七月の聞法

7月の聞法
30日に高田本山の布教伝道研修講座で、大谷大学の一楽真先生の講義を拝聴させていただきました。講題は「入出二門偈に聞く」でこの偈頌は、親鸞聖人の著された3つの偈頌の中で晩年に書かれたもののようです。「文類偈」と「正信偈」は、平素からお勤めしていますので親しくしていますが、「入出二門偈」は妙華寺ではお勤めする機会がありませんので書誌学的なことも含めて勉強になりました。「文類偈」と「正信偈」は7高僧の讃嘆ですが、「入出二門偈」は、五念門を通して、世親(天親)、曇鸞、道綽、善導の讃嘆であるようで、聖人の偈頌を著された年代からどのような意図があったのか、また浄土が「究意如虚空 広大無辺際」であることも、因果が同時であることも、大乗仏教であることも楽しくお聞かせいただきました。
※中川個人の感想です。

7月は忙しいことを理由に聞法しない私(住職)の姿勢に、聞法のよびかけがありました。
7月のお盆が少し落ち着いた日に、妹の主人から電話がありました。
配偶者である私の妹が亡くなった知らせです。
妹は、6月に入り少し身体に違和感を感じ、いくつか検査を受け分かった時は、既に手当ができない状態のようでした。本人の希望で年老いた実母に心配をかけたくないことから私に連絡をしなかったようです。
妹の実家である私(住職)のお寺には、例年のようにお正月と5月の大型連休に家族と一緒に顔を見せに来てくれていました。これまでも母が入院していた病院や、老健の施設にも顔を出し、普段と違う素振りは感じることはありませんでした。

先日、妹の嫁いだ先の菩提寺様のご配慮で、兄の私が通夜のお勤めをさせていただきました。妹の通夜のお勤めを、兄の私がするとは努々(ゆめゆめ)考えてたこともありませんでした。
いつもお寺のお同行様の通夜で思うことは、亡くなられた方の人生がどのような場合でもその方のご一生に「ありがとうございました」と申し上げることです。住職が言うことに、ご遺族やご親戚の方からは、「故人のことを何も知らないのに」と感じられるかもわかりませんが、その方が今日まで生きていらっしゃったことに意義があるから「ありがとうございました」と申し上げています。
そして妹の通夜で、妹に「ありがとうございます」と申し上げる機会をいただいたと共に、妹を浄土へ送りだしていただいた、ご遺族家族に感謝申し上げました。

妹の人生は、家族の温かいお育ての中で豊かな人生を過ごすことでありました。

今生の別れはとても悲しいですが、これから、今を生きる私たちに、どんな時でもお浄土からはたらきかけてくださると思います。
これまで、私は多くの大切な方をお浄土へ見送ってきました。
私(住職)にとって、妹の死は、「今生を真摯に生きていますか」と言う厳しくも優しいよびかけと今感じています。
そして私にもっともっと「聞法」をしなさいとの催促です。
私もお浄土に行かせていただきたいと思っていますので、これからも「阿弥陀様の私への願い」を聞法していくつもりです。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
不思議な橋がこの町にある 渡った人は帰らない

「赤い橋」 作詞 北山 修

この歌は、学生時代に深夜放送のラジオで浅川マキさんが歌っていたのを覚えている。とてもハスキーな声でラジオで聴いていると少し怖さのようなものを感じたが、はやっていたからか何度も聴いていた。
作詞家の北山さんは、浅川さんは、死を歌うのが似合うのだと直感したそうです。主題は、渡ってしまったら、もう二度と戻れない橋があるという、死の橋で、歌詞に出てくる「赤」は伏見稲荷の無数の鳥居からと知りました。「死」の恐怖は、①「死ぬことに伴う別れの痛み」と②「死体が朽ち果てていくことの醜さ(見にくさ)」の2種類があると語られています。
また、前田重治さんは、北山修さんとの会話で、「橋」は別れであり、また二つの世界をつなぐ架け橋となることや、「橋」から「端」「箸」「橋渡し」の象徴について語られたことがあったそうです。
著書の『良い加減に生きる』歌いながら考える深層心理で語っている。

お寺の1日(8月)

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お寺の1日

8月も7月と同じくお盆月です。最近は、暑さが9月にも続いていますが、この2ヶ月間は、自転車を使って各お同行様に伺いますので、何日かは身体の熱が夜まで取れません。暑さと向き合いながら身体の疲れを残さないように考えていますが年々疲れが取れないと思うのは年のせいでしょうか。

初盆行事の最後のお勤めを23日の19時からお勤めしています。7月の時は薄明かりではじまりますが、一ヶ月後の8月では日没が進んでいるのを感じます。