平成28年の年回表

平成28年 年回表
 1周忌 平成27年往生人
3回忌 平成26年往生人
7回忌 平成22年往生人
13回忌 平成16年往生人
17回忌 平成12年往生人
23回忌 平成06年往生人
27回忌 平成02年往生人
33回忌 昭和59年往生人
50回忌 昭和42年往生人
100回忌 大正06年往生人
150回忌 慶應03年往生人
200回忌 文化14年往生人
250回忌 明和04年往生人
300回忌 享保02年往生人
※詳細は、本堂の年回繰出表をご覧下さい
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聴講

「高齢多死社会において僧侶ができること、やるべきこと」小谷 みどり
大学院生の子どもからゲストスピーカーの講義を聴講しませんかと連絡があり、京都にでかけた。ゲストスピーカーは、統計学の専門で死生学を研究されている小谷みどり先生でした。僧侶でない一般市民の視点から現代の葬送についての講義は、ある部分僧侶からすると耳の痛い話であるが社会で起こっていることであるので僧侶がきちんとそのことを見つめないといけない。緩和ケァの現場で、死にゆく人が本当に宗教を求めているのかと言えばこれまで宗教に関心を持ってこなかった人は持たないのが現状であるようだ。
また、お寺のお同行(檀信徒)の中で、葬儀や法事だけお寺に来られる方(それだけの関係)の割合はどのようなものか。僧侶はお寺に来られているごく一部の方と接しているだけなので、お寺との関係が薄い、もしくはお寺との関係がない事例には疎くなる。
その一例は、直葬や0(ゼロ)葬と呼ばれる、僧侶を介しない死者の送り方で、名前は知っていたがどうしてそのようにな送り方になるのか十分理解していなかった。そのような中で、僧侶(お寺)という存在はどういったポテンシャルかあるのか?
ここからが講義で小谷先生が一番言いたい(まとめの)部分であるのだが、私の時間の都合で早退を。とても残念であった。少しの時間であったが刺激をいただいた。この刺激から、僧侶のあり方やお寺のあり方を問い直すこともできそうだ。部外者に聴講をお許しいただいた関係者の皆様に感謝し学びの場を後にした。
※講義の前に毎日新聞に掲載された「論点」アマゾン、僧侶派遣 で小谷みどり先生が、「お寺とお同行(檀信徒)の関係を経済的にとらえるとクラブ(会員)の関係として見ることができ、お寺は、会員にどのようなサービスをしているのか。会員であるメリットはどこなのか」と発言されている。
(毎日新聞の掲載は、第一生命経済研究所主席研究員の小谷みどり氏と全日本仏教界理事長の斉藤明聖師、未来の住職塾の松本紹圭師の発言が掲載されていました。

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祖師寿の表彰状

先日の降誕会(5月21日)の祖師寿のお同行様(男性)へ表彰状と記念品が届きました。
出席していただきますと式典で表彰していただくことになりますが、ご都合で出席できない方へは、後ほど高田本山より菩提寺へお送り頂きます。
改めて、「祖師寿おめでとうございます。これからも親鸞聖人のお念仏の「み教え」を共にお喜びできることが有難いことです」
女性のお同行様の祖師寿の表彰は、6月5日(日)の高田派婦人連合大会で行われます。祖師寿についてはご本人またはご家族から菩提寺へお申し込みをしていただきます。詳しくは、年末に発行しています「寺報」をご確認ください。

 

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グリーフケア

「グリーフケア~愛する人をなくすということ~」 高木慶子
三重いのちの電話開局15周年の記念講演が三重県総合文化センターでありました。
京都のグリーフケア公開講座の第1回目に参加できなかった時の講師が高木慶子師でしたので大変幸運でありました。「悲嘆」と言う言葉は日常あまり使いませんので、「グリーフ」と言う英語を使い説明を始めるそうです。悲嘆の領域、悲嘆の感情、身体的羅患、高木先生が考える悲嘆の実態など基礎的なことから学べました。また、悲嘆にある方に寄り添う話は、長年この活動に関わってこられた実践がありますので大変奥深いものでした。その中で日本のこれまでの社会で喪の場面に、悲嘆に寄り添う習慣があったのが通夜・葬儀・法事(故人を偲ぶ行事)・お盆・お彼岸(社会としての行事)が形だけになっているので、葬式仏教と揶揄されていると話されました。もっとご遺族の話しを聞く(傾聴する)ことができれば、ご遺族のグリーフケアになるのではと、宗教者対象でない講演会でのお話しで改めて僧侶としてできることを真剣に考えさせられました。「寄り添う時は、相手を尊敬し信頼をもって行う」と言う言葉は大切にしたいと思います。

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ひとくち法話

―真宗の教え―
仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、お釈迦(しゃか)さまが説かれたたくさんのお経の中から、次の3つのお経を「浄土の三部経」といって大切にされました。
◎仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
◎仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
◎仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)
この三経のうち、とくに『仏説無量寿経』を「真実の教」とお示し下さいました。
このお経には、すべてのわたしたちを苦悩の境界から救うのだという「阿弥陀仏」の大きな慈悲とお念仏のおはたらきが説かれています。
阿弥陀仏は自ら「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と名告(なご)り、私たちに救いの道を開いて下さいました。

この心を私たちの親しんでいるご和讃に
生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば  弥陀(みだ)の悲願(ひがん)の船(ふね)のみぞ のせてかならずわたしける  『高僧和讃龍樹讃第7首』 とうたわれています。
生きているということは、そのまま苦海の中にあるのです。その中に沈みあえいでいる私たちは弥陀の悲願の船(阿弥陀仏の本願)以外に救われる道はないのです。
人間の根源的な救いが南無阿弥陀仏であると教えてくださっているのが『仏説無量寿経』です。

※ 「ひとくち法話」 真宗高田派本山より

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降誕会(ごうたんえ)

親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
親鸞聖人の出自について覚如上人の『親鸞伝絵』に記されています。中世の史料には、聖人がいつどこで生まれたか具体的な記述がありません。
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人は、承安3年(1173)に誕生されたことは、聖人のお手紙・書物に年齢が記されていますので判明しています。誕生の月日は、1月1日・2月上旬・4月1日、10月の諸説があります。これらは江戸時代に編集された聖人の伝記によるものです。その中で高田派の良空(りょうくう)の『高田開山親鸞聖人正統伝』に記された4月1日(太陽暦5月21日)説が有力になり、定着していき、場所については山城の日野の里に伝承があり今に至ります。また聖人の誕生日の行事として法会が勤まるのは明治に入ってからです。降誕会とは普通お釈迦様の誕生をお祝いする行事ですが、真宗では「親鸞聖人は阿弥陀如来の応現(おうげん)」と頂くところから聖人の誕生を降誕会と言いお祝いの行事をしています。
また、お同行の皆様の喜びの1つに親鸞聖人90歳のお年を「祖師寿(そしじゅ)」と言い90歳になられたお同行の皆様の仏縁を共にお喜び申し上げています。
男性は降誕会の5月21日に、女性は6月の最初の日曜日に開催されます高田派婦人連合大会の式典で表彰されます。このことを励みにされていらつしゃる方もたくさんいらっしゃるそうです。来年は昭和3年(1928)生まれの方が該当されます。(今年の祖師寿の申し込みはすでに終了しています)
※五天良空(ごてんりょうくう) 四日市川原田の常超院の住職。 親鸞聖人の伝記研究に没頭し、専修寺の古い記録をさぐり、史料調査で聖人の遺跡を訪ね正徳五年『高田開山親鸞聖人正統伝』を著した。当時は聖人伝の研究の華やかな時で、大谷派の慧空・本願寺派の玄智などと論戦が行われた。
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親友婦人会総会

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今年は少し汗ばむような一日となりました。
13時30分より本堂で婦人会会員でこの1年間でご往生されました、野崎あい子様、中田とめ様、西村すゞ代様の追弔会でお勤めをしました。
その後、妙華寺会館に移動して、総会が行われました。出席された方々の自己紹介をするのも久しぶりでより親しみがわく時間となりました。その後、東京の浄土真宗東本願寺派の緑泉寺のご住職でもあります青江覚峰師にお越し頂き
「食べると向きあう」と言う講題でお話し頂きました。
ご講師の紹介ですが、青江覚峰師は、1977年東京生まれ。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。日本初・お寺発のブラインドレストラン「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶達が集うウェブサイト「彼岸寺」創設メンバーで、現在は、東京で「向源」と言う多くの寺社をまとめて活動をされている会の副代表としてもご活躍されています。ご著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ほとけごはん』(中公新書ラクレ)などがあります。
今回は、「暗闇ごはん」の一端を体験させていただくことになり、遠方から手作りの品をお持ち頂きました。(重たい荷物をお運びいただき恐縮しています)参加されました皆様も大変驚かれて地方では滅多に体験できない貴重な体験をさせていただいた次第です。視覚による先入観(とらわれ)や、色鮮やかな夏野菜から『阿弥陀経』の世界など身近な食を通してのお話し(ご法話)もわかりやすく、楽しいひとときでありました。
 お話しを聴聞するだけでなく、自分自身の味覚や想像力を使いながらの時間は参加された皆様に大変好評でした。
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先の早い話ですが平成29年の親友婦人会総会5月18日(木)は、親友婦人会の総会の後、井上広法さんにご講演をしていただきます。

ご講師の井上広法師は、昨年の4月からTV「ぶっちゃけ寺」にレギュラー出演中でご活躍されています。私は井上師の卒業時の論文の臨床心理学を専攻しグリーフケアの観点から『遺族における法事の心理的役割の検討』を拝読させていただき、ご自坊のお同行の皆様にアンケート調査を実施し、ご遺族が法事を通して心の安心をどのように感じていくかを調査されましたことに感銘を受けました。また科学的に心の仕組みを学んだ僧侶として活動し、東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げ、今では、東海TVの火曜日の「バイキング」のコーナーで毎週のように紹介されています。
心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考に「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催しているそうです。
ご多用の方にご無理を申し上げましたが、快くお引き受けいただき感謝しています。今年の青江様のご講演も楽しみでありましたが、来年の井上様のご講演も楽しみです。
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グリーフケア公開講座「悲しみを生き抜く力」

グリーフケア公開講座「悲しみを生き抜く力」
 上智大学・龍谷大学主催の春の公開講座があることをHPで知り締め切り間近に申し込みました。初回は参加できませんでしたが2回目の講座に参加しました。
「親鸞と世阿弥の哀しみ」 山折哲雄師
世阿弥についてはまったく知らずにいましたが、親鸞聖人と世阿弥に共通することは、時の権力者から流罪になったこと。親鸞聖人は、京都から越後に流され、赦免後、善光寺から関東へ歩いて行かれる姿に「苦しみ」=「哀しみ」のように感じる。世阿弥は、親鸞聖人からおよそ200年後の時代で、流罪で佐渡に流されたが、同じように流された日蓮聖人や親鸞聖人については何も語っていないのはどうしてか。
能の舞台では、演者が最初にあらわれて「憑きもの」に憑かれ舞い、謡い、やがて静まっていく。その舞台で何も語らず聞いている人物が、坊主で傾聴の姿ととらえることができる。また演者が静まり最後に舞台から消えることを「成仏」とも言うらしい。
親鸞聖人の晩年の和讃である「悲歎述懐和讃」を誰が傾聴したのか?山折師は、「阿弥陀如来」ではと話された。
その後の鎌田東二氏との対談で、比叡山の偉大さを再認識させていだき、比叡山に伝わる「論・湿・寒・貧」に耐える力の中で、「湿」が日本の風土からきたものと指摘されていた。
※中川個人の感想です。
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5月のおてらおやつクラブ

一人親家族様へお供えのおすそ分けをしています。新たに資格をとり仕事ができる喜びなどが書かれたお礼のお手紙などをいただくとこちらにも喜びをいただくことになります。また、おてらおやつクラブに参加されていませんが以前より児童施設へお菓子をおすそ分けされているお寺様もあることを先日知り、とても感心しています。素晴らしい活動がもっと広がることを念願しています。
今回は、おてらおやつクラブの事務局から案内がありました熊本地震で被害に遇われました現地で炊きだしのボランティア活動をされている九州のお寺様へもお菓子を少しですがお送りしました。

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前住職7回忌

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達書は、お寺の(前)住職や衆徒が往生された時に本山から贈られます。葬儀の前に、寺の跡取りや寺族、檀信徒に向かって、本山からご焼香にこられたご使僧が読み上げます。
そこには、得度からのことが書かれていて改めてこれまでのご苦労を知ることになります。
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 前住職の7回忌を執り行いました。ご往生して6年目ですが、この間、私は何をしていたのか振り返ってみると心に余裕が無く、時間に追われてその場しのぎの事ばかりで悔いることばかりです。前住職がいた時は、前住職に甘えて好きなことをしていた時間は、(心にまだ余裕があったようで)とても大切な時間であったと改めて感じています。還暦も超えると、残された時間がとても気になりますが、できることを続けていくことしかないことのようです。
落雁は、寺紋の浮線桐です。報恩講では紅白で荘厳しますが、黄白で荘厳しました。
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