何故ご聴聞するのか? 私の場合どこか安心したい思いがあるのだと思います。先日、高田本山で布教伝道大会がありました。
また、 「死」について安心して聞ける場所がお寺ですと講師先生がおっしゃられましたこともお寺を預かる者として、お同行の皆様方に本当に安心していただく場になるよう精進していかなければいけないことと改めて感じました。
おてらおやつクラブ
果物のお供えがありました。一人親家族様にお届けするおてらおやつクラブでは、発送予定をしている時に果物のお供えがあることが少なく主に日持ちするお菓子が多いです。今回は、果物のお供えがありましたのでゴールデンウィークには少し早いですが発送いたしました。
恭敬のこころに孤独なし(くぎょうのこころにこどくなし)
「好きな釣りだけではなく、旅行や地域活動にもできるだけ参加してきた。けど、なぜかいつも心は重く、あまり人と話をする気にはなれんかった」と嘆かれたお年寄りがありました。
奥さんに先立たれ、家族からも何となく疎外されるようになって、孤独な思いをもったのでしょう。それを振り払おうとして努力してみたが、心の空洞は益々深まって「何のために生きてきたのか」と自問自答するばかりだというのです。
本願力にあひぬれば むなしくすぐる人ぞなき 『高僧和讃 天親讃第3首』
これは親鸞聖人が和讃の中でのべられたものです。本願力とは苦しみ悩み続けている私たちを「必ず救う」という仏さまのお働きです。この教えにめざめると「何のために人のいのちをうけて、いきているのか」という理由がわかります。
ひとりで生きているという思いこみは疲れます。私だけが、うちだけが何故という自問自答では、道は開けてきません。私のいのちは、天地自然のめぐみ、社会の相互扶助、我が身の不思議な働きなど、すべて『おかげ』で生かされて生きていたということに気がつくと肩の荷が軽くなるでしょう。
そして、このおかげさまが、恭敬のこころです。
『おかげさま』といただく生活から、たくさんの人々との暖かい出会いが開かれてまいります。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より
葬儀 前住職の一つ上の兄の葬儀式にお焼香させていただきました。
前住職の兄弟は6人で、戦争で亡くなられている方もいましたが皆お浄土へ行かれました。前住職の父は、高田派のお寺に生まれ、ご縁があり、浄土宗のお寺に入寺しお念仏の道を歩まれました。一番下の子供として生まれた前住職は、高田派の妙華寺に入寺してお念仏の道を歩まれました。父とこの度ご往生されました一つ上のお兄さんは、小さいときからいつも一緒にいて、「あきちゃん」・「かずちゃん」と互いを呼び合い父が病で入院最後まで夢を見ていたのか、「あきちゃんが来た」とか、一番上の姉さんの名前を呼んだり、最後まで兄弟のことを思い起こしていたようなことを改めて思い出しました。前住職の葬儀は、本堂の改修時で妙華寺会館で執り行いました。前住職の七回忌ももうすぐやってきます。
四季の花 3月から4月にかけて境内は華やかな彩りになります。
赤、黄、白、紫など名前も覚えていない花が咲き出します。先週桜が満開でしたが、今年は早くも藤が咲き始めました。
「食堂(じきどう)」
一般には食事をさせる店や各家の台所を食堂(しょくどう)と呼んでいますが、もとは寺院の七堂伽藍(がらん)のひとつでした。僧房なので、「堂」の一字がついており、食事のマナーもきびしいものがあります。今日でも、食前食後に手を合わせ「いただきます」「ごちそうさま」というマナーは生活の基本になっています。
京都若手僧侶法話勉強会様の主催の布教大会が行われました。
およそ50名の方々がご聴聞に駆けつけてくださいました。
最初にお勤めがあり、出勤僧侶は、西本願寺の方が多く普段唱和されない「文類偈」の節を心配されていましたが、堂内の大勢の大きな声で一緒に合わせて唱和されていました。
ご法話される若手の4名は、少し緊張の趣で始まりましたが、落ち着いた口調で自分の経験を交え、阿弥陀様のはたらきを讃嘆され、最後に会の代表の中西正導師(本願寺派布教使)がまとめられました。その後、茶話会では、お茶とお菓子をいただきながら若い僧侶が、ご聴聞された方お一人、お一人のお話しをお聞きしたり、お尋ねに丁寧にお答えしていました。平素のお勤めの後に私(住職)とお同行の皆様との話より活発な会話で私に課題を与えていただいた感じです。
ご聴聞をいただきました皆様には、お同行様をはじめ、地域の方々、河芸の満願寺様の坊守様と婦人会の皆様や、近隣のご住職様にもお越しいただき大変感謝申し上げます。
また、京都若手僧侶法話勉強会様には、遠方より三重県津市久居の妙華寺までお越し頂き、布教大会として4名のご法話をご聴聞できることを楽しみにしていました。
現代は、仏教のこと、親鸞聖人のことなど、書籍やメディアで知ることもできますが、ご法話を聴聞することは、布教使様とご聴聞する私たちが一体となり、仏徳讃嘆を作り上げているように感じます。布教使を目指している若い僧侶と共にお育ていただいた時間となりました。