秋の千部会 10月24日(土)午後1時30分から

Processed with Moldiv

千部法会(せんぶほうえ)

高田本山では、第十六世堯圓(ぎょうえん)上人により始められた法会です。千部という名称は、その昔親鸞聖人が関東に向かわれる途中人々の生活の悲惨さを目の当たりに見られ、その人々の幸せの為に『浄土三部経』を回数多く読誦(どくじゅ)しようと思いたたれた故事にならってつけられました。永代経法会(えいたいきょうほうえ)のことです。
永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。
この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。
高田本山の千部法会は、江戸時代には、報恩講以上の賑わいであったと伝えられています。俳人芭蕉の弟子の珍碩(ちんせき)が「千部読む 花の盛りの 一身田」と詠みました。
妙華寺では、永代千部会(えいたいせんぶえ)として明治三十五年より始まります。当時の荘厳(しょうごん)はどのようなものかはっきりわかりませんが、現在は、西余間(にしよま)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げて、春秋に法会を勤めています。

10月24日(土)午後1時30分からお勤めさせていただきます。ご法話は、明通寺の佐波真教師です。どうぞご聴聞ください。

坂田様からのお便り

Processed with Moldiv

 「お念仏に遇えて」
5年ほど前、お世話になっている法苑院さんで開山聖人750回忌の法会に会わせていただき、
本山のご法主鸞猷様(現在は前法主)の御親教があり、そのメモを大切に保存していました。
その中から「真宗の教え」を学びたいと思います。
   正像末法和讃 
    如来の作願を尋ぬれば   苦悩の衆生を捨てずして 
    廻向を首としたまいて   大悲心をば成就せり 
と述べられています
私たちは日頃、煩悩の海に沈没し、病になれば悲しみ、何とかして佛様にすがりたいと思うのですが、
この姿勢こそが大きい誤りです。
阿弥陀さまは、私たちの苦悩をみて、自ら働きかけ、手を差し延べてくださいます。
つまり廻向を首としたまい、大悲心を起され、一人残らず救ってくださいます。私たちはこのように
阿弥陀さまのお慈悲を頂いていますから
   「ナモアミダ佛 ナモアミダ佛 ナモアミダ佛」
と合掌し感謝をするのです。
 私もいつの間にやら八十路の半ばを過ぎましたが、幸せな毎日を送っている自分を見つめ、み仏のお陰と
感謝し、阿弥陀さまのお姿を拝見させていただくことが「生きがい」となってまいりました。
                                                     法苑院妙華寺総代 坂田 信昭
※坂田様は先日の秋彼岸会もご聴聞されていました。この度妙華寺のHPを見て頂き、
5年前のご法主殿のご親教のお味わいをお便りとしていただき、ここに掲載させていただきました。
お同行の皆様より、ご寄稿をお待ちしています。

四季の花

06-10-10住職拝命式

9年前の今日、住職拝命をいたしました。最初の総代会でこれからの妙華寺(お寺)について思いをお話ししました。

その一つに、「お寺の境内の一画に、公園のようにどなたがいても安らぐような場所をつくりたい」と、

資金のこともありますので実現には至っていませんが、境内の四季の花を見ていると、心が癒やされます。

和讃

 

 

2015-10和讃FullSizeRender

先日、聖人が、当時の今様である「和讃」を作られたことの思いについてお聞かせ頂きました。

高田の勤行の際に用いる和讃は、「浄土和讃」と「浄土高僧和讃」は、聖人自筆の部分を含む真仏上人の書写本と

「正像末法和讃」は、顕智書写本を用いています。

「浄土和讃」の最初の和讃は、讃阿弥陀仏偈和讃とあります。

「弥陀成仏のこのかたは

いまに十劫をへたまへり

法身の光輪きわもなく

世の盲冥をてらすなり」

阿弥陀仏が本来の自己たる仏御自身におなりになってから、十劫という永いあいだ、休むことなく今日に至っております。

みのりを感じ、みのりによって動かされ、みのりをみずからの身とする仏の御身の、その全体が光で有り

光ははかりなく転輪し、それが限りなく輪をひろげ、娑婆世界の無明の闇を照らしたもうものであります。

まなこくらむものに、それをあわれみ知らしめようとの慈悲の光であります。

『浄土和讃講話』 川瀬 和敬著 法蔵館

10月の日曜学校

阿弥陀如来坐像

妙華寺第二代 融海(ゆうかい)上人が、青巌寺(せいがんじ)から入寺した時に恵心僧都作の阿弥陀如来坐像を持参されました。

先々代、先代の話では、本堂の須弥壇に秘仏として安置してあったようです。妙華寺会館ができた時に会館に安置されていました。

今年5月に本堂西の資料室にご遷坐しました。

青巌寺は、大和地方から伊勢神宮への街道筋にある古くからあるお寺で、万葉集にも波多(はた)の横山(よこやまが、後に、こやま、そして、おやまと呼ばれることになる)が歌われています。

日曜学校の案内

日曜学校念珠IMG_1154

日曜学校
私が日曜学校を開校するようになったのは、平成3年4月からお正月を除く毎月第一日曜日の朝7時30分から8時頃までのおよそ30分です。
先々代(祖父)が大正15年に書かれた『私が経営する日曜学校の立場』と言う一文を読みますと、子供たちに家庭でもお寺でも宗教心を育もうという熱い情熱と当時の「精神文明」と言う言葉に出会いました。先々代は昭和25年まで日曜学校を開校していたようで、年配の方々から日曜学校のことを今でもお聞きすることがあります。私の母に聞くと、毎週日曜日の午前中、本堂のオルガンの音と併せて子供たちの大きな声が境内に響き合っていたようです。
先々代の時代に日曜学校に参加されていました(当時の)婦人会会長から孫にもお寺で日曜学校の経験をということで改めて開校することになりました。小学生の子供さん4名とその祖母にあたる年代の方々4名ほどから始まりました。3年後から小学生の子供さんは、塾やクラブで忙しくなり年配の方が主となり7~8名ほどで、日常のお勤め(朝のお勤め・夕のお勤め)とお寺にまつわることや、親鸞聖人のご生涯、「重誓偈」の味わいなどその時のテーマでお話をさせていただいています。2年前から参加者に念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるように用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

 

おてらおやつクラブ

 

 

超宗派の彼岸寺で「おてらおやつクラブ」の社会活動が行われています。

今年の2月から賛同寺院として月一度、お寺に「お供え」いただきましたものを、「おさがり」として「おすそわけ」させていただいています。

賞味期限の短い果物などはお送りする日程の都合がありますので難しいですが、お礼状をいただくと、こちらも笑顔をいただくことになります。

今月は24日にお送りいたしました。

 

おやつクラブ礼状IMG_1145

秋彼岸会の報告

 

 

page001

23日秋彼岸会をお勤めいたしました。ご参詣ありがとうございました。布教使は、福専寺の上田隆順師です。

妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。

ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。