茶陶

茶陶
私(住職)には、茶道具だけ作陶する知人がいます。彼との出会いは、お茶を学んでいる時代に青年部と言う組織で知り合いました。茶道具だけ作陶する家に生まれた3代目でした。裏千家に出入りする窯元で、当然、茶道具に詳しく見るべきポイントを教えてもらったり、歳も近く青年部活動の時代も重なり、親しくさせていただいています。

コロナ下の時間は、茶道の世界も「場」としての茶会や行事の開催がなく、そこに関わる1つの茶陶の展示会などの開催も中止が余儀なくされていたそうです。

本当に久しぶりに津市で展示会が開催され出かけました。長年会うことがなかっても、会えば自然と話すことが出てきてわずかな時間でしたが豊かな時間でした。

展示会では、いろんな茶道具が展示されていました。今回は、織部釉についてお話を聞きました。

美濃出身の古田織部が好んだ焼物が織部焼とも言われています。形がいびつであったり、斬新な文様であったり、釉薬も緑・黒など多彩であり、現代的な焼物で人気がある1つです。。その中で織部グリーンの茶碗がとても新鮮に見えました。
何か、京焼にも通じるような色合いと感じるのですが、織部なんだそうです。

祈りと願い

「祈り」と「願い」
言葉の学術的な意味までは調べていませんが、インターネットで「祈り」と「願い」の違いなどは簡単に知ることができます。あるページでは、「祈り」は利他、「願い」は利己と説明されていました。また、「願い」は「お願い」として依頼の意味もあるようです。
どうして、調べる気になったかと言えば、真宗では「祈り」はあまり使いませんが、「願い」は使います。真宗で使う「願い」は、私の「願い」でなく、阿弥陀如来の「願い」として使われています。

私が「願う」のでなく、「願われている」私に気づくことからはじまる教えです。

お別れホスピタル

前回のブログではラジオの番組のことを紹介しましたが、今回はテレビ番組からの感想です。

夜の時間はテレビを見てしまいます。
先日、NHKのドラマ「お別れホスピタル」を見ました。四回連続の三回目でした。終末医療の病院で「いのち」終えようとする人たちと関わる医療従事者のドラマです。少し重苦しいテーマで、いろんなことを考えさせられます。
「まだ生きたいと願う」患者や「生きていてほしいと願う」家族や医療従事者。生きたいと願うが、助けることができない「いのち」に納得する答えはないし、「限られたいのち」であることを頭の中では理解しているが、心(感情)が受け入れることができない状況。ドラマを見ている私さえ、混乱してしまう感情があります。
ドラマの中で発せられた「希望」や「サンタ」の言葉に思いを馳せました。

そして、突然ですが、対人支援の「キュア」と「ケア」について思い出しました。
何年か前に、医療現場での「キュア(治療)」と「ケア」の関係を教えていただく「スピリチュアルケア」について学ぶ機会がありました。ただ、医療現場に限ると「キュア」に限界があるので「ケア」が必要なことはわかりますが、私たちが生きている中では医療現場でも日常生活でもどのような状況でも「ケア」は必要なのだと改めて感じています。
※中川個人の感想です

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NHKラジオ第1「ふんわり」

NHKラジオ第1で「ふんわり」という番組があります。私(住職)はこれまで視聴したことがありませんでしたが、2月16日の番組内で、「自死」について視聴者からの投稿に、京都自死・自殺センター「Sotto」のメンバー(専門家)がお話をすることを知り、視聴しました。
私(住職)は、これまでも「自死」についての講演会や研修会には参加したことがありますが、ラジオ番組で「自死」について、どのように語られるか興味がありました。
一般的に、「自死」について語られる時、「自死」は良くないこと、やめなさい、死なないでという立場からの話になります。私(住職)も「生きていてほしい」思いで、「死にたい気持ち」を抱えた方に、そのような言葉をかけたこともあります。
でも、京都自死・自殺センター「Sotto」の考える「自死・自殺」についてメンバー(専門家)の言葉から、「死にたい気持ち」を抱えた方は、「死ぬしかない」「生きているより死ぬほうが楽になる」ほど「生きること」の辛さや悲しみを抱え込まれていることに目を向けると、その方の思いを私の価値観でジャッジすることはとても高慢な思いであるのかと感じました。また、「自死」に限らず、大切な方を亡くした遺族や関係者の思いで、自責や後悔を抱えることも確かだと思います。私も父母や妹を亡くした遺族として「生きているうちにもっとできたことは無かったのか」と省みるのですが、例えば、明日「いのち」が終わることで今日できることを考えた時、限られたことしかないのかもわかりません。
1人の出演者の「思い出すことが供養になる」という言葉が、印象的でした。亡くなった方と今の自分が向き合うことができているか問われているように感じました。
番組名の「ふんわり」な雰囲気やリスナーからの感想や思いなどの紹介もあり、とてもあたたかな気持ちになりました。日本の一年間の自殺者数は、以前に比べると少なくなり、二万人台ですが、「死にたい気持ち」になることは、誰もが起こりえる気持ちであり、恥ずかしいことでもなく、その気持ちを吐き出すことからはじまる生き方を支える活動に頭が下がります。

私(住職)は、ラジオ番組を聞く時、とっても失礼な態度かもわかりませんが、「ながら聞き」になってしまいます。学生だった時も、勉強をしながら、社会人になっても、車で運転しながら、家でも何かをしながら聞いてしまっています。でも、今は、聞き逃し配信(一週間限定)なるものがあります。もう一度しっかり視聴しようと思っています。
※中川個人の感想です。

真宗入門講座

真宗入門講座
昨年から高田本山に伝わる「親鸞伝絵」の紹介で「信行両坐」の段でした。
詞書には、法然聖人の教えに集まる多くの門弟に、親鸞聖人が、「阿弥陀仏の本願を信ずる一念に浄土往生が決定すると信ずる(信不退)の坐と、念仏の行をはげむことによって、その功徳によって浄土往生が決定すると信ずる(行不退)の坐に、どちらにするか、おのおのの態度をお示しください」とあり、絵相は、法然聖人を中心に、信不退の坐に、聖覚、信空、親鸞と、遅れて駆け付けたと思われる法力が描かれ、行不退の坐に多くの門弟が描かれています。

「信と行」についてを「一念と多念」で語ることは、法然聖人の生きた時代性も考える必要もありそうです。念仏とは観想念仏が主で称名念仏は主ではなかった時代です。
また、「信と行」も阿弥陀さんから賜った「信行」であることもおさえておかないとすっきりしません。「信行両坐」は、親鸞聖人が法然聖人の教えをそのまま受け継いだことをあらわしている場面の一つとして紹介されているのでしょう。

※次回は、3月26日(火)13時30分からです。妙華寺の副住職が「信心諍論」の段を紹介します。

お寺とは②

お寺とは②
多くの日本人が、年に一度か二度(お盆やお彼岸)、墓参をすることは、知られています。妙華寺の境内墓地でも、春秋のお彼岸やお盆の時は多くの方がお墓参りをされています。そして、帰り際、本堂に向かって手を合わせる姿も多く見受けます。
しかし、本堂の中まで入り、手を合わせる方はやはり少ないと感じています。
本堂に入るには、入り口で靴を脱ぎ、階段を上がらなければいけないので、億劫なこともうなづけます。「お寺は敷居が高い」って言葉もありますよね。
本堂は何のため、誰のためにあるのでしょうか。本堂での葬儀や年忌のお勤め、お寺の行事の時に集まっていただく場合がほとんどですが、本来は、真宗ではあまり使わない言葉ですが、祈りの「場」であり、真宗では、仏(阿弥陀如来)のいわれを聞法する「場」から発生したものだと思っています。「場」に集まることで関係性が強まることも感じるのですが、今は、自分の生き方を宗教に求めることなく日常生活が営まれている時代なのでしょう。日常生活の問題についての解決の「場」は、お寺以外でたくさんありますが、自分の生き方や悩みを話したり、気づいたりできる「場」の一つがお寺だと思っていますが、皆さんはどう思われていますか。
1人でも今の自分の生き方に迷い、阿弥陀如来の教えを求める方に、「場」が開かれています。

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お釈迦さまって誰?

【仏教とはいったいどんな宗教なのか?】
今からおよそ2,500年前、お釈迦(しゃか)さまはこの現実の世界を「苦」であるとみきわめそれを乗り越える道を示しました。
日常生活に存在する迷いや苦しみから目をそらすのでなく、それらを正しくみつめ「今を生き抜く」ための智慧(ちえ)へと転じ「さとり」をひらくことがお釈迦さまの説いた教え、仏教なのです。
日本に伝わってから1,500年余り。仏教はこの国を見守ってきました。光を見失った多くの人が救いを求めている今こそ仏教の教えを見直してみませんか。

【お釈迦さまって誰?】
仏教の開祖、お釈迦さま。恵まれた環境で生まれ育った王子が、なぜ、修行の道を選んだのか?その足跡をたどると、お釈迦さまの教えが一層くっきり見えてきます。
01 誕生
紀元前5世紀ごろ、ヒマーラヤ山脈のふもとにカピラヴァストゥという、シャーキャ族の城がありました。そこで王子として生まれたのが、ガウタマ・シッダールタ、のちのお釈迦さまです。生まれてすぐ、母は亡くなり、シッダールタはおばに育てられることになりましたが、豪華な宮殿での生活は不自由のない、とても恵まれたものでした。 その一方、繊細(せんさい)で感受性が強い性格で、「人間はなぜ、苦しみから逃れられないのだろう」という思いが幼いころから芽生え始めました。
02 出家
ある日、シッダールタは城の外へ出てみました。そしてそこで、老人や病人、死人、修行僧に出会いました。こうした人に出会うなかで、「人間は老いることや病気になること、死ぬことは避けられないのだ」と知り、修行の道を歩むことを決意。父の反対を押し切り、29歳で出家しました。

03 さとり
シッダールタは北東インドにあるマガダ国に行き、ふたりの師について修行をしましたが、あっという間に師の教えを理解したので、修行に満足できなくなってしまいました。そこで、師のもとを離れ、5人の修行者と一緒に苦行を開始。42日間も断食したり、意識がなくなるまで息を止めたり、とても厳しい苦行を6年間行いました。しかし、シッダールタはまだ、人生の真理を見つけることができません。「苦行では、自分の求めるものは得られない」と知った彼は、35歳のときに仲間と別れ、少女の供養した乳粥(ちちがゆ)を受けた後、菩提樹(ぼだいじゅ)のもとで深い瞑想(めいそう)に入ります。 煩悩が悪魔として現れて、瞑想の邪魔をしようとしますが、それでも彼は深い瞑想を継続。そして明け方、シッダールタは心の迷いから抜け出て、さとりを開くことができたのです。こうしてシッダールタは、「ブッダ(=目覚めた人)」となりました。

04 布教
さとりを得たブッダのもとへ、ブラフマンという神様が現れ、「あなたのさとりをこの世の人たちに伝えなさい」と言いました。「人々に説いても理解してもらえないだろう」と渋っていたブッダですが、ようやくその願いを受け入れて人々に教えを説くことを決意します。最初に訪れたのは、かつて、一緒に修行をしていた5人の仲間がいるサールナートでした。そこで最初の説法を行ってから、さらなる旅へ。弟子の数もどんどん増え、やがて仏教教団ができあがりました。

05 入滅
さとりを開いてから45年が経ち、ブッダは80歳になりました。いつものように弟子を従え、教えの旅に出かけましたが、旅の途中でブッダは体調を崩します。自分の命もあとわずかとさとったブッダは、クシナガラという村に到着すると、二本のシャーラ樹の間に床を敷いて横たわり、静かに最期のときを待ちました。そして、悲しむべき弟子達に「すべてのものは無常であり、つねに変化しているのです。これからも一生懸命、修行を実践しなさい」と語りかけ、生涯を閉じました。

【「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より】

2月のお茶

茶道は、四季の移ろいや、季節の行事を大切にしています。寒い2月は、節分や立春にちなんだものを取り入れることが多いです。新しいものとしてバレンタインも取り入れたりします。また、裏千家では、寒い時期ですので、茶室が少しでも暖かさを感じるように大炉の点前を稽古することが多いです。家元研修や青年部の研修で訪れた今日庵のメインの「咄々斎」の茶室の控えの間に「大炉」が切ってある一室があります。ふすまに、反古張りしてあり「反古襖の間」とも言われています。大水屋に一番近い場所です。しかし、裏千家のように「大炉」がある茶室は多くはないと思います。私は先生の自宅の大炉で稽古をさせていただいています。

お寺では、祖父が2月生まれで健在の頃は、中庭の梅を愛でながら誕生をお祝いする親戚が集まりお茶を楽しんでいられました。
お寺に伝わるお茶に関することは、8代住職の時にさかのぼります。母からの話では、母の父(私の祖父)の祖父が松尾流のお茶を嗜んでいたそうです。今の庫裏の以前の庫裏に茶室があったのか定かではないですが、今の庫裏と書院の間にある中庭は、蹲のある露地の姿がいまも残っています。
また、高田本山に伝わる宗旦古流の茶道具もあるので、少しだけ調査が進めば有難いと思っています。

文化財防火デー

文化財防火デー
毎年、1月26日を文化財防火デーとして火災に注意喚起がなされています。
昭和24年(1949)1月26日法隆寺金堂が焼失し、貴重な文化財などに再びこのようなことが起こらないよう昭和30年に「文化財防火デー」が制定されました。

今年は、火の始末について考えていました。荘厳としてのローソクや、輪燈で灯芯に使う油などお勤めの始めに点けて、お勤めが終わると消しています。本堂の暖に必要な灯油ストーブも同様です。しかし、何かの拍子に、失念してしまうことがあれば大変です。失念しない手だてとして、消火器や火災報知機を設置していますが、自らの火災への意識も更新していかなければいけないと思っています。

文化財と聞きますと国宝や重要文化財の建物や宝物など貴重な品を最初に思い浮かべますが、小さなお寺にも地域やお同行の皆様から大切にされているものがいくつもあります。
私(住職)は、手を合わせる場・心が癒やされる場・非日常の場などの集いの場を思い浮かべますが、皆様はどうでしょうか。

最近は、喫煙者も少なくなりましたが、境内ではポイ捨ても見受けられますのでマナーをお守りいただく周知も必要です。
地域やお同行様の大切なものを預かっている寺院管理者として、もしもの時の行動を身につけることも大切だと改めて考えています。

また、火災だけでなく、南海地震の発生も以前に増して確率が上がっています。今年の元日の能登半島の地震では多くの方が亡くなられ、お悔み申し上げます。不明者もいらっしゃいます。一時避難・二次避難者の皆様にはお見舞い申し上げますと共に今後の復興に私自身ができることを続けていきたいと考えています。
災害時に活用できます未来共生災害救済マップをご存じでしょうか。指定避難所以外にも、寺院や神社の施設で避難所として使用できる場合に現状(避難人数)などを投稿することもできる仕組みがあります。妙華寺でも、防災対策に取り組んでいます。

【案内】親あるあいだの語らいカフェ

必要な方に届きますように

【案内】「親あるあいだの語らいカフェ」を開催します
2月3日(土)13時30分から16時 妙華寺会館

お寺と教会の親なきあと相談室津市妙華寺支部では、令和5年5月13日にキックオフ講演会を開催しました。
これから、昨年(令和5年)10月7日に第一回「親あるあいだの語らいカフェ」を開催し「親なきあと」の課題について、「つながりの場」と「傾聴の場」をご用意しました。
4ケ月に一度ではありますが、継続的に「親あるあいだの語らいカフェ」の開催を予定しています。
当事者の皆様の悩みで問題解決が必要な場合は、専門的な知識をお持ちの支援団体に「つながる」ように。
当事者の悩みに寄り添うようにお話を「傾聴」します。
「傾聴」については、「傾聴僧の会」の宗教者のお力添えいただきます。
(一社)みえ円満相続支援センター様にもご賛同いただいています。