四季の花 11月になり暦の上では冬ですが、秋本番と感じています。毎年菊作りを楽しみにされていますお同行様から本堂の前に手塩にかけてお育ていただきました菊の鉢を運んでいただき、ご参詣の皆様の目を楽しまさせていただいています。本当に有難く思います。境内の樹木にも少しずつ色がつき始めています。毎年、銀杏の葉の色づきは11月下旬頃です。
四季の花 11月になり暦の上では冬ですが、秋本番と感じています。毎年菊作りを楽しみにされていますお同行様から本堂の前に手塩にかけてお育ていただきました菊の鉢を運んでいただき、ご参詣の皆様の目を楽しまさせていただいています。本当に有難く思います。境内の樹木にも少しずつ色がつき始めています。毎年、銀杏の葉の色づきは11月下旬頃です。
東京のお同行様
毎年春秋のお彼岸の頃、先代ご夫婦の時から東京から妙華寺にお参りにこられますお同行様がいらっしゃいます。ご葬儀の時に東京へ伺うばかりでしたが、私(住職)の東京へ行く時間にご都合を合わせていただきお会いすることができました。今も下町の活気のある商店街にあるお父様の郵便局を初めて訪れることができました。たまたま前日NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の番組に紹介されました界隈でしたので、TVで見たお店なども実際見ることになりました。その後、私(住職)は初めてスカイツリーを間近に見る場所に案内していただきました。お同行様のおじいさまのご葬儀の時の8ミリの動画や戦後まもなくの東京の下町のお話しなど知らないことばかりでしたがとても思い出になる時間をお同行様と共に過ごすことができたことありがたがったです。
今回の東京行きは、お昼に井上広法師にお会いして来年のご講演の打ち合わせでした。ご多用の中でしたがスケジュールを確認できました。井上様か゛、僧侶の皆様と親睦の時間も取りたいとお申し出いただきましたのでお楽しみに。
高田短期大学の仏教教育研究センター主催の年2回あります公開講座の今年度最後の講座は、高田派の若き研究者の栗原直子先生の講座で「高田派教学の歴史」のお話しでした。「教学」と聞くと、真宗では親鸞聖人までの七祖と親鸞聖人のみ教えと考えてしまうのですが、親鸞聖人滅後のそれぞれの門徒グループ(教団)内で、大切にされてきたことも「教学」であることに改めて気づかせていただきました。高田派は、下野(栃木県)の高田を中心に親鸞聖人の面授の門弟であった真仏上人・顕智上人から始まる教団であり、親鸞聖人との交流の中で、親鸞聖人のご著書が多く残されています。真宗10派といわれますように、それぞれの教団の中で親鸞聖人のみ教えが大切に伝わり今につながっていることで、「教学」が教団の特徴として現れているように思います。高田派は「念仏高田」と言われていますが、高田派の中でこれまでの先達が「行をはなれたる信もなく 信をはなれたる行もなし」を大切に伝えてきたことが、「念仏高田」と言われるようになったのかと推測されていました。また江戸時代の宗学では、戒律についての研究も盛んであったようなことも聞き、そのことについてのお話しもお聴きしたいと思いました。
※中川個人の感想です。
善導大師(ぜんどうだいし)
善導大師は、613年(隋の時代)に生まれ、681年、69歳で往生されました。当時、中国では『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』の研究が盛んでした。大師は、29歳のとき、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)を玄忠寺(げんちゅうじ)に訪ねて浄土の教えを学び、その中でも特に『観経(かんぎょう)』を深く学ばれました。
『観経』は、精神を集中して(定善 じょうぜん)仏を観ることや、人さまに親切(散善 さんぜん)する功徳などが説かれていることから、人々に広く親しまれた経典で、大師以前までは、聖者のための経典という理解が主流でした。
しかし大師は、道綽禅師の導きで『観経』の真意は、自力(じりき)で悟りを開くことのできる聖者のためのものではなく、自分の努力では、仏になる縁のない罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)がお目当ての教えであることを見抜かれたのです。
従って著書の『観経疏』では、『観経』の今までの誤った解釈を正すものが主となっています。そして、阿弥陀如来の願力によって、罪さわりの多い迷いの生活をしている凡夫(私たち)が、浄土に往生できることを、いろいろな角度から明らかにされました。
親鸞聖人はその功績を「善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)」
善導ひとり 仏の正意を明らかにせり と讃(たた)えられました。
大師は「真実の仏とは迷える人を救わずしてどうして仏といえようか、十方の衆生を往生させなければ仏にならないと誓って、大慈悲(だいじひ)(めぐみ)を完成された仏が阿弥陀仏です。この仏こそ真実の仏である。」と明言されたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より善導大師(ぜんどうだいし)
善導大師は、613年(隋の時代)に生まれ、681年、69歳で往生されました。当時、中国では『仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)』の研究が盛んでした。大師は、29歳のとき、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)を玄忠寺(げんちゅうじ)に訪ねて浄土の教えを学び、その中でも特に『観経(かんぎょう)』を深く学ばれました。
『観経』は、精神を集中して(定善 じょうぜん)仏を観ることや、人さまに親切(散善 さんぜん)する功徳などが説かれていることから、人々に広く親しまれた経典で、大師以前までは、聖者のための経典という理解が主流でした。
しかし大師は、道綽禅師の導きで『観経』の真意は、自力(じりき)で悟りを開くことのできる聖者のためのものではなく、自分の努力では、仏になる縁のない罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫(ぼんぶ)がお目当ての教えであることを見抜かれたのです。
従って著書の『観経疏』では、『観経』の今までの誤った解釈を正すものが主となっています。そして、阿弥陀如来の願力によって、罪さわりの多い迷いの生活をしている凡夫(私たち)が、浄土に往生できることを、いろいろな角度から明らかにされました。
親鸞聖人はその功績を「善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)」
善導ひとり 仏の正意を明らかにせり と讃(たた)えられました。
大師は「真実の仏とは迷える人を救わずしてどうして仏といえようか、十方の衆生を往生させなければ仏にならないと誓って、大慈悲(だいじひ)(めぐみ)を完成された仏が阿弥陀仏です。この仏こそ真実の仏である。」と明言されたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より