引退 卒業 引き際

引退 卒業 引き際
先日、長年境内の樹木の剪定をしていただいていました庭師さんから「高い所に登れんようになったので、剪定に伺えません」と電話をいただきました。

少し病院通いにもなったそうです。齢も80歳を超えられ、大きな脚立やはしごを持つのも以前より苦労されていましたので、「本当にお疲れさまでした」と感謝を伝えました。
これまで私(住職)が知っている限りでも庭師さんは3回替わっています。その時、その時のご縁で境内の樹木の剪定を引受ていただく方がいらっしゃりこの景観が守られていること有難いですね。さて、これからのことを考えないといけません。

お寺の住職に定年はありませんので「いのち」終わるまで活躍されている住職もたくさんいらっしゃいます。しかし、住職としての責務ができなくなれば、次にバトンを渡すことも必要です。その判断をどのようにするのかがお寺のこれからの課題のように感じています。

※先日「フォークの貴公子」と呼ばれていた吉田拓郎さんの最後のTV番組を見ました。番組内では引退と言うのではなく卒業と話されていたと思うますが、人生の中の1つの引き際と感じました。私(住職)の青春時代もタクローさんの歌に夢や背中を押されたようなことがあったなと懐かしく思い出しました。私(住職)の引き際もそう遠くないことも感じながら、次にバトンが渡せるよう考えていきたいです。