ひとくち法話

ひとくち法話

聖徳太子と親鸞聖人は仏々想念
聖徳太子は、我が国の文化の創始者であり、その文化の中心には、常に仏教精神を据えて、国民の心をまとめていこうとされました。
憲法十七条の制定は、その精神の最たるものです。第1条の「和を以て貴しとなす」も、第2条の「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」も、そして第10条の「われ必ずしも聖(ひじり)にあらず、かれ必ずしも愚(おろか)にあらず、ともに是れ凡夫(ぼんぷ)ならくのみ」もすべて仏の教えに依っての平和思想であります。
こうした平和への願いは、1400年後の今日に至るまで、それぞれの時代の人々の心を潤してきました。
鎌倉時代初期に出られた親鸞聖人は、その日ぐらしをしている庶民こそが救われなければ、真のほとけの教えではないという立場でしたから、聖徳太子の教えがそのままほとけの教えであるといただかれたのであります。だから聖人は、太子を「日本のお釈迦さまである」と褒め讃えられ、『皇太子聖徳奉讃』というご和讃までおつくりになりました。
また聖人は、ご自分の求道遍歴(ぐどうへんれき)の中で、転機に立つたびに太子のご示現を仰がれた話は有名であります。そして、聖人は「太子のお導きがなかったら、真宗の教えもなかった」とまでおのべになっておられます。まさに仏々相念のお心であります。
私たち真宗のご縁にあうものは、この聖人の心を心として、太子を仰ぎ七高僧ともども御影(みえい)を掲げて、お慕い申し上げるばかりであります。