5月のおてらおやつクラブと報告会

2017-05-235月のおてらおやつクラブFullSizeRender

5月のおてらおやつクラブも、一人親家族様、支援団体様におすそ分けさせていただきました。

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5月24日(水)に、奈良市の東大寺でおてらおやつクラブの活動報告会が開催され私(住職)も参加しました。有名な東大寺ですが、私(住職)は、小学校の修学旅行と、自分自身が小学生時代に家族と、そして私(住職)が子どもと共に家族で奈良観光した時に訪れただけです。この日も観光客(修学旅行生と外国人)が多いのと鹿の多さに改めて驚きました。活動報告会の会場は、東大寺ミュージアムに併設されています金鐘(きんしょう)ホールで開催されました。

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4年前の5月24日大阪で母子が餓死されていたのが発見された日です。代表の松島靖朗師はこの事件から「おてらおやつクラブ」の活動を模索されたようです。私(住職)も当時新聞などで事件を知ったのですが、日本の相対的な貧困の現状を知りませんでした。活動報告会は、お勤めから始まりました。「おてらおやつクラブ」の発願の表白文はとても心に響くものでしたし、お勤めも一般の方々にも分かる和訳で述べられ、会場の参加者も一緒にお勤めできるものでした。続いて法話も、法話を初めて聴かれる方にもわかりやすい工夫がされていました。僧侶が主催されます行事でこれほどお勤めが丁寧で心に残るものは私(住職)にとって初めてでした。

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講演は、「もったいない」を「ありがとう」へ  の講題で、食品ロス問題専門家の井出留美氏でした。食品の「いのち」に向き合う中で、「おてらおやつクラブ」の活動に発足まもなくから注目され、ご自身の「食品ロス問題」の活動と「おてらおやつクラブ」の活動が、「いのち」に向き合っていることで活動がこれまで以上期待されていることを話されました。「食品ロス」もこれまであまり気にせずにきた問題です。「食品のいのち」を真剣に考えることの大切さを感じました。
おてらおやつクラブのこれまでの活動の報告を代表の松島靖朗師、事務局の皆様がされて終了しました。これからも多くの寺院の皆様と共に「おてらおやつクラブ」の活動が広まっていくことを念願し、会場を後にしました。
※中川個人の感想です。

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第2回『お寺で体験』のご案内

この度、お寺には日本の伝統文化がたくさん残っています。今、妙華寺に残されたものを通して日本の伝統文化と親鸞聖人のみ教えに触れませんか?として、平成29年4月から7回の『お寺で体験』を予定します。事前申込制(単発も可)でどなたでもご参加いただけます。
予定として【内容は調整中で変更の場合もございます】
月1回(6月・7月・8月9月・11月は休み平成30年3月まで7回予定)
第4日曜日 午前10時から11時30分まで二部制(途中休憩あり)
会費1,000円(当日徴収します) 準備の都合上、事前申込をお願いします。
04月23日 一光三尊佛について                        仏教①
05月28日 お茶(抹茶)の楽しみ・飲み方・点て方      仏教②
10月22日  久居の歴史・妙華寺の歴史         みんなの不安①
12月24日 親鸞聖人絵伝の絵解き 潮音寺住職  村上英俊師
01月28日  お茶(茶室の楽しみ)                     真宗①
02月25日 涅槃図の絵解き 潮音寺住職  村上英俊師
03月25日 花祭りについて・花を愛でる(境内の桜)   真宗②
ご興味がございましたら別紙用紙にてお申し込みください。HPからも申込できます。
                                              法苑院 妙華寺 住職 中川 和則
今回は、お茶(抹茶)について、仏教との関係や、楽しみかた、椅子席での作法を考えたい思います。
3回は、10月22日の予定です。
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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第8回】お念仏はみほとけの呼び声
法然上人の教えは、誰にでもわかるお話でした。
ほとけになる道に二種あります。ひとつは、自分の努力でほとけになる道です。学問をして賢くなり、戒律を守って生活を正し、きびしい修行に耐えて精神統一をはかり、日夜に読経をして善根を積みます。このような精進によって、心を清らかにして、この世でほとけになっていく道です。これは、遠い道のりを徒歩で旅するようなものです。非凡な知識と十分な体力と苦難に耐えていく精神力が必要ですから、至難な道、「難行道」といっています。
もうひとつの道は、「南無阿弥陀仏と仏の御名を称える者は、必ず救います」という阿弥陀仏の誓いを心から信ずる道です。これは、老少善悪の人をえらばず、どんな愚かな者でもすくわれるから、行きやすい道、「易行道」といっています。
そして上人は話をつづけました。
お念仏は、私たちの願いをみ仏に届ける言葉ではなく、「わが名を呼ぶものは必ず救います」というみ仏からのよび声なのです。だから私たちは、このみ仏のよび声を素直に聞けるかどうか、ここが一番大事なところです。
この他力救済の核心を聞かれた親鸞聖人は、今までに経験したことのない大きなよろこびがわき出てきたのでありました。
「智慧光のちからより 本師源空あらわれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたもう」 『浄土高僧和讃 (源空讃第2首)』と、和讃にもあらわされています。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より
先日18日に「お寺の講演会」で、浄土宗光琳寺の井上広法師のお話と合わせて「法然聖人の教えがなかったら今の日本の仏教はどのような姿であるか」考えもしませんでした。

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親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)

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親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
親鸞聖人の出自について覚如上人の『親鸞伝絵』に記されていますが、中世の史料には、聖人がいつどこで生まれたか具体的な記述がありません。
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人は、承安3年(1173)に誕生されたことは、聖人のお手紙・書物に年齢が記されていますので判明しています。誕生の月日は、1月1日・2月上旬・4月1日、10月の諸説があります。これらは江戸時代に編集された聖人の伝記によるものです。その中で高田派の良空(りょうくう)の『高田開山親鸞聖人正統伝』に記された4月1日(太陽暦5月21日)説が有力になり、定着していき、場所については山城の日野の里に伝承があり今に至ります。また聖人の誕生日の行事として法会が勤まるのは明治に入ってからです。降誕会とは普通お釈迦様の誕生をお祝いする行事ですが、真宗では「親鸞聖人は阿弥陀如来の応現(おうげん)」と頂くところから聖人の誕生を降誕会と言いお祝いの行事をしています。
また、お同行の皆様の喜びの1つに親鸞聖人90歳のお年を「祖師寿(そしじゅ)」と言い90歳になられたお同行の皆様の仏縁を共にお喜び申し上げています。
男性は降誕会の5月21日に、女性は6月の最初の日曜日に開催されます高田派婦人連合大会の式典で表彰されます。このことを励みにされていらつしゃる方もたくさんいらっしゃるそうです。今年は昭和3年(1928)生まれの方が該当されます。
毎年、妙華寺のお同行様も表彰されていますが、今年は、男性・女性共に式典に参加されます。御影堂(みえいどう)での式典はとても栄えあることで、祖師(親鸞聖人)と同じお年まで報恩感謝のお念仏を申すことが有難く、これからも一緒に仏縁をお喜びいたしましょう。
(今年の祖師寿の申し込みはすでに終了しています)
祖師寿についてはご本人またはご家族から菩提寺へお申し込みをしていただきます。詳しくは、年末に発行しています「寺報」をご確認ください。

※五天良空(ごてんりょうくう) 四日市川原田の常超院の住職
親鸞聖人の伝記研究に没頭し、専修寺の古い記録をさぐり、
史料調査で聖人の遺跡を訪ね正徳五年『高田開山親鸞聖人
正統伝』を著した。当時は聖人伝の研究の華やかな時で、
大谷派の慧空・本願寺派の玄智などと論戦が行われた。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土和讃 諸経意阿弥陀仏和讃8首
歓喜信心無疑者おば 興諸如来等と説く
大信心は仏性なり 仏性即ち如来なり
 信心を喜び、仏智を疑わぬ人を如来と等しい人であると説く。この大信心は仏になる因子に他ならず、この因子そのものが如来なのである。
※歓喜信心無疑者おば 興諸如来等と説くの二句、他本「信心よろこぶその人を如来とひとしとときたまふ」
※興諸如来等と説く もろもろの如来と等しと読む。華厳経に説かれている。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 最初の二行は「文明本」には「信心よろこぶその人を如来とひとしとときたまふ」とやさしくなります。『大方広仏華厳経』「入法界品」最後の偈頌に「阿弥陀 観世音菩薩」とか、「如来一音をもって説き、各所応に随って解す」とかあって、一番終わりに「此の法を聞きて歓喜し信心疑無き者、速やかに無上道を成じ諸の如来と等し」とあるより出ているのです。「聞其名号信心歓喜」の座をもって華厳経を読んでいるのですから、「この法を聞きて」というのも所応にしたがって本願名号となっているのです。「信心の人は如来に等しい」という根本主張を、そのよるべとして華厳経に求められたのは、此の経が正覚成就の最初説法の威力に輝き、同時に大乗仏教の高峰として涅槃経と並ぶものであるによります。それだから涅槃経によって如来の讃歌が数首続いているところへ、にわかに華厳経のまたたきを見ますのは、大乗の全景を尽くすためです。
歓喜信心は信心をよろこぶことですが、むしろ歓喜はそのまま信心なのです。二つあるのではなく信心の内実が歓喜です。信心を表現するならば無疑と歓喜としてあるといわねばなりませんが、ともに人間性のどこかから生みだされるものではありません。自力は疑心としてしかありようがなく、煩悩もまた堪能するほどのよろこびを与えますから、その混同をよく警戒して信心の歓喜には白紙で向かわねばなりません。人の生きる条件が不本意にゆがめられようとも、信心のよろこびはそれによってたじろぐものではないのです。
第三行には、「われらが弥陀の本願他力を信じたるを大信心という。無上菩提に至るを大信というなり」との左訓を見ます。菩提心のかけらもないわれらには、たすかる力は自分自身にありませんから、救いは他力として彼方から来ます。如来の本願だけが他力のはたらきをもちます。信心が成就したことが、本願他力なのです。さきの第六首のときに掲げた『涅槃経』文のままにこのようにうたわれるのですが、この第八首の主題は信心が如来だというのですが、これは同時に救うものは弥陀、救われるものは衆生、この二者には絶対の隔絶のあることを離れてはいけないのです。しかもこの救いも大乗の軌道の上を走ります。如来の心がはじめてわれにとどいたよろこびは、そこにうたがいのはいる余地はなく、この信心はもろもろの如来と等しいのだと説かれます。無碍広大の信心は、悉有仏性の仏性そのものであり、その仏性はそのまま如来であって、すべての存在を真実であらしめようとするはたらきなのです。『涅槃経』には「真実は如来、如来は真実、真実は仏性、仏性は真実」と縦横に説かれて、今の和讃にも力を与えます。
以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】
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親友婦人会総会とお寺の講演会

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親友婦人会総会 報告
今年も少し汗ばむような一日となりました。
今年は、13時30分より妙華寺会館で総会を行いました。その後、サプライズ企画として、会員様で大正琴を楽しんでいらっしゃいます方に演奏をしていただきました。
その後、婦人会会員でこの1年間でご往生されました、服部君子様、、栗田静子様の追弔会でお勤めをしました。
午後3時より本堂にて、「お寺の講演会」として、宇都宮市の浄土宗光琳寺の井上広法師に、16日には東京でまた19日は名古屋でご講演があるご多用の中また遠方よりお越し頂きましてご講演をいただきました。
前日にお越し頂きましたので、高田派のお茶をたしなんでいらっしゃる方と懇親しました。
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当日の午前中は、高田本山専修寺に伺い、未来の住職塾の卒業生で潮音寺の村上英俊師に高田本山をご案内していただきました。所属僧侶である私(住職)も気づいていない本山のこともお教えいただいたり、井上さんからは知恩院のことをお聞きできたりと時間があっという間に過ぎていきました。
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そして、講演会が始まりました。法然聖人は親鸞聖人のご師匠ですので、真宗では親鸞聖人が法然聖人に出遭われてからのことを聴くことは多いのですが、私(住職)は、法然聖人が山(比叡山)を降りられこれまでのお念仏から万人が救われるお念仏への立教開宗のお話しはこれまで余り聴くことがなく改めて浄土宗を開かれたお心を聴くことができて良かったです。また、これまでの時代の僧侶が地域でどのように慕われていた存在であったか、そして今の時代の僧侶がどのような存在であるかとても大きな問題を投げかけられたようなことも感じました。
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 先の早い話ですが平成30年の親友婦人会総会5月18日(金)は、親友婦人会の総会の後、真宗仏光寺派の本山仏光寺の北側に位置する大行寺の英月(えいげつ)さんにご講演をしていただきます。英月さんは、テレビやマスコミにも登場され、全国のお寺でご法話やご講演、カルチャーセンターでの講座も開かれご多用ではありますが、妙華寺の衆徒(しゅと)のご縁で来年お越しいただくことになりました。
来年も、「お寺の講演会」としてどなたにもお聴きいただく予定です。
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 また、親友婦人会も高齢化と若い方のご加入が少なく、婦人会活動の今後について改めて考えることが必要かと思われます。これからの婦人会の奉仕活動と会員相互の親睦などについてご意見を募集しながらできることを考えて行きたいと思います。

5月18日の講演会のご案内

5月18日の講演会のご案内
親友婦人会総会の5月18日に、婦人会総会の後、井上広法師をお迎えして「お寺の講演会」を開催させていただくことになりました。ご講師の井上広法師は、TVの「ぶっちゃけ寺」に出演されていました浄土宗 光琳寺の副住職様です。他にも東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げられたり、心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考に「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催して、様々なテレビやラジオなどのメディアにも多数出演中されています。そのような著名な井上広法師が、未来の住職塾の卒業生とのご縁で妙華寺でご講演をいただくことになりました。
どなたでもご聴講できますので5月18日15時に妙華寺本堂にお集まりください。
妙華寺の駐車場も限られていますので、公共交通機関のご利用をお願いします。
「お寺の講演会」の開催時間15時までは、妙華寺の親友婦人会の追弔会を本堂にてお勤めしています。
ご講演にお越しの皆様には、勝手を申しますが親友婦人会の追弔会が終了後、本堂へお上がりください。
15時からの講演には申込は不要です。
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生活の中の仏教のことば

声明(しょうみょう)
仏教儀式の際に、ほとけの徳を讃えて僧侶が、節をつけて唱えるものを「声明(しょうみょう」)といいます。一般には「せいめい」と読みます。自分の立場や考えを公にすることです。同じ熟語ですが、違った意味で使われています。

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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第7回】法然上人との出会いの意義
人生は出遇いです。いつ、どこで、どんなことで、誰に出遇うか。そのことがお互いの生涯を決めていきます。
親鸞聖人は、20年という長い比叡山での修行に行き詰まって、その解決を聖徳太子のご示現に仰ごうと、京都にある太子建立の六角堂に百日の参籠をされたのでした。
そして、太子の夢告に導かれて、東山吉水の草庵に法然上人を訪ねられました。草庵には、上人の教えを聞こうと毎日庶民が群参していました。聖人もその一人となって百日間も聴聞され、ようやく自分の救われる教えを思い出されたのでした。
聖人は、この出遇いを『教行証文類(総序)』に
「遇い難くして、遇うことができました。聞き難くして、真宗の教えを聞くことができました」と感佩されています。
また『浄土高僧和讃(源空讃第4首)』には「本師源空いまさずば このたびむなしくすぎなまし」
もし法然(源空)上人との出遇いがなかったら、せっかくこの世に人間として生まれてきても、救われることなく無駄な人生で終わってしまうところでした。と述懐しておられます。
聖人をして、ここまで表現された師法然上人との出遇の意義を私たちは、どう理解したらよいのでしょうか。それは、我が国(片州濁世)に、阿弥陀如来の他力念仏の教え =真宗= がついに開顕したからなのです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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寺報に見る住職の10年の歩み 平成25年

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寺報に見る住職の10年の歩み 平成25年
【寺報32号平成25年12月発行】
『柔らかい顔
 お彼岸・お盆になると大阪の千里より、今年で98歳なられた方が、お一人でバス・電車を乗り継いで、お墓参りに見える。お寺の近くの方で毎日お墓参りに見える何人の方もいらっしゃる。遠方の為、お墓参りができず、佛様にお供えをお送りいただく方もいる。境内の清掃を知らないうちにしていただく方もいらっしゃる。それぞれの思いで、お墓にお参りされ、本堂に手を合わされいる姿を拝見しながら、そこには、優しいと言うより、柔らかいお顔があります。
 以前読んだ本で、自分の怒った顔のことの話がありました。他人の怒った顔は見ることがあっても、自分の怒った顔を見たことがある人はいるのでしょうか。もし自分が怒っている時、鏡を向けると怒っていた顔が普段の顔に戻るそうです。実際自分が怒っている時は、鏡を向けるなどという冷静な判断はできませんが、自分が見たことのある他人の怒った顔と同じなのでしょう。
 怒りながら食事をした。怒りながら仕事をしたと聞くことはありますが、佛様に手を合わせる時、お墓参りをしている時は、誰も怒った顔でされたとは聞いたことがありませんし、見たこともありません。また、赤ちゃんを見るときも柔らかい顔になります。 自分が生まれてきたときの記憶はありませんが、生まれた時は何一つできない自分でした。お腹がへっても、お尻が汚れても泣くことしかできない私を、「ごめんね。お腹がへつていたのね」「ごめんね。お尻が汚れていたのね」と叱るのでなく、謝りながらお世話をしていただく方がいたのに、今では一人で大きくなったような顔をしている自分がいます。そして誰かを怒ってしまう自分がいます。
 お寺にお参りに見える柔らかいお顔を拝見しながら、改めて気づかせていただいています。』
今年(平成29年)から4年前のことですが、お寺の行事にご遠方にいらっしゃる、大変ご高齢のお同行の方がお一人で妙華寺までお越しいただいていました。「押し車を押しながらで、乗り継ぎなど大変でしょう」とお聞きしましたら、「皆さんが親切にしてくださってここまで来ることができます」とおっしゃっいます。片道3時間をかけてお寺に足を運んでくださるお姿に感謝するだけであります。現在は一人住まいも難しくなり、嫁がれた娘様のお近くの施設に入居して元気にしているとお知らせくださいます。
 またこの年(平成25年)の5月14日(前住職の祥月命日)に平松令三先生がご往生されました。私(住職)はお内仏で前住職の祥月命日のお勤めをしていました時に連絡をいただきお昼過ぎにお悔やみに行きました。高田本山で月一度の「古文書を読む会」に参加させていただきご指導をしていただいていました。史学や真宗学を学んでいない私をお誘いいただいたので私自身は、なかなか学びについていくことができませんてしたが、続けさせていただけたのは平松先生がその場で多くの学びをお聞かせいただくことが楽しく、次回も参加をしたいと思う学びの場でした。(参加するだけで私には多くの事が身に入らなかったのですが、私にとってとても贅沢な時間でした)
 この年に、「未来の住職塾」 という超宗派の勉強会に参加しました。これまで宗派を超えて多くの僧侶の方々と一緒に学ぶという経験がなかったのですが、参加者はこれからのお寺を担う若い方々が中心で私(住職)のような年齢の方は少なく、また1回の講座が7時間ほどの講義とワークは久しぶりのことでした。これからのお寺を真剣に考えている若い僧侶達に刺激をいただいたのが一番の収穫でした。またこのご縁で今に至る妙華寺の寺院活動にも変化がでてきたことは確かなことと思います。今年も六期生が学びを始めています。
毎年5月は、親友婦人会の総会があります。婦人会の幹部様にはお手数をおかけしますが何日も前から準備をしていただいています。親友婦人会も会員の高齢化と新しい会員の加入減で組織としての活動もこれまでどおり行うことが困難になってきている現状ですが、会員の皆様の英知で婦人会活動を継続していただきたいと念願しています。
★今月(5月)18日の婦人会総会後の「お寺の講演会」でお招きすることができました井上広法師も、未来の住職塾を受講してのご縁です。
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 1月下旬から、本堂の空調並びに境内墓地の通路整備を行っています。お同行の皆様には、大変心苦しいことですが、年末までに御志としてご寄付をお願いすることになりました。よろしくお願い申し上げます。また、工事中お墓参りでご迷惑をおかけする場合がございます。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日に掲載いたします。