四季の花

06-10-10住職拝命式

9年前の今日、住職拝命をいたしました。最初の総代会でこれからの妙華寺(お寺)について思いをお話ししました。

その一つに、「お寺の境内の一画に、公園のようにどなたがいても安らぐような場所をつくりたい」と、

資金のこともありますので実現には至っていませんが、境内の四季の花を見ていると、心が癒やされます。

和讃

 

 

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先日、聖人が、当時の今様である「和讃」を作られたことの思いについてお聞かせ頂きました。

高田の勤行の際に用いる和讃は、「浄土和讃」と「浄土高僧和讃」は、聖人自筆の部分を含む真仏上人の書写本と

「正像末法和讃」は、顕智書写本を用いています。

「浄土和讃」の最初の和讃は、讃阿弥陀仏偈和讃とあります。

「弥陀成仏のこのかたは

いまに十劫をへたまへり

法身の光輪きわもなく

世の盲冥をてらすなり」

阿弥陀仏が本来の自己たる仏御自身におなりになってから、十劫という永いあいだ、休むことなく今日に至っております。

みのりを感じ、みのりによって動かされ、みのりをみずからの身とする仏の御身の、その全体が光で有り

光ははかりなく転輪し、それが限りなく輪をひろげ、娑婆世界の無明の闇を照らしたもうものであります。

まなこくらむものに、それをあわれみ知らしめようとの慈悲の光であります。

『浄土和讃講話』 川瀬 和敬著 法蔵館

10月の日曜学校

阿弥陀如来坐像

妙華寺第二代 融海(ゆうかい)上人が、青巌寺(せいがんじ)から入寺した時に恵心僧都作の阿弥陀如来坐像を持参されました。

先々代、先代の話では、本堂の須弥壇に秘仏として安置してあったようです。妙華寺会館ができた時に会館に安置されていました。

今年5月に本堂西の資料室にご遷坐しました。

青巌寺は、大和地方から伊勢神宮への街道筋にある古くからあるお寺で、万葉集にも波多(はた)の横山(よこやまが、後に、こやま、そして、おやまと呼ばれることになる)が歌われています。

日曜学校の案内

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日曜学校
私が日曜学校を開校するようになったのは、平成3年4月からお正月を除く毎月第一日曜日の朝7時30分から8時頃までのおよそ30分です。
先々代(祖父)が大正15年に書かれた『私が経営する日曜学校の立場』と言う一文を読みますと、子供たちに家庭でもお寺でも宗教心を育もうという熱い情熱と当時の「精神文明」と言う言葉に出会いました。先々代は昭和25年まで日曜学校を開校していたようで、年配の方々から日曜学校のことを今でもお聞きすることがあります。私の母に聞くと、毎週日曜日の午前中、本堂のオルガンの音と併せて子供たちの大きな声が境内に響き合っていたようです。
先々代の時代に日曜学校に参加されていました(当時の)婦人会会長から孫にもお寺で日曜学校の経験をということで改めて開校することになりました。小学生の子供さん4名とその祖母にあたる年代の方々4名ほどから始まりました。3年後から小学生の子供さんは、塾やクラブで忙しくなり年配の方が主となり7~8名ほどで、日常のお勤め(朝のお勤め・夕のお勤め)とお寺にまつわることや、親鸞聖人のご生涯、「重誓偈」の味わいなどその時のテーマでお話をさせていただいています。2年前から参加者に念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるように用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

 

おてらおやつクラブ

 

 

超宗派の彼岸寺で「おてらおやつクラブ」の社会活動が行われています。

今年の2月から賛同寺院として月一度、お寺に「お供え」いただきましたものを、「おさがり」として「おすそわけ」させていただいています。

賞味期限の短い果物などはお送りする日程の都合がありますので難しいですが、お礼状をいただくと、こちらも笑顔をいただくことになります。

今月は24日にお送りいたしました。

 

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秋彼岸会の報告

 

 

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23日秋彼岸会をお勤めいたしました。ご参詣ありがとうございました。布教使は、福専寺の上田隆順師です。

妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。

ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。