興学布教研究大会

興学布教研究大会
高田本山の行事の「興学布教研究大会」は毎年4月29日に開催されています。これまでお寺の春千部会の日と重なり聴講することはできませんでしたが、今年は、妙華寺の衆徒が発表することになり、限られた時間ですが聴講しました。衆徒の発表は、「次世代につながる寺院活動の研究~評価体制の構築を観点として~」と題した、修士論文からのもので宗教法人を中立な第三者(機関)が評価することについての意義や課題の発表でした。
戦後、宗教法人法により、これまでの寺社を宗教法人として1つの法人組織と考えるようになり久しいですが、お寺はそのお寺の内部者のルールの中で運営してきたのが現状と思います。宗教法人も1つの法人として第三者(機関)が自分の寺院を評価するなんてあまり考えたことがない発表(発想)ですので私(住職)にとって分からない点もありますが、他の公益法人や特定非営利活動法人などでは既に取り入れられていることからの着目と思います。私も住職になって初めて宗教法人としてのお寺について考える中で、責任役員のあり方や、総代の役割など自分なりに考えているのですがそこに第三者(機関)がお寺を評価することまで考えは及びませんでした。しかし、これからの時代は、法人を第三者(機関)が評価することで、その法人がより良い方向に向かうことになるのでしょうか。多くの課題があると思いますが、宗教法人のお寺も第三者(機関)の評価に拒否反応を示すので無く、そこからお寺の可能性が次につながる方向を示すことができる法人組織になればと感じています。

次の中山寺の松谷慧光師の発表は、高田派の中興上人の「真慧上人の名号観」で、名号軸から見えてくる「相承」について、真慧上人のご著書や時代の背景を通しての発表でした。高田派の寺院住職として真慧上人のお名号には興味がありますのでお聞きできたことが良かったです。名号が記されている「野袈裟」も真慧上人の発案であります。「野袈裟」についての論文もこれまであったと思いますが更なる研究発表も期待したいです。申し訳ないことでしたが、私の都合でもう一人の発表者の安立寺の安田真源師のご法話は聴聞できず、また午後の座談会も失礼して自坊へ戻りました。

※あくまでも中川個人の感想です。

詳細は、興学布教研究大会の司会をされました青巖寺(せいがんじ)清水谷正尊師が自坊のHP(http://oyama-seiganji.com/)に当日のことを書かれていますのでそちらをご覧ください。

 

お世話方会

お世話方会は、お同行様の会計報告がこれまで1月から12月の会計期間の報告でしたが、昨年4月から今年の3月の年度に変更をして今回から4月に開催することになりました。

29日の春千部のお勤め後、午後4時から本堂でこれまでのお世話方様で、平成29年1月から今年3月までにご往生されました杉本雅孝様・野崎敏隆様(前)・戸島武郎様(前)の追弔会を行い。お焼香をしていただきました。その後、妙華寺会館へ移動しお世話方会を開催しました。

例年お世話方会では、お世話方様に住職からお寺の報告をさせていただく形でしたが、今回は、グループに分けて「これからのお世話方」をテーマにワークショップをさせていただきました。少し前から地区のお寺のお世話方様がご高齢になられ次の世代のお世話方様に替わっていただくのが難しい地区が増えてきています。昨年のお世話方会でも個々にご意見をいただくことでしたが、個人の意見だけに終わってしまい、これからのお世話方像を中々描くことができずにいます。
ご高齢のお世話方の皆様には、初めての体験であった方も多くて、また時間も限られていましたので十分な話ができなかったか分かりませんが、グループでまとめられたご意見をお聞かせいただきますと色んな見方があることがわかりとても有意義でした。個々からのお話をお聞かせいただくのも大切ですが、数人のお世話方様が意見を出してそこから導かれる意見を参考に「これからのお世話方様」について住職も考えていきたいと思います。
その他、お寺の境内を毎日清掃奉仕していただいていますお同行様への対応のことや、ポンプが井戸水をくみ上げる時に出にくい時があることや、お墓のお花の処分についての身近な問題点のご指摘や宗教法人としてのお寺が適正に成り立っているのかと言うとても大きな問題の提示もいただきました。
※年一度の宗教法人の報告書は、三重県へ報告をさせていただいています。

昨年のお寺の報告として、本堂空調設備の新設や境内墓地通路整備が完了しました報告と、お寺の西側に福祉車両用の駐車場の整備の報告をしました。
今年は、総代会でお寺の掲示板を作成することにご賛同いただきました。
また、お寺の空間の活用についても総代会の時の意見を皆様にお伝えした。

これまであまりお寺が賛同している社会活動についてお話することはありませんでしたが、お世話方会では団体名などを明記してお伝えしています。

これまで1月下旬に開催させていただいたお世話方会の終了時間は午後6時頃ですと暗くて寒い中お帰りいただいていましたが、4月の開催では、まだ明るい中でお帰りいただくことができました。

※お寺のお世話方様についてこれまであたりまえの存在として考えていましたが、よくよく考えると都会の寺院などお同行様がまとまって居住されていない寺院では考えられないことと今頃気づきました。
地方の私のお寺や近隣のお寺では、お寺の周辺にまとまってお同行がいらっしゃり当たり前でありすぎて、お世話方様ありきでお寺側からの連絡先や補完制度のようにも見えることもありますが、お世話方様を通してお同行の皆様のお声をお聞かせいただいていることは、今回お世話方会でのワークショップをして、お世話方様が地区のお同行様と一緒にこれまでされていたことであることと改めて感じました。

春千部会 お勤めしました

今年の春千部会は、汗ばむように感じる1日でした。大型連休に入りましたが多くの皆様にお集まりいただきありがとうございました。今回いつもご出勤していただく法中様に、春千部は例年29日でありますが、何故か前日の28日とお伝えしてしまいご足労をおかけしましたことお詫び申し上げます。
布教使様は、義明寺の高藤英光師です。高田派の専修寺草創縁起の柳と菩提樹から阿弥陀如来の智慧と慈悲。『観経』の阿闍世の物語から私のあり方をお聞かせいただきました。

永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。

妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。

ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。今回3名の方が10回お聴聞されました。

4月の花

四季の花 今年は、寒暖の差が激しい4月であったような感じました。
境内に咲く花々がお寺参りの皆様の目を楽しませています。
29日は、春の千部会もございます。どうぞお聴聞いたしましょう。

春の千部会は29日にお勤めします

春の千部会は29日午後1時30分からお勤めします。
永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。

妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。
また、お勤めの後ご法話をお聴聞していただけます。
春の永代代千部会のご法話は、義明寺の高藤英光師です。

ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

 

ご法話は、その時、その場所で布教使様とお聴聞されていますお同行の皆様とが共に仏徳讃嘆されることで成り立つお話しです。その臨場感はその空間でしか味わえない法悦(ほうえつ)を感じます。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

 

 

 

 

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

浄土和讃 弥陀経意1首

十方微塵世界の 念仏の衆生を見そなわし
摂取して捨てざれば 阿弥陀と名づけ奉る

全宇宙の中の念仏する人々を照覧なさって、その人々を救い取って決して捨て去ることがないから、その仏の名を阿弥陀とお呼び申し上げる

微塵は、微塵の数のように数えることもできぬ多くの世界
念仏の衆生は、他力の信を得て称名念仏する人々
阿弥陀は、梵名アミターバは無量光仏の意、光明は摂取の光明
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

念仏する衆生であるならば、ありとあらゆる世界のどこに埋もれていようとも、それをよく照覧して、おさめとってすてることがないから、阿弥陀と呼んでその仏をたたえるのです。
この1首は不思議なところで、もちろん『弥陀経』には「舎利弗、彼の仏の光明無量にして十方の国を照らすに障碍するところ無し。是の故に号して阿弥陀と為す」とあるのをうたったように見えるけれども、実は『観経』の「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」の文の方が近く、更に善導の『往生礼讃』の「唯念仏の衆生を観(みそなわ)し、摂取して捨てざるが故に阿弥陀と名づく」に、ぴたりと依っていられる点によくよく心を注ぎたいと思います。これは「観経意」と両方にまたがるところで、是非ともうたいあげずにおれなかった1首と見ます。阿弥陀の名を実に成立せしめるには、念仏の衆生がなければならぬというかねあいです。
摂取の左訓は、先の「大経意」第6首にも見えますが、ここはここでよく表現のできたものかと驚嘆を禁じ得ないところです。「おさめ、とる。ひとたびとりて長く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追わえ取るなり。摂はおさめとる、取は迎えとる」ものは衆生です。衆生自身は逃げているとの感知のもちようはないが、如来から見れば背き逃げているそのありようがあわれなのです。逃げるから追わないのではなしに、逃げるから追っかけて、ついにだきしめるのです。追っかけてゆこうではなしに追わえ取ったところです。どこまでも唯除の機の自覚をはらんでいます。

以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】
※お寺勤めの時によく勤める和讃です。

【事前案内】5月18日午後3時から「お寺の講演会」を開催します

【事前案内】
1ヶ月後の5月18日(金)の「お寺の講演会」のご案内
5年前の平成26年5月18日に第1回の「お寺の講演会」を開催しました。未来の住職塾の松本紹圭塾長をお迎えして「これからのお寺」についてお話していただきました。平成27年は、ワークショップ「死の体験旅行」のファシリテーターの横浜市のなごみ庵の浦上哲也師にお越しいただき開催させていただきました。平成28年は東京浅草の緑泉寺の青江覚峰師にお越しいただき、「暗闇ごはん」の一部を体験させていただきました。昨年平成29年は宇都宮市光琳寺の井上広法師にお越しいただきました。そして今回は、京都の大行寺の英月(えいげつ)師をお迎えすることになりました。
【聴講無料】でどなたでもご参加いただけます。
多くの皆様のご来場をお待ち申し上げます。詳細はお寺にお問合せください。

【ご講師英月師の最新情報】
英月師の新刊が明日4月19日春秋社から『その悩み親鸞さんが解決してくれます 英月流「和讃」のススメ』が出版されます。

ひとくち法話

―お釈迦様のご生涯―
05苦行の末に新しい道を(くぎょうのすえにあたらしいみちを)
すっかり衰弱しきったお釈迦(しゃか)さまは、「いま自分は、人の世の苦しみをのり越えるまことの道を求めて修業してきたが、こんな弱った体では到底その願いを成就(じょうじゅ)することはできない。体力をつけて健康を回復せねば、真理に到達することはできない。」ということに気づかれました。
そこでお釈迦さまは、6年にわたった苦行(くぎょう)を捨てて、新しい道に進もうと決心され、尼蓮禅河(にれんぜんが)に入って沐浴(もくよく)をし、体を癒して菩提樹(ぼだいじゅ)のほとりに休まれました。ちょうどその時、村長の娘スジャータが通りがかりました。スジャータは衰弱(すいじゃく)しきった中にもおごそかなお姿のお釈迦さまを見て、牛乳で炊いたお粥(かゆ)をささげられました。
そのおかげでお釈迦さまの体力は徐々に回復し、心の疲れも次第にとれて落ち着きがでてきました。そして、お釈迦さまは、今までの長い苦行を振り返りながら、ひとり静かな森の中へ入っていきました。
時代こそ違いますが、親鸞聖人(しんらんしょうにん)もよく似た体験をしておられます。比叡山で20年間修業に励まれましたが、修行すればするほど煩悩にまどわされて、安心の生活ができませんでした。そこで、山を降り、六角堂に参籠(さんろう)され、その結果、吉水(よしみず)におられた法然上人(ほうねんしょうにん)を尋ねられ、「念仏より他に往生の道はない自分」に気づかれました。
お釈迦さまも、親鸞聖人も、いよいよ人間苦悩の世界を乗り越え、真実の道へと進んでいかれたのです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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【高田本山山門の釈迦三尊仏】

4月のおてらおやつクラブ

4月は、昨年もご寄付いただきました「神戸スイーツ学会」からのバウムクーヘンが届きました。
・本企画は、普段洋菓子を食べる機会のない子どもたちに、美味しい洋菓子を食べてほしいというものです。お渡しするのは「子ども」限定とありました。
こうした企画が企業からおてらおやつクラブに持ち込まれるのは非常に有り難く、
いつにも増して子どもたちに笑顔を届けることができると思います。
このようなおてらおやつクラブの活動に賛同いただける企業様が増えることも大切なことと思っています。

妙華寺にもバウムクーヘンが届きましたのでお寺のお供えと共に、一人親家族様と支援団体様におすそ分けしました。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

七高僧絵像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
七高僧絵像 1幅 江戸時代

本堂向かって右余間に掛けてあります。平成23年親鸞聖人750回忌御遠忌の時に修復しました。

七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)といいます。

龍樹 『十住毘婆沙論』の「易行品」・『十二礼偈』
天親 『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞 『無量寿経優婆提舎願生偈註』
(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)・『讃阿弥陀仏偈』
道綽 『安楽集』
善導 『観無量寿経疏』・『法事讃』・『観念法門』・『往生礼讃』・『般舟讃』
源信 『往生要集』
源空 『選択本願念仏集』

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【七高僧絵像】

 

天親菩薩②   龍樹菩薩①

 

曇鸞和尚③

 

 

道綽禅師④  善導和尚⑤

 

 

源信和尚⑥  源空聖人⑦