【僧侶・寺族対象のご案内】 チラシができました

【僧侶・寺族対象のご案内】 チラシができました
お寺の住職・寺族は、自死の苦悩を抱えた方・自死で大切な方を亡くされた悲しみを抱えている方と接する可能性が多くあります。
また、三重県では、毎年400名ほどの方が自ら命を絶たれている現状があります。このような現状の中、自死の苦悩に本当に寄り添った関わり方が出来ているか、悩んだりすることはありませんか?
このたび、実際に自死念慮者や自死ご遺族に向けた年間2,000件以上の電話相談・居場所づくり活動の実績を積まれている「京都自死・自殺相談センター」様にお越しいただき、「自死」のさまざまな場面に対面した時の簡単なワークを取り入れた学びの場を開催いたします。皆様の中でも、各地で自死念慮者・自死ご遺族の方のサポート活動をされていられる方もいらっしゃいると思いますが、もう一度基本を見直してみませんか。もちろん初めての方も歓迎いたします。事前の申し込みの上、会費は当日徴収させていただきます。
 日時 平成29年2月10日(金)午後1時30分から午後4時頃
【先行案内が午後3時までとなっていましたが研修の充実で午後4時に変更になりました】
会場 妙華寺会館 三重県津市久居二ノ町1743番地 法苑院妙華寺内 
対象 僧侶及び寺族  会場の都合で20名まで
会費 2,000円(領収書をお出しします)当日徴収させていただきます。
申込先 HP(myoke-ji.com)のお問い合わせ(メール)に、 ご参加されます方のお名前・ 宗派・所属寺院名・ ご連絡先を記載されお申し込みください。
※僧侶として「自死に向き合う」ことが大切であることは分かっていますが実際「自死に向き合う」ことを考える時間がこれまでにあったでしょうか?
お寺の住職・寺族としてお檀家様・お同行様と寄り添う中で、自死念慮の方や自死のご遺族の方々とお会いすることがございます。その時本当にその方々の思いに寄り添えているか悩んだり考えることはありませんか?
この度、京都自死・自殺相談センター様にお願いしましてSottoの活動の1つとして、出前研修を開催させていただくことになりました。
今回は、僧侶及び寺族の皆様を対象としまして、「自死」のさまざまな場面に対面した時の簡単なワークを取り入れた学びを考えています。会場の都合でご参加いただける方は事前にお申し込みをお願いします。
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2017-01-13
当日のテーマが決まりました。「自死の苦悩を抱えた方に何ができるか」をテーマとして、死にたい気持ちを抱えた方や、大切な方を自死・自殺で亡くされた方の気持ちについて、このような方との関わりについて僧侶に期待することを学び、ワークショップでは対話のよりよい関わり方を模索したいと連絡がありました。
よろしくお願いいたします。
2017-02-10
自死についての学びの場
雪が心配でしたが、高田派・曹洞宗・天台真盛宗のお寺の僧侶・寺族の方13名と行政機関の方5名の方々にお集まりいただきSottoの出前研修を開催させていただきました。
ご講師として京都自死・自殺相談センター様から金子様・小坂様にお越しいただき、「自死の苦悩を抱えた方に何ができるのか」をテーマとして、Sottoの活動から「死にたい気持ち」を相談することはとっても勇気のいることで、その時に相談者の心をシャットアウトしてしまうと関係性が閉じてしまうこと。「死にたい気持ち」の原因を取り除くことができても、その方と安心できる関係性を持っている方がいなかったら本当の問題解決にはならないこと。「死にたい気持ち」の相談者に本当にその方の悩みに向き合っているのか、相手の苦悩を想像することの大切さや相手と私の関係性の大切さに改めて気づくことができました。ワークショップでは、愚痴を聴くことを体験し、モデルケースで相談者と面談者の会話を観察者の立場で聴くことを学びました。質問もあり終了時間が延びてご迷惑をおかけしました。最後に、三重県こころの健康センター様から、自殺予防・自死遺族電話相談を毎週月曜日、自死遺族の集い(わかち合いの会)の場も奇数月に一度あることも案内されました。
改めて、自死の苦悩を抱えた方に何ができるか考えることになりました。
※先月(1月中旬)の夕刻に若い学生が庫裡を訪れ、温かい飲み物を求められ、温かい紅茶を用意していました。その間、坊守がお話しを聴いていましたら、朝母親とけんかをして家を飛び出し、図書館にいたけれど閉館時間となり暗い中、街を歩いてこのお寺にきたようです。温かい飲み物とおにぎりをお出ししてもう一度お話しを聞きながら、目の前にいる学生さんのお母さんのことを思いました。けんかの原因ははっきりは分かりませんが、親御さんが子どもを心配するあまり、怒ることもあることを、私(住職)の子どもの時のことを思い出しながら、また一人の子どももっている親としてお話ししました。
学生の方には、その時帰りにくい家だと思いましたが、心配をしている親御さんのことを思わずにはいられませんでした。翌日、昨夜の学生の方が手紙を書かれて持参されました。そこには、昨日、悩んでどうすることもできなかった気持ちが、親の気持ちも考える機会になりよかったことが書かれていました。
手紙をいただいたことはうれしく思うことでしたが、、学生の方と話をしている時にそれほど(死にたいと思うほど)悩んでいると気づけなかった自分が恥ずかしくもありました。
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井戸山の報恩講

井戸山の報恩講
4日の井戸山地区の報恩講は、以前は小雪が散る日もありましたが、最近はおおむね穏やかな日にお勤めをさせていただいています。朝8時半頃から伺います。お正月気分が続いているように思われますが、役所や企業では仕事始めの日であります。その日に報恩講として、お仏壇の前でお勤めをさせていただくことはとてもうれしく思います。 お勤めは、重誓偈・正信偈・五首和讃(愚禿悲歎述懐より)・短念仏・廻向文です。冬休みですので小さな子どもさんがいらっしゃるお家もあり、お祖父さん・お祖母さん、お父さん・お母さんと一緒に正座をして大きな声をだしてお念仏申すお姿は有難いと感じています。中には小さかった子どもさんが大きくなられ、これまでのお父さんやお母さんの役割をされるお姿に暖かさを感じます。これからもより多くのご家族が、共にお念仏申す生活ができることを願ってしまいます。
 仏壇の上の長押に、高田本山の堯猷上人の書かれた梵語(サンスクリット語)の「ラトナ・トラヤム」(三宝)や「サンサーラ・サーガラー」(生死大海)の額装が掲げてあるお宅もあり、いつも拝見しているにもかかわらず、新しい発見があります。
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新年の準備

今年も後わずかになりました。例年の通り新年の準備をしていますが、今回 屠蘇散(清酒に入れてお屠蘇にするもの)が地元の薬局でも見つからずどうなるか考えていました。これまでは、地元のスーパーでも購入できましたが昨年は見つけることができず、薬局を何店か回り求めることができました。今年は見つけることができずに、都会の百貨店の食品売り場や酒屋さんに足を運びましたが見つけることができず、やっと健康食品売り場で求めることができました。年に一度必要とするもので価格も安価で、以前に比べてお屠蘇の需要も少なくなり流通が限られていくのだと思います。今後、手に入れることができなくなる日がくるとすれば寂しいことです。お屠蘇にちなんでお寺で使用している屠蘇入れ(燗鍋)は、高田本山のご紋の五七桐がついています。

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平成28年の出来事

平成28年の出来事
① お同行様の代表であります総代様のお一人がご往生されました。先代も総代をしていただいていましたがご往生され、そのご子息様がお引き受けいただき、今の総代様の中で一番お若かったのですが、ご病気療養中の11月23日にご往生されました。お寺の良き理解者として、またご指導いただくこともまだまだ多くありました。思い出すことは、平成11年にお迎えしました一光三尊仏御開扉法会の稚児宿をお引き受けいただきました。当日はあいにくの雨になり、稚児練りは中止で本堂内を回っていただくことになりました。
また、5月14日に前住職の7回忌をお勤めいたしました。3回忌を勤めた時に7回忌まで4年も時間があると思っていましたが、時間が経つのが早いと実感しています。
そして、8月29日は前々住職の36年目の命日でした。これからのことですが考えて見ますと、13年後は前々住職の50回忌の年にあたります。その年は、妙華寺が創建され350年になる年でもあることに気付きました。
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② 庫裡と妙華寺会館の改修と本堂上がり階段に手すりを設置
 今使用しています妙華寺の庫裏は、昭和3年に前々住職が結婚する前に建てられました。
当初、8間×5間で襖で、仏間・客間・居間・寝室・玄関上がり口・茶の間(食事をする場所)の6部屋に区切られています。続きの土間に食事をつくる台所があり、私が生まれた時、風呂場も土間にあり、トイレは別の場所にありました。私が小さかった頃もそのような空間の覚えがあり夜トイレに行くのが怖かった記憶があります。食事をつくる台所が土間から板の間になり、ちゃぶ台からテーブルの食卓になり、五右衛門風呂から、現在に通じる風呂場に変わりました。前住職の代になり、玄関の改修、トイレも日本式から洋式に変わりました。平成に入り屋根瓦を葺き替えました。今回の改修では、これまで手を入れてなかった襖で区切られていた5部屋(仏間・客間・居間・事務室・玄関)の部分で、壁面を新設し板の間にしました。畳をめくり床の下をのぞいてみますとシロアリの影響がひどく床下の束(つか)からの改修になりました。
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妙華寺会館は、昭和10年に茶所として作られました。戦後のいつからかはっきりしませんが昭和40年頃までは、三重県の久居食糧事務所として使用していました。前住職が、その後改修して、畳敷き36畳の広間として、葬儀式場・会議会場・お非時会場など妙華寺会館として活用しています。阪神大震災後に建物の耐震診断をしましたら耐震基準に達していませんので心配をしていました。この度、屋根瓦も傷んでいますのでスレート葺きにして、壁面を新設し、空調設備を入れ畳敷きから板の間にすることにいたしました。広さは今まで通りですので、葬儀式場・会議会場・お非時会場などとして活用いたします。 先日の報恩講のお非時会場として使用しましたがお越し頂いた皆様に腰に負担がなくなり好評でした。

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 10月には、本堂の階段に昇降の補助として手すりを設置しました。
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③ 初めて法話大会の開催をいたしました。
妙華寺の本堂にて京都若手僧侶法話勉強会様の主催の布教大会が行われました。
およそ50名の方々がご聴聞に駆けつけてくださいました。
最初にお勤めがあり、出勤僧侶は、西本願寺の方が多く普段唱和されない「文類偈」の節を心配されていましたが、堂内の大勢の大きな声で一緒に合わせて唱和されていました。
ご法話される若手の4名は、少し緊張の趣で始まりましたが、落ち着いた口調で自分の経験を交え、阿弥陀様のはたらきを讃嘆され、最後に会の代表の中西正導師(本願寺派布教使)がまとめられました。その後、茶話会では、お茶とお菓子をいただきながら若い僧侶が、ご聴聞された方お一人、お一人のお話しをお聞きしたり、お尋ねに丁寧にお答えしていました。平素のお勤めの後に私(住職)とお同行の皆様との話より活発な会話で私に課題を与えていただいた感じです。
ご聴聞をいただきました皆様には、お同行様をはじめ、地域の方々、河芸の満願寺様の坊守様と婦人会の皆様や、近隣のご住職様にもお越しいただき大変感謝申し上げます。
また、京都若手僧侶法話勉強会様には、遠方より三重県津市久居の妙華寺までお越し頂き、布教大会として4名のご法話をご聴聞できることを楽しみにしていました。
現代は、仏教のこと、親鸞聖人のことなど、書籍やメディアで知ることもできますが、ご法話を聴聞することは、布教使様とご聴聞する私たちが一体となり、仏徳讃嘆を作り上げているように感じます。布教使を目指している若い僧侶と共にお育ていただいた時間となりました。

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※番外 高田本山の行事 伝灯奉告法会・一光三尊仏御帰山法会・本寺御復座法会
高田本山の行事ですが滅多に遇うことができない行事が続きました。
高田派第25世ご法主として、3月の一光三尊仏御帰山法会の前に伝灯奉告法会を三日間お勤めされました。お手伝いの一員でしたので御影堂での法会に出勤できませんでしたが、真宗各派のご門首様・宗務総長様がお祝いにご来山されますことは御遠忌法会以来で賑やかな法会でした。
 平成28年3月31日(木)~4月2日(土)の一光三尊佛お送り本寺御復座法会参拝の旅に妙華寺として3名参加させていただきました。
本寺には何度か行ったことがありますが、一光三尊仏の御復座法会に参詣するのは初めてでした。約150名の参加で、今回は天気にも恵まれ、本寺の桜も満開の中での法会でした。
10年ぶりの本寺ですが、本当に心が落ち着くというか一身田の本山とは違う空気に覆われているような感じです。私には、親鸞聖人の御廟が感じさせているように思います。
聖人の御歯骨が納められている御廟の間近で手を合わすことができるのは本寺ならではの魅力です。4月1日の午後の法会で、前御法主様の御親修・御親教にあうこともうれしい時間でした。法会の期間中、涅槃堂の前では、誕生仏に甘茶をかける花祭りもあり、宝物の展観もあり有意義な1日でした。次に三尊様にお遇いできるのは、14年後の平成42年(2030年)。できることなら、参詣できればと思い帰路につきました。
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タイトルの長いシンポジウム

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 「死にたいにまつわる言いたいようで言えないそんな気持ちのもっていきどころについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが56字あるシンポジウムに参加しました。「テーマは若者」とあり還暦の私(住職)はどうしょうか思いましたが、昨年は聞くことが出来なかったので参加させていただきました。登壇者は、希死念慮者の対人支援の最前線で活動されている方々で、ライターの橘ジュンさん、精神科医の松本敏彦先生、主催者代表の竹本了悟師、進行役として毎日新聞記者として自殺問題に積極的に取り組まれている玉木達也氏の4名が前半それぞれの活動の中での気になることを共用しながらそれぞれが本音で相手に向き合っていることが伝わってきました。
後半では、会場からの質問に登壇者が答えていくのは、ライブ感のある時間で、ツイッターでのつぶやきもスクリーンに表示されて今の若者には当たり前なのかと思わずにはいられなかったです。一人一人の希死念慮の背景は複雑ですので丁寧に1つ1つ見ていくことの大切さ、社会の中で無関心層を少なくしていくことの取り組みなど対人支援の最前線で活動されている方のお話しは私(住職)には一度に全て理解できないほどのボリュームある内容でした。
 ライターの橘ジュンさんは、若い女性の本音(声にならない声)を届けたいことから若い女性と出会ってこられた時に、本人が困っている状況なのに、行政や病院など支援先で本音を出さずむしろ悪ぶって支援を拒否してしまう若い女性達。若い女性が被害に合う前に一時的に避難できる場所が必要とのことや支援を受ける女性が対人支援を行っている男性には心を開くことが出来ない話は実際の活動から見えてくる提案でした。会えば素直に話ができる子と会っても話ができない子などさまざまな女性を少しでも支援先とつなぎたい思いからNPO法人BONDプロジェクトを設立された橘ジュンさんの思いをとても熱く語られました。
精神科医の松本敏彦先生には、依存(症)には、依存してしまう中で自分の存在が確かめることができる場合があるようで、その中に薬物やアルコールなども含まれるし、DVの中の関係性にも見ることができるようです。
自傷行為には、人が信じられないことや、自分に価値がないと言われ続けていたこと、勇気を出して人に頼ったがダメだった経験が、弱い自分を見せても良い場所がなく、死にたいことを、自傷することで自分の中で解決しようとしていること。自傷行為を弱い人間として見るのは間違いで、周りに迷惑をかけたくない思いも含まれていること。
希死念慮者へ「自分を大切に」「命を大切」と言う言葉が届くかと言えばそこには相手に向き合う姿勢が感じられないと難しいこともお聞かせいただきました。
主催者の京都自死・自殺相談センターの竹本了悟師は、面談や電話相談より、メール相談の匿名性によるハードルが下がったことの対応についてや当センターの事業を行っている中で慢性的人的不足に、多くの方がボランティアとして関わっていただきたいこと。僧侶として、どのような死に方にも良し悪しはないことや、ご自身の体験の中で今の時代のあたりまえが当たり前でないことや、私の中にある合理的・効率的とか自分の都合を優先してしまうお話しに考えさせられました。
毎日新聞の記者の玉木達也氏も、マスコミの中の一人として自殺対策へのこれまでの取り組みや今の現状でご自身がされていることを紹介されました。会場には多くの若い参加者がいました。私(住職)にはそれぞれが抱えている本音を若者からみればおじさん、または老人である私(住職)に話してもらえるかと言えば決して話してもらえないと感じます。そこには関係性をどのように作り出していくかが問題となります。希死念慮者の対人支援を学ぶにあたってもグリーフケアを少しだけ学んだ私(住職)の中では、高いハードルがあるように感じています。それでも自分の中で考えていく事の1つとして大切にしたいです。
※中川個人の感想でもっと大切なこともシンポジウムでは話し合われました。

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※僧侶として「自死に向き合う」ことが大切であることは分かっていますが実際「自死に向き合う」ことを考える時間がこれまでにあったでしょうか?
お寺の住職・寺族としてお檀家様・お同行様と寄り添う中で、自死念慮の方や自死のご遺族の方々とお会いすることがございます。その時本当にその方々の思いに寄り添えているか悩んだり考えることはありませんか?
この度、京都自死・自殺相談センター様にお願いしましてSottoの活動の1つとして、出前研修を開催させていただくことになりました。
今回は、僧侶及び寺族の皆様を対象としまして、「自死」のさまざまな場面に対面した時の簡単なワークを取り入れた学びを考えています。
僧侶の皆様の中でも各地で自死念慮者・自死ご遺族の方のサポート活動をされているグループやネットワークに参加され研修されている方々もいらっしゃいると思いますが、もう一度基本を見直してみませんか。もちろん初めての方も歓迎いたします。
会場の都合でご参加いただける方は事前にお申し込みをお願いします。
 日時 平成29年2月10日(金)午後1時30分から午後3時頃
講師 京都自死・自殺相談センターSotto事務局で調整中
会場 妙華寺会館 三重県津市久居二ノ町1743番地 法苑院妙華寺内 
対象 僧侶及び寺族  会場の都合で20名まで
会費 2,000円(領収書をお出しします)当日徴収させていただきます。
申込先 HP(myoke-ji.com)のお問い合わせ(メール)に、 ご参加されます方のお名前・ 宗派・所属寺院名・ ご連絡先を記載されお申し込みください。

12月のおてらおやつクラブ

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12月のおてらおやつクラブ
12月に入り、松阪市のお寺様からおてらおやつクラブについてお話しを伺いたいとお電話があり、3ヶ寺のご住職様と早速お会いしました。おてらおやつクラブの活動を始めるにあたってお寺のお同行様へのご理解やご協力などの取り組みについてをお尋ねになられました。妙華寺では、おてらおやつクラブの活動の前に、古本勧進を始めるにあたり、お同行様にある不要な古本をお出しいただき東日本大震災で被災されました子ども達の教育資金の一部として(今年の1月からは一人親家族の支援団体への)寄付にすることをご理解いただいていました。おてらおやつクラブの活動につきましては、これまで通り、お同行様から佛様へのお供えを、おさがりとして、一人親家族へおすそわけさせていただくことですので、お寺からは寺報やHPで報告をさせていただいていますとお話しいたしました。
来年には、松阪市のお寺様の仲間と話し合って、おてらおやつクラブの取り組みも提案されるようです。近くの地域でも、おてらおやつクラブの活動が広まることは大変うれしく思います。
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12月もお供えのおすそ分けをさせていただきました。支援団体様は23日にクリスマス会を行うとお聞きしていましたので、子どもさん達に楽しんでいただけたらと思っています。
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 また、一人親家族の支援団体様への寄付となる「古本勧進」もやっています。
次回の発送は来年1月の末です。
ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。
12月も11月・10月に続いてお同行様から不要な本をご持参いただきありがとうございます。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土高僧和讃 善導大師25首
弘誓の力をかぶらずは いづれの時にか娑婆を出でむ 
佛恩深く思ひつつ 常に弥陀を念ずべし 
 弥陀の広大な本願力を蒙らずして、いつこの迷いの世界を脱出することができようぞ。弥陀の御恩を深く思いつづけて、常に称名念仏せねばならず。
※「かぶらずは」の「ず」は「ずして」の意と見てよく、「は」は清音で係助詞であること、橋本進吉博士に説がある。
※「思いつつ」は、思いつづけることで、臆念相続の意。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 今まで第一行「かぶらずば」と読み習うてきましたので、いつしかその発音に戻り易いのですが、教えられるままに「かふらずは」と濁点を取って読みます。『般舟讃(はんじゅさん)』の、 或はいわく今(きょう)より仏果に至るまで、長劫(じょうごう)に仏を讃じて慈恩を報ぜん。弥陀の弘誓の力を蒙(こうむ)らずしては、いずれの時いずれの劫にか娑婆を出でん。
との文によります。弥陀願力の恩は、大師の言々句々に貫通しております。
 弥陀の大きく包容摂取する本願力をこうむることなくして、いつどのような時にこの煩悩の尽きない娑婆界を超え出でることができましょうぞ。弥陀願力の恩を深く長く思いめぐらして、常に弥陀に念ぜられつつ称名念仏するばかりであります。
 「娑婆」については今の『般舟讃』にも「娑婆長劫の難」と見えるように、大師においては浄土に対面して真の在所ではないという深い思い入れがあったようです。「娑婆を厭捨して仏国を求めよ」というのが大師の本心でありますが、同時にこの娑婆の愛着が捨てられないことをよく知っていられたのです。娑婆は梵語のサハー、又はシャバーの音写にて、忍・堪忍・能忍の意です。堪忍しなければ生きられない、娑婆は思うにまかせぬところといわれます。更に「聖者と共に」の意が加えられて、聖者もしいまさずば悪苦に焼かれて生きられないところと聞いております。紫人と朱人とは長年にわたる親しい隣人。紫人の息男が事故死してその遺骸が帰り、これを弔問した朱人が合掌して「娑婆じゃの」と漏らしたのです。この一言が一切を言い尽くしているのです。悲しみのきわまりないのですが、娑婆の一語が救いをもたらしているのです。当てにならないものを当てにして生きることのなしさがこみあげているのです。眼前の悲惨に戦慄しつつ、これが娑婆のならいと知る人は、驚きを内省せしめます。流れる雲に声あるように、
生死無常のことわり、くわしく如来の説きおかせおわしまして候へ、おどろきおぼしめすべからず候。
と響流するのは、娑婆に対面する浄土あればこそです。娑婆という、わたしの実在を射当てた不滅の用語が、無残にも死語と化されつつあります。このようにして娑婆というこよなき実在用語を捨て、威徳ある他力に不感症となり、生きる生きると叫んで往生の大義を失うのは、どこに業のゆがみがあるものなのでしょうか。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】
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秋のグリーフケア公開講座

春のグリーケア公開講座に続いて、秋のグリーフケア公開講座にも参加することができました。全てに参加はできませんでしたが、聴講して、毎回新しい気づきや忘れていたことを思い出させていただく学びの時間に感謝しています。聴講して個人の感想ですが記載させていただきます。
2016-09-27 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」 高木慶子
春に続いて、秋のグリーフケア公開講座が始まりました。今回も第1回目の講座は上智大学グリーフケア研究所 特任所長の高木慶子様のお話しで「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」との講題でお話しいただきました。悲嘆に寄り添うこと(ケア)側の難しさとして、悲嘆された方が、悲嘆を周囲に知らせることにもその方に「知らせる力」がないとできないこともあるようです。悲嘆からの回復として時間の存在もあります。また自らの悲しみを恵みとして気づくことになるのも悲嘆を乗り越えていく力になると話されました。真珠がアコヤ貝の中で育つ過程から悲嘆を乗り越えていく力が私たち一人一人の中にもあることだと紹介されました。また、高木先生の死生観を詩で表され大いなる存在に気づくことで、私が生かされていることに気づき、悲嘆を乗り越えていく力が生まれてくることを強調されました。また「人生」という言葉をもう一度考える機会になりました。高木先生のご講演の最後は全員で歌を歌う時間があります。わずかな時間ですがこの場にいる全員が一緒に歌うことで一体感が生まれるように感じます。
※中川個人の感想です。
2016-10-04 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「心を病むこどもたち」 水谷修
「夜回り」と聞くと消防団の「火の用心」を思うことですが、水谷先生が子ども達が夜の町にいることの危険と、もしもの時は頼ってくる場(人)がいることを周知するためパトロールを初めて夜の世界で25年間がんばっている水谷修先生を、「夜回り先生」と親しみこめて呼ばれるようになりました。
先生の友人との話で、夜間学校の教師になり「夜回り先生」になったようです。
夜、外にいる子ども達は家庭に居場所が無い為、外にいるようですが、夜外に外に出ず家の中でリストカットする子ども達がいることに気づき、「夜回り先生」の活動と共にリストカットをする子ども達への活動も今も続いているようです。外に出ない引きこもりの子ども達には、その子の引きこもっている場所に行き、一緒にいることから始めるそうです。また、リストカットをするに至る背景を一緒に考えなければ、子どもの心が開くことはできないようです。これまでの経験から、解決に至る方法として4つ示されました。①理論に基づいた臨床心理学がありますが、この方法は前例がないと限界があるようです。②科学に基づいた精神医療も日本の場合、薬だけの治療で心と体の治療としては限界があるようです。③非論理的であるが、体育系の水谷先生らしい、ストレスは心身のアンバランスで心が疲れている状態で発生するので、身体も疲れるようにすると夜も眠ることができストレスが少なくなるようであると経験を語られました。④私たち人間は今も神聖なもの(宗教)を「畏怖」として捉えているので、その神聖な宗教空間を居場所の無い子供達の居場所として提供できる可能性を実感されているようです。
またお話しの冒頭に、「美しいものをたくさん見てください」とおっしゃったのは、子ども達だけでなく、私たち大人への呼びかけでもあり、「美しいものを見る」と言うことは心に余裕を持つことと感じました。名もない花であってもちゃんと見ると「美しさ」があることと私(住職)は受け取りました。水谷先生は、とても語ることが多くて私(住職)の力では全てをまとめるのができないのですが、そこには、水谷先生が、多くの心を病んでいる子ども達を見てきて多くの子ども達が立ち上がっていった以上に、先生にも何も出来なかった子ども達の姿が今も脳裏から離れないから1つでも多くの事を私たちにに伝えようとされているからだと思いました。
※中川個人の感想です。
 2016-10-25 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「妻として 女優として 夫・大島渚と過ごした日々」小山明子
女優の小山明子さんが夫の大島渚さんの介護を通して感じた心の動きをお聞かせくださいました。結婚生活50年の中で病気で倒れられてから17年間のことを語られました。大島渚さんは監督として、小山明子さんは女優として活躍されて、またご子息二人の結婚もあり幸せの状態の時に大島渚さんが倒れられお世話をすることになった時は「どうして私が」とショックを受けられうつ病になられたそうです。4年間のうつ病の中で、自分が元気にならないと向き合えないことを感じたときから回復に向かわれたそうです。大島渚さんの病気のお世話といっても病床ですることは何も無く一緒にいるだけの時間に読書をされて、読後の良かった言葉をノートに書き始めてことが自分を変えていくことになったようです。大島渚さんの病気も徐々に良くなっていくことや、再び病気が悪くなったりする中で、自分だけの思いを手放すことや、どうしてこうなるかという思いを受け入れていくことを学んだそうです。介護の中ではイヤなことと感じることに楽しい気持ちを持たないと続かないことに気づかされたと語られました。また、大島渚さんがなくなられてから、待っていてくれる人がいない人生を感じているそうです。「自分が幸せの中にいる時は幸せは見えない」と言う言葉に小山明子さんと大島渚さんとの生活が充実していたことを感じました。
※中川個人の感想です。
2016-11-15    秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「夢みる心に宿るもの」 永田萌
イラストレーターの永田萌さんのお話でした。永田萌さんは兵庫県加西市出身で、阪神大震災の時は東京で個展が始まる時でご本人は東京にいらっしゃったそうです。地震のことを知り家族が心配で戻られたそうです。被災した神戸の光景を見ながら、その時永田さんは自分がイラストを描いていて良いのか?もっと役立つことをしないといけないのでと悩まれて、イラストが描けなくなったそうです。そのような状況の永田さんに、永田さんのイラストが大好きな被災された方が友人から永田さんの描かれたイラスト入りのポストカード送られイラストを見たら、悲しみにくれていた心がぱっと明るくなったことを永田さんに話されたことでイラストを描いてもよいのだと思われたそうです。その後お母様を病気で失う前に、病室でお母様から「60歳になったらあなたに本業以外で求められることがあれば引き受けなさい」と言われたそうです。その時の永田さんには遠い未来(20年後)のことのようでその時は分からなかったそうですが今そうなっている(本業以外で求められたことをしている)自分で、母の言っていたことが「年をとらないと分からないこと」と思われたそうです。ご自身の喪失体験から得たことをご自身のイラストを示していただきながらお話しされました。
最初にイラストについて定義として、イラストとは「説明する」・「証明する」・「図解する」ことで、「目に見えないものを確かに存在するものとして具現化する」ことだそうです。例えば、「愛」・「夢」・「希望」を描くこと。また古くは天国や地獄などの宗教画、偉人の伝記、地図も入るようです。イラストを描くにあたり必要な資質として、表現力・理解力・想像力・発想力・幅広い知識・人間に対する好奇心・共感する力・愛情を挙げられました。また、イラストは、依頼者があって制作がスタートするので、アートととは違うそうです。また、伝達する媒体にあった表現をすることも依頼者が主体であることと思いました。人間の感情を描くことは、愛・夢・希望・幸せだけでなく、いかりや憎悪・絶望も描くことがあるようです。人間の感情を超えるものとして、慈愛・なぐさめと永田さんは表現したイラストが、私たちの悲しみを生き抜く力としてあることがわかりイラストを今も描かれているそうです。人が人に寄り添うようにイラストが、その人にさりげなく邪魔にならないようにあることはグリーフケアの1つとしてイラストの力を感じました。
 今、永田さんは京都市こどもみらい館の館長をされています。こども達のグリーフについて現状は大人以上に大変な状況であるようです。悲しみの中にある私はどうしてもうつむきがちになりがちで一点しか見ることができないでいます。でもいつか少し視点が違う向きに向くことができれば違う景色を見ることになるのでその時にイラストが少しでもお役にたてればとおっしゃられたことが印象的でした。
※中川個人の感想です。
2016-11-22 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「臨床で考える悲嘆」 徳永進
医師でありノンフィクション作家の徳永進先生のお話。医師として末期の患者様のお世話をしながらそのご家族と患者の関係を語られました。一人の患者さんがなくなられた時その家族や関係者のグリーフはそれぞれ違うのでグリーフケアのあり方は何が正解か分からないこと。言葉には表層言語と深層言語があり、ともすれば末期の患者やそのご家族に医師として前もって考えていた言葉(形式的な言葉)を使いながら接しようとするのだがそれでは患者や家族には伝わらない。患者や家族からの思わず出る本音の言葉にその人の内実が出ている場面に何度も出合われたそうです。
大切な方をなくされた家族(遺族)の言葉を中心に、死について語られました。「死」について考えたり話す時どうしても身構えたり神聖に考えることもありますが、「死」ももっと身構えずに当たり前として捉えることの大切さを強調されました。末期の患者さんで死が近づいているのだけど、患者さんには歯が痛いことのほうが切実な問題として医師に訴えてこられたこともあったそうです。先生の経営されている診療所(末期患者の緩和ケア)では、本来禁止される飲酒や喫煙もある程度許されているようで、飲酒や喫煙をしたいが為、入所を希望される患者さんもいらっしゃるそうです。また末期の患者さんの緩和ケアは癌患者と規定されているようですが癌患者以外の難病(HIVを除く)や死に直面される患者さんに対する緩和ケアが行われていないことも知りました。人間の生まれてから死に至る姿の全てが受け入れられることができれば良いのですが私たちは立派な時の姿しか認めない心をもっていると晩年の介護などにも影響がでるようです。死を迎える姿は失禁があったり、よだれがたれていたり目やにだらけだったり、譫妄(せんもう)や幻聴があったりしながら滅びていく姿でありますがそれは私もその姿で滅びていくことで何ら変わらない姿であることを共有することが「やさしさ」にも通じていくようです。悲嘆を和らげるものとして、ご本人が笑うことや誇りを持てるかまた、帰属する場があるかなど、本音の言葉(深層言語)をお聞かせながらのお話しは心打つものでした。また、講演の途中で患者様のお一人が亡くなられた連絡が携帯電話にかかってくる場面があり現役で多くの末期の患者さんに向き合っていられることもわかりました。
※中川個人の感想です。
 2016-12-06 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「佛教に聞く 悲しみと喜び」 大谷光真
グリーフケア公開講座の主催者の上智大学グリーフケア研究所の所長であります島薗進氏のお力添えで西本願寺の前御門首様のお話をお聞かせいただく機会を得たことをうれしく思いました。また、お話しの後で、龍谷大学大学院の2名の方の質問にお答えいただく時間もあり有意義にお聞かせいただきました。
前御門首様は、グリーフについて「明日は我が身」として受けとめられて、佛教(お釈迦様の教え)から聞くにあたっても、佛教を内側から捉えることだけでなく外側からも捉えることの必要性もあるのではと最初におっしゃられ、佛教だけでなくキリスト教やイスラム教など宗教の中にある「悲しみを受けとめる力」についての可能性を指摘されたのだと中川は感じました。
この度のお話しは、「佛教に聞く」こととして、①亡くなった人の行方、私の行き先を、智慧(超越)の面からと慈悲(現実)の面から、②遺族、悲嘆者の面から、③第三者 親族、友人、カウンセラーの面からお話しいただき、死について悲しみの側面と、信心により喜びとして受け入れていく側面についても、親鸞聖人のご消息や、お釈迦様のお言葉、お釈迦様のお弟子さんの偈、多くの佛教の祖師からのお言葉からお聞かせいただきました。
中川個人としては、③第三者 親族、友人、カウンセラーの時に紹介されました、「ボランティアのひとはね、『忘れない』というのよ、私たちは違うの。忘れられないの」【藤丸智雄『ボランティア僧侶』P32】の言葉もう一度考えたいと思いました。
前御門首様の自然体でお話しされるお姿にとても感銘を受けました。
※中川個人の感想です。
2016-12-13 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲しみに寄りそう」 柏木哲夫
秋のグリーフケア公開講座の最後は、淀川キリスト教病院の理事長の柏木哲夫さんのお話でした。日本の医療現場で「ホスピス」を最初に実践された方でこれまで2,500名ほどの看取りをされてこられたそうです。「グリーフ」の言葉の語源にはラテン語で「重い」の意味があることを知りました。「心は悲しみで重くなった」と気持ちの重さを表しているそうです。
「悲嘆(グリーフ)」のプロセスは人によって違うことは当然ですが、病気での死別の「悲嘆」では、予期悲嘆で悲嘆の準備があるのと予期悲嘆が無く悲嘆の準備が無い場合ではやはり違うそうです。悲嘆を必然として受け入れていく中でも身体や心に影響しますが、通常の悲嘆と病的な悲嘆との違いは、日常生活に支障があるか否かを注意深く見なければいけないようです。死別の悲嘆の中にいらっしゃる遺族にかけてはいけないこと、これまでもグリーフケアの話の中でお聞きしていたことですが、改めて自分の話す言葉の中で考えさせられ、言葉の重みも感じました。また、寄りそうことと支えることの違いを、写真でお示しくださったり、人間の中にある「死んでいく力」のことを考える機会もいただきした。柏木先生が日頃思われているホスピスに携わる人の人間力の項目の中で、患者様のお話は感慨深いものがありました。
先生のホスピスの現場からのお話しは、グリーフとグリーフケアについて、とても大切なものに気付かされたように感じました。柏木先生のお話しが終わって高木先生が、「今日は死別された遺族の方に対するお話しでしたが、死別していく患者様のお話もお聞きしたかった」とおっしゃられ、聴講していた多くの方の思いを代返していただきました。
※中川個人の感想です。
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寺報に見る住職の10年の歩み 平成20年

寺報に見る住職の10年の歩み 平成20年
【寺報27号平成20年12月発行】
『親鸞聖人750年御遠忌を前に
親鸞聖人は今から830余年前の承安3年(1173)に生まれ、弘長2年(1262)90歳でご往生されました。高田本山では「お七夜さん」と親しみをこめて表現される報恩講とは、親鸞聖人のご命日をご縁として、聖人にお礼申し上げる法会です。法苑院では、毎年12月5日に報恩講を執り行っていますが、50年ごとに御遠忌として盛大に執り行います。高田本山では平成24年に親鸞聖人の750回御遠忌を厳修いたします。当院ではそれに先立ち平成23年に執り行う予定です。前回の700回御遠忌は昭和37年4月に執り行っています。私(住職は)当時6歳でした。多くの稚児の一人として参詣したことしか記憶にありませんが、多くのお同行の皆様方のご奉仕で盛大に執り行われたと聞いています。まだ先のことではありますが、皆様方のお智慧を借りながら、750年御遠忌法会も意義ある法会にしたいと思います』
 平成12年から始まっていました高田本山専修寺御影堂平成大修理もこの年の3月末で完成し5月に高田本山専修寺御影堂平成大修理事務局も閉局しましたので、私(住職)も6月から自坊に一日中いることになりお寺の法務以外もしっかりと取り組みたいと考えていました。
当時はお同行の皆様にはお伝えしていませんでしたが、この年の正月に前住職に癌が見つかりました。手術は無理とのことで抗がん剤治療が始まりました。この年の8月のお盆勤めから私(住職)だけでお勤めすることになりました。前住職の体力が弱り暑い中のお勤めが難しくなり、急遽お勤めの日を変更させていただいたお同行の皆様にはご迷惑をかけましたこと改めてお詫び申し上げます。高齢と病気で弱っていく前住職でしたが、幸い痛みはあまり感じないようで、平素のお寺勤めや彼岸会・千部会・報恩講へは出仕していただいていました。またお寺の見えない部分ですがこれまでどおり境内の掃除などは毎日早朝にしていただき頭が下がる思いでした。
また、平成23年に御遠忌法会の予定としましたのは、本堂の耐震工事を考えてのことで、お同行様のご親戚に金剛組の棟梁がいらっしゃいましたのでその方を通して本堂の調査・工事見積もりなどの提示が夏にあり、総代様と工事見積額について話をしていました。前住職も病気でありましたが御遠忌のことは楽しみにしており、その前年の本堂の修理についても総代様と共に私(住職)を支えていただきました。
12月は毎年自坊の報恩講で今年から第1日曜日に変更をいたしました。報恩講が終わらないと来年への準備がてきません。年末年始の準備も毎年でありますが忘れていることもあり昨年の記録を見ながらになります。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日に掲載いたします。
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源空聖人

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七高僧
昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
⑦源空(法然)は天台宗の僧であったが、善導の『観経疏』の「一心にもっぱら弥陀の名号を念じて、行往坐臥に時節の久近(くごん)を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆえなり」という文によって専修念仏(せんじゅうねんぶつ)に帰した。あとは偏(ひとえ)に善導一師をよりどころにして浄土教をひろめていったのである。源空の浄土宗独立の宣言書が『選択本願念仏集』である。「往生の業として、阿弥陀佛が本願に選び取られた行こそが念仏である」として、称名念仏の専修を教えている。親鸞の『教行証文類』にならい、有名な「三選の文」の引用すると「それすみやかに生死を離れんと欲(おも)はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて選びて浄土門に入るべし。浄土門に入らんと欲(おも)はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげす)てて選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲(おも)はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍(かたわ)らにして選びて正定をもつぱらにすべし。正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆえなり」この「仏の本願による」という言葉に、「阿弥陀佛の選択」された念仏こそがすべてである。という源空の強い思いが見て取れよう。親鸞はこの源空を生涯の師とした。かれが師の教えとして、「正信偈」源空讃にその功績をたたえていることは、『選択集』の第8「三心章」で、「生死の家には疑をもって所止(しょし)となし、涅槃の都には信をもって能入となす」と述べている。本願を信ずること(信心)こそが浄土往生の正因であるという教えは、師 源空より得たとの言明である。
『親鸞読み解き事典』から