中陰逮夜忌

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。

妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)とありますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケァする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。

11月のおてらおやつクラブ

11月のおてらおやつクラブ 16日に一人親家族様へおすそ分けさせていただきました。支援団体様へは12月の報恩講に支援団体様と行事をさせていただくことになりました時におすそ分けを予定しています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

 

釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心は得しめたる
信心の智慧に入りてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

釈迦弥陀の二尊の大慈悲によって 私どもは大菩提心を頂くことができた
は即ち、如来より賜る信心の智慧であって この信心の智慧を得ればこそ、仏恩を感じてこれに報い奉ろうとする身とはなるのである。

願作は、仏になろうと願う心

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

 

『正像末法和讃』第33首
「釈迦弥陀の慈悲よりぞ」の表現は、国宝本にも文明本にも「釈迦弥陀」となっております。こういう場合は「釈迦弥陀二尊」「二尊一致」ですから、この「一」に着目しておいでになるのだと思います。こういう聖人のお言葉というものは、ご恩を感じての深いおもいです。「釈迦弥陀」「弥陀釈迦」と、弥陀のなかに釈迦が生きつづけておいでになる。われらに慈悲をもたらしめたもう二尊のご恩のかたじけなさを詠っておられるのであります。「釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる」、「願作仏心」というのは、前に何度もでてまいりました「浄土の大菩提心」であります。「仏になりたいと思って弥陀の誓いを信ずる心」、これが「願作仏心」です。国宝本の左訓に、「われをしてほとけにならしめたまえと、ちかいをしんずるこころ」とあります。「釈迦弥陀二尊の温かい、こまやかなおはたらきによりまして、私の身に願作仏心をたまわることになりました」と。そうしてその「願作仏心」のことを言葉をかえて、つぎに「信心の智慧にいりてこそ」、国宝本左訓には「弥陀の誓いは智慧にてましますゆえに、信ずる心のいでくるは智慧の起こると知るべし」とありまして、「信心となって生きて働く智慧に入ることができてみますと、仏のご恩を報ずるというよろこびがわいてきたのであります」と。「仏のご恩を報ずる身」とならなければ、これはわが身に何ごともおこらなかったということです。聖人が「正信偈」をお作りになるときにも、「知恩報徳の為に」「恩を知りて徳を報ず」「仏恩の深遠なるを信知して」といっておられます。だから、仏恩を報ずる心がおこったことが、信心だということです。信心のしるしということは、ご恩かたじけなしという思いがわが身におこってくることです。ご恩を感ずるということは、わが身には、ほこるべきものは何もないということです。自我妄執が砕け散るばかりです。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】

「仏教は自死・自殺にどう向き合うか」

11月10日、「仏教と自死に関する国際シンポジウム」で、花園大学の佐々木閑師の基調講演「仏教は自死・自殺にどう向き合うか」を拝聴しました。とっても丁寧な資料をいただきました。
これまで仏教では、自死・自殺は悪であると教えられ、自死遺族の方々を苦しめていることがありました。しかし、徐々にではありますが自死・自殺が仏教で悪でないと言うことを知らされることになりますが、どうしてこれまで仏教では自死・自殺は悪であると教えられてきたのかについて、お釈迦さんの時代では自死・自殺で亡くなった方も、「般涅槃」したと仰せられていたが、時代が下がっていく中で、他の事例と混同しながら自死・自殺が「悪」であるように思われるようになったと佐々木先生の専門の律(仏教の法体系)から分かりやすくお話がありました。

講演の最初に、お釈迦様は、「平等」を説かれましたがこれは、生者だけでなく、死者も共に平等であること、そして自死・自殺について論じる時も死者も聞いている(一緒にいる)ことを胸にして論じることであると仰り、生者のおごりに気づかされました。 仏教における「悪」の定義を説明され、自死・自殺はその定義に当てはまらないことと説明され、自死・自殺は、仏教では仏道に入って涅槃へ至るチャンスを自ら手放すことで「もったいない行為」と話されました。また、教団について、本来ひとりの人をまるごと受けとめることがサンガ(教団)のあり方であったが現代ではその力が無いのが残念であると仰いました。
私(住職)の中で勉強不足で知らないことばかりの律(仏教の法体系)について、多くの事を学ぶことができ、お釈迦様が自死・自殺についてどう思われていたかがわかる貴重な時間をいただけたことに感謝しています。

「仏教と自死に関する国際シンポジウム」自体は、11月6日から海外の自死・自殺に関われている仏教徒を含め、横浜からスタートして京都で最終日を迎えたようです。参加された方々の日本と海外の自死・自殺に関する取り組みの事例発表から見えてきた課題についても活発な議論が進んだようです。この日は、このシンポジウムを振り返って、お話をされていました。日本でも自死・自殺に関わる僧侶や市民が増えること念願します。

※中川個人の感想です。

「御影堂平成大修理に想う」『教学院報』2002年3月発行 第25号 「研究員のひとこと」

『教学院報』2002年3月発行 第25号 「研究員のひとこと」
「御影堂平成大修理に想う」
 御影堂平成大修理が、平成12年から始まり2年が経過いたしました。
 専修寺の御影堂が大きいのは承知していましたが、重要文化財の木造建造物で全国で五番目の規模であることを最近知り(教学院報第22号)、改めて巨大建造物を建立した当時の御法主であられた 堯朝上人、堯秀上人、堯円上人を中心に多くの先達の方々には大変なご苦労あられたことと感じています。
 素屋根の中で、昨年瓦を降ろしている作業を見入りながら、現在は多くの機械を使用しながらの作業ではありますが、最後の所は職人の一人一人の手で一枚一枚瓦が降ろされていました。9万枚弱の瓦の中には330余年前の瓦が、今もりっぱに役目を果たしていることにも感慨深い思いがあります。今年の3月までに予定どおり解体が終了し、計画に沿いながら修復に取り掛かるようです。
 また、寺院を中心に発展してきました寺内町の形態も全国的に数少なくなっていると聞いていますが、この一身田では、本山行事・町の行事に住民の皆様方の本山を敬う気持ちは脈々と続いています。
 今の私達ができることは、多くの先達の思いを次代に伝えることであります。新しく修理されます御影堂が、更に念仏申す者の悦びに満ちた空間になるよう修理事務に携わらせていただき、先達のご苦労、今回の平成大修理にも数多くの方々の熱意ある取り組みに敬服している次第です。

※高田本山の宗務院に御影堂平成大修理事務局が開設され、職員として仕事をしていました。ちょうど2年間の解体作業が終了する頃で、4月から修復作業に入る時に掲載させていただきました。高田本山のことや御影堂の建造物としての知らないことだらけの中で岩田修理事務局長や文建協の大城所長に色んなことを勉強させていただきました。同時に教学院の研究員として平松先生を始め、諸研究員の皆様に真宗高田派の法宝物のことや、親鸞聖人のみ教えをお教えいただくことができとても感謝しています。大変充実した日々を送ることができたのは、当時の妙華寺のことは住職に任せっぱなしにできる環境があったからです。
また、この度高田本山専修寺の御影堂と如来堂が文化審議会から国宝への答申があり国宝になります。御影堂の修理事務に関わっていました者としてとてもうれしく感じています。
今住職として妙華寺を次の世代に伝えていくことの大切さを、高田本山の立派に修復された御影堂を見上げて思うことです。

講演「死を考えるほど追い詰められた方にどのように寄り添うか」

10月27日、三重県こころの健康センター主催の、今年度の相談窓口対応力向上研修に参加させていただきました。参加者は、学校の先生、行政や福祉・医療機関の窓口で働く方が多いように感じました。講師は、東京学芸大学教育心理学の准教授の福井里江氏で、「死を考えるほど追い詰められた方にどのように寄り添うか」~辛さを受けとめ、生きる力をもとに見出すための実践スキル~という講題でした。福井氏は、三重県で昨年から講師としてお話をされているようで今回が3回目の講演だそうです。私(住職)は、初めての参加でしたたがとても分かりやすいお話とワークで勉強になりました。お話の最初に、「(講題に)実践スキルとありますが、相談の最前線では、ノウハウやマニュアルはありません。人としてその人にどう向き合う」かが大切なことであると仰られました。また、「生きる」ことを、呼吸と対話ととらえることも示され、自分の感覚に気づくためにマインドフルネスの効用の紹介もあり、5分ほど呼吸に集中すると会場の雰囲気も変わったように思いました。
講義は、自殺の三要因の中の自殺潜在能力を高めてしまう要因を紹介され、関わり方に焦点をあて対応方法の注意点のお話がありました。まんじゅう理論から見る承認のポイントの話は、私は初めて聞くことで全て理解ができたかと言うと十分ではないですが、「あんこ」と「皮」への質問も紹介されました。今回の「生きる」定義の1つ対話について、水平の対話(外的な対話)と垂直の対話(内的な対話)の紹介がありました。
ワークでは、自分以外の方の話し方やしぐさを知ることも大切であると教えていただきました。死にたい方への支援が大切なのは言うまでもありませんが、その家族への支援も忘れてはいけないことも改めて感じました。
相談窓口を対人支援の最先端ととらえると、僧侶を対象にした宗派の研修に取り入れることも必要と感じました。
※中川個人の感想です。

※この研修の後、神奈川県座間市で、SNSを使って多くの希死念慮者を殺害した事件の犯人が逮捕されました。詳細は調査中で現在被害者の身元が確認されているようですが、全体像はわかっていないようです。 この事件で、希死念慮者の本心をサポートできる安全な場所ができることが早急に望まれます。また、この事件でなくなられた方のご遺族へのサポートもしっかり取り組むことも考えて行かなければいけないと思います。

※希死念慮者についてのシンポジウムに参加しての感想を、お寺のHPのブログ(2016-12-25)に記載したものを再掲します。

「死にたいにまつわる言いたいようで言えないそんな気持ちのもっていきどころについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが56字あるシンポジウムに参加しました。「テーマは若者」とあり還暦の私(住職)はどうしょうか思いましたが、昨年は聞くことが出来なかったので参加させていただきました。登壇者は、希死念慮者の対人支援の最前線で活動されている方々で、ライターの橘ジュンさん、精神科医の松本敏彦先生、主催者代表の竹本了悟師、進行役として毎日新聞記者として自殺問題に積極的に取り組まれている玉木達也氏の4名が前半それぞれの活動の中での気になることを共用しながらそれぞれが本音で相手に向き合っていることが伝わってきました。
後半では、会場からの質問に登壇者が答えていくのは、ライブ感のある時間で、ツイッターでのつぶやきもスクリーンに表示されて今の若者には当たり前なのかと思わずにはいられなかったです。一人一人の希死念慮の背景は複雑ですので丁寧に1つ1つ見ていくことの大切さ、社会の中で無関心層を少なくしていくことの取り組みなど対人支援の最前線で活動されている方のお話しは私(住職)には一度に全て理解できないほどのボリュームある内容でした。

ライターの橘ジュンさんは、若い女性の本音(声にならない声)を届けたいことから若い女性と出会ってこられた時に、本人が困っている状況なのに、行政や病院など支援先で本音を出さずむしろ悪ぶって支援を拒否してしまう若い女性達。若い女性が被害に合う前に一時的に避難できる場所が必要とのことや支援を受ける女性が対人支援を行っている男性には心を開くことが出来ない話は実際の活動から見えてくる提案でした。会えば素直に話ができる子と会っても話ができない子などさまざまな女性を少しでも支援先とつなぎたい思いからNPO法人BONDプロジェクトを設立された橘ジュンさんの思いをとても熱く語られました。
精神科医の松本敏彦先生には、依存(症)には、依存してしまう中で自分の存在が確かめることができる場合があるようで、その中に薬物やアルコールなども含まれるし、DVの中の関係性にも見ることができるようです。
自傷行為には、人が信じられないことや、自分に価値がないと言われ続けていたこと、勇気を出して人に頼ったがダメだった経験が、弱い自分を見せても良い場所がなく、死にたいことを、自傷することで自分の中で解決しようとしていること。自傷行為を弱い人間として見るのは間違いで、周りに迷惑をかけたくない思いも含まれていること。
希死念慮者へ「自分を大切に」「命を大切」と言う言葉が届くかと言えばそこには相手に向き合う姿勢が感じられないと難しいこともお聞かせいただきました。
主催者の京都自死・自殺相談センターの竹本了悟師は、面談や電話相談より、メール相談の匿名性によるハードルが下がったことの対応についてや当センターの事業を行っている中で慢性的人的不足に、多くの方がボランティアとして関わっていただきたいこと。僧侶として、どのような死に方にも良し悪しはないことや、ご自身の体験の中で今の時代のあたりまえが当たり前でないことや、私の中にある合理的・効率的とか自分の都合を優先してしまうお話しに考えさせられました。
毎日新聞の記者の玉木達也氏も、マスコミの中の一人として自殺対策へのこれまでの取り組みや今の現状でご自身がされていることを紹介されました。

会場には多くの若い参加者がいました。私(住職)にはそれぞれが抱えている本音を若者からみればおじさん、または老人である私(住職)に話してもらえるかと言えば決して話してもらえないと感じます。そこには関係性をどのように作り出していくかが問題となります。希死念慮者の対人支援を学ぶにあたってもグリーフケアを少しだけ学んだ私(住職)の中では、高いハードルがあるように感じています。それでも自分の中で考えていく事の1つとして大切にしたいです。
※中川個人の感想でもっと大切なこともシンポジウムでは話し合われました。

 

10月のおてらおやつクラブ

10月のおてらおやつクラブ 先週は台風の前から雨が続いて、秋千部会の案内が遅れて、おてらおやつクラブの発送も少し遅れてしまいました。25日、一人親家族、支援団体様へおすそ分けさせていただきました。12月の報恩講に支援団体様と行事をさせていただくことになりました。楽しみにしています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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絵解き説法

絵解き説法
10月26日、高田本山の大講堂にて「絵解き説法」がありました。主催は、三河すーぱー絵解き座と言う団体で、21年前に絵解きの勉強会から始まり愛知万国博覧会で出演を期に「三河すーぱー絵解き座」を旗揚げしたそうです。宗旨宗派を越え、僧俗の別を越え、仏教をわかりやすく視聴覚に訴え、時に面白く、有難く、尊い、絵で法を解く「絵解き」を続けられているそうです。今回のチラシに「What`s絵解き?  掛軸に描かれたお釈迦様やお祖師様のご生涯や仏教の教えを、わかりやすく、尊く、またおもしろく語る説法」とありますので、芸能や娯楽では無く、ご法話の1つの形としてあるようです。


私(住職)は、絵解きは、以前はお寺の行事の報恩講や一光三尊仏のご開扉法会でも盛況に行われていたと聞いていましたが、実際見ることも聴くことも無く、絵解きをする方も高齢で少なくなっているものと思っていました。でも「絵解き説法」の伝統を守りつつ、今も研鑽されている若い方々がいることを知りうれしく、また高田本山を会場にして開催されることを知り、夜の部に聴聞させていただきました。


私(住職)にとって初めて聴く「絵解き説法」は、「二河白道」、「釈迦涅槃図」、「親鸞聖人絵伝」の掛軸を用いて三人の方が、それぞれ掛軸に描かれていることを示しながら仏法を語るのですが、視覚に入る絵(掛軸)がありそれを拝見しながら聴聞することは、布教使のご法話を聴聞するのと、また違った楽しさもありました。また、現代の機器を使用しながらの新しい絵解きは、若い世代の方にも受け入れられるようにも思いました。
妙華寺でも、『お寺で体験』の12月24日は、4幅の「親鸞聖人絵伝」で来年2月25日は、「釈迦涅槃図」を使い、「三河すーぱー絵解き座」の会員でもあります、真宗高田派潮音寺の住職村上英俊師によります絵解き説法をお願いしていますので是非ご聴聞ください。(『お寺で体験』にご参加されます方は、事前にお申し込みが必要です。妙華寺にお問合せください)

年忌(回)法会のお勤め

年忌(回)法会のお勤め
お同行様の年忌(回)法会のお勤めは、お経・文類偈・和讃(自宅では五首、お寺では一首)・念仏廻向文・御書(自宅では改悔文)拝読です。
「どうして文類偈なのですか」とお尋ねがございました。
高田派では、お勤めの時に「文類偈」に親しんでいます。高田本山でのお勤めの節が正式と思いますが、地域によって違いがあるのも事実です。私(住職)は、先々代、先代のお勤めの節回しを聞きながら、自分では同じと思っていますが、音程は違うようです。
妙華寺では、年忌(回)法会は、夕事(ゆうじ)のお勤めをさせていただいていますので「文類偈」をお勤めいたしますが、本堂や内仏での朝事(あさじ)のお勤めは、「正信偈」をお勤めしています。親鸞聖人が、先に「正信偈」(『顕浄土真実教行証文類』)を書かれ、「文類偈」(『浄土文類聚鈔』)は後に書かれたからと聞いています。(『顕浄土真実教行証文類』と『浄土文類聚鈔』は、どちらもはっきりした制作年代はわかっていません)
前々住職の時代には、今の時代では考えられないことですが、年忌(回)法会を夕方にお同行様の自宅でお勤めをして、翌日の朝に本堂でお勤め、続いてお墓勤めをすることもあったようです。

本山のお七夜も、逮夜(たいや)から始まり、初夜(しょや)、晨朝(じんちょう)、日中(にっちゅう)が1つのサイクルになっています。

※最近は、生活様式が変化して、家族そろってお仏壇でお勤めをする機会が少なくなり、お仏壇のお給仕(きゅうじ)やお勤めの仕方も次の世代に引き継ぐことも難しい時代なのかもわかりません。そのような時は、些細なことでもお尋ねいただきましたらお話させていただきます。また、正月を除く毎月第1日曜日の朝7時30分から8時頃まで行っています日曜学校で平素のお仏壇のお給仕や、お勤めについて、おさらいしませんか。

【お勤めの作法】
勤行本を取り出し、頂き開きます。錀(りん)を中・小・大と三回打ちます。句頭(くとう)を拝読するとき家族そろってもう一度頂きます。
朝事(あさじ)は、「重誓偈」・「正信偈」「和讃五首」・「念仏廻向文」を勤めます。和讃が終わりに近づき最後の二音で錀(りん)を二つ打ち、三打目は、念仏の句頭の最後「なまんだぶ」の「ぶ」で打ちます。廻向文は、「安楽国」の「ら」で一打。「こ」で一打、終わって一打します。お念仏しながら合掌礼拝してお勤めを終えます。
夕事(ゆうじ)は、「重誓偈」・「文類偈」「和讃五首」・「念仏廻向文」を勤めます。

『真宗高田派の平素のお給仕』より

 

10月20日、国の文化審議会は、日本の代表的な近世寺院建築とされる高田本山専修寺の御影堂(みえいどう)と如来堂(にょらいどう)を国宝にするよう答申されました。三重県内の建造物で国宝に指定されるのは初めてのことだと新聞に掲載されました。
専修寺を本山としています私たち真宗高田派に属する僧侶並びにお同行各位、三重県民、津市市民において、とてもうれしい知らせでした。これまで高田本山専修寺は、身近で親しくお詣りしていましたが、御影堂が重要文化財の建造物で国内で五指に入る大きさということは平成の大修理の時に初めて知ったことでした。
また、親鸞聖人直筆の『三帖和讃』『西方指南抄』など3点は、昭和28年に国宝に指定されて大切に保管されています。3点の国宝本は、現在、栃木県宇都宮県立博物館の『中世宇都宮氏』展(10月29日まで開催)にて展覧されています。
これから益々多くの方々が専修寺の国宝に指定される御影堂や如来堂にお詣りされると思いますがお詣りするだけでなく、親鸞聖人のみ教えにもっと触れていただきたいと思います。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

『正像末法和讃』第53首

弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜむ(ん)人はみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏を(と)となふべし

顕智書写本では「南無阿弥陀仏ととなふべし」とあり、文明本には「をとなふべし」と変わりますのは、聖人の御苦心の存するところとうかがいます。しかもこの「ねてもさめてもへだてなく」は、私どもの生き方が強く問われます。「ねても」というのは、寝るときということだろうか、「さめても」というのは醒めたならばすぐにお念仏称えるということだろうか。そうでなしに寝ているときも称えるということだろうか。これがやれなければ、聖人を慕うような顔をしておってもはじまらない。その方がどれほど尊い方であっても、私がその道を歩むことができなければ、褒めているそのことがおかしい、自分と関係のない人を立派な人といっておっても、これははかないことになります。そういう苦しみをもって思念を続けていますと、「唯除睡時常臆念」こういう言葉をみつけたのです。これは善導の『往生礼讃』の言葉です。善導がわが身に輝いた新しい生命、仏のおんいのちを讃えまつるという『往生礼賛』、そのなかに、「眠っておるときは別にして、常に臆念する」とあります。もとの『観経』「第三観」の「唯除睡時恒臆此事」をよくおよみになったということです。これで解決ができたというのではないのですが、ある一角から光がさし込んだというところです。
もう一つ、『西方指南抄』(中本)にでるところの「もし声はなるるとき、念すなはち懈怠するが故に、常恒に称唱すれば、すなはち念相続す」と。「声はなるるとき」というのは、南無阿弥陀仏の声が途絶えると「念すなはち懈怠す」。この「念」というのは如来に思われて私が如来を思う、如来と私の思い合いです。これが「臆念」です。「懈怠」というのは「なまける」、「途切れる」ということです。だから「常恒に称唱すれば、すなはち念相続す」と。念仏の声が途絶えると、阿弥陀と私とのつながりが途切れてしまう。これが法然上人です。南無阿弥陀仏という声をはなれたら、私らは阿弥陀と直結しなくなる。ここまで念仏中心です。「懈怠」ということを嫌われたわけです。ところが親鸞聖人は、「われらは善人にもあらず、賢人にもあらず、精進なる心もなし、懈怠の心のみにして」といわれる。「精進の心もなし」。しかも与えられた南無阿弥陀仏によって、精進のできぬ身に、精進の心と力を感得するのであります。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】