4月の日曜学校は3日です(訂正しました)

4月の日曜学校は4月3日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤めを一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
今回は、2年に渡り高田本山で出開帳されていました本寺の一光三尊佛がお帰りになります。栃木県の本寺のご遷座法会に参加しますことをお伝えしようと思います。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

※ご迷惑をおかけしました。日曜学校は3日です。訂正してお詫びいたします。

 

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日曜学校念珠IMG_1154

私事でありますが、3月29日午前11時から、久居の斎奉閣様で、「葬儀とは 人とのつながりとは」のお話しをさせていただくことになりました。

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高田本山の伝灯奉告法会と一光三尊佛ご帰山法会

高田本山の伝灯奉告法会・一光三尊佛ご帰山法会
この3月25日から27日まで、新しくご法主を継承されました25世慈祥様の伝灯奉告法会がございます。高田専修寺の法灯は御開山聖人[親鸞聖人]より高弟真仏・顕智上人へと次第相承され、中興真慧上人を経て爾来800年の長きに及んでおります。この法灯は御開山聖人直々のみ教えと宗風を今にそのまま伝えています。親鸞聖人のみ教えを第24世鸞猷法主から第25世慈祥法主へと継承された事を阿弥陀如来様と御開山聖人に奉告する法会です。
前御法主殿の伝灯奉告法会は平成8年4月で当時私は、伝灯奉告法会事務局員をしていました。真宗各派のご門首猊下、宗務総長などのご来山を賜り、多くのお同行の皆様方も法会にご参詣くださいましたことを改めて思い起こしています。
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第25世の慈祥御法主様には、平成26年5月に本寺の一光三尊佛を妙華寺にお迎えさせていただいた折りにお見えになられ、お同行の皆様にも、親しく三尊様のことをお教えいただきましたことは記憶に新しいと存じます。
26日の午後法会には、27組の住職様と共にお勤めに出勤させていただく予定です。
また、伝灯奉告法会の期間、一光三尊佛も如来堂にて御開扉されると聞いています。
法会中、記念講演があります。
3月25日14時 名畑崇先生  講題「法灯を仰いで苦海をわたる」
26日14時 熊倉功夫先生 講題「千利休 茶の湯の名言から 」
27日14時 高埜利彦先生 講題「江戸時代の専修寺門跡」
 続いて28日から30日は、一光三尊佛ご帰山法会がお勤めされます。三尊様は、御影堂に御遷座されます。本山で最後のご開扉です。この法会中も記念講演がございます。
28日11時 栗原廣海先生  講題「不可思議光」
29日11時 黒川文子先生 講題「仏典のことば~お釈迦さまから親鸞聖人へ~」
30日11時 田畑正久先生 講題「今を輝いて生きるために」
お同行の皆様も高田本山へお詣りください。
また宝物館にて特別展観も予定されています。
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ひとくち法話

生もわれら 死もまたわれら
死ぬのはこわい、いつまでも生きたい、死なない方法はないものでしょうかとの願いに、ある人が一つあるよ、それは「生まれてこないこと」と言ったそうです。まことに明快な答えといえましょう。この世に生を受けた以上必ず訪れるのが死であり、例外は許されません。文字通り死亡率は100%です。あの一休禅師はこんな歌を残されています。
元旦や冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
おぎゃあと生まれた時から、すでに死に向かって私たちは進んでいるといっても過言ではありません。志賀直哉さんの小説『城之崎にて』は作者が温泉で療養中、動物の生きざま、死にざまを目にして、その体験からつかんだ、生と死に対する感慨を述べたものですが、その結びとして「生きていることと、死んでしまっていることと、それは両極ではなかった」と述懐しています。丁度、紙に表と裏があって、表を生、裏を死と考えますと、表と裏はひっついており、切り離すことができません。それとおなじように、人間の生と死も別々のことではなく、死を抜きにしては生が考えられないわけです。つまり生を解決するには死を解決せねばなりません。
清沢満之師も「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」と述べられています。とかく私たちの日常は生きることばかり考えて死ぬことを考えないで生活しているように思います。いかがでしょう。何といっても人生における最大の事件は死であって、後生の一大事と受け取らせてもらいたいものです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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春彼岸会をお勤めいたしました

昨日は妙華寺の春彼岸会でした。強風の中、ご参詣、ご聴聞いただきありがとうございました。上田隆順師の「生活の中の念仏 念仏の中の生活」のお話しや「此岸から彼岸へ渡ることが私の気づきの中にあること」のご法話うなづくことばかりでありました。
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春の行事として、4月7日8日は、メリシャカ(花祭り)です。本堂前に花御堂を安置します。誕生佛に甘茶をおかけください。また、お家にありますお花を一輪お持ち頂きますと花御堂に飾らせていただきます。4月9日は、布教大会が午後1時30分から3時45分までございます。若い布教使さんをお育ていただくのは、ご聴聞していだだく皆様です。一人でも多くのお越しを願っています。

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20日は春彼岸会が勤まります

明日20日は、妙華寺の春彼岸会です。

毎年の案内文は前々住職の時代からのものです。
「彼岸とは此岸に対する言葉です。此岸は苦悩と迷いの世界で、此の世界から清浄真実の世界に想いをかけて此岸の生活に希望と慰安を得ることが彼岸行事の精神です。仏法を聞いてこの精神を会得しましょう」

どうぞ1時30分からのお勤めとご法話にご参詣いただき、ご聴聞いただくこと念願いたします。ご法話は、福専寺の上田隆順師でございます。

妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

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四季の花

3月になり、さんしゅうか゛咲き、中旬になりモクレンが満開になりました。

3月の上旬に東京でモクレンが満開でしたが、妙華寺の境内では今が盛りです。これからの時期、花が私たちを楽しませてくれます。

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3月17日18日駐車場の一部が使えません

3月17日18日駐車場の一部が使えません
2月から庫裡の改修をしていましたが、一部を除いて終わりました。
引き続き、妙華寺会館の改修が始まっています。3月17日18日に妙華寺会館の屋根瓦を撤去いたしますので山門の左手(西側)の駐車場の一部が使えません。山門の右手(東側)はいつもどおりお使いいただけます。ご迷惑をおかけしますがご協力をお願いします。

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生活の中の仏教のことば

「往生(おうじょう)」
交通渋滞で「立往生」とか、困ったことに出会って「往生した」といいます。しかし、正しい意味は、この反対で「往(いき)生(いきる)」ですから、行き詰まりから抜け出ることです。だから仏教では、はっきり「ほとけの国に生まれること」を往生というのです。

 

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春彼岸会は20日午後1時30分からお勤めします

讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」と申してみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。
 法苑院妙華寺では、春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めと法話を勤めています。 親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。
 3月20日(祝・日)午後1時30分からお勤めをいたします。その後、福専寺の上田隆順師のご法話がございます。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています
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あの日から5年

あの日から5年
5年前の3月11日 母を歯医者に送りいったん家に戻ってPCの前に座った。
私の住んでる三重県津市では身体の揺れは感じなかったが、部屋の電灯がゆっくり揺れ出した。「地震?」と思い、TVをつける。そのうちに大きな津波が映し出されて息をのむ。初めてではないが胸をしめつけられる。何も手がつけられず時間だけが過ぎていく。遠くにいるのに現場にいるような感覚。忘れることのできない光景。
これまでも忘れることのできない出来事はあるけれど、とっても心が締め付けられていた1日でした。翌日から多くの方々がボランティアとして現地で活動をされていました。私は「身が動く」こともなく、被災された方々にできることは何か考えていました。申し訳ないことですが、自分にできることはわずかばかりの義捐金をお送りすることと、翌月の4月11日と翌年の3月11日にお勤めを本堂でお勤めすることだけでした。何が私の中で変わったのか?変わらないのか?
『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』木越康著 法蔵館の中で、35歳の息子さんを亡くされた方の話がある。365日泣いて、そして「もういいの・・・」と言わざるえない現実。頭の中にある地獄ではなく、地獄の中を生きている方々がいる。また中学の子供さんを亡くされたお母さんが「復興の定義が人それぞれ違うと思いますが、私にとっての復興とは息子が帰って来ること。なので、わが家にとって復興はありえません」の言葉は決して忘れてはいけない。違う章で高橋源一郎氏が親鸞聖人に魅せられ、その言葉に大きく心揺さぶれた経験が紹介されている。そして「もう5年」「まだ5年」この時期になるとメデイアなどで特集が組まれ被災者の現状を知り、現地で活動を続けられている方々のご苦労を知るのですが、それでも今年も、この日には何もできなくて申し訳ないとつぶやきながらお勤めすることでした。

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