願い

仏の願い

私の願いは、自分の欲望からくるものが多い。その願いが叶うよう、自己が努力することもあるし、他者を頼ることもある。そして最後は神仏に願う。
その願いが、成就すれば喜ぶプラスの感情が沸き起こり、かなわなかったら悲しんだり、恨んだりするマイナスの感情になることが多い。
そのような私の願いを、神仏はどのように見ているのだろう。

仏の願いを、『浄土真宗辞典』で調べると、
仏の願(がん)
目的をたて、それを成就しようと誓って願い求める意味で、誓願ともいう。
仏は、因位の菩薩の時に願をたてるが、すべての仏に共通する願を総願といい、それぞれの仏の固有の願を別願という。総願とは、四弘誓願のことで、別願については、釈迦仏の500願、薬師仏の12願、阿弥陀仏の48願などが代表的である。

そして、仏の総願(そうがん)と呼ばれる、四弘誓願(しぐぜいがん)は、

四弘誓願 4つの広大な誓願
①衆生無辺誓願度 一切の衆生をさとりの岸にわたそうとする誓願
②煩悩無尽誓願断 一切の煩悩を断とうという誓願
③法門無量誓願学 一切の教えを学びとろうという誓願
④仏道無上誓願成 このうえないさとりを成就しようとする誓願
この4つはすべての菩薩に共通する願であるから総願といわれる。
なお、経論釋によっては示される願文に若干の異同もみられるが、意味は同じである。

と記載されている。

これは、私への願いで、私が仏に願う願いとは向きが違っている。

私が願う前から私を願っている仏がいることに気づく事ができるのだろうか。