自分の姿②

自分の姿②
前回のブログから改めて自分の姿を見ますと、親鸞聖人の書かれた和讃が迫ってきました。

外儀のすがたはひとごとに 賢善精進現ぜしむ
貪瞋邪儀おおきゆえ 奸許ももはし身にみてり【正像末法和讃 愚禿悲歎述懐 2首】

私の内側は、賢い人でなく、善き人でなく、精進する心もないのに、外面は、賢き人、善き人、精進していると思われたい心があるのだ。

私の内側は、むさぼりと腹立ちとよこしまな考えといつわりばかりで、人間の知恵は、わるがしこく、いつわりが多い、自分自身を振り回してしまう身なので。

親鸞聖人は、自分の姿を悲しむと同時に社会の姿を悲しんでいかれる。そして、如来の大悲が、「はたらき」かけていると感じました。

如来の「はたらき」に遇うことで、自分の姿が顕かになるとも感じています。

※中川個人の感想です。