秋のグリーフケア公開講座

春のグリーケア公開講座に続いて、秋のグリーフケア公開講座にも参加することができました。全てに参加はできませんでしたが、聴講して、毎回新しい気づきや忘れていたことを思い出させていただく学びの時間に感謝しています。聴講して個人の感想ですが記載させていただきます。
2016-09-27 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」 高木慶子
春に続いて、秋のグリーフケア公開講座が始まりました。今回も第1回目の講座は上智大学グリーフケア研究所 特任所長の高木慶子様のお話しで「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」との講題でお話しいただきました。悲嘆に寄り添うこと(ケア)側の難しさとして、悲嘆された方が、悲嘆を周囲に知らせることにもその方に「知らせる力」がないとできないこともあるようです。悲嘆からの回復として時間の存在もあります。また自らの悲しみを恵みとして気づくことになるのも悲嘆を乗り越えていく力になると話されました。真珠がアコヤ貝の中で育つ過程から悲嘆を乗り越えていく力が私たち一人一人の中にもあることだと紹介されました。また、高木先生の死生観を詩で表され大いなる存在に気づくことで、私が生かされていることに気づき、悲嘆を乗り越えていく力が生まれてくることを強調されました。また「人生」という言葉をもう一度考える機会になりました。高木先生のご講演の最後は全員で歌を歌う時間があります。わずかな時間ですがこの場にいる全員が一緒に歌うことで一体感が生まれるように感じます。
※中川個人の感想です。
2016-10-04 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「心を病むこどもたち」 水谷修
「夜回り」と聞くと消防団の「火の用心」を思うことですが、水谷先生が子ども達が夜の町にいることの危険と、もしもの時は頼ってくる場(人)がいることを周知するためパトロールを初めて夜の世界で25年間がんばっている水谷修先生を、「夜回り先生」と親しみこめて呼ばれるようになりました。
先生の友人との話で、夜間学校の教師になり「夜回り先生」になったようです。
夜、外にいる子ども達は家庭に居場所が無い為、外にいるようですが、夜外に外に出ず家の中でリストカットする子ども達がいることに気づき、「夜回り先生」の活動と共にリストカットをする子ども達への活動も今も続いているようです。外に出ない引きこもりの子ども達には、その子の引きこもっている場所に行き、一緒にいることから始めるそうです。また、リストカットをするに至る背景を一緒に考えなければ、子どもの心が開くことはできないようです。これまでの経験から、解決に至る方法として4つ示されました。①理論に基づいた臨床心理学がありますが、この方法は前例がないと限界があるようです。②科学に基づいた精神医療も日本の場合、薬だけの治療で心と体の治療としては限界があるようです。③非論理的であるが、体育系の水谷先生らしい、ストレスは心身のアンバランスで心が疲れている状態で発生するので、身体も疲れるようにすると夜も眠ることができストレスが少なくなるようであると経験を語られました。④私たち人間は今も神聖なもの(宗教)を「畏怖」として捉えているので、その神聖な宗教空間を居場所の無い子供達の居場所として提供できる可能性を実感されているようです。
またお話しの冒頭に、「美しいものをたくさん見てください」とおっしゃったのは、子ども達だけでなく、私たち大人への呼びかけでもあり、「美しいものを見る」と言うことは心に余裕を持つことと感じました。名もない花であってもちゃんと見ると「美しさ」があることと私(住職)は受け取りました。水谷先生は、とても語ることが多くて私(住職)の力では全てをまとめるのができないのですが、そこには、水谷先生が、多くの心を病んでいる子ども達を見てきて多くの子ども達が立ち上がっていった以上に、先生にも何も出来なかった子ども達の姿が今も脳裏から離れないから1つでも多くの事を私たちにに伝えようとされているからだと思いました。
※中川個人の感想です。
 2016-10-25 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「妻として 女優として 夫・大島渚と過ごした日々」小山明子
女優の小山明子さんが夫の大島渚さんの介護を通して感じた心の動きをお聞かせくださいました。結婚生活50年の中で病気で倒れられてから17年間のことを語られました。大島渚さんは監督として、小山明子さんは女優として活躍されて、またご子息二人の結婚もあり幸せの状態の時に大島渚さんが倒れられお世話をすることになった時は「どうして私が」とショックを受けられうつ病になられたそうです。4年間のうつ病の中で、自分が元気にならないと向き合えないことを感じたときから回復に向かわれたそうです。大島渚さんの病気のお世話といっても病床ですることは何も無く一緒にいるだけの時間に読書をされて、読後の良かった言葉をノートに書き始めてことが自分を変えていくことになったようです。大島渚さんの病気も徐々に良くなっていくことや、再び病気が悪くなったりする中で、自分だけの思いを手放すことや、どうしてこうなるかという思いを受け入れていくことを学んだそうです。介護の中ではイヤなことと感じることに楽しい気持ちを持たないと続かないことに気づかされたと語られました。また、大島渚さんがなくなられてから、待っていてくれる人がいない人生を感じているそうです。「自分が幸せの中にいる時は幸せは見えない」と言う言葉に小山明子さんと大島渚さんとの生活が充実していたことを感じました。
※中川個人の感想です。
2016-11-15    秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「夢みる心に宿るもの」 永田萌
イラストレーターの永田萌さんのお話でした。永田萌さんは兵庫県加西市出身で、阪神大震災の時は東京で個展が始まる時でご本人は東京にいらっしゃったそうです。地震のことを知り家族が心配で戻られたそうです。被災した神戸の光景を見ながら、その時永田さんは自分がイラストを描いていて良いのか?もっと役立つことをしないといけないのでと悩まれて、イラストが描けなくなったそうです。そのような状況の永田さんに、永田さんのイラストが大好きな被災された方が友人から永田さんの描かれたイラスト入りのポストカード送られイラストを見たら、悲しみにくれていた心がぱっと明るくなったことを永田さんに話されたことでイラストを描いてもよいのだと思われたそうです。その後お母様を病気で失う前に、病室でお母様から「60歳になったらあなたに本業以外で求められることがあれば引き受けなさい」と言われたそうです。その時の永田さんには遠い未来(20年後)のことのようでその時は分からなかったそうですが今そうなっている(本業以外で求められたことをしている)自分で、母の言っていたことが「年をとらないと分からないこと」と思われたそうです。ご自身の喪失体験から得たことをご自身のイラストを示していただきながらお話しされました。
最初にイラストについて定義として、イラストとは「説明する」・「証明する」・「図解する」ことで、「目に見えないものを確かに存在するものとして具現化する」ことだそうです。例えば、「愛」・「夢」・「希望」を描くこと。また古くは天国や地獄などの宗教画、偉人の伝記、地図も入るようです。イラストを描くにあたり必要な資質として、表現力・理解力・想像力・発想力・幅広い知識・人間に対する好奇心・共感する力・愛情を挙げられました。また、イラストは、依頼者があって制作がスタートするので、アートととは違うそうです。また、伝達する媒体にあった表現をすることも依頼者が主体であることと思いました。人間の感情を描くことは、愛・夢・希望・幸せだけでなく、いかりや憎悪・絶望も描くことがあるようです。人間の感情を超えるものとして、慈愛・なぐさめと永田さんは表現したイラストが、私たちの悲しみを生き抜く力としてあることがわかりイラストを今も描かれているそうです。人が人に寄り添うようにイラストが、その人にさりげなく邪魔にならないようにあることはグリーフケアの1つとしてイラストの力を感じました。
 今、永田さんは京都市こどもみらい館の館長をされています。こども達のグリーフについて現状は大人以上に大変な状況であるようです。悲しみの中にある私はどうしてもうつむきがちになりがちで一点しか見ることができないでいます。でもいつか少し視点が違う向きに向くことができれば違う景色を見ることになるのでその時にイラストが少しでもお役にたてればとおっしゃられたことが印象的でした。
※中川個人の感想です。
2016-11-22 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「臨床で考える悲嘆」 徳永進
医師でありノンフィクション作家の徳永進先生のお話。医師として末期の患者様のお世話をしながらそのご家族と患者の関係を語られました。一人の患者さんがなくなられた時その家族や関係者のグリーフはそれぞれ違うのでグリーフケアのあり方は何が正解か分からないこと。言葉には表層言語と深層言語があり、ともすれば末期の患者やそのご家族に医師として前もって考えていた言葉(形式的な言葉)を使いながら接しようとするのだがそれでは患者や家族には伝わらない。患者や家族からの思わず出る本音の言葉にその人の内実が出ている場面に何度も出合われたそうです。
大切な方をなくされた家族(遺族)の言葉を中心に、死について語られました。「死」について考えたり話す時どうしても身構えたり神聖に考えることもありますが、「死」ももっと身構えずに当たり前として捉えることの大切さを強調されました。末期の患者さんで死が近づいているのだけど、患者さんには歯が痛いことのほうが切実な問題として医師に訴えてこられたこともあったそうです。先生の経営されている診療所(末期患者の緩和ケア)では、本来禁止される飲酒や喫煙もある程度許されているようで、飲酒や喫煙をしたいが為、入所を希望される患者さんもいらっしゃるそうです。また末期の患者さんの緩和ケアは癌患者と規定されているようですが癌患者以外の難病(HIVを除く)や死に直面される患者さんに対する緩和ケアが行われていないことも知りました。人間の生まれてから死に至る姿の全てが受け入れられることができれば良いのですが私たちは立派な時の姿しか認めない心をもっていると晩年の介護などにも影響がでるようです。死を迎える姿は失禁があったり、よだれがたれていたり目やにだらけだったり、譫妄(せんもう)や幻聴があったりしながら滅びていく姿でありますがそれは私もその姿で滅びていくことで何ら変わらない姿であることを共有することが「やさしさ」にも通じていくようです。悲嘆を和らげるものとして、ご本人が笑うことや誇りを持てるかまた、帰属する場があるかなど、本音の言葉(深層言語)をお聞かせながらのお話しは心打つものでした。また、講演の途中で患者様のお一人が亡くなられた連絡が携帯電話にかかってくる場面があり現役で多くの末期の患者さんに向き合っていられることもわかりました。
※中川個人の感想です。
 2016-12-06 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「佛教に聞く 悲しみと喜び」 大谷光真
グリーフケア公開講座の主催者の上智大学グリーフケア研究所の所長であります島薗進氏のお力添えで西本願寺の前御門首様のお話をお聞かせいただく機会を得たことをうれしく思いました。また、お話しの後で、龍谷大学大学院の2名の方の質問にお答えいただく時間もあり有意義にお聞かせいただきました。
前御門首様は、グリーフについて「明日は我が身」として受けとめられて、佛教(お釈迦様の教え)から聞くにあたっても、佛教を内側から捉えることだけでなく外側からも捉えることの必要性もあるのではと最初におっしゃられ、佛教だけでなくキリスト教やイスラム教など宗教の中にある「悲しみを受けとめる力」についての可能性を指摘されたのだと中川は感じました。
この度のお話しは、「佛教に聞く」こととして、①亡くなった人の行方、私の行き先を、智慧(超越)の面からと慈悲(現実)の面から、②遺族、悲嘆者の面から、③第三者 親族、友人、カウンセラーの面からお話しいただき、死について悲しみの側面と、信心により喜びとして受け入れていく側面についても、親鸞聖人のご消息や、お釈迦様のお言葉、お釈迦様のお弟子さんの偈、多くの佛教の祖師からのお言葉からお聞かせいただきました。
中川個人としては、③第三者 親族、友人、カウンセラーの時に紹介されました、「ボランティアのひとはね、『忘れない』というのよ、私たちは違うの。忘れられないの」【藤丸智雄『ボランティア僧侶』P32】の言葉もう一度考えたいと思いました。
前御門首様の自然体でお話しされるお姿にとても感銘を受けました。
※中川個人の感想です。
2016-12-13 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲しみに寄りそう」 柏木哲夫
秋のグリーフケア公開講座の最後は、淀川キリスト教病院の理事長の柏木哲夫さんのお話でした。日本の医療現場で「ホスピス」を最初に実践された方でこれまで2,500名ほどの看取りをされてこられたそうです。「グリーフ」の言葉の語源にはラテン語で「重い」の意味があることを知りました。「心は悲しみで重くなった」と気持ちの重さを表しているそうです。
「悲嘆(グリーフ)」のプロセスは人によって違うことは当然ですが、病気での死別の「悲嘆」では、予期悲嘆で悲嘆の準備があるのと予期悲嘆が無く悲嘆の準備が無い場合ではやはり違うそうです。悲嘆を必然として受け入れていく中でも身体や心に影響しますが、通常の悲嘆と病的な悲嘆との違いは、日常生活に支障があるか否かを注意深く見なければいけないようです。死別の悲嘆の中にいらっしゃる遺族にかけてはいけないこと、これまでもグリーフケアの話の中でお聞きしていたことですが、改めて自分の話す言葉の中で考えさせられ、言葉の重みも感じました。また、寄りそうことと支えることの違いを、写真でお示しくださったり、人間の中にある「死んでいく力」のことを考える機会もいただきした。柏木先生が日頃思われているホスピスに携わる人の人間力の項目の中で、患者様のお話は感慨深いものがありました。
先生のホスピスの現場からのお話しは、グリーフとグリーフケアについて、とても大切なものに気付かされたように感じました。柏木先生のお話しが終わって高木先生が、「今日は死別された遺族の方に対するお話しでしたが、死別していく患者様のお話もお聞きしたかった」とおっしゃられ、聴講していた多くの方の思いを代返していただきました。
※中川個人の感想です。
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