ひとくち法話

御同行は法(のり)の友
「あなたの宗旨(しゅうし)は」「私は真宗です」「ご本山は」「一身田の高田本山です」「うれしいね私も同じや」電車の中で隣り合わせた見知らぬ人が同じ念佛の御同行であったということで、互いに意気投合して話に夢中になってしまい、ついつい乗り過ごしてしまったという人がありました。お念佛の友という所で人々は真に通じあえるのでありましょう。寺の法会に遠いところから参ってくださる奥さん二人がいます。一人は電車とバスで、もう一人はマイカーで。ある時「同じ方向なのですから私の車にお乗りになったら」ということから、以来申し合わせてお参りされるようになり、今では寺参り以外のいろいろの交際をされています。本当によき友が出来たと喜んでおられます。
富める中での貧しさは、人間関係そのものの上にますます顕著に現れます。地域社会や職場に於いてでだけでなく、家族の中でも親子の断絶、家庭内離婚等々家族そのものが崩壊しつつあります。人は真の心の通じ合った間柄がなければ生きて行けないから人間といわれているのです。
ご開山親鸞聖人は、御同行、御同朋(どうほう)と、お念仏のもとで結ばれる心の友を目ざして僧伽(そうぎゃ)の形成に力してくださいました。先ずは夫婦、兄弟、家族がかくあって、それを多くの人々へと広げて行きたいものです。「み仏の恵みをいただき、念佛のお同行として、世のため人々と共に歩みます」と、生活の指針にありすが、御同行は即ち法の友であり、温かい人間関係がうまれてくる源であります。
同一に念仏して別の道なければ四海のうち皆兄弟なり 親鸞
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

 

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今年のメリシャカ

7日は、昨年と同じように今年も雨の中の開催です。毎年お花をお供えいたただく方々に本堂の中で甘茶を召し上がっていただきました。
8日は、晴れ間も出て隣寺の誕生仏へも甘茶をかけさせていただきました。同じ誕生仏でも顔立ちや姿が違うのを感じるの楽しみの一つです。

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4月の日曜学校

栃木県の本寺(専修寺)について
親鸞聖人が下野国芳賀郡大内荘高田へ来られたのは、聖人53歳の時と言われています。ここで虚空菩薩の化身明星天子のお導きを受け、またこの地方の豪族や庶民の懇望を受けここ一宇を建立され、信濃国長野の善光寺から一光三尊佛をお迎えして本尊とされました。聖人のお留守は、当地豪族出身の真佛上人が預かり、専修念仏の根本道場となり、多くの門弟が生まれ、聖人帰洛後、「高田門徒」と呼ばれ、聖人の遺弟中最大の教団となりました。真佛上人の後、顕智上人が継承し、聖人の入滅にも立ち会われ、御遺骨を抱いて高田に帰り、御廟を建てられました。その後「専修念仏の旗手」との意味合いから寺号を「専修寺(せんじゅじ)」と称することになりました。
親鸞聖人の御廟は、高さ145cmほどの石塔で、「笠塔婆(かさとうば)」と言われる形式です。それは高田本の「親鸞聖人伝絵」に描かれた聖人の墓碑と同一形式であることが意義深い。聖人の御歯骨が納められています。

15世紀半ば、第10世真慧上人は、伊勢の一身田に別院の無量寿院を建立し、東海北陸地方へ教線を拡大せられた。しかし、戦国時代、高田の専修寺は兵火のため炎上し、廃墟になったので、教団の本山としての機能を一身田に移し、無量寿院も専修寺と呼ばれるようになりました。
高田の専修寺は、江戸時代になりようやく復興し、高田教団では、本寺(ほんじ)と呼び尊んでいます。国からは、「親鸞聖人の宗教遺跡」として唯一の史跡指定を受けています。

  現在の本寺には、涅槃堂に木造の釈迦涅槃像(元禄15年(1702)制作)が安置されているのが目を引きました。
また、三谷の草庵も2年前に改修されていました。
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春の行事

桜も満開の頃、4月7日8日にメリシャカ(花祭り)を開催します。誕生佛に甘茶をおかけください。よろしければ花御堂へお花を一輪お供えください。甘茶もございます。隣寺の花祭りも開催されています。隣寺でスタンプをいただき妙華寺にお持ち頂きますと記念品をお渡しします。
布教大会の開催のお知らせ
4月9日(土)の午後1時30分から3時45分 妙華寺の本堂にて
【内容】お勤め・短めの法話×4名・茶話会
京都若手僧侶法話勉強会(愛称 こんぱす)様は、関西圏にいる若手の僧侶が老若男女問わず伝えられる法話を目指し、日々研鑽しているグループです。
ご法話をご聴聞していただく皆様が、ご法話をする布教使をお育ていただくことになります。是非ともご法話をお聴聞していただき、若い僧侶をお育てください。
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4月のおてらおやつクラブ

4月のおてらおやつクラブ
3月に「神戸スイーツ学会」からご寄付がおてらおやつクラブ事務局様にありました。
・本企画は、普段洋菓子を食べる機会のない子どもたちに、美味しい洋菓子を食べてほしいというものです。お渡しするのは「子ども」限定とありました。
こうした企画が企業からおてらおやつクラブに持ち込まれるのは非常に有り難く、いつにも増して子どもたちに笑顔を届けることができると思います。
ぜひご協力をお願いしたく、企業さまからのご賛同もお待ちしております。
また、松阪市の方から「おてらおやつクラブ」の一人親家族様へとお菓子を一箱お送りいただき大変うれしく思い、お礼申し上げます。今回、「神戸スイーツ学会」様からのバームクーヘンと一緒に妙華寺がお送りしている一人親家族様にもおすそわけの一つとしてお送りいたしました。

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本寺御復座法会

一光三尊佛お送り本寺御復座法会参拝の旅
平成28年3月31日(木)~4月2日(土)に参加させていただきました。
本寺には何度か行ったことがありますが、一光三尊仏の御復座法会に参詣するのは初めてでした。約150名の参加で、今回は天気にも恵まれ、本寺の桜も満開の中での法会でした。
10年ぶりの本寺ですが、本当に心が落ち着くというか一身田の本山とは違う空気に覆われているような感じです。私には、親鸞聖人の御廟が感じさせているように思います。
聖人の御歯骨が納められている御廟の間近で手を合わすことができるのは本寺ならではの魅力です。4月1日の午後の法会で、前御法主様の御親修・御親教にあうこともうれしい時間でした。法会の期間中、涅槃堂の前では、誕生仏に甘茶をかける花祭りもあり、宝物の展観もあり有意義な1日でした。次に三尊様にお遇いできるのは、14年後の平成42年(2030年)。できることなら、参詣できればと思い帰路につきました。

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坂田様からのおたより

3月の終わりに連絡をいただきながら遅くの掲載になりました。お詫びします
坂田様が京都の永観堂に参詣にいかれた時のことを書いていただきました。
永観堂は、紅葉もきれいですが、桜もきれいなようです。
京都東山の古刹 
 永観堂禅林寺の本堂にお参りするとご本尊のお厨子の側に1メートル足らずの佛さまが立って いられます。これが「みかえりの阿弥陀如来」さまです。
 今から930年あまり前のこと、えいかん堂の住職永観さまが50歳のころ、毎日6万遍のお 念仏を勤めていられました。あるとき、阿弥陀像のまわりをお念仏しながら歩いていられます(行道という)と、永観さんの前に突然、本当に突然、須弥壇に安置してある筈のご本尊が壇上から降りてこられて、「永観 おそし」と、お声を掛けられました。ご本尊が永観さんの前を歩かれて先導されたのですからそれは大変 なこと、これは佛と一体になられた世界であり、佛と人がなんの空間もなく密着し、すべてが佛の救済の中にあるとき、このような現象も可能であるといえるでしよう。
 「永観 おそし」と言う佛の声が聞こえたとき、阿弥陀像は首を左に向けられたというお姿をか たどって像立された佛さまが今日に伝わる「みかえりの阿弥陀如来」です。
 永観堂は浄土宗のお寺で、京都随一の桜の名所、ぜひ一度お参りしてくださいませ。
                     法苑院妙華寺檀徒 坂田 信昭
2015-10-10坂田様!cid_DFB8B486-5941-42C7-AA63-980EA1C2E668@za_ztv_ne

ひとくち法話

煩悩具足のままで(ぼんのうぐそくのままで)
人間の心の中には、さまざまの欲望が渦巻いています。食欲・性欲・睡眠欲は、動物としての生きる本能でしょう。これに人間だけがもっている金銭的な欲望と他人に対する優越感や虚栄心から起こる名誉欲があります。これらをひっくるめて『貪欲(とんよく)』といいます。
次に自分の思惑と違って誤解されたりすると腹の虫がおさまらない、いわゆる「怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心」が湧いてくる。これを『瞋恚(しんに)』といいます。それに、もろもろの不平不満やいつまでも執着してあきらめきれない心を『愚痴(ぐち)』といいます。
以上の三つのものを総合して、「三毒の煩悩(さんどくのぼんのう)」といっています。
これを細かくわけていくと実に多くの煩悩がでてきて、昔から「108の煩悩」とか「8万4千の煩悩」とかいってきました。一般に「仏道修行(ぶつどうしゅぎょう)」というときは、その煩悩を退治するための修行のことをいいます。きびしい修業によってひとつひとつの煩悩を断ち切って仏の悟りにいたるのです。これは聖者(しょうじゃ)の道であります。
しかし今、私たちは、親鸞聖人のお導きで、阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願のお力を聞信(もんしん)することによって、煩悩のままで救われていくという、他力念仏のみ教えをいただきました。煩悩具足の私たちにとっては、これがほとけになる唯一の道なのです。そして生きながらにして仏に等しい位につくと教えられ、これを『平生(へいぜい)往生』といい、また『現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)』とも『不退の位』ともいいます。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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次の御開扉は、2030年(平成42年)

今日(30日)高田本山で、三日間にわたる一光三尊佛御帰山法会が終わり、栃木県の本寺にお帰りになります。本寺の方では、御復座法会が4月1日より行われます。
改めて、一光三尊仏の由来について記載します。
栃木県の本寺に伝わる一光三尊仏は、親鸞聖人が自ら善光寺よりお迎えされ、親しく御恭敬されました尊像であり、真宗高田派のご本尊であります。
この尊像は、中央に阿弥陀如来、脇侍(わきじ)として向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が一つの光背(こうせ)におさめられいますので、一光三尊仏と言われています。
一光三尊仏の伝来については、かつて印度の月蓋(がっかい)長者が釈迦如来に懇請し、閻浮檀金(白金)で造られ、中国・百済(朝鮮)に渡り、欽明天皇の時代に百済の聖明王より、朝廷に献上された我が国で仏教伝来の最古の尊像であります。
当時、仏教に反した物部の守屋大臣が、この尊像を七日七夜「ふいご」でふき、3日3夜鉄板上で打ち砕こうとしたが失敗し、ついに万策つきて難波の堀江に棄てたと言われます。堀江に沈んで18年、推古天皇の8年に信濃国の本田善光という者が縁あってすくい上げて、郷里の信濃国にお伴し、自宅の臼の上に祀っていたが、多くの人々の信仰が厚くなり、やがて、勅命(天皇の命)により、長野に善光寺が建てられ善光寺の本尊となった。
嘉禄元年(1225)関東各地を教化されておられた親鸞聖人が、下野国高田にお寺を建てようとせられた時「速やかに信濃国善光寺に来るべし、我が身を分かち与うべし」と夢のお告げがあり、善光寺に赴き、一光三尊仏の一体分身の尊像を感得せられ、笈(おい)に納めて背負って高田へ帰り、専修寺の本尊としてあがめられました。
高田本山の第10世真慧(しんね)上人の時に、本山は伊勢国一身田に移されましたが、下野の高田にそのまま一光三尊仏が安置され、善光寺にならって長く秘仏とされてまいりました。寛永15年(1638)第14世尭秀上人が本寺専修寺で初めて御開扉されました。その後、享保14年(1729)第17世円猷(えんゆう)上人が、伊勢をはじめ各地の御同行にも、尊像を拝ませたいと思し召し、出開帳をお許しになられ、それ以来17年目ごとに勝縁に遇うことができるようになりました。
王室においては、桜町天皇、後桃園天皇、後桜町天皇、光格天皇、仁孝天皇、明治天皇から御親拝あった尊像でもあります。
これらのことから、三国伝来の一光三尊仏、天拝一光三尊仏ともいわれます。
親鸞聖人の御和讃に
「弥陀 観音 大勢至  大願の船に乗じてぞ
生死の海にうかびつつ 衆生をよぼうてのせたまう」
とあります。私たちの救われて行く姿を如実に現して頂いている尊像に深く感激された一首でしょう。
妙華寺としては、大正7年12月12日より5日間御開扉申し上げましたのが始まりで、今回の御開扉は平成26年5月は7回目のご勝縁でありました。
次回の御開扉は14年後の2030年になります。

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生活の中の仏教のことば

「娑婆(しゃば)」
梵語(ぼんご)で忍ぶという意味の音訳。人間界のこと。この世は、悩み苦しむことが多く、それに耐え忍んでいることから、この世を娑婆という。
自由のない刑務所から出ることを娑婆に出るという。忍土(にんど)には違いないが、地獄よりはましだと意味でつかわれている。

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