道綽禅師

七高僧
昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
④道綽は、『安楽集』で時代と人の宗教的素質に相応する教えを追求して、「浄土門」で なければ、救われないと主張した。彼の生きた時代は「末法」で、仏教が衰滅し、人 間の資質が劣ってしまったとする時代認識があった。当時釈尊の入滅はBC949と考え られていて、それから正法500年、像法1,000年が経過し、AD552年末法に入った。
道綽はAD562年に生まれている。それ故に「当今は末法にして、現にこれ五濁悪世(ご じょくあくせ)なり。ただ浄土の一門のみありて、通入すべき路なり」と彼は言うの である。道綽は、仏法を聖道門と浄土門に分類し、さとりを得る可能性の佛性があり、 「聖道門」というすばらしい仏法があっても、末法の時代では何の役にもたたない。 ただただ念仏して浄土往生を願う浄土門のみが、私たちのとるべき道と強く訴えた。                                                      『親鸞読み解き事典』から
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ひとくち法話

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道綽禅師(どうしゃくぜんじ)
道綽禅師(どうしゃくぜんじ)(562~645)は、曇鸞大師(どんらんだいし)が亡くなられてから、20年目に中国の大原にお生まれになりました。当時は釈尊の没後1500年以上経過していましたから、禅師の教えの根底には、末法(まっぽう)の世に生まれたという意識が流れていました。
禅師は48歳の時、玄忠寺(げんちゅうじ)で、曇鸞大師の功績を讃えた碑文(ひぶん)を読まれ「大師のように知徳(ちとく)のすぐれたお方でさえ念仏門(ねんぶつもん)に入られたのだ。自分のような愚鈍(ぐどん)なものがどうして自力修行(じりきしゅぎょう)の聖道門(しょうどうもん)にとどまることができようか」と感動され、阿弥陀如来(あみだにょらい)のみ教えに入られました。
そして『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』を明らかにするため、『安楽集(あんらくしゅう)』を著(あらわ)されました。同時に田舎の7歳以上の子どもたちまでよくわかるように、お念仏を勧められたので、お念仏の声は天地にあふれるほどの盛況でありました。
その道綽禅師を親鸞聖人は、次のようにご和讃しておられます。
本師道綽禅師(ほんじどうしゃくぜんじ)は 聖道万行(しょうどうまんぎょう)さしおきて
唯有浄土一門(ゆいうじょうどいちもん)を 通入(つにゅう)すべきみちととく 『高僧和讃道綽讃第1首』
この末法の時代の私たちにあっては自分の努力で悟りを開き、仏になろうとする聖者(しょうじゃ)の道を通るのはとても難しいから私たちの進むべき道ではないとされました。そして、阿弥陀如来の願いに「はい」と、信順(しんじゅん)する他力念仏門こそが、仏にならせていただく唯一(ゆいいつ)の道であることを明らかにされました。このことを「ただ浄土の一門あり」と主著『安楽集』におっしゃっています。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

 

 

秋の千部会 10月22日です

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秋の千部会は、10月22日(土)午後1時30分からお勤めします。
 また、お勤めの後ご法話をお聴聞していただけます。
 布教使は、明通寺の佐波真教師です。
ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。
2015-12-01お説教とご法話②FullSizeRender
永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。
 妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。

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※この度、本堂の階段に昇降の補助として手すりを設置しました。
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生活の中の仏教のことば

億劫(おっこう)
普通は「億劫(おっくう)」と読んで「気乗りのしないこと」をいいます。
この言葉のもとは、仏教からで「おっこう」と読みます。劫(こう)は、極めて長い時間のことで、それを億倍したものが億劫(おっこう)ですから「無限」「永遠」という意味で用いられています。
親鸞聖人が、「真実の浄信、億劫(おっこう)にも獲(え)がたし」とのべられたのは有名です。

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曇鸞大師

 昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
③曇鸞は、『浄土論』を註釈し、独自の視点で浄土教の思想を深化させていった。五念門 は一心すなわち信心にそなわっている功徳で、五念は一心におさまると見ていたのは、 曇鸞であった。親鸞が、五念門行は私たち凡夫のなし得る行ではなく、法蔵菩薩の行であるとして、その行を成就した功徳を私たちに廻向していただくもの。すなわち、他力廻向の信心に五念門の功徳があると主張するのは、曇鸞の論註を踏まえている。
また、曇鸞は「他力」をあきらかにした。「覈求其本釋」(かくぐごほんじゃく)とよ びならわしている「まことに其の本を求むるに、阿弥陀如来を増上縁となす」といい、 また「およそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の所起の諸行とは、 みな阿弥陀佛の本願力によるがゆえなり。なにをもってこれをいふとなれば、もし佛 力あらずは、48願すなわちこれ徒説ならん」と語って、阿弥陀佛の本願力=佛力こそ がすべてであると主張する。この項目のまとめとして、「他力を増上縁となす」とある が、阿弥陀如来の本願力=佛力がすなわち他力であり、この他力こそが往生を得させ る根源の力であると説く。曇鸞の『浄土論註』の主張は他力思想であるとされる。
その他に曇鸞が示した特徴的な教えは、阿弥陀佛に救われるべき人間はどのような種 類のものか議論し、謗法罪(ほうぼうざい)のものは、浄土願生の理がないから救わ れないと示したこと。信心のすがたを丁寧に説いたこと。法性法身(ほっしょうほっ しん)と方便法身(ほうべんほっしん)という二種法身説を説き、阿弥陀佛のすがた をあきらかにしたこと。さらに「廻向は二種あり」として往相と還相を教えたことがある。                                             『親鸞読み解き事典』から
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ひとくち法話

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曇鸞大師(どんらんだいし)
斉朝(せいちょう)の曇鸞和尚(どんらんかしょう)は 菩提流支(ぼだいるし)のおしえにて 仙経(せんぎょう)ながくやきすてて 浄土にふかく帰せしめり 『高僧和讃曇鸞讃第1首』
七高僧の第三祖は曇鸞大師と申し上げます。今から1500年程前、中国の雁門(がんもん)、今の山西省太原(さんせいしょうたいげん)あたりのご出身です。
近くの霊地五台山(れいちごだいさん)で出家されました。仏教をはじめ多くの書物を学ばれたので、後に四論(しろん)の始祖と仰がれるようになりました。
しかし、病にかかり、まず長生きの方法を身につけねばと考え、当時の道教の権威であった陶弘景(とうこうけい)から不老長寿の法を学んで、仙経十巻を授けられました。
喜ばれた大師はその帰途、洛陽(らくよう)で菩提流支(ぼだいるし)に出会ったので「仏教の中に、道教で説くよりも立派な不老長寿の法はあるのか」と尋ねましたところ、菩提流支は大地に唾をはいて、その愚かさを笑い「そんな仙経が何になるか、永遠のいのちを身につけるのはこのお経ですよ」といって、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』一巻を曇鸞大師に授け、長生不死の法は、仏教にまさるものはないということを力説されました。
菩提流支の教えに深く感ずることのあった大師は、せっかく持ち帰った仙経を焼き捨てて、深く浄土の教えに帰依されたのでした。
それからの大師は、道教はもちろんのこと自力修行の仏道をすべて捨てて、浄土の教えを明らかにすることに精進されました。
この曇鸞大師のお導きで自力(じりき)と他力(たりき)の教えが明確になり、一層はっきりとお念仏がいただけるようになりました。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

 

 

供養(くよう)と恭敬(くぎょう)

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茶筅供養
(一社)茶道裏千家淡交会三重北支部津南班様の行事として茶筅供養のお勤めをいたしました。
会員の方々が日頃使われています茶筅も何度も使用すると茶筅の穂先が折れたり、すり減ったりしてお茶を点てることが難しくなります。そうなりますと工夫して他の用途で台所などで使用したりしますがそれも難しくなりお役目ごめんとなる茶筅を持ち寄り「茶筅供養」としてお勤めをしてから焚きます。真宗では焚く為の仏具がありませんので、天台真盛宗で使われます仏具を境内にお持ちいただき、茶筅を炊きあげます。茶筅供養の他にも人形供養とか針供養などこれまで十分お役に立っていたものがその役目を終える時に感謝しながらお別れする行事であるように思います。
真宗では「供養」の言葉はあまり使いませんが、同じ意味であります「恭敬」(くぎょう)の言葉があります。
供養(くよう)と恭敬(くぎょう)
供養(くよう)
敬いの心をもって奉仕すること。三宝や父母・師長などに身・口・意の三業をもって供物をささげること。
恭敬(くぎょう)
つつしみ尊敬する意『涅槃経』には「懺愧」あるがゆえに、すなはちよく父母・師長を恭敬す」『高僧和讃』に「恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」
高田派でよくお勤めする『高僧和讃』の龍樹讃の6首目の「恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」
の「恭敬」の【左訓】に「つつしみ・うやまう」「小乗おば供養という、大乗おば恭敬という」とあります。
恭は、自分を謙遜すること、敬は法を尊敬すること、これによって機を信じ法を信じる信心のすがたとみます。
このことから高田派の先生から、「小乗の法をもって衆生を教化するを供養という、(中略)大乗の法をもって衆生を教化するを名づけて恭敬となす」とお教えいただいています。
 【左訓】(さくん)
聖教本文に対する註記の一種で、説明対象となる本文の左傍に、語句の説明や漢字読みなどを記したもの。和讃など親鸞聖人のご著書や書写本に多く見られる。
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寺報に見る住職の10年の歩み 平成18年

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寺報に見る住職の10年の歩み 平成18年
私(住職)の住職拝命は平成18年10月10日でした。あれから10年、私(住職)はどのように歩んでいるのか、「寺報」から振り返りたいと思います。
平成18年は、平成12年から始まりました高田本山専修寺の御影(みえい)堂の平成大修理中で御影(みえい)堂の屋根の瓦葺きが終わり、素屋根が撤去され、4月から堂内の修復が始まる年でした。私(住職)は高田本山専修寺御影堂平成大修理事務局に勤めながら、お寺の住職として歩み始めた年であります。今思うのは、それができたのも前住職がまだまだ元気であったからだと思います。
 【寺報25号平成18,年12月発行】
 『去る(平成18年)10月10日高田派ご法主様より住職拝命の辞令を受け法苑院妙華寺第12世の法灯を継承いたしました。顧みれば昭和45年に得度して以来36年多くの方々のお育てを受けてまいりました皆様のご恩に対しまして改めて甚々の謝意を表するものであります。しかしながら未だ若輩ゆえ住職という重責を担うには未熟に過ぎることは充分承知致しております。今後とも倍旧のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げる次第です。右(寺報は縦書き)略儀ながら寺報をかりご挨拶申し上げます。 住職 中川 和則』
寺報に初めて私(住職)の言葉が掲載されました。私(住職)の文章の前に時の住職が住職交代をする挨拶文があります。今改めて、私(住職)の文章を見ますと、気負っている姿と、文章に恥じ入る気持ちです。
10月10日高田本山で住職拝命の辞令をいただく前(私は1年前)に、住職補任研修を受けました。当時は、お寺の総代様も研修を受ける為に高田青少年会館(現高田会館の前身)に宿泊していただきました。住職拝命まで1年ほどの時間がありましたのでこれまで前住職が全てしていたお寺の法人としての経理面を少し知ることができました。改めて10月10日の住職拝命式には、時の住職と総代様にも出席していただきました。その後、高田青少年会館で食事をし、時の住職も当時の私と同じ年齢で住職を拝命したことを知りました。
10月は12月発行の寺報の原稿を10月初旬に印刷屋へ原稿を入れ2度ほどの校正で11月中旬に刷り上がり12月の報恩講の案内に同封しています。
また、秋千部会の案内の宛名を手書きでしています。案内文は印刷ですがせめて宛名は下手な字ですが心を入れて書いています。
※寺報に見る住職の10年の歩みは、毎月10日頃に掲載いたします。

 

妙華寺の2つの碑

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妙華寺の2つの碑
本堂の向かって右側に2つ碑があります。
1つは「戦没者慰霊碑」です。この碑は昭和27年4月28日當山同行建立とあります。碑の裏側に86名のお同行様のお名前と発願しました当時の住職や世話人のお名前が記載されています。また、この碑は松阪の田端石材店が造られたようです。昭和27年4月28日に戦没者追弔会が始まり、「戦没者慰霊碑」の前で毎年お勤めをしていました。当時は「戦没者慰霊碑」の前で「阿弥陀経」をお勤めして、ご遺族様やお世話方様の焼香があり、続いて本堂で、「文類偈」・「5首和讃」のお勤めをしていました。次の日から2日間(現在は29日のみ)春の千部会が勤まっています。年々ご遺族様の参詣が少なくなり、平成6年終戦49年目に50回忌をお勤めして戦没者追弔会としてのお勤めは最後になりました。
 もう1つの碑は、「浄土三部石経塚」とあります。隣の「戦没者慰霊碑」と土台が同じ形態ですので建立は昭和27年と思っていましたが碑の裏側に大正10年にあった碑が損害甚だしく昭和12年1月に修繕し直したとありました。この「浄土三部石経塚」の碑は、大変信仰の篤いお同行様が、妙華寺の敷地の小石に浄土三(部)経2万6千6百12文字を書き碑の下に埋めたとあります。また。「浄土三部石経塚」の碑の彫字の元は、法隆寺の管長の佐伯定胤猊下の真筆とあります。
 私(住職)は、この「浄土三部石経塚」とはどのようなものであるかわかりませんでしたが、2016年09月25日の京都新聞のHPで【「一石一字経」復活へ 京都帝釈天、全国から募集】の記事を目にしました。記事によりますと、江戸時代に石に経典の文字を1つ記して土に埋める「一石一字経」というものがあったそうで、紙に書く写経と違い河原などで集めた丸い小石に一字ずつ墨で「お経」の一字を書き写すことが全国的に広まっていたようです。
当時は一人か数人で1つの「お経」を完成させてその場に碑を建てるようでした。多大な労力と費用が必要だったようで近年はほとんど行われていないようです。
 また、今の「浄土三部石経塚」の以前のものと思われる小さな「浄土三部経石塚」の碑もあります(側面にこの碑が造られたのが天明●●年5月5日とあり天明年間の彫字が磨滅して判別できませんが江戸時代に小石に浄土三部経の文字を書いていたご奇特なお同行様がいらっしゃったのでしょう)、今ある「浄土三部石経塚」の碑の場所かどこか違う場所にあった小さな「浄土三部経石塚」の碑を大正10年に新たな信仰の篤いお同行様が、小石に浄土三部経の文字を書かれて碑を造られましたが損傷しましたので昭和12年に今の碑に修復されました。昭和27年に、「浄土三部石経塚」の隣に同じ形で「戦没者慰霊」碑を建立したようです。
※尚以前の小さな「浄土三部経石塚」の碑は、現在、樹木の元でのお墓の中心に据えられています。
【参考】佐伯 定胤(さえき じょういん)慶応3年6月25日(1867年7月26日) – 昭和27年(1952年)11月23日)は、日本の法相宗・聖徳宗の僧侶、仏教学者。
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10月の日曜学校

【お釈迦様の教え】
仏教とは、ひとが幸せになるための教えのこと。
ただ、教典を読んだり、知識として理解したりするだけではありません。
日々の生活で活かすことができる、実践的な教えです。
①縁起(えんぎ)という考え
すべてのものごとは、独立して起こるのでなく、互いに深く関連しあいながら、生じたり、滅したりするという考えのこと。世の中のあらゆるものごとは、互いにかかわりあい、原因と結果の関係でつながっている。仏教の教えの基本となる思想です。
②中道(ちゅうどう)という考え
快楽と苦行、どちらにも傾かない生き方・考え方を中道といいます。「中途半端」という意味ではありません。両極端なものの見方を離れて、バランスの取れた姿をみることが大切なのです。八正道に沿った生活を実践すれば、中道を歩むことができます。
③四諦(したい)という考え
この世の真理には、苦しみが生じてから、それをなくすまでの4つの局面があります。生きることには苦しみがあるということ(苦諦)、その苦しみには必ず原因があるということ(集諦)、その苦しみを乗り越えるところに安らぎがあるということ(滅諦)、その安らぎに至るためには正しい道を歩まなければならないということ(道諦)です。
④三宝印(さんぽういん)という考え
仏教が最も大切にしている3つの真理のこと。
第1に「全てのものはうつり変わる」(諸行無常)
第2に「全てのものには永遠の実体はない」(諸法無我)
第3に「さとりの世界はやすらぎである」(涅槃寂静)
※諸行無常は、因縁によってつくられたものは常に変化してとどまることがない。
※諸法無我は、すべてのものは、永遠不滅の実体ではない。
※涅槃寂静は、煩悩の火が吹き消された状態は究極の安穏の世界である。
※一切皆苦は、あらゆる存在はすべて苦しみである。
※一切皆苦を含めて四宝印と呼びます。
【「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より】
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