あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)①

あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)①
寺業計画書を発表する前(講師にコーチングを受けた)の具体的な取り組みは、1法会の改善 2行事の改善 3境内の整備 4(法人)経営の改善を揚げましたが抽象的でありもっと具体案を示すことを指摘されました。そのような中で、お寺の寺業計画のビジョンを具体化する取り組みとして、①お寺のコミュニティの構築を挙げました。これまでもあるお寺のコミュニティとして、地域の自治会のように担当の地区をお世話方様が中心となりお寺の行事の案内などをしていただくコミュニティと、婦人会としてお同行の女性が寺にご奉仕されるコミュニティがあります。本来この2つのコミュニティが十分機能していればお寺として安心できますが、地域のコミュニティと同様にさまざまな要因からふたつの活動が弱くなっています。次のお世話方様、婦人会会員様がいない地区も増える中で、ふたつのお寺のコミュニティが存続できるのか厳しい現実があります。4年前の寺業計画の発表では、妙華寺会館を無料休憩所として開放してお墓参りやお寺に見える方々に集っていただきそこから1つのコミュニティが構築できないかと思って取り組みましたが、残念ながら見込み違いでした。個々がお寺(お墓)に見える場合は、お寺(お墓)と個々の関係で成り立っていて、個々同士が自然とコミュニティを作ることまでの関係は生まれないようです。
住職または、寺族が中心となってお寺を中心としたコミュニティを作ることもできると思いますが、私(住職)には、そのような力がないようです。
お寺の本来の姿として、お同行の皆様が共に集う場(コミュニティ)は仏様を中心とするお寺の行事が主であることを改めて感じさせていだだいています。
お寺の行事に参加していただく具体的な取り組みについては、次の機会に記載させていただく予定です。

 

「未来の住職塾」の7期が今年の4月から開講されます。

ご興味のある方はお申し込みを(お寺の未来様のHPを参照)

いのちの日

いのちの日
京都府では、国、市町村及び府民等が一体となって自殺対策を推進して、悩み苦しんでいる方々が孤立することを防ぎ、全ての府民が地域社会の一員として共に生き、共に支え合う社会を実現することを目的として、都道府県で初めて「京都府自殺対策に関する条例」(平成27年京都府条例第20号)を制定されました。
京都府では、毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。
行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれることが、全国に広がる先駆けになることを願っています。

 

2月のおてらおやつクラブ

2月のおてらおやつクラブ 妙華寺のおてらおやつクラブの活動も4年目に入りました。19日に一人親家族様、支援団体様へおすそ分けさせていただきました。

全国で790ヶ寺以上のお寺様が賛同され、1月の発送数は312件で「おすそわけ」を受け取った子どもさんの数は約8,300人にのぼるそうです。

お寺のお供えがお役に立てることは有難いことです。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
高田派門徒にはとても親しくしている和讃の一つです。

浄土高僧和讃 龍樹菩薩第6首

不退の位すみやかに 得むと思はむ人はみな
恭敬の心を執持して 弥陀の名號稱すべし

浄土往生から退くことのない位を、早く得ようと思う人はみな、わが身をつつしみ教法を敬う心を堅く保持して、弥陀の名号を称うべきである。

不退の位は、真の報土への誕生が確定して後退することのない、安定を得た信心の地位。
『讃阿弥陀仏偈和讃』第29首参照
恭敬は、『讃阿弥陀仏偈和讃』第32首の左訓に「心も及ばず敬うこころなり」とある。教法を敬うところにおのずからつつしみの心が生ずる。
執持は、金剛堅固の信心を表す。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

第4首と同じく『十住毘婆沙論』「易行品」の文によるものです。(中略)
願船に乗ずるとき不退の位を得るのは容易であることを、順風満帆の「不退の風航」と掛けてあるのです。祖聖の現生不退、現生正定について、『尊号真像銘文』よりその一つを選びます。「不退といふは、仏にかならずなるべき身と、さだまる位なり。これすなわち正定聚の位にいたるをむねとすと、ときたまえるみのりなり」と。
「恭敬」について、「つつしみ、うやまう」との左訓に加えて、「小乗おば供養という、大乗おば恭敬という」との注目すべき課題を与えられるのです。恭は自分の身を謙遜すること、敬は法を尊敬すること、これによって機を信じ法を信じる信心のすがたとみます。それでは小乗大乗とは何の意味でしょうか。『十住毘婆沙論』「釈願品」第5の初めに、「小乗の法を以て、衆生を教化するを名づけて供養となす。辟支仏(べゃくしぶつ)の法を以て、衆生を教化するを名づけて奉給となす。大乗の法を以て、衆生を教化するを名づけて恭敬となす」(中略)
『讃阿弥陀仏偈和讃』第32首には「恭敬をいたし歌嘆す」とあります。「執持」は「とりたもつ、散らし失わず。一度とりて長くすてぬにかく」と左訓されて、名号とのかかわりがよく分かります。直ちに『念仏正信偈』龍樹章の、「応以恭敬心執持 称名号疾得不退」を読誦することに誘われます。もとは『阿弥陀経』の「執持名号」「心不転倒」に由来するものでありましょうか。
往生浄土に一歩を印して退転のおそれのない地位を、一念一刻の早さで得ようとする人は誰人も、弥陀仏が名号を選んで本願としたもうた、その本願の名号を、こころをむなしくしてへりくだり、こうべにいただき、どこまでも身から離れないように、しっかりと大切にとりたもち、称名念仏にいそしむことこそが、不退転の実証の華となるということができます。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

※この和讃から五首は、高田派では一番親しんでいる和讃です。ご自宅での年回のお勤めの時には「文類偈」に続いて一同でお勤めしています。

妙華寺の本尊

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
妙華寺の本尊
阿弥陀如来立像 一躯 木像 玉眼・寄木・金泥 像高 51.9cm 江戸時代

妙華寺は、わずかな畑が散在する野辺野高台の野原に、寛文10年(1670)に「永久鎮居」から「久居」と名づけられた城下町に延宝8年(1680)に寺領が与えられ、越前の西光寺から僧自信を招いて、高田本山から、「寂陽山 法苑院 妙華寺」の三号と慈覚大師真作の阿弥陀如来像と三具足を添えて創建されました。

平成26年5月に妙華寺に本寺の一光三尊仏をお迎えして御開扉法会をする時に、ご本尊をご遷座しました。その時に光背を支える部分が緩んでいるのがわかり、修復することになりました。平成27年2月に、当初の状態に修復しました。

お寺のHPの平成27年12月17日にブログで報告させていただいています。

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真宗の本尊
阿弥陀如来立像
「十方微塵世界の 念佛の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」とあります。阿弥陀佛の本願は、衆生のはかりある(有量の)境涯の苦悩を、摂取して捨てずのお心を成就するため、はかりなき(無量)佛になり給う。衆生のために名乗り立ち上がる姿です。佛のお姿を拝見する場合、浄土にあっては佛(覚者)として坐って見えるのを座像と表現し、佛が動き出され佛の座(如)からこちらへ来て下さる(來)と受け取りそれを「来迎」と言う。立って迎えに来て下さるお姿が、み足を踏み出され、蓮華が左右二つ、み手は上求菩提、下求衆生、お指は上品上生等の印。このお姿が来迎佛で、画像では白毫から衆生へのみ光を表現します。
(浄土)真宗の御本尊は、座像でも、立像の来迎佛でもなく、「お真向(まむき)さま」と呼びならわされています。佛の座から衆生の場(五十二段)まで降りきって真向かいに至り着き離れぬ大悲心を表します。衆生の所まで来てくださったので「来迎まつことなし」の不来迎、不廻向で「常来迎」です。如来よりの「御廻向」が、み足を揃え一つの蓮台に乗って見えるお姿になります。古い仏像ではこの蓮華に割り蓮華と言い正面から見ると二つに見えるが一つの蓮台があります。これは来り来る瞬間を表しているのかも。お寺の木造には「お墨付け」が下付され保管されます。「方便法身尊像」と書かれています。基本は本願の「名号」が御本尊ですが、形を以て象徴した時、大悲の願を背負い、生死の苦海を出でまして「衆生を呼ぼうて乗せ給う」お慈悲が、立像として寄り添い、常に喚びかけ給うのが御真向さまです。

高田派の宮殿は、須弥壇と同様の草花文様で色彩された扉がついています。真慧上人が、比叡山で念仏の正意を説き、比叡山の学僧に高田の法流に誤りがないことの証拠として献上されたと伝わり、このようなことから宮殿に扉が付けられたと推察されます。

あれから4年(お寺の寺業計画のお寺のビジョン)

あれから4年(お寺の寺業計画のお寺のビジョン)
寺業計画で掲げたお寺のビジョンは、お同行様がお寺の空間をどのように感じていらっしゃるかを考えていました。私(住職)としては、「お寺は仏様のいらっしゃる神聖な領域」と言うのが一番と考えます。その為にお寺の境内(領域)をどのように整備し管理していくのかと思うのですが、お同行様から見ると、「仏様がいらっしゃる場より、先祖のお墓がある場」で「先祖の供養をする場」と言うのが一番のようにも思えます。また「お寺は少し敷居が高くて気安く入る場とは違う」と思われているようにも思います。お寺との距離感を多少感じるのは、お寺が日常の場でなく非日常の場であること思います。

そこから考えたのが、①お寺の伝統文化の共有と②お寺の非日常空間として活用できないかです。4年前に一生懸命考えていたと思うことも4年後の今見ますとまだ漠然としたもののように感じます。しかし漠然としているから色々なことに挑戦できるのでしょう。この時「未来の住職塾」の講師は、「お寺のストーリー(物語)を大切にすること」と助言していただきました。

お寺を預かる者として(内部から)考えるお寺のあり方とお寺を外部から考える場合
に価値観が違う場合があります。これまでのような僧侶だけの視点で宗教法人を運営(経営)してくことでは「開かれたお寺」としては成り立たないように感じます。今の社会が求めているお寺のあり方とは何か。お寺の住職(代表役員)として、お同行様の考えるお寺のあり方や社会が考えるお寺のあり方に耳を傾けながら、私のお寺(妙華寺)が宗教法人として「開かれたお寺」であるかを改めて考える機会となりました。

※今、公益法人として運営されている相撲協会が話題になっています。組織(法人)の内部からの見方と外部からの見方(見え方)で様々な意見がありますが、組織(法人)として考えると、お寺(宗教法人)も同様の状態であるかもしれません。公益法人は厳格な認定基準がある法人ですが、宗教法人であるお寺もこれからは、外部の第三者機関による組織(法人)運営が適正か審査される時代になるかもしれません。

妙華寺のこれからのストーリー(物語)を、これまでのお寺の物語を踏まえてお寺の住職だけでなくお同行の皆様と共にどのような具体的な取り組みを考えなければいけないのかを考えたいと思います。

「未来の住職塾」の7期が今年の4月から開講されます。2月には「一日体験教室」も全国で開催されますのでご興味のある方はお申し込みを(お寺の未来様のHPを参照)

 

グリーフケアとしての仏事

グリーフケアとしての仏事
平成28年に、上智大学、龍谷大学共催の「グリーフケア公開講座」~生き抜く力~の連続講座を聴講しながら、今年に入って、『グリーフケア入門』悲歎のさなかにある人を支える (高木慶子編著 上智大学グリーフケア研究所制作協力 勁草書房)の中の「日本社会の伝統的なグリーフケア」大河内大博師の論文を拝読しました。

大切な人が亡くなった時のグリーフケアとして仏事を考察されています。
これまでは地域社会で人が亡くなると、その地域で亡くなった方のことを遺族と共に悲しむ中で、亡くなった方を知る僧侶が葬儀を行い、49日間のお勤めを通して、(その後の初盆や、年忌も含めると長い時系列で)遺族や親族、なくなった方を知る地域の方で悲しみを共有することがグリーフケアとして大切な要素であったと思います。
そのグリーフケアの大きな要素であった地域社会で共に悲しむ「死」が、家族だけで悲しむ「死」や、悲しむことができない「死」へ向かっているように思え、大切な方が亡くなった時のグリーフケアとしての仏事をどのように考えていくか僧侶にも意識の変革を求められていると感じました。
僧侶として「死」を悼む儀礼の先にあるものと、大切な方を亡くした遺族の考える「死」を悼む儀礼の先にあるものが決して同じではないことを前提として仏事がどうあるべきか考えていかなければいけないようです。

ご遺族様の亡くなられた方への思いはさまざまでありますが、亡くなられた方を「忘れたくない」「忘れられない」のお気持ちに耳を傾けながら、ご遺族様と亡くなられた方の新たな関係を築いていくことが大切でないかと考えています。

グリーフケアとは直接関係はありませんが、独り住まいの方がお亡くなりになり、後日分かり、ご縁のある方がお寺に連絡をいただくようなことが最近増えているように感じます。地域のコミュニティが以前より希薄になっているのは感じていましたが、行政のセーフティーネットにも漏れ、近所の方も気づかず亡くなられていたことが、私の町でも起こっています。

私達は、生活の中で将来(老後)の不安はとても大きくて、その心配で今を、自分らしく生きることができない時代と感じます。独り住まいの方だけの問題でなく今生きている私の問題として、将来(老後)の不安の先にある「死」の不安をどのように感じていらっしゃるのでしょうか?
どのような状態で「死」を迎えても、「私は救われるのか?」、「阿弥陀如来の私へのお救いとは?」

私の後生(ごしょう)の一大事について、心の不安を解き放す1つとして、布教使のご法話を何度もお聴聞しながらうなづかさせていただくしかないと思います。

和讃の紹介

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土和讃 現世利益和讃(国宝本では14首)(文明本では11首)

天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり

天の神も地の神もすべて、仏法を守護するよい神々であるから善鬼神と呼ばれている。
これらの善き神々がみな一緒になって、念仏する人を護られる。

梵王帝釈四天王等が天神、堅牢地祇八大竜王等は地祇。
超人間的な力能を持つものを鬼神と言い、その力能によって仏法を保持し、国土を守護するものを善鬼神、これに反するものを悪鬼神とする。

※ 標題の「現世の利益和讃」の註解として
他力の信を得て念仏する者にはおのずからこの世の利益が法徳として

そなわることを、主として金光明経に拠りつつ和讃する
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

梵天・帝釈天・四天王などの天の神、堅牢地祇・八大竜王などの地の神はみなもろともに、不思議な能力を備えているから鬼神と呼ぶべきですが、仏法を守護しますから善鬼神と名づけます。これらの善神はみな一緒に、南無阿弥陀仏と称える人をお護りになります。

※他の首の解説の中で、「現世利益和讃」といっても、「浄土和讃」の中に編入されているのだから、阿弥陀仏の称讃を離れていないのです。現世、この世といいつつ浄土よりのはるかな慈光を蒙る中に見い出されたものなのです。浄土に対して現世の存在を主張しているのではありせん。浄土があるからこの世はないがしろにするのでなく、浄土の光の中たしかな一歩をふみしめることができるのは、護りの力がはたらいていることをあらためて知るのです。
以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】

『お寺で体験』5回目は、1月28日です

今さらではありますがお寺について知りたいけど、お寺の敷居が高くて入りづらいし直接お坊さん(住職)に話しても良いの?
知らないことを聞きたいけど誰に聞けば良いの?と感じている方へ
お寺には日本の伝統文化がたくさん残っています。今、妙華寺に残されたものを通して日本の仏教文化を『お寺で体験』しませんか?
残り3回の開講になりました。 平成30年3月までの予定
第4日曜日 午前10時から11時30分まで二部制(途中休憩あり)
会費1,000円(当日徴収します) 準備の都合上、事前申込をお願いします。
事前申込制(単発も可)どなたでもご参加いただけます

第5回は、1月28日の「お寺で体験」は、お茶(茶室の楽しみ)をテーマに、炉の茶室で、高田派の歴代の書や茶道具を通してお話する予定です。正座が苦手な方には椅子もご用意をする予定です。

予定【内容は調整中で変更の場合もございます】
01月28日  お茶(茶室の楽しみ)            真宗①
02月25日 涅槃図の絵解き 潮音寺住職 村上英俊師
03月25日 花祭りについて・花を愛でる(境内の桜)  真宗②

お問い合わせ・申込先 津市久居二ノ町1743番地
真宗高田派 法苑院(ほうえんいん)妙華寺(みょうけじ) 中川 和則
お寺のHP https://www.myoke-ji.com 電話・ファックス 059-255-2846

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1月のおてらおやつクラブ

1月のおてらおやつクラブ

お寺の修正会も終わり9日に一人親家族様へおすそ分けさせていただきました。

12月のおてらおやつクラブは、妙華寺の報恩講が終わってから一人親家族様におすそ分けいたしました。また支援団体様へは昨年の12月23日のクリスマス会前日におすそ分けしました。支援団体様には、報恩講でお非時のご奉仕をしていただき「子ども食堂」も同時開催をさせていただきました。1月は来週におすそ分けを予定しています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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