あの日から5年

あの日から5年
5年前の3月11日 母を歯医者に送りいったん家に戻ってPCの前に座った。
私の住んでる三重県津市では身体の揺れは感じなかったが、部屋の電灯がゆっくり揺れ出した。「地震?」と思い、TVをつける。そのうちに大きな津波が映し出されて息をのむ。初めてではないが胸をしめつけられる。何も手がつけられず時間だけが過ぎていく。遠くにいるのに現場にいるような感覚。忘れることのできない光景。
これまでも忘れることのできない出来事はあるけれど、とっても心が締め付けられていた1日でした。翌日から多くの方々がボランティアとして現地で活動をされていました。私は「身が動く」こともなく、被災された方々にできることは何か考えていました。申し訳ないことですが、自分にできることはわずかばかりの義捐金をお送りすることと、翌月の4月11日と翌年の3月11日にお勤めを本堂でお勤めすることだけでした。何が私の中で変わったのか?変わらないのか?
『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』木越康著 法蔵館の中で、35歳の息子さんを亡くされた方の話がある。365日泣いて、そして「もういいの・・・」と言わざるえない現実。頭の中にある地獄ではなく、地獄の中を生きている方々がいる。また中学の子供さんを亡くされたお母さんが「復興の定義が人それぞれ違うと思いますが、私にとっての復興とは息子が帰って来ること。なので、わが家にとって復興はありえません」の言葉は決して忘れてはいけない。違う章で高橋源一郎氏が親鸞聖人に魅せられ、その言葉に大きく心揺さぶれた経験が紹介されている。そして「もう5年」「まだ5年」この時期になるとメデイアなどで特集が組まれ被災者の現状を知り、現地で活動を続けられている方々のご苦労を知るのですが、それでも今年も、この日には何もできなくて申し訳ないとつぶやきながらお勤めすることでした。

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