【紹介】「とってもやさしい はじめての仏教」

【紹介】「とってもやさしい はじめての仏教」
報恩講の後、「お坊さん教えて」として布教使さんに疑問・質問の時間を設けました。その時配布した冊子です。発行元の「公益財団法人 仏教伝道協会」をご存知でしょうか?
この冊子の最後の「公益財団法人仏教伝道協会のご案内」に【公益財団法人仏教伝道協会は、仏の教えを広く世界に弘めるため、株式会社ミツトヨの創業者である沼田恵範の発願により1965年に設立され、現在に至るまで特定の宗派にとらわれずに、仏教がもつ東洋の叡智(えいち)を世界の人びとに伝えるための様々な事業を展開しております】と記載されています。
ホテルに宿泊しますと、客室のテーブルに「仏教聖典」が置いてあったりしますね。この「仏教聖典」は公益財団法人 仏教伝道協会が刊行しています。全世界に仏教の教えを弘めようと活動されています。(詳細は仏教伝道協会のHP http://www.bdk.or.jp/をご覧ください)
【内容】は、
・仏教とはいったいどんな宗教なのか
・お釈迦さまって誰
・いまさら聞けない 仏教のQ&A
・お経には、なにが書かれているの
・いま、こころに響く 仏教のことば
・仏教ライフのすすめ
・よくわかる、仏像ガイド
・「お釈迦さまの教え」の基本を知る
・日本の仏教はこうして始まった
・日本仏教のさまざまな宗派
・仏教からみる、日本の年中行事

今一度、仏教について知りたいとお思いの皆様にお勧めします。
もしご希望があれば住職にお声がけください。ご家族の皆様と共にお読みください。

【案内】真宗入門講座

【案内】真宗入門講座

令和5年は、親鸞聖人生誕850年の記念の年です。
改めて、親鸞聖人の求道と生涯を深める、高田派教学院の企画があります。
『親鸞聖人伝絵』に見る聖人の生涯をテーマに4回の講座があります。
いずれも、高田開館ホールで13時30分から15時30分で定員があります(事前申込)

① 「総説」令和5年1月25日(水) 金信 昌樹 研究員  

② 「出家学道」令和5年2月22日(水) 島 義恵 研究員

③ 「吉水入室」令和5年3月15日(水) 中川 結幾 研究員

④ 「六角夢想」令和5年4月12日(水) 中村 宣成 研究員

事前の申込が必要ですのでご興味のある方は、高田本山 教学院まで、電話059-236-3088 までお申し込みください(平日9時から11時の間)

【中川鳳瑞(結幾)からの案内】
第10期 真宗入門講座『親鸞聖人伝絵』に見る聖人の生涯の第3回 令和5年3月15日(水)13時30分から15時30分 高田開館ホール にて「吉水入部」の段を担当します。

『親鸞聖人伝絵』は、親鸞聖人滅後満33年の忌日をまじかに控えた永仁3年(1295)10月 本願寺覚如によって制作せられました。元来は本巻と末巻の2巻りなり、その内容は基本的には13の場面から成り立っています。
覚如が制作した原本は、その後の南北朝動乱によって本願寺が炎上した際に焼失しています。しかし幸いにその草稿ができてから2ヶ月後に制作して関東の高田派門徒へ送られた本が、いま専修寺につたわる本である。(現存する『親鸞聖人伝絵』では最古)

【案内】特別講演会「親鸞聖人の声を聞く」

【案内】特別講演会「親鸞聖人の声を聞く」
令和5年は、親鸞聖人生誕850年の記念の年です。それにあわせて「親鸞 生涯と名宝」展が令和5年3月25日から5月21日まで京都国立博物館で開催されます。
そのブレイベントで特別講演会「親鸞聖人の声を聞く」が令和5年1月28日(土)13時から16時まで高田開館ホールで開催されます。講師は、真宗高田派鑑学の清水谷 正尊師です。宗派の祖師であり、多くの人々を魅了してやまない親鸞聖人とその教え。聖人の求道と伝道の生涯への理解を深めるお話と聞いています。

どなたでも参加できますが、往復ハガキでお申し込みが必要です。その締め切り日が12月15日(木)必着ですので聴講希望の方は急いでお申し込みください。

※清水谷正尊師は、今年5月の妙華寺の親鸞聖人ご誕生850年奉讃行事で講演をいただいています。

お非時の反省

報恩講のお非時の反省
お非時の予定数(配布)終了で、お非時を楽しみにされていました皆様のなかには、今年はお非時をいただけなかった方々がいらっしゃることの報告をうけました。
今年は、私(住職)が予想する以上の方々がお非時を楽しみにされていたようです。ご迷惑をおかけしました。お詫び申し上げます。
ここ3年間のお非時は、新型コロナウィルス感染症の拡大防止の為、お弁当として配布いたしました。一緒に集い食することも、一緒に準備することも不安があるからです。
お寺では、年々、非時を楽しみにされている方々が減少する中、残った食材の処分が課題です。
当日の受付のお手伝いの方々・お非時のご奉仕くださる方々にお持ちいただくこともありますが、それ以上に残ってしまうこともあり、賞味時間の関係で近隣の方々へお配りすることも憚れます。
手造りで配膳するお非時の頃は、なんとかなっていましたが、パック詰めにしてしまうと難しい課題です。

※併設しています子ども食堂では、希望数を事前に確認して用意をしています。

前坊守3回忌

前坊守3回忌
今年の報恩講の翌日、前坊守が往生して丸2年が経ちました。近い親戚と共にお勤めをしながら、前坊守との関係を見つめる時間でありました。お寺を守る住職や寺族は、お寺のことを第一として日常を送ることは当然でありますが、今の私(住職)には他にも目を向けてしまいがちであります。しっかり、お寺に向き合うこと、お同行様に向き合うことを前坊守の生き方をとおして感じさせられた3回忌でありました。また、限られた時間ですが、親戚の皆様とお会いしてお話ができる機会をいただいたことをうれしく思っています。

報恩講の準備

報恩講の準備④

真宗寺院として最も大切な行事の報恩講をどのように、お同行(生活者)に伝えるかそれぞれのお寺が工夫したお勤めを考えられています。

本堂を荘厳する幔幕があります。紫の幔幕を使用します。掛ける位置が高いので脚立を使い準備します。参道に旗を用意するのも報恩講ならです。

各お同行様へは一週間前にご案内をしています。山門に報恩講の行事案内の看板を掲げます。

内陣では、前卓(まえじょく)に打敷・角掛を用意します。こちらは、自宅のお仏壇でも使われていますので、ご存知の方も多いでしょう。

祖師殿のお戸帳も取り払い、親鸞聖人のお顔がみえるようにするのは、高田本山の15日の初夜勤めに習っています。

本尊宮殿や祖師殿に供菓を用意します。妙華寺では、寺紋の落雁とみかんをお供えします。

お餅の用意や当日は、ご版さんの用意もあります。
灯籠も灯籠飾りをします。
余間の絵伝は以前もご紹介しました。

働かざる者は食うべからず

「働かざる者は食うべからず」

こころない言葉がSNSから直接当事者に投げかけられひどく落ち込むことがあります。
これまででも、誹謗・中傷されることはありましたが、ネット時代では、即座にとんでもないボリュームの誹謗・中傷で、立ち直ることも難しい状態になってしまうこともあります。

「働かざる者は食うべからず」この言葉について考える機会がありました。障がいの子どもさんを持つお母さんからの問いかけでした。

「働かざる者は食うべからず」の言葉で傷つき、自分自身は価値が無く、死まで考えてしまう心になった時、宗教者はどのような言葉をかけるでしょうか。考えさせられます。

オンラインの議論で、僧侶の多くの方の視点から「働かざる者は食うべからず」についてお聞かせいただく中で、「善悪」や「損得」「上下関係」などに考えが及ぶ貴重な時間でした。

議論中、私(住職)の中で最初に頭に浮かんだのは、自分の中にある「差別心」でした。
次に、道徳と宗教(仏教)の関係でした。

「働かざる者は食うべからず」は、労働に関する慣用句だそうです。
働こうとしない怠惰な人間は食べることを許されない。食べるためにはまじめに働かなければならないということ。
新約聖書の「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」という一節が「働かざる者食うべからず」という表現で広く知られることとなった。ここで書かれている「働こうとしない者」とは、「働けるのに働こうとしない者」であり、病気や障害、あるいは非自発的失業により「働きたくても働けない人」のことではないとされている
「テサロニケの信徒への手紙二#働かざる者食うべからず」も参照」((https://ja.wikipedia.org/wiki/働かざる者食うべからず 参照 2022年11月16日))

※他の説では、ソビエト共和国の共産主義思想の不労所得者に対する言葉ともあります。

私たちは、当然、「働こうとしない者」とは、「働けるのに働こうとしない者」であり、病気や障害、あるいは非自発的失業により「働きたくても働けない人」のことではない。
ことは理解しています。しかし、その部分を切り取ってしまい短絡的に使ってしまうことも現実にはあります。思いやる心がそこまで気づけない状態であったのかもわかりません。
そして、その言葉が一人歩きしていく中で、傷つく方がいることを忘れてしまっている自身の至らないことを知らしめていただいているように感じます。

この言葉が、自身の「差別心」として考えたのは、どうしてか。
頭で理解していることでも、現実に向き合った時、本当に体感していたか問われると考えてしまいます。
大学に入った頃、「同和問題」を知りました。その問題を何も知らずにいたこれまでとは違う視点を持つことができました。その時、悲しいけれど、自分の中の「差別心」は「同和問題」以外にもあることが明らかになってきました。知らなければ済むことでなく、知って体感していく中で、私自身の考え方が変わっていくことができることを経験できたことは、とても有難い時間です。

また、「働かざる者は食うべからず」は、労働に関する慣用句ですが道徳的な響きも感じられます。

道徳と宗教はどう違うか 人間は、“道徳さえきちっと守って生きてゆけば、信仰や宗教など必要ではない”と言う人が、かなりたくさんいる。これは間違っている。道徳とは人格を高めようとするところに生まれたものであり、宗教はほんとうの生きる道を教えるものである。ちょっと難しい表現になるが、道徳は、”人生の目的を果すための手段”であり、宗教はそれ自身 “人生の目的”なのである。
((http://www.jtvan.co.jp/howa/Hasegawa/houwa031.html 参照 2022年11月16日))

私が生きていく中で、道徳は必要ですが、道徳を通してだけでは意味が見いだせないものが存在して、私自身を迷わしてしまう考えに、「そうではないよ」と指摘する視点が、宗教(仏教)なんだろうと思っています。私の「ものさし」でなく、仏の「ものさし」を持つことによって、私の「ものさし」が間違っていることが明らかになっていくことは、人生を豊かに過ごすことにつながっているように感じています。

「働かざる者は食うべからず」は、僧侶にとっても考えさせられる言葉です。お釈迦さんのグループは、各地を修行して回っています。そのグループは経済的活動はしませんので、生活上のことは全て生活者(市民)の布施行に委ねられています。生活者から「働かざる者は食うべからず」と見られれば、その時終わっていたはずです。
日本仏教は、世襲が多いので生活者と同じ視点で考えてしまいます。世襲でない場合やお寺を出る場合(還俗)もおそらく生活者視点で考えているのではと想像します。

オンラインの議論の時から考えていることを、私が宗教者(僧侶)として言葉にすると、「全ての命は等しい。自分が生まれてきた時のことを思い起こしてもそうですが、家族や他者に育てられて今を生きています。病で伏している時や年老いて、働きたくても働けないことは、誰にでも常にあることで、その言葉を他者に向けて発する時は、いろんな状況へ想像力を働かせて発言しないと適切で無い思います」と言っても、その言葉で傷ついている人の心に届くでしょうか。

※中川個人の感想です。

 

報恩講の準備③

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報恩講の準備③
真宗寺院として最も大切な行事の報恩講をどのように、お同行(生活者)に伝えるかそれぞれのお寺が工夫した行事を考えられています。
妙華寺の報恩講のお非時(ひじ)は、長年、親友婦人会の皆様が、野菜などを持ち寄り前日から準備して、当日ご聴聞いただく皆様にご奉仕していただいていました。
時代が変わり、婦人会に次の世代の方の加入が少なくなり、およそ8年ほど前からお非時のご奉仕も難しくなりました。その後、おてらおやつクラブで支援させていただいています団体様のお力を借りて、一日限りの子ども食堂も併設して、今に至っています。2年前の新型コロナウィルス感染症の時から、残念ではありますが、お店で購入したお弁当をお渡しする形になり、今年もそのような形でさせていただくことになりました。
お寺で食事を提供するのは、報恩講だけです。
お非時の準備で思い出すことは、たくさんの食材を洗い、形にして、煮込んだりするので昔ながらのかまどのある土間が賑やかになる時間でした。また当日は、多くの方々がお非時を召し上がりになり、その切り盛りをすべて婦人会の皆さんがご奉仕してくださった姿です。終わった次の日に、後片付けにも駆けつけていただきました。本当に頭が下がります。

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先日、ある会議で、食品衛生法が改正されたことを知り、イベントなどで飲食を提供する時に保健所に所定の書類を届け出ることが必要になったと聞きました。
お非時も以前のように、お寺で作るように戻った時、これまでも以上に衛生管理には気をつけていきますが、書類の提出を含めて、更に気をつけていかなければいけないようです。1度保健所に出向いて話をお聞かせいただく時間を取りたいと考えています。

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報恩講の準備②

報恩講の準備②
絵伝
真宗寺院として最も大切な行事の報恩講をどのように、お同行(生活者)に伝えるかそれぞれのお寺が工夫したお勤めを考えられています。

妙華寺では、高田本山のお七夜と同様に、本堂向かって左側の余間に、高田派の親鸞聖人絵伝を4幅掛けで、親鸞聖人のご生涯がわかりやすく伝えるようにしています。

本来は、「絵解き」と称する方が掛軸の描かれた絵を通して、親鸞聖人の生涯や教えを人びとに伝えていました。

親鸞聖人絵伝 4幅 妙華寺蔵
「親鸞伝絵」から図画の部分を抜き出し掛軸にしたものが「絵伝」で、場面は下から上へ順序よく配置され、各場面は「やすり霞」といわれる雲形で仕切っています。一般に4幅で一組です。
妙華寺の「絵伝」は、高田派第18世圓遵上人(1786年~1811年)の署名と花押が第4幅上段にあり、第4幅下段に絵師(御絵所)は藤原佐助とありますので、高田派の親鸞聖人絵伝と見られます。

親鸞聖人の絵伝は、他にも、4幅の絵伝の内容を1幅の掛軸にしたものや、これまでの遠忌法会に特別に描かれたものなどあります。

親鸞聖人(1173-1263)真宗の開祖
藤原一族の日野有範の長男。「伝絵」によれば9歳の時に慈鎮和尚について出家、範宴(はんえん)と名乗る。約20年間比叡山で修学、常行三昧堂にて堂僧をつとめていたとみられる。29歳の時に比叡山を下りて、六角堂に参籠し、聖徳太子の夢告により法然を訪ね阿弥陀仏の本願に帰し、門弟になる。1205年『選択集』を附属され書写し、法然聖人の真影を図画。夢告により綽空から善信にあらためる。法然聖人のもとで学ぶ間に惠信尼と結婚したとみられる。承元の法難(1207)によって法然聖人らと処罰され流罪になり越後の国府に赴く。自らを非僧非俗とし愚禿(ぐとく)と称した。赦免されると妻子と関東へ移住し、茨城県の笠間市稲田を中心に伝道生活を送る。『教行証文類』を著し推敲を重ねる。62歳頃京都へ帰り、御消息によって関東の門弟を教化、交流する。『三帖和讃』をはじめ多くの著述を残した。
関東で法義理解の混乱が生じ、息男慈信房善鸞を遣わしたがかえって異義が生じ、建長8年(1256)に善鸞を義絶した。弘長2年11月28日(新暦で1月16日)弟尋有の坊舎で90年の生涯を終えた。

報恩講の準備

報恩講の準備
真宗寺院として最も大切な行事の報恩講をどのように、お同行(生活者)に伝えるかそれぞれのお寺が工夫したお勤めを考えられています。
妙華寺では、本山の報恩講の初夜に準じたお勤めをしています。

春秋の彼岸会と春秋の千部会は、日中(にっちゅう)のお勤めですが、高田本山の報恩講(お七夜)では、夕方のお勤めの逮夜(たいや)の後、夜に入る時の初夜(しょや)のお勤めがあり、妙華寺では、これが一番、報恩講の意義をお伝えできると考えているからです。

初夜のお勤めは、平素「式文」と呼び習わしている『報恩講私記(報恩講式)』の拝読があります。

『報恩講私記(報恩講式)』は、永仁2年(1294)親鸞聖人の33回忌の時に、覚如が著したものです。親鸞聖人に対する深い謝意が表明されています。

内容は、総礼・三礼・如来唄(にょらいばい)・表白(ひょうびゃく)・回向で、表白は、①真宗興行の徳を讃ず。②本願相応の徳を嘆(たん)ず。③滅後利益の徳を述す。の三段に分かれていて、「一段」を「初段」とも称しています。

一(初)段では、親鸞聖人は、天台の慈鎮(じちん)に就き、「顕密の諸教を学び、修行に専念したが、さとりを得難きことを知って、法然に謁し、出離の要道は浄土の一宗のほかならないことに気づき、聖道の難行を捨てて、浄土 易行の大道に帰し、自信教人信の生涯を送った。真宗は親鸞聖人によって開かれたのであるから、念仏してその恩に報いるべきであると述べている。

二段では、念仏修行の人は多いが、専修専念の人は稀であり、金剛の信心の人は少ない。しかるに親鸞聖人はみずから他力回向の信を得て、易行の要路を人びとに明かした。まことに本願相応の化導、これにすぎるものはないと述べている。

三段では、遺弟(ゆいてい)たるものは、親鸞聖人祖廟に跪き、その真影を仰ぎ、親鸞聖人が著した数々の聖教を拝読して、この教法を弘めていこうとする決意を新たにするが、それが滅後利益の徳であると讃歎している。

妙華寺では、毎年、初段・二段・三段と準じて拝読をしています。今年は、「三段」の拝読年です。