お寺とは②

お寺とは②
多くの日本人が、年に一度か二度(お盆やお彼岸)、墓参をすることは、知られています。妙華寺の境内墓地でも、春秋のお彼岸やお盆の時は多くの方がお墓参りをされています。そして、帰り際、本堂に向かって手を合わせる姿も多く見受けます。
しかし、本堂の中まで入り、手を合わせる方はやはり少ないと感じています。
本堂に入るには、入り口で靴を脱ぎ、階段を上がらなければいけないので、億劫なこともうなづけます。「お寺は敷居が高い」って言葉もありますよね。
本堂は何のため、誰のためにあるのでしょうか。本堂での葬儀や年忌のお勤め、お寺の行事の時に集まっていただく場合がほとんどですが、本来は、真宗ではあまり使わない言葉ですが、祈りの「場」であり、真宗では、仏(阿弥陀如来)のいわれを聞法する「場」から発生したものだと思っています。「場」に集まることで関係性が強まることも感じるのですが、今は、自分の生き方を宗教に求めることなく日常生活が営まれている時代なのでしょう。日常生活の問題についての解決の「場」は、お寺以外でたくさんありますが、自分の生き方や悩みを話したり、気づいたりできる「場」の一つがお寺だと思っていますが、皆さんはどう思われていますか。
1人でも今の自分の生き方に迷い、阿弥陀如来の教えを求める方に、「場」が開かれています。

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