四季の花

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

四季の花 11月になり暦の上では冬ですが、秋本番と感じています。毎年菊作りを楽しみにされていますお同行様から本堂の前に手塩にかけてお育ていただきました菊の鉢を運んでいただき、ご参詣の皆様の目を楽しまさせていただいています。本当に有難く思います。境内の樹木にも少しずつ色がつき始めています。毎年、銀杏の葉の色づきは11月下旬頃です。

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

 

 

寺報に見る住職の10年の歩み 平成19年

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

寺報に見る住職の10年の歩み 平成19年
【寺報26号平成19年12月発行】
『遠忌について 平成19年は、法苑院妙華寺の開基(初代)自信上人の300回忌の年でした。藤堂高道が久居に町をつくり延宝8年(1680)に当地に高田派の寺院の敷地が与えられ越後中川の西光寺より自信上人を招き、翌天和元年(1681)草庵を結び、この地で教化をはじめ、本堂の建立(文政4年の久居大火で焼失)、弁天堂建立、弁天池造立など尽力をつくされ、今の妙華寺の基礎を築き上げられました。50年前の昭和32年には、盛大に250回忌を執り行いましたが、今回は寺で300回忌を執り行いました。平成24年には宗祖親鸞聖人の750回遠忌の年です。もう一度聖人の教えが私たちへどのように届いてきたか振り返る機会だと思います』
 初めて住職として寺報を発行しました。これまでB5サイズでしたがA4サイズに変更しました。前住職までは、手書きで印刷屋さんへ原稿を渡して校正をしていました。今年(平成19年)の寺報からワープロで文章を作成して印刷屋さんへ渡すことになりました。写真もデジカメのデータとして渡して白黒ですが寺報に写真も掲載することになりました。この年お寺の開基の自信上人の300回遠忌でしたが準備が間に合わず、大変申し訳なく、住職と前住職でお勤めをしました。50年前の250回遠忌は、自信上人のご出身の越後(福井県)の西光寺の当時のご住職様もお招きして稚児行列も出る盛大な行事の記念写真を後ほどお同行様から拝見させていただきました。この準備不足を反省して、妙華寺の親鸞聖人の750回遠忌は、平成23年に予定してしっかり取り組みたいとの思いを綴った文章です。
11月は、これまでの住職は来年(この時は平成20年)の繰り出し(年回表)を筆で巻紙に書き始めるのですが、字が大変汚い私(住職)にはそのことが苦痛でワープロを使い繰り出しを作成しました。ワープロの字が小さいとお同行の方から指摘され次の年から少し大きな字体に変更しました。12月の報恩講の式文の稽古や報恩講の案内とその準備、特に境内の銀杏の葉が11月末頃から落ちだす時は暗くなっても境内の掃除をしています。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日頃に掲載いたします。

東京のお同行様

page001

 

東京のお同行様
毎年春秋のお彼岸の頃、先代ご夫婦の時から東京から妙華寺にお参りにこられますお同行様がいらっしゃいます。ご葬儀の時に東京へ伺うばかりでしたが、私(住職)の東京へ行く時間にご都合を合わせていただきお会いすることができました。今も下町の活気のある商店街にあるお父様の郵便局を初めて訪れることができました。たまたま前日NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の番組に紹介されました界隈でしたので、TVで見たお店なども実際見ることになりました。その後、私(住職)は初めてスカイツリーを間近に見る場所に案内していただきました。お同行様のおじいさまのご葬儀の時の8ミリの動画や戦後まもなくの東京の下町のお話しなど知らないことばかりでしたがとても思い出になる時間をお同行様と共に過ごすことができたことありがたがったです。
今回の東京行きは、お昼に井上広法師にお会いして来年のご講演の打ち合わせでした。ご多用の中でしたがスケジュールを確認できました。井上様か゛、僧侶の皆様と親睦の時間も取りたいとお申し出いただきましたのでお楽しみに。

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

 

 

公開講座 「高田派教学の歴史」

高田短期大学の仏教教育研究センター主催の年2回あります公開講座の今年度最後の講座は、高田派の若き研究者の栗原直子先生の講座で「高田派教学の歴史」のお話しでした。「教学」と聞くと、真宗では親鸞聖人までの七祖と親鸞聖人のみ教えと考えてしまうのですが、親鸞聖人滅後のそれぞれの門徒グループ(教団)内で、大切にされてきたことも「教学」であることに改めて気づかせていただきました。高田派は、下野(栃木県)の高田を中心に親鸞聖人の面授の門弟であった真仏上人・顕智上人から始まる教団であり、親鸞聖人との交流の中で、親鸞聖人のご著書が多く残されています。真宗10派といわれますように、それぞれの教団の中で親鸞聖人のみ教えが大切に伝わり今につながっていることで、「教学」が教団の特徴として現れているように思います。高田派は「念仏高田」と言われていますが、高田派の中でこれまでの先達が「行をはなれたる信もなく 信をはなれたる行もなし」を大切に伝えてきたことが、「念仏高田」と言われるようになったのかと推測されていました。また江戸時代の宗学では、戒律についての研究も盛んであったようなことも聞き、そのことについてのお話しもお聴きしたいと思いました。
※中川個人の感想です。

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

11月の日曜学校

【四諦】(したい)とは、「苦」の原因を探り、さとりを手に入れるための真理です。
「諦」とは、真理のこと。人間には、四苦八苦と呼ばれるさまざまな苦しみがあります。それらの「苦」から自由になるための道筋を、ブッダは4つに分けて説明します。
①苦諦 「一切は苦である」という真理。人間は四苦(生老病死)など、逃れることのできない苦を背負っています。人生とは思い通りにならないもので、これを理解することが仏教の大前提となります。
②集諦(じったい) 「苦の原因は煩悩(ぼんのう)にある」という真理。そもそも「私」や「私のもの」には実体がないにも関わらず、人はそれらにこだわり、執着します。そのため、煩悩が生じて、「苦」が生まれるのです。
③滅諦(めったい)「煩悩を滅すれば安らぎが得られる」という真理。「『苦』の原因は煩悩である」ということは、すなわち、「煩悩を乗り越えれば『苦』から自由になることができる」ということであります。
④道諦(どうたい) 「苦を滅する方法がある」という真理。正しい修行をすれば「苦」の輪廻(りんね)から解き放たれ、解脱(げだつ)の状態に至ることができます。その実践法を語るのが、「八正道」です。
【「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より】
※諦(たい)は梵語サティアの意訳で真実、真理の意。釈尊の最初の説法の内容とされ、仏教の根本教理に数えられる。苦諦と集諦は迷いの世界の結果と原因、滅諦と道諦は悟りの世界の結果と原因を示したものである。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

報恩講の思い出募集します

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

 お寺の所属する組の報恩講も10月の終わりから始まりました。
報恩講をお迎えするのに私(住職)が、結婚してから30代前半の頃は、9月のお彼岸が終わると、『式文』の拝読や作法を先生の所に伺い稽古が始まりました。現在は11月に入ると今年拝読する「段」を自分で稽古しています。組の報恩講に出仕しながら改めて作法などを確認しています。自坊の報恩講に向かって準備することは毎年同じでありますが1つずつ昨年がどうであったか思い出しながらの作業です。仏具のおみがきも、以前はお世話方様や婦人会幹部の皆様にご奉仕していただいていましたが、皆様がご高齢になられご無理をおかけすることも心苦しくお寺のほうで工夫しています。それでも年に一度の報恩講はとても楽しみであります。
妙華寺の報恩講は、今年から12月第1日曜日(4日)に変更になりました。1月の高田本山のお七夜さんも楽しみにしています。
 お同行の皆様の「報恩講」の思い出や思いを募集いたします。匿名でも記名でも結構です。文字数の制限もありません皆様の「報恩講」の思い出や思いをお書きいただき本堂の応募箱へご投函いただきましたら、12月から1月の2ヶ月間本堂の掲示板へ掲載させていただきます。このHPのメールからでもOKです。
 また後日HPへも掲載を予定します。
【下記写真は、平成23年の親鸞聖人750回御遠忌の時のお同行の皆様のメッセージ】
Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

11月の日曜学校は6日です

11月の日曜学校は6日です。 朝7時30分から8時頃までです。
やっと秋らしさを感じるのですが暦では立冬になります。
心豊かな時間として日曜学校にご参加しませんか。いつからでもご参加できます。
ご家庭での平素の朝時のお勤めを一緒にお勤めいたします。輪(りん)の打ち方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

日曜学校念珠IMG_1154

 

 

善導大師

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する) と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
⑤善導は、『観経』の解釈の誤りを正して是非を定めることで、(1)九品はすべて凡夫 であり聖者ではないとして、『観経』が凡夫の救済を説いた教典と強調したこと。(2)  阿弥陀佛の浄土は凡夫も聖者も一緒に住んでいる次元の低い世界ではなく、すぐれた 報土(ほうど)あり、下品(げぼん)の凡夫がそこに往生できるというのは佛願力に よるものである。(3)下品の人が十声の念仏で往生できるというのは釈尊の方便にす ぎず、「やがていつの日にか遠い将来に」の意味である。(別時意)という説を、「南 無阿弥陀仏」の名号には往生のための願もそなわっているので、この名号をとなえる 称名念仏でただちに往生できるのだと説き示した。
また、道綽のときまで曖昧であった念仏を限定してて、読誦(どくじゅ)・観察・礼拝 ・称名・讃嘆供養を教えているが、このうち第四の称名を「正定業」とし、前三後一 の 読誦等の四行を「助業」とすることに明らかである。さらに『観経』の至誠心・深 心・廻向発願心という三心を解釈して、後世に重大な影響をおよぼしたが、特に深心 の解釈中に明かされた「二種深信釈」は有名である。深心は信心(信楽)に他ならな いので、信心の内容をこれで示した。親鸞聖人がこれをそのまま受けついでいること は言うまでもない。善導は、浄土教の教えを大成し、中国浄土教にとどまらず、日本 の浄土教にも大きな影響を与えた。
『親鸞読み解き事典』から

ひとくち法話

善導大師(ぜんどうだいし)
善導大師は、613年(隋の時代)に生まれ、681年、69歳で往生されました。当時、中国では『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』の研究が盛んでした。大師は、29歳のとき、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)を玄忠寺(げんちゅうじ)に訪ねて浄土の教えを学び、その中でも特に『観経(かんぎょう)』を深く学ばれました。
『観経』は、精神を集中して(定善 じょうぜん)仏を観ることや、人さまに親切(散善 さんぜん)する功徳などが説かれていることから、人々に広く親しまれた経典で、大師以前までは、聖者のための経典という理解が主流でした。
しかし大師は、道綽禅師の導きで『観経』の真意は、自力(じりき)で悟りを開くことのできる聖者のためのものではなく、自分の努力では、仏になる縁のない罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)がお目当ての教えであることを見抜かれたのです。
従って著書の『観経疏』では、『観経』の今までの誤った解釈を正すものが主となっています。そして、阿弥陀如来の願力によって、罪さわりの多い迷いの生活をしている凡夫(私たち)が、浄土に往生できることを、いろいろな角度から明らかにされました。
親鸞聖人はその功績を「善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)」
善導ひとり 仏の正意を明らかにせり と讃(たた)えられました。
大師は「真実の仏とは迷える人を救わずしてどうして仏といえようか、十方の衆生を往生させなければ仏にならないと誓って、大慈悲(だいじひ)(めぐみ)を完成された仏が阿弥陀仏です。この仏こそ真実の仏である。」と明言されたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より善導大師(ぜんどうだいし)
善導大師は、613年(隋の時代)に生まれ、681年、69歳で往生されました。当時、中国では『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』の研究が盛んでした。大師は、29歳のとき、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)を玄忠寺(げんちゅうじ)に訪ねて浄土の教えを学び、その中でも特に『観経(かんぎょう)』を深く学ばれました。
『観経』は、精神を集中して(定善 じょうぜん)仏を観ることや、人さまに親切(散善 さんぜん)する功徳などが説かれていることから、人々に広く親しまれた経典で、大師以前までは、聖者のための経典という理解が主流でした。
しかし大師は、道綽禅師の導きで『観経』の真意は、自力(じりき)で悟りを開くことのできる聖者のためのものではなく、自分の努力では、仏になる縁のない罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)がお目当ての教えであることを見抜かれたのです。
従って著書の『観経疏』では、『観経』の今までの誤った解釈を正すものが主となっています。そして、阿弥陀如来の願力によって、罪さわりの多い迷いの生活をしている凡夫(私たち)が、浄土に往生できることを、いろいろな角度から明らかにされました。
親鸞聖人はその功績を「善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)」
善導ひとり 仏の正意を明らかにせり と讃(たた)えられました。
大師は「真実の仏とは迷える人を救わずしてどうして仏といえようか、十方の衆生を往生させなければ仏にならないと誓って、大慈悲(だいじひ)(めぐみ)を完成された仏が阿弥陀仏です。この仏こそ真実の仏である。」と明言されたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

Processed with MOLDIV

Processed with MOLDIV

 

生活の中の仏教のことば

我慢(がまん)
じっとこらえて、辛抱(しんぼう)することを「我慢強い(がまんづよい)」などといって、人間の修養(しゅうよう)には大切な心構えのようにいわれています。
しかし、もとは仏教語で「自慢」の意味で使われています。自分の才能をたのんで、他人に押しつけたり、我執(がしゅう)によって自分をおごることです。
この心は、ほとけの教えに逆らうので「念仏を信ずることかたし」といましめられています。

%e8%8a%b1%e3%80%80%e3%83%84%e3%83%af%e3%83%96%e3%82%adimg_3038