お盆によせて

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お盆によせて

お盆といいますと、私たちは、一年に一度家に帰ってこられるご先祖の霊に供養し、なぐさめることと思っています。
しかし実は、お盆は、どれほど厚い孝心をもって亡き母への供養をしても、所詮その心はとどかないものであったことを思い知らされた目蓮尊者の悲嘆に由来している仏事なのです。

つまり、亡き人への供養一つできない身であったことを、あらためて懺悔し、自らが聞法する時なのです。
私たちの日々は、ふりかえってみますと、そうはっきり意識しているわけでないにしても、自分があって父母があり、おのれがあって社会があるという考え方、生き方をしています。

亡き人々への供養といっても、自分の心のままに務めているもので、供養の後は、これで一安心と、自分が満足するものでしかありません。
母親への供養が届かないことを悲嘆する目蓮に、釈尊は、安居(あんご)のとき衆僧供養することをすすめられます。安居とは、虫たちがもっとも活発に歩きまわる季節をいいます。無駄な行動をして虫たちを踏み殺さないようにつつしみ、専ら聞法につとめる期間です。
お盆は、亡き肉親をはじめ、こんなに多くの人(多くの命)とのつながりのなかに賜っている我が身の命を、今一度いただきなおし、その尊さを聞きひらいていくべき時であったのです。
そしてもし、私が、賜っているこの私の命を歓び、尊ぶということがなければ、ご先祖への供養も、遂に形だけの気安めに終わるばかりです。
宮城 顗
【法苑院妙華寺資料】

妙華寺では、7月12日から15日までと8月11日から15日まで、地区を分けてお盆のお勤めをさせていただいています。
お盆の期間、お釈迦様の弟子の目蓮尊者の母親の話から「いのち」について考えさせられることがあります。
当日、お盆勤めのご都合が難しい場合は、ご連絡ください。他の日時やお墓でのお勤めも可能です。