修正会(しゅしょうえ)は午前5時30分からお勤めします

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修正会(しゅしょうえ)
お正月に修する法会で修正会と言います。
年のはじめに心を新たにして佛前に座し合掌礼拝し、お念仏を申し上げます。
法苑院妙華寺では、元旦午前5時30分からお勤めをしています。
ご高齢の方が、以前は家族で、氏神さんの野辺野神社に初詣でをして、菩提寺の修正会にお詣りをして、お墓にお詣りし、家に帰り家族で新年の挨拶をされたとお聞かせくださいました。
 お勤めは、『鎮国文』・『重誓偈』・『正信偈』・『現世利益和讃』・『念佛』・『廻向文』で
『繙御書』を拝読いたします。
修正会には、必ず『繙御書』(ひもときのごしょ)を拝読いたします。ひもとくとは、巻物をひもとくという意味です。一年の始めに拝聴する御書のことです。この御書は、本山第18世の圓遵(えんじゅん)上人がお書きになりました。一年の始めにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれて、求道のこころを諭してくださっています。
その要旨は、
【一】生者必滅の道理。寿命は老少不定(ろうしょうふじょう)の世の中だから、新年を迎えて喜んでもいつの間にか夏がきて、秋暮れて、また一年が経ってしまう。一日一日を無駄に過ごさぬよう。
【二】身にしてはならぬこと、口にしてはならぬこと、心で思ってはならぬことがある。因果応報の業道(ごうどう)は、秤(はかり)のように必ず重い方に牽くから身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を常に慎むこと。
【三】煩悩いっぱいのわれらは、他力念仏の法に依らねば浄土往生は不可能です。この道を誓われた阿弥陀仏、この教えを伝承されたお釈迦様と七高僧の広大な恩徳に報謝せよ。
【四】先ずは父母孝養(ぶもきょうよう)の心を第一とし、父母存生(ぞんしょう)の日は孝順(きょうじゅん)を先とし、没後は法事を怠ること無く報恩につとめよ。そして、六親眷属(ろくしんけんぞく)むつまじく、互いに信心をみがきなさい。とあります。
 最近は、キャンドルモーニングと称して、修正会が始まる前にろうそくに火を灯し境内の参道を照らしています。
  参加者に念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるように用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
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四季の花

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四季の花 今年は早咲きの椿が咲かずにいましたが咲いていることに気づきました。ロウバイも小さな花の蕾がつき出しました。水仙は先日の雨と強風で倒れているのが多くて残念です。

 

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タイトルの長いシンポジウム

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 「死にたいにまつわる言いたいようで言えないそんな気持ちのもっていきどころについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが56字あるシンポジウムに参加しました。「テーマは若者」とあり還暦の私(住職)はどうしょうか思いましたが、昨年は聞くことが出来なかったので参加させていただきました。登壇者は、希死念慮者の対人支援の最前線で活動されている方々で、ライターの橘ジュンさん、精神科医の松本敏彦先生、主催者代表の竹本了悟師、進行役として毎日新聞記者として自殺問題に積極的に取り組まれている玉木達也氏の4名が前半それぞれの活動の中での気になることを共用しながらそれぞれが本音で相手に向き合っていることが伝わってきました。
後半では、会場からの質問に登壇者が答えていくのは、ライブ感のある時間で、ツイッターでのつぶやきもスクリーンに表示されて今の若者には当たり前なのかと思わずにはいられなかったです。一人一人の希死念慮の背景は複雑ですので丁寧に1つ1つ見ていくことの大切さ、社会の中で無関心層を少なくしていくことの取り組みなど対人支援の最前線で活動されている方のお話しは私(住職)には一度に全て理解できないほどのボリュームある内容でした。
 ライターの橘ジュンさんは、若い女性の本音(声にならない声)を届けたいことから若い女性と出会ってこられた時に、本人が困っている状況なのに、行政や病院など支援先で本音を出さずむしろ悪ぶって支援を拒否してしまう若い女性達。若い女性が被害に合う前に一時的に避難できる場所が必要とのことや支援を受ける女性が対人支援を行っている男性には心を開くことが出来ない話は実際の活動から見えてくる提案でした。会えば素直に話ができる子と会っても話ができない子などさまざまな女性を少しでも支援先とつなぎたい思いからNPO法人BONDプロジェクトを設立された橘ジュンさんの思いをとても熱く語られました。
精神科医の松本敏彦先生には、依存(症)には、依存してしまう中で自分の存在が確かめることができる場合があるようで、その中に薬物やアルコールなども含まれるし、DVの中の関係性にも見ることができるようです。
自傷行為には、人が信じられないことや、自分に価値がないと言われ続けていたこと、勇気を出して人に頼ったがダメだった経験が、弱い自分を見せても良い場所がなく、死にたいことを、自傷することで自分の中で解決しようとしていること。自傷行為を弱い人間として見るのは間違いで、周りに迷惑をかけたくない思いも含まれていること。
希死念慮者へ「自分を大切に」「命を大切」と言う言葉が届くかと言えばそこには相手に向き合う姿勢が感じられないと難しいこともお聞かせいただきました。
主催者の京都自死・自殺相談センターの竹本了悟師は、面談や電話相談より、メール相談の匿名性によるハードルが下がったことの対応についてや当センターの事業を行っている中で慢性的人的不足に、多くの方がボランティアとして関わっていただきたいこと。僧侶として、どのような死に方にも良し悪しはないことや、ご自身の体験の中で今の時代のあたりまえが当たり前でないことや、私の中にある合理的・効率的とか自分の都合を優先してしまうお話しに考えさせられました。
毎日新聞の記者の玉木達也氏も、マスコミの中の一人として自殺対策へのこれまでの取り組みや今の現状でご自身がされていることを紹介されました。会場には多くの若い参加者がいました。私(住職)にはそれぞれが抱えている本音を若者からみればおじさん、または老人である私(住職)に話してもらえるかと言えば決して話してもらえないと感じます。そこには関係性をどのように作り出していくかが問題となります。希死念慮者の対人支援を学ぶにあたってもグリーフケアを少しだけ学んだ私(住職)の中では、高いハードルがあるように感じています。それでも自分の中で考えていく事の1つとして大切にしたいです。
※中川個人の感想でもっと大切なこともシンポジウムでは話し合われました。

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※僧侶として「自死に向き合う」ことが大切であることは分かっていますが実際「自死に向き合う」ことを考える時間がこれまでにあったでしょうか?
お寺の住職・寺族としてお檀家様・お同行様と寄り添う中で、自死念慮の方や自死のご遺族の方々とお会いすることがございます。その時本当にその方々の思いに寄り添えているか悩んだり考えることはありませんか?
この度、京都自死・自殺相談センター様にお願いしましてSottoの活動の1つとして、出前研修を開催させていただくことになりました。
今回は、僧侶及び寺族の皆様を対象としまして、「自死」のさまざまな場面に対面した時の簡単なワークを取り入れた学びを考えています。
僧侶の皆様の中でも各地で自死念慮者・自死ご遺族の方のサポート活動をされているグループやネットワークに参加され研修されている方々もいらっしゃいると思いますが、もう一度基本を見直してみませんか。もちろん初めての方も歓迎いたします。
会場の都合でご参加いただける方は事前にお申し込みをお願いします。
 日時 平成29年2月10日(金)午後1時30分から午後3時頃
講師 京都自死・自殺相談センターSotto事務局で調整中
会場 妙華寺会館 三重県津市久居二ノ町1743番地 法苑院妙華寺内 
対象 僧侶及び寺族  会場の都合で20名まで
会費 2,000円(領収書をお出しします)当日徴収させていただきます。
申込先 HP(myoke-ji.com)のお問い合わせ(メール)に、 ご参加されます方のお名前・ 宗派・所属寺院名・ ご連絡先を記載されお申し込みください。

ひとくち法話

高田本山の法宝物(たかだほんざんのほうほうもつ)
私たちの「真宗高田派本山 専修寺(せんじゅじ)」には、親鸞聖人にかかわる法宝物がたくさん残されています。
親鸞聖人直筆の『三帖和讃(さんじょうわさん)』や『西方指南抄(さいほうしなんしょう)』等は国宝です。重要文化財としては、著書関連の他に只今大修理を行っている建物の御影(みえい)堂や美術品など計20数点に及びます。この他、三重県や津指定の文化財も史跡も多くあります。
高田本山にはなぜこんなに多くの法宝物があるのでしょうか。
高田派は、聖人が関東の高田に本寺専修寺を建立されたことがはじまりで、直弟子の真仏上人や顕智上人が「真宗の法義」を正しく相続されて関東最大の教団となりました。したがって、その当時の法宝物が当然のことながら高田派にこのように多く残されているのです。
そして第10世真慧上人がここ伊勢一身田に本山を移されたときに法宝物も一緒に移されたのです。
以上の法宝物はいわば「形のある財産」ですが、その中には真宗の教えが流れていることを忘れてはなりません。いずれも、真宗のお念仏を後世に伝えるためのものであり、また750年の歴史の中では、善知識(ぜんちしき)をはじめ多くの先輩やお同行たちがこれを守ってこられました。私たち現世に生かされる者は、この法宝物とそのご法義を後世に相続しなければならない義務があると思います。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

※平成28年現在、高田本山に所蔵されています専修寺文書306通や境内の諸堂・建造物の多くも重要文化財になりました。

 

 

12月のおてらおやつクラブ

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12月のおてらおやつクラブ
12月に入り、松阪市のお寺様からおてらおやつクラブについてお話しを伺いたいとお電話があり、3ヶ寺のご住職様と早速お会いしました。おてらおやつクラブの活動を始めるにあたってお寺のお同行様へのご理解やご協力などの取り組みについてをお尋ねになられました。妙華寺では、おてらおやつクラブの活動の前に、古本勧進を始めるにあたり、お同行様にある不要な古本をお出しいただき東日本大震災で被災されました子ども達の教育資金の一部として(今年の1月からは一人親家族の支援団体への)寄付にすることをご理解いただいていました。おてらおやつクラブの活動につきましては、これまで通り、お同行様から佛様へのお供えを、おさがりとして、一人親家族へおすそわけさせていただくことですので、お寺からは寺報やHPで報告をさせていただいていますとお話しいたしました。
来年には、松阪市のお寺様の仲間と話し合って、おてらおやつクラブの取り組みも提案されるようです。近くの地域でも、おてらおやつクラブの活動が広まることは大変うれしく思います。
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12月もお供えのおすそ分けをさせていただきました。支援団体様は23日にクリスマス会を行うとお聞きしていましたので、子どもさん達に楽しんでいただけたらと思っています。
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 また、一人親家族の支援団体様への寄付となる「古本勧進」もやっています。
次回の発送は来年1月の末です。
ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。
12月も11月・10月に続いてお同行様から不要な本をご持参いただきありがとうございます。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土高僧和讃 善導大師25首
弘誓の力をかぶらずは いづれの時にか娑婆を出でむ 
佛恩深く思ひつつ 常に弥陀を念ずべし 
 弥陀の広大な本願力を蒙らずして、いつこの迷いの世界を脱出することができようぞ。弥陀の御恩を深く思いつづけて、常に称名念仏せねばならず。
※「かぶらずは」の「ず」は「ずして」の意と見てよく、「は」は清音で係助詞であること、橋本進吉博士に説がある。
※「思いつつ」は、思いつづけることで、臆念相続の意。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 今まで第一行「かぶらずば」と読み習うてきましたので、いつしかその発音に戻り易いのですが、教えられるままに「かふらずは」と濁点を取って読みます。『般舟讃(はんじゅさん)』の、 或はいわく今(きょう)より仏果に至るまで、長劫(じょうごう)に仏を讃じて慈恩を報ぜん。弥陀の弘誓の力を蒙(こうむ)らずしては、いずれの時いずれの劫にか娑婆を出でん。
との文によります。弥陀願力の恩は、大師の言々句々に貫通しております。
 弥陀の大きく包容摂取する本願力をこうむることなくして、いつどのような時にこの煩悩の尽きない娑婆界を超え出でることができましょうぞ。弥陀願力の恩を深く長く思いめぐらして、常に弥陀に念ぜられつつ称名念仏するばかりであります。
 「娑婆」については今の『般舟讃』にも「娑婆長劫の難」と見えるように、大師においては浄土に対面して真の在所ではないという深い思い入れがあったようです。「娑婆を厭捨して仏国を求めよ」というのが大師の本心でありますが、同時にこの娑婆の愛着が捨てられないことをよく知っていられたのです。娑婆は梵語のサハー、又はシャバーの音写にて、忍・堪忍・能忍の意です。堪忍しなければ生きられない、娑婆は思うにまかせぬところといわれます。更に「聖者と共に」の意が加えられて、聖者もしいまさずば悪苦に焼かれて生きられないところと聞いております。紫人と朱人とは長年にわたる親しい隣人。紫人の息男が事故死してその遺骸が帰り、これを弔問した朱人が合掌して「娑婆じゃの」と漏らしたのです。この一言が一切を言い尽くしているのです。悲しみのきわまりないのですが、娑婆の一語が救いをもたらしているのです。当てにならないものを当てにして生きることのなしさがこみあげているのです。眼前の悲惨に戦慄しつつ、これが娑婆のならいと知る人は、驚きを内省せしめます。流れる雲に声あるように、
生死無常のことわり、くわしく如来の説きおかせおわしまして候へ、おどろきおぼしめすべからず候。
と響流するのは、娑婆に対面する浄土あればこそです。娑婆という、わたしの実在を射当てた不滅の用語が、無残にも死語と化されつつあります。このようにして娑婆というこよなき実在用語を捨て、威徳ある他力に不感症となり、生きる生きると叫んで往生の大義を失うのは、どこに業のゆがみがあるものなのでしょうか。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】
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お同行様から

お同行様から
横浜にいらっしゃいますお同行様からお便りがありました。昨年出版されましたご著書の紹介が掲載されました新聞記事をお送り頂きました。ご著書は昨年お贈りいただいて拝読をいたしましたが、音楽について知識が無い私(住職)に作者が伝える音楽を通して語りたかったことを十分読み切れたかと思うと恥ずかしい限りです。題名にもなってます「笛」の音を通しての物語が外国の町並みを舞台にしたスケールの大きな小説と感じていました。
 お送りいただきました新聞に掲載されていました、ご著書の紹介文を記載します。
『惑いの笛 Sous le ciel de Basque』 阿津見 馨著  小学館スクウェア
舞台は、ラヴェル誕生の地である南フランスの港町。日本人Kを惹き付けたのは、憂いのある一人の紳士。彼には秘められた過去があった。笛の音の魔力に取りつかれた男の人生の変転がミステリアスに描かれている。バリトン歌手・スぜーとの触れ合いほか、バスク地方の風情に触れた体験を綴り込みながら、情感に富んだ世界が展開されている。音楽評論家・家里和夫が記した初の小説。
 【平成28年11尽き23日 産経新聞】
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 作者の名前の「馨(けい)」は、お寺で使う「馨」からつけられたこと。「馨」の説明はご著書でもされていますが、これまで音楽に携わってこられた方が「馨」の音を大切にされていますこと大変うれしく思っています。
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『惑いの笛 Sous le ciel de Basque』 阿津見 馨著  小学館スクウェアにつきましては、お寺のHPの2016-06-13のブログでもご紹介させていただいています。
妙華寺のお同行様の書かれた『惑わしの笛』(安津見磐著・小学館スクウェア)を昨年お贈りいただきました。(この時のブログの)本編に関係はありませんが、ペンネームに「磐」と名告られていて、音楽評論家でもあり、音を奏でるものに大変な思い入れがある方で、以前親御様の年回の時に、本堂の磐の写真を撮りたいとおっしゃられた時の写真が、「あとがき」の部分に掲載されています。
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秋のグリーフケア公開講座

春のグリーケア公開講座に続いて、秋のグリーフケア公開講座にも参加することができました。全てに参加はできませんでしたが、聴講して、毎回新しい気づきや忘れていたことを思い出させていただく学びの時間に感謝しています。聴講して個人の感想ですが記載させていただきます。
2016-09-27 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」 高木慶子
春に続いて、秋のグリーフケア公開講座が始まりました。今回も第1回目の講座は上智大学グリーフケア研究所 特任所長の高木慶子様のお話しで「悲嘆力~悲嘆を乗り越える力~」との講題でお話しいただきました。悲嘆に寄り添うこと(ケア)側の難しさとして、悲嘆された方が、悲嘆を周囲に知らせることにもその方に「知らせる力」がないとできないこともあるようです。悲嘆からの回復として時間の存在もあります。また自らの悲しみを恵みとして気づくことになるのも悲嘆を乗り越えていく力になると話されました。真珠がアコヤ貝の中で育つ過程から悲嘆を乗り越えていく力が私たち一人一人の中にもあることだと紹介されました。また、高木先生の死生観を詩で表され大いなる存在に気づくことで、私が生かされていることに気づき、悲嘆を乗り越えていく力が生まれてくることを強調されました。また「人生」という言葉をもう一度考える機会になりました。高木先生のご講演の最後は全員で歌を歌う時間があります。わずかな時間ですがこの場にいる全員が一緒に歌うことで一体感が生まれるように感じます。
※中川個人の感想です。
2016-10-04 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「心を病むこどもたち」 水谷修
「夜回り」と聞くと消防団の「火の用心」を思うことですが、水谷先生が子ども達が夜の町にいることの危険と、もしもの時は頼ってくる場(人)がいることを周知するためパトロールを初めて夜の世界で25年間がんばっている水谷修先生を、「夜回り先生」と親しみこめて呼ばれるようになりました。
先生の友人との話で、夜間学校の教師になり「夜回り先生」になったようです。
夜、外にいる子ども達は家庭に居場所が無い為、外にいるようですが、夜外に外に出ず家の中でリストカットする子ども達がいることに気づき、「夜回り先生」の活動と共にリストカットをする子ども達への活動も今も続いているようです。外に出ない引きこもりの子ども達には、その子の引きこもっている場所に行き、一緒にいることから始めるそうです。また、リストカットをするに至る背景を一緒に考えなければ、子どもの心が開くことはできないようです。これまでの経験から、解決に至る方法として4つ示されました。①理論に基づいた臨床心理学がありますが、この方法は前例がないと限界があるようです。②科学に基づいた精神医療も日本の場合、薬だけの治療で心と体の治療としては限界があるようです。③非論理的であるが、体育系の水谷先生らしい、ストレスは心身のアンバランスで心が疲れている状態で発生するので、身体も疲れるようにすると夜も眠ることができストレスが少なくなるようであると経験を語られました。④私たち人間は今も神聖なもの(宗教)を「畏怖」として捉えているので、その神聖な宗教空間を居場所の無い子供達の居場所として提供できる可能性を実感されているようです。
またお話しの冒頭に、「美しいものをたくさん見てください」とおっしゃったのは、子ども達だけでなく、私たち大人への呼びかけでもあり、「美しいものを見る」と言うことは心に余裕を持つことと感じました。名もない花であってもちゃんと見ると「美しさ」があることと私(住職)は受け取りました。水谷先生は、とても語ることが多くて私(住職)の力では全てをまとめるのができないのですが、そこには、水谷先生が、多くの心を病んでいる子ども達を見てきて多くの子ども達が立ち上がっていった以上に、先生にも何も出来なかった子ども達の姿が今も脳裏から離れないから1つでも多くの事を私たちにに伝えようとされているからだと思いました。
※中川個人の感想です。
 2016-10-25 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「妻として 女優として 夫・大島渚と過ごした日々」小山明子
女優の小山明子さんが夫の大島渚さんの介護を通して感じた心の動きをお聞かせくださいました。結婚生活50年の中で病気で倒れられてから17年間のことを語られました。大島渚さんは監督として、小山明子さんは女優として活躍されて、またご子息二人の結婚もあり幸せの状態の時に大島渚さんが倒れられお世話をすることになった時は「どうして私が」とショックを受けられうつ病になられたそうです。4年間のうつ病の中で、自分が元気にならないと向き合えないことを感じたときから回復に向かわれたそうです。大島渚さんの病気のお世話といっても病床ですることは何も無く一緒にいるだけの時間に読書をされて、読後の良かった言葉をノートに書き始めてことが自分を変えていくことになったようです。大島渚さんの病気も徐々に良くなっていくことや、再び病気が悪くなったりする中で、自分だけの思いを手放すことや、どうしてこうなるかという思いを受け入れていくことを学んだそうです。介護の中ではイヤなことと感じることに楽しい気持ちを持たないと続かないことに気づかされたと語られました。また、大島渚さんがなくなられてから、待っていてくれる人がいない人生を感じているそうです。「自分が幸せの中にいる時は幸せは見えない」と言う言葉に小山明子さんと大島渚さんとの生活が充実していたことを感じました。
※中川個人の感想です。
2016-11-15    秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「夢みる心に宿るもの」 永田萌
イラストレーターの永田萌さんのお話でした。永田萌さんは兵庫県加西市出身で、阪神大震災の時は東京で個展が始まる時でご本人は東京にいらっしゃったそうです。地震のことを知り家族が心配で戻られたそうです。被災した神戸の光景を見ながら、その時永田さんは自分がイラストを描いていて良いのか?もっと役立つことをしないといけないのでと悩まれて、イラストが描けなくなったそうです。そのような状況の永田さんに、永田さんのイラストが大好きな被災された方が友人から永田さんの描かれたイラスト入りのポストカード送られイラストを見たら、悲しみにくれていた心がぱっと明るくなったことを永田さんに話されたことでイラストを描いてもよいのだと思われたそうです。その後お母様を病気で失う前に、病室でお母様から「60歳になったらあなたに本業以外で求められることがあれば引き受けなさい」と言われたそうです。その時の永田さんには遠い未来(20年後)のことのようでその時は分からなかったそうですが今そうなっている(本業以外で求められたことをしている)自分で、母の言っていたことが「年をとらないと分からないこと」と思われたそうです。ご自身の喪失体験から得たことをご自身のイラストを示していただきながらお話しされました。
最初にイラストについて定義として、イラストとは「説明する」・「証明する」・「図解する」ことで、「目に見えないものを確かに存在するものとして具現化する」ことだそうです。例えば、「愛」・「夢」・「希望」を描くこと。また古くは天国や地獄などの宗教画、偉人の伝記、地図も入るようです。イラストを描くにあたり必要な資質として、表現力・理解力・想像力・発想力・幅広い知識・人間に対する好奇心・共感する力・愛情を挙げられました。また、イラストは、依頼者があって制作がスタートするので、アートととは違うそうです。また、伝達する媒体にあった表現をすることも依頼者が主体であることと思いました。人間の感情を描くことは、愛・夢・希望・幸せだけでなく、いかりや憎悪・絶望も描くことがあるようです。人間の感情を超えるものとして、慈愛・なぐさめと永田さんは表現したイラストが、私たちの悲しみを生き抜く力としてあることがわかりイラストを今も描かれているそうです。人が人に寄り添うようにイラストが、その人にさりげなく邪魔にならないようにあることはグリーフケアの1つとしてイラストの力を感じました。
 今、永田さんは京都市こどもみらい館の館長をされています。こども達のグリーフについて現状は大人以上に大変な状況であるようです。悲しみの中にある私はどうしてもうつむきがちになりがちで一点しか見ることができないでいます。でもいつか少し視点が違う向きに向くことができれば違う景色を見ることになるのでその時にイラストが少しでもお役にたてればとおっしゃられたことが印象的でした。
※中川個人の感想です。
2016-11-22 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「臨床で考える悲嘆」 徳永進
医師でありノンフィクション作家の徳永進先生のお話。医師として末期の患者様のお世話をしながらそのご家族と患者の関係を語られました。一人の患者さんがなくなられた時その家族や関係者のグリーフはそれぞれ違うのでグリーフケアのあり方は何が正解か分からないこと。言葉には表層言語と深層言語があり、ともすれば末期の患者やそのご家族に医師として前もって考えていた言葉(形式的な言葉)を使いながら接しようとするのだがそれでは患者や家族には伝わらない。患者や家族からの思わず出る本音の言葉にその人の内実が出ている場面に何度も出合われたそうです。
大切な方をなくされた家族(遺族)の言葉を中心に、死について語られました。「死」について考えたり話す時どうしても身構えたり神聖に考えることもありますが、「死」ももっと身構えずに当たり前として捉えることの大切さを強調されました。末期の患者さんで死が近づいているのだけど、患者さんには歯が痛いことのほうが切実な問題として医師に訴えてこられたこともあったそうです。先生の経営されている診療所(末期患者の緩和ケア)では、本来禁止される飲酒や喫煙もある程度許されているようで、飲酒や喫煙をしたいが為、入所を希望される患者さんもいらっしゃるそうです。また末期の患者さんの緩和ケアは癌患者と規定されているようですが癌患者以外の難病(HIVを除く)や死に直面される患者さんに対する緩和ケアが行われていないことも知りました。人間の生まれてから死に至る姿の全てが受け入れられることができれば良いのですが私たちは立派な時の姿しか認めない心をもっていると晩年の介護などにも影響がでるようです。死を迎える姿は失禁があったり、よだれがたれていたり目やにだらけだったり、譫妄(せんもう)や幻聴があったりしながら滅びていく姿でありますがそれは私もその姿で滅びていくことで何ら変わらない姿であることを共有することが「やさしさ」にも通じていくようです。悲嘆を和らげるものとして、ご本人が笑うことや誇りを持てるかまた、帰属する場があるかなど、本音の言葉(深層言語)をお聞かせながらのお話しは心打つものでした。また、講演の途中で患者様のお一人が亡くなられた連絡が携帯電話にかかってくる場面があり現役で多くの末期の患者さんに向き合っていられることもわかりました。
※中川個人の感想です。
 2016-12-06 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「佛教に聞く 悲しみと喜び」 大谷光真
グリーフケア公開講座の主催者の上智大学グリーフケア研究所の所長であります島薗進氏のお力添えで西本願寺の前御門首様のお話をお聞かせいただく機会を得たことをうれしく思いました。また、お話しの後で、龍谷大学大学院の2名の方の質問にお答えいただく時間もあり有意義にお聞かせいただきました。
前御門首様は、グリーフについて「明日は我が身」として受けとめられて、佛教(お釈迦様の教え)から聞くにあたっても、佛教を内側から捉えることだけでなく外側からも捉えることの必要性もあるのではと最初におっしゃられ、佛教だけでなくキリスト教やイスラム教など宗教の中にある「悲しみを受けとめる力」についての可能性を指摘されたのだと中川は感じました。
この度のお話しは、「佛教に聞く」こととして、①亡くなった人の行方、私の行き先を、智慧(超越)の面からと慈悲(現実)の面から、②遺族、悲嘆者の面から、③第三者 親族、友人、カウンセラーの面からお話しいただき、死について悲しみの側面と、信心により喜びとして受け入れていく側面についても、親鸞聖人のご消息や、お釈迦様のお言葉、お釈迦様のお弟子さんの偈、多くの佛教の祖師からのお言葉からお聞かせいただきました。
中川個人としては、③第三者 親族、友人、カウンセラーの時に紹介されました、「ボランティアのひとはね、『忘れない』というのよ、私たちは違うの。忘れられないの」【藤丸智雄『ボランティア僧侶』P32】の言葉もう一度考えたいと思いました。
前御門首様の自然体でお話しされるお姿にとても感銘を受けました。
※中川個人の感想です。
2016-12-13 秋のグリーフケア公開講座  悲しみを生き抜く力
「悲しみに寄りそう」 柏木哲夫
秋のグリーフケア公開講座の最後は、淀川キリスト教病院の理事長の柏木哲夫さんのお話でした。日本の医療現場で「ホスピス」を最初に実践された方でこれまで2,500名ほどの看取りをされてこられたそうです。「グリーフ」の言葉の語源にはラテン語で「重い」の意味があることを知りました。「心は悲しみで重くなった」と気持ちの重さを表しているそうです。
「悲嘆(グリーフ)」のプロセスは人によって違うことは当然ですが、病気での死別の「悲嘆」では、予期悲嘆で悲嘆の準備があるのと予期悲嘆が無く悲嘆の準備が無い場合ではやはり違うそうです。悲嘆を必然として受け入れていく中でも身体や心に影響しますが、通常の悲嘆と病的な悲嘆との違いは、日常生活に支障があるか否かを注意深く見なければいけないようです。死別の悲嘆の中にいらっしゃる遺族にかけてはいけないこと、これまでもグリーフケアの話の中でお聞きしていたことですが、改めて自分の話す言葉の中で考えさせられ、言葉の重みも感じました。また、寄りそうことと支えることの違いを、写真でお示しくださったり、人間の中にある「死んでいく力」のことを考える機会もいただきした。柏木先生が日頃思われているホスピスに携わる人の人間力の項目の中で、患者様のお話は感慨深いものがありました。
先生のホスピスの現場からのお話しは、グリーフとグリーフケアについて、とても大切なものに気付かされたように感じました。柏木先生のお話しが終わって高木先生が、「今日は死別された遺族の方に対するお話しでしたが、死別していく患者様のお話もお聞きしたかった」とおっしゃられ、聴講していた多くの方の思いを代返していただきました。
※中川個人の感想です。
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生活の中の仏教のことば

領解(りょうげ)
一般には、「りょうかい」と読み「了解」と書くのが普通です。仏教では「りょうげ」と読みます。
ほとけの教えを知識として理解するだけでなく、心から『その通り』と納得するさまが領解(りょうげ)です。
真宗では「信心」と同意語として用いられています。

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27組の報恩講

27組の報恩講
今年も27組内の報恩講が始まりました。10月30日に戸木(へき)の満誓寺様からです。今回は本堂前にある梵鐘を拝見しました。満誓寺様の梵鐘も戦時中に金属供出されたようです。戦後戻ってきましたが三カ所に穴が空いていました。音には影響がないようですので良かったと思います。

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11月に入り、5日に桃園(ももぞの)の光蓮寺様です。昨年は所用でお伺いできませんでしたので2年ぶりでした。代務住職になり庫裡の一部がなくなり駐車場になっていました。お寺の日常の管理はお同行様がされています。行き届いた管理で境内もきれいで、報恩講の法中への接待もお同行様一丸となってされていました。お寺の本当の姿を見せていただいたように思いました。

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20日に戸木の西向寺様でした。例年にない暖かさでした。山門をくぐり本堂の正面にあたる場所に四季桜が満開でした。
ご住職様がお盆の後、右足の炎症で2ヶ月ほど入院されて足に負担がかからないように、法中の私たちも椅子でお勤めをさせていただきました。今後は高齢などで足への負担を考えての出仕方法も考えなければならない時のようです。

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23日は一転肌寒い勤労感謝の日、小戸木(こべき)の西林寺様の報恩講。妙華寺からおよそ400m南にあるお寺です。大間に置かれた大型のディスプレイに報恩講の差定が表示してありとても見やすく思いました。お同行様のことを大切に思われている心が伝わってきます。組内法中のお勤めの後、お同行様だけでお勤めもされることは時間をかけてお育ていただいたことと思います。

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11月最後の日曜日は小造(こつくり)の蓮性寺様でした。あいにくの雨でしたがその分落ち着いた風情でした。蓮性寺様も椅子でのお勤めでした。足が痛くなることから開放されます。内陣のお勤めでは、椅子と正座では目線が違うのでちょっと新鮮です。また鐘楼堂は山門の左に位置しています。蓮性寺様の梵鐘も戦時中に金属供出されたようです。戦後戻ってきたそうですが、鐘楼はとても良い状態と見受けられました。江戸後期から明治にかけて愛知県で造られた梵鐘だそうです。

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今年から12月の第1日曜日に妙華寺の報恩講をお勤めさせていただきました。例年より風もなく幔幕や旗が風に煽られることがありませんでしたし、銀杏の葉もまだまだきれいな黄色で彩られています。次の日に片付けていましたら、内陣の荘厳で灯籠を飾る灯心飾りを出すのを忘れていて反省することです。

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27組の最後の報恩講は、野村の浄徳寺様です。毎年、浄徳寺様では副住職様や衆徒様も出勤されますので、組内の法中も含め、賑々しいお勤めと感じています。報恩講が終わるとやっと年末年始のことをしっかり準備できる時間がとれます。

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