人が亡くなられた連絡が携帯電話にかかってくる場面があり現役で多くの末期の患者さんに向き合っていられることもわかりました。
※中川個人の感想です。
 2016-12-06 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「佛教に聞く 悲しみと喜び」 大谷光真
グリーフケア公開講座の主催者の上智大学グリーフケア研究所の所長であります島薗進氏のお力添えで西本願寺の前御門首様のお話をお聞かせいただく機会を得たことをうれしく思いました。また、お話しの後で、龍谷大学大学院の2名の方の質問にお答えいただく時間もあり有意義にお聞かせいただきました。
前御門首様は、グリーフについて「明日は我が身」として受けとめられて、佛教(お釈迦様の教え)から聞くにあたっても、佛教を内側から捉えることだけでなく外側からも捉えることの必要性もあるのではと最初におっしゃられ、佛教だけでなくキリスト教やイスラム教など宗教の中にある「悲しみを受けとめる力」についての可能性を指摘されたのだと中川は感じました。
この度のお話しは、「佛教に聞く」こととして、①亡くなった人の行方、私の行き先を、智慧(超越)の面からと慈悲(現実)の面から、②遺族、悲嘆者の面から、③第三者 親族、友人、カウンセラーの面からお話しいただき、死について悲しみの側面と、信心により喜びとして受け入れていく側面についても、親鸞聖人のご消息や、お釈迦様のお言葉、お釈迦様のお弟子さんの偈、多くの佛教の祖師からのお言葉からお聞かせいただきました。
中川個人としては、③第三者 親族、友人、カウンセラーの時に紹介されました、「ボランティアのひとはね、『忘れない』というのよ、私たちは違うの。忘れられないの」【藤丸智雄『ボランティア僧侶』P32】の言葉もう一度考えたいと思いました。
前御門首様の自然体でお話しされるお姿にとても感銘を受けました。
※中川個人の感想です。
2016-12-13 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲しみに寄りそう」 柏木哲夫
秋のグリーフケア公開講座の最後は、淀川キリスト教病院の理事長の柏木哲夫さんのお話でした。日本の医療現場で「ホスピス」を最初に実践された方でこれまで2,500名ほどの看取りをされてこられたそうです。「グリーフ」の言葉の語源にはラテン語で「重い」の意味があることを知りました。「心は悲しみで重くなった」と気持ちの重さを表しているそうです。
「悲嘆(グリーフ)」のプロセスは人によって違うことは当然ですが、病気での死別の「悲嘆」では、予期悲嘆で悲嘆の準備があるのと予期悲嘆が無く悲嘆の準備が無い場合ではやはり違うそうです。悲嘆を必然として受け入れていく中でも身体や心に影響しますが、通常の悲嘆と病的な悲嘆との違いは、日常生活に支障があるか否かを注意深く見なければいけないようです。死別の悲嘆の中にいらっしゃる遺族にかけてはいけないこと、これまでもグリーフケアの話の中でお聞きしていたことですが、改めて自分の話す言葉の中で考えさせられ、言葉の重みも感じました。また、寄りそうことと支えることの違いを、写真でお示しくださったり、人間の中にある「死んでいく力」のことを考える機会もいただきした。柏木先生が日頃思われているホスピスに携わる人の人間力の項目の中で、患者様のお話は感慨深いものがありました。
先生のホスピスの現場からのお話しは、グリーフとグリーフケアについて、とても大切なものに気付かされたように感じました。柏木先生のお話しが終わって高木先生が、「今日は死別された遺族の方に対するお話しでしたが、死別していく患者様のお話もお聞きしたかった」とおっしゃられ、聴講していた多くの方の思いを代返していただきました。
※中川個人の感想です。
Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

寺報に見る住職の10年の歩み 平成20年

寺報に見る住職の10年の歩み 平成20年
【寺報27号平成20年12月発行】
『親鸞聖人750年御遠忌を前に
親鸞聖人は今から830余年前の承安3年(1173)に生まれ、弘長2年(1262)90歳でご往生されました。高田本山では「お七夜さん」と親しみをこめて表現される報恩講とは、親鸞聖人のご命日をご縁として、聖人にお礼申し上げる法会です。法苑院では、毎年12月5日に報恩講を執り行っていますが、50年ごとに御遠忌として盛大に執り行います。高田本山では平成24年に親鸞聖人の750回御遠忌を厳修いたします。当院ではそれに先立ち平成23年に執り行う予定です。前回の700回御遠忌は昭和37年4月に執り行っています。私(住職は)当時6歳でした。多くの稚児の一人として参詣したことしか記憶にありませんが、多くのお同行の皆様方のご奉仕で盛大に執り行われたと聞いています。まだ先のことではありますが、皆様方のお智慧を借りながら、750年御遠忌法会も意義ある法会にしたいと思います』
 平成12年から始まっていました高田本山専修寺御影堂平成大修理もこの年の3月末で完成し5月に高田本山専修寺御影堂平成大修理事務局も閉局しましたので、私(住職)も6月から自坊に一日中いることになりお寺の法務以外もしっかりと取り組みたいと考えていました。
当時はお同行の皆様にはお伝えしていませんでしたが、この年の正月に前住職に癌が見つかりました。手術は無理とのことで抗がん剤治療が始まりました。この年の8月のお盆勤めから私(住職)だけでお勤めすることになりました。前住職の体力が弱り暑い中のお勤めが難しくなり、急遽お勤めの日を変更させていただいたお同行の皆様にはご迷惑をかけましたこと改めてお詫び申し上げます。高齢と病気で弱っていく前住職でしたが、幸い痛みはあまり感じないようで、平素のお寺勤めや彼岸会・千部会・報恩講へは出仕していただいていました。またお寺の見えない部分ですがこれまでどおり境内の掃除などは毎日早朝にしていただき頭が下がる思いでした。
また、平成23年に御遠忌法会の予定としましたのは、本堂の耐震工事を考えてのことで、お同行様のご親戚に金剛組の棟梁がいらっしゃいましたのでその方を通して本堂の調査・工事見積もりなどの提示が夏にあり、総代様と工事見積額について話をしていました。前住職も病気でありましたが御遠忌のことは楽しみにしており、その前年の本堂の修理についても総代様と共に私(住職)を支えていただきました。
12月は毎年自坊の報恩講で今年から第1日曜日に変更をいたしました。報恩講が終わらないと来年への準備がてきません。年末年始の準備も毎年でありますが忘れていることもあり昨年の記録を見ながらになります。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日に掲載いたします。
Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

源空聖人

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

七高僧
昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
⑦源空(法然)は天台宗の僧であったが、善導の『観経疏』の「一心にもっぱら弥陀の名号を念じて、行往坐臥に時節の久近(くごん)を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆえなり」という文によって専修念仏(せんじゅうねんぶつ)に帰した。あとは偏(ひとえ)に善導一師をよりどころにして浄土教をひろめていったのである。源空の浄土宗独立の宣言書が『選択本願念仏集』である。「往生の業として、阿弥陀佛が本願に選び取られた行こそが念仏である」として、称名念仏の専修を教えている。親鸞の『教行証文類』にならい、有名な「三選の文」の引用すると「それすみやかに生死を離れんと欲(おも)はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて選びて浄土門に入るべし。浄土門に入らんと欲(おも)はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげす)てて選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲(おも)はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍(かたわ)らにして選びて正定をもつぱらにすべし。正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆえなり」この「仏の本願による」という言葉に、「阿弥陀佛の選択」された念仏こそがすべてである。という源空の強い思いが見て取れよう。親鸞はこの源空を生涯の師とした。かれが師の教えとして、「正信偈」源空讃にその功績をたたえていることは、『選択集』の第8「三心章」で、「生死の家には疑をもって所止(しょし)となし、涅槃の都には信をもって能入となす」と述べている。本願を信ずること(信心)こそが浄土往生の正因であるという教えは、師 源空より得たとの言明である。
『親鸞読み解き事典』から

お寺ってなんだ1? ~求められる寺院のすがた~

お寺ってなんだ1? ~求められる寺院のすがた~と題する公開シンポジウムを拝聴しました。
今回のシンポジウムのパネリストは、「人口減少社会に生きる寺院仏教に覚悟はあるか」と題して櫻井義秀先生と、「寺院の機能とお寺の存在の相即を」と題して山口洋典先生と、「お寺への回帰」と題して藤丸智雄師がそれぞれの立場で提言されました。コメンテーターとして貴島信行師が3名のパネリストの提言をまとめていただき、後半に葛野洋明師がコーディネーターとして4名の方々に提言を更に深く起こしてながらお聞きくださいました。聴衆者からの質問にもたくさんお答えいだき満足することでした。また後半のはじめに龍谷大学大学院実践真宗学研究科の3名の「地域とともに歩むお寺」・「首都圏のお寺」・「ハワイのお寺」のレポートの発表もありとても充実した時間でした。詳細は書ききれませんので省略しますが、今お寺を預かっている私(住職)にも改めてお寺のこれからについて考えさせていただく時間になりました。これまでのお寺とお同行様との関係を続けることの難しさを住職としてこの10年間肌で感じることもあります。私(住職)がお寺のものさしと社会のものさしの違う点をお同行様に充分お伝えする力不足に原因があるのですが、お寺とお同行様の関係を何か対極として考えたりしてしまうこともあるようです。しかし、お寺もお同行様も向かおうとするところは、共に歩む方向は同じであります。提言にもありましたが、「わたしと」一緒にお寺を1つのコミュニティの場として成り立つことができればと感じました。また、これまでお寺が取り組んできたことを新たな視点で見つめ直すことも必要と感じました。寺院の運営についてこれまで以上に様々な困難も生じると思われますが、妙華寺のお寺の使命として「私たちのお寺はあなたをひとりぼっちにしません」を大切にしてお同行の皆様に向き合って、共に歩んで行きたいと思っています。
※妙華寺のお寺の使命「私たちのお寺はあなたをひとりぼっちにしません」については、このブログの2015-10-20のお寺の使命に記載しています。
Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

『ぴっぱら』11-12月号から

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

『ぴっぱら』11-12月号から
2ヶ月に一度送られてきます『ぴっぱら』11-12月号の巻頭言にあたる「如是仏観」に奈良康明師の「葬儀の心」と題された文章が掲載されています。今の葬儀のあり方を遺族側の視点で考察されていて私(住職)は、そうだったのかと頷くばかりでした。「死者をどう悼む」かの継承がいろんな条件で難しくなっている時代ですが著者の最後の言葉「葬儀は形ではなく、心の出来事なのである」を伝える努力をしなければと感じました。
現代社会の中では親から子どもへも伝えることもままならない時代のようです。(私も先達から伝わったことを次の代に伝えることができるかと言うとあまり自信がありません)伝えることの必要なものの1つに「死者をどう悼む」かの問題は社会の中での宗教者の存在価値にも関わってきそうな感じです。

また、臨床仏教公開シンポジウムin京都の「いのちのケアを考える」のレポートも掲載されています。9月に京都で開催されることを案内していただいていましたが、所用でいけなかった私(住職)にとって有難かったです。テーマは「日本人の精神性に即したスピリチュアルケアとは?」キリスト教の宗教文化の中で培われてきたケアのあり方を日本の宗教文化の中で活用していく方途を探ることが目的のようでした。四人のパネリストの提言と議論があったようです。日本の生活環境の変化と社会の中で僧侶の存在感の希薄化が今後遺族の方々のケアに機能しなくなることに危惧され、総括として大学や研究所で、死をどのように受け入れるということに加え、仏教や葬儀の意味について建設的に考えようとすることが増えるのではとまとめられたようです。
「誰もが漠然とした不安を感じているさなか「いのち」について生涯を通じて問い続け、苦しみに寄り添う実践を行い続ける宗教者、仏教者が、今求められているのです」と最後にまとめられた言葉に向き合いながら実践活動ができればと思いました。

 また同封の案内に、「子ども食堂の作り方」と題して、お寺が子ども食堂を運営されているご住職様と地元の大学生ボランティアスタッフが講師としてお話しされる研修会が12月にあるようです。とても興味深いのですが時間の調整がつかないので残念です。
 ※「ぴっぽら」とは、お釈迦さまは、「ぴっぱら樹」という大樹の下に坐り、瞑想され、お悟りを開かれました。そこで、「ぴっぱら樹」のことを人々は「菩提樹(悟りの樹)」と呼ぶようになりました。本誌「ぴっぱら」は、「菩提樹」のインド名から名づけました。
Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

源信和尚

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
⑥(恵心僧都)源信は天台宗に属する僧で、横川の恵心院に住した。末代の凡夫のために、穢土(えど)を厭離(えんり)して阿弥陀佛の浄土を欣求(ごんぐ)すべきことを教え、それをまとめたのが、『往生要集』である。その中心思想をどう見るかで、諸説があるが、法然は、第18願の他力称名念仏を往生のためのもっとも重要な行業として説いたと解釈している。七高僧の一人として、源信の功績とされるのは、報土(ほうど)と化土(けど)の別を明らかにしたことである。すなわち、自力信心の人は化土に生まれ、他力の信心によって念仏一つを修する人は報土に生まれる。それゆえ、他力信心を得て真実報土に往生するよう願えと教えたのである。この化土は、仏教一般の化土でなく、報土中の化土で、辺地(へんじ)とか疑城胎宮(ぎじょうたいぐ)とかいわれる世界である。源信は、こうして浄土門における正行(信)と雑行(疑)の優劣と、専修(念仏一行)と雑修(諸行並修)の得失を判定した。
『親鸞読み解き事典』から

寺報に見る住職の10年の歩み 平成19年

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

寺報に見る住職の10年の歩み 平成19年
【寺報26号平成19年12月発行】
『遠忌について 平成19年は、法苑院妙華寺の開基(初代)自信上人の300回忌の年でした。藤堂高道が久居に町をつくり延宝8年(1680)に当地に高田派の寺院の敷地が与えられ越後中川の西光寺より自信上人を招き、翌天和元年(1681)草庵を結び、この地で教化をはじめ、本堂の建立(文政4年の久居大火で焼失)、弁天堂建立、弁天池造立など尽力をつくされ、今の妙華寺の基礎を築き上げられました。50年前の昭和32年には、盛大に250回忌を執り行いましたが、今回は寺で300回忌を執り行いました。平成24年には宗祖親鸞聖人の750回遠忌の年です。もう一度聖人の教えが私たちへどのように届いてきたか振り返る機会だと思います』
 初めて住職として寺報を発行しました。これまでB5サイズでしたがA4サイズに変更しました。前住職までは、手書きで印刷屋さんへ原稿を渡して校正をしていました。今年(平成19年)の寺報からワープロで文章を作成して印刷屋さんへ渡すことになりました。写真もデジカメのデータとして渡して白黒ですが寺報に写真も掲載することになりました。この年お寺の開基の自信上人の300回遠忌でしたが準備が間に合わず、大変申し訳なく、住職と前住職でお勤めをしました。50年前の250回遠忌は、自信上人のご出身の越後(福井県)の西光寺の当時のご住職様もお招きして稚児行列も出る盛大な行事の記念写真を後ほどお同行様から拝見させていただきました。この準備不足を反省して、妙華寺の親鸞聖人の750回遠忌は、平成23年に予定してしっかり取り組みたいとの思いを綴った文章です。
11月は、これまでの住職は来年(この時は平成20年)の繰り出し(年回表)を筆で巻紙に書き始めるのですが、字が大変汚い私(住職)にはそのことが苦痛でワープロを使い繰り出しを作成しました。ワープロの字が小さいとお同行の方から指摘され次の年から少し大きな字体に変更しました。12月の報恩講の式文の稽古や報恩講の案内とその準備、特に境内の銀杏の葉が11月末頃から落ちだす時は暗くなっても境内の掃除をしています。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日頃に掲載いたします。

東京のお同行様

page001

 

東京のお同行様
毎年春秋のお彼岸の頃、先代ご夫婦の時から東京から妙華寺にお参りにこられますお同行様がいらっしゃいます。ご葬儀の時に東京へ伺うばかりでしたが、私(住職)の東京へ行く時間にご都合を合わせていただきお会いすることができました。今も下町の活気のある商店街にあるお父様の郵便局を初めて訪れることができました。たまたま前日NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の番組に紹介されました界隈でしたので、TVで見たお店なども実際見ることになりました。その後、私(住職)は初めてスカイツリーを間近に見る場所に案内していただきました。お同行様のおじいさまのご葬儀の時の8ミリの動画や戦後まもなくの東京の下町のお話しなど知らないことばかりでしたがとても思い出になる時間をお同行様と共に過ごすことができたことありがたがったです。
今回の東京行きは、お昼に井上広法師にお会いして来年のご講演の打ち合わせでした。ご多用の中でしたがスケジュールを確認できました。井上様か゛、僧侶の皆様と親睦の時間も取りたいとお申し出いただきましたのでお楽しみに。

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

 

 

公開講座 「高田派教学の歴史」

高田短期大学の仏教教育研究センター主催の年2回あります公開講座の今年度最後の講座は、高田派の若き研究者の栗原直子先生の講座で「高田派教学の歴史」のお話しでした。「教学」と聞くと、真宗では親鸞聖人までの七祖と親鸞聖人のみ教えと考えてしまうのですが、親鸞聖人滅後のそれぞれの門徒グループ(教団)内で、大切にされてきたことも「教学」であることに改めて気づかせていただきました。高田派は、下野(栃木県)の高田を中心に親鸞聖人の面授の門弟であった真仏上人・顕智上人から始まる教団であり、親鸞聖人との交流の中で、親鸞聖人のご著書が多く残されています。真宗10派といわれますように、それぞれの教団の中で親鸞聖人のみ教えが大切に伝わり今につながっていることで、「教学」が教団の特徴として現れているように思います。高田派は「念仏高田」と言われていますが、高田派の中でこれまでの先達が「行をはなれたる信もなく 信をはなれたる行もなし」を大切に伝えてきたことが、「念仏高田」と言われるようになったのかと推測されていました。また江戸時代の宗学では、戒律についての研究も盛んであったようなことも聞き、そのことについてのお話しもお聴きしたいと思いました。
※中川個人の感想です。

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

報恩講の思い出募集します

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

 お寺の所属する組の報恩講も10月の終わりから始まりました。
報恩講をお迎えするのに私(住職)が、結婚してから30代前半の頃は、9月のお彼岸が終わると、『式文』の拝読や作法を先生の所に伺い稽古が始まりました。現在は11月に入ると今年拝読する「段」を自分で稽古しています。組の報恩講に出仕しながら改めて作法などを確認しています。自坊の報恩講に向かって準備することは毎年同じでありますが1つずつ昨年がどうであったか思い出しながらの作業です。仏具のおみがきも、以前はお世話方様や婦人会幹部の皆様にご奉仕していただいていましたが、皆様がご高齢になられご無理をおかけすることも心苦しくお寺のほうで工夫しています。それでも年に一度の報恩講はとても楽しみであります。
妙華寺の報恩講は、今年から12月第1日曜日(4日)に変更になりました。1月の高田本山のお七夜さんも楽しみにしています。
 お同行の皆様の「報恩講」の思い出や思いを募集いたします。匿名でも記名でも結構です。文字数の制限もありません皆様の「報恩講」の思い出や思いをお書きいただき本堂の応募箱へご投函いただきましたら、12月から1月の2ヶ月間本堂の掲示板へ掲載させていただきます。このHPのメールからでもOKです。
 また後日HPへも掲載を予定します。
【下記写真は、平成23年の親鸞聖人750回御遠忌の時のお同行の皆様のメッセージ】
Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV