お寺の災害時の社会貢献

お寺の災害時の社会貢献

妙華寺は三重県津市にあり、以前から南海トラフの大地震が必ずやってくると言われ続けている地域です。
地震対策として本堂や庫裡の耐震補強の改修にも取り組んでいますが、境内の全ての建造物(水屋や山門・鐘楼堂・塀)まではおよんでいません。

阪神淡路大震災や東日本大震災の被災者支援は、三重県の一寺院の住職も何かしなければと思う出来事でした。私(住職)は、何かしなければと言う思いを持っていても現地でのボランテイア活動などはできることもなく、僅かな義捐金を送ったり、追弔のお勤めをするだけでした。

多くの宗教者(団体)が現地でボランテイア活動をされていることは、阪神淡路大震災の時から世間は注目し、東日本大震災の時は更なる活動として宗教者(団体)の被災者支援が行われ、そこから宗教者災害支援連絡会が生まれたことは、多くの方がご存知と思います。

あるオンラインの講座で、稲場圭信氏(大阪大学大学院教授 共生学)の講演をお聞きしてから、ソーシャルキャピタルとしてのお寺について考えさせられ、また、お寺の社会貢献について多くの生活者が期待していることも知り、自坊のお寺でもできることはないか考える時間ができました。

その中でお寺のスペース(空間)が、被災者支援の場になり得ることを知り、自坊の取り組みの中で考えることになりました。

私(住職)も、被災地になった時の寺院としての災害時の被災者支援を、東日本大震災や熊本地震で被災された寺院の支援活動を参考にしながら、妙華寺の机上の支援活動を考えています。
境内の妙華寺会館は36畳(4間×4間半)の空間とトイレ台所があり、目の前にある指定避難所の津市久居中央公民館で集団避難が馴染めない方の避難場所として活用ができるように思っています。
また、避難場所としてでなく、支援物資の保管場所であったり、ボランテイア活動の方の集合場所にも活用できると考えています。

また、すぐさま実現できることではないが、境内の臨時駐車場として整備予定地も、十分活用できると考えています。

しかし、1度結論づけた考えが良いかどうかは判断できません。災害時の被災者支援の課題はたくさんあり、新たな課題も生まれてきます。絶えず考え続けることが大切なことのようです。

先日、宗教者の災害支援に取り組む情報提供の場にオンラインで参加させていただくことができました。

宗教団体に求められている社会貢献(全仏連のアンケート調査「仏教に関する実態把握調査(2021年度)報告書 2021年12月)の中の「お寺の取り組むべき社会活動」で
①、伝統文化・芸術の保存 ②災害時の避難場所(の提供)は、取り組むべきとの生活者の期待比率は高いことも知りました。

その時のテーマは「在宅避難」の支援と「行政との連携」でした。
①「在宅避難(者)」は、避難場所に集まるグループ(集団)生活に馴染めない方や、避難場所に行くことができない被災者のことを「在宅避難」としています。
多くは、障がい者や在宅介護の方などで、災害発生時に把握が難しいことが問題です。

平時に名簿などの作成が必要でありますが、個人情報の問題や行政の主管先が違うことで把握が難しいようです。宗教者(団体)でできることは、声かけで例えばメールアドレスの登録で該当者への安否確認や、「在宅避難」に変わる少人数の避難場所の提供が考えられます。

②行政との連携
災害時協定する宗教施設への公金支出が認められているようです。
概数ですが、災害時の避難場所として宗教施設の提供は4,000か所くらいあるようです。これは、公共施設小学校が全国で80,000か所と比べると約5%の宗教施設が協定を結んでいることのようです。
行政と宗教側の温度差もありますが、国としては災害時の宗教施設の活用を促進する方向性なので連携を取りやすくなる環境になると期待されています。

改めて、平時から地域のコミュニティの中で関係性を深め、いざとなったときに共助できる体制が大切であると感じました。

大型連休

大型連休
ことしは、3年ぶりの外出制限がない大型連休で、観光地や古里へ多くの方々が移動されるニュースが報じられています。

お寺のお墓参りにも遠方からお越しくださるお同行の方の姿もお見受けいたします。
奈良県の西本願寺派の浄照寺さんが5月の初めに報恩講をお勤めしている。
大きな本堂にたくさんの方々が集まる素晴らしい所で、ご法話をされる布教使が葛野洋明先生と知り何年か前から機会があえば聞法を続けています。この2年間は、コロナ下で報恩講もお寺の住職や衆徒さんでお勤めされていたようですが、3年ぶりにお同行さんも参加できることで今回は報恩講の初日の4月30日に参加させていただきました。
1つの場に集まることができない事態がこれほど長く続くとは想像もしていなかったので「集う」ことができるのが、どれほどありがたいことか私を含めて多くの方が感じたのではないかと思っています。最近感じるのは対面の素晴らしさです。

ご法話は、私たちは祖師(親鸞聖人)のご命日を報恩講として何故お勤めするのか基本的なことですが、初心に帰ったようにお聞かせいただきました。

 

抽選会

そして、初めてのことですが、お寺の近くに「津市久居アルスプラザ」と言う市民ホールや芸術・文化の会場に使用できる施設が2年前にオープンしています。会場使用を考える場合、1年前に抽選会に参加して会場の申込ができることを聞いていたので、来年の5月の「お寺の講演会」を「津市久居アルスプラザ」のホールを使用したいと思い。5月1日の抽選会に参加しました。8時30分から9時までに抽選申込会場に集まった団体が、希望施設と希望日時を提出して、締切時間を待ちます。そして、私ともう1団体が同じ施設・日時でしたので抽選となりました。そして、当たりました。来年5月13日(土) (仮称)「親なきあとのことについて」として「親なきあと」相談室 関西ネットワークの代表の藤井奈緒さんに「津市久居アルスプラザ」のときの風ホールにて講演を依頼しています。
まだ産声を上げただけの、お寺と教会の親なきあと相談室津市妙華寺支部として最初の行事として考えています。

こどもの日に

こどもの日に
「仏の子」と言う言葉をお聞きされたことはあるでしょうか。
私(住職)は、中学校の仏教の時間で初めて聞いたように思っていますが、どのような場面で聞いたかは忘れてしまいました。仏教の中で「仏の子」は、私たち人間は必ず「仏」になる「仏性(ぶつしょう)」があることで、「仏の子」と言われるのだと聞いたと思います。
ただ、真宗の教えでは、私(凡夫)には「仏性」はなく、阿弥陀如来の本願力によりいただく信心を「仏性」とすると教えていただきました。
「この私(凡夫)には「仏性」がないこと」をどのように受けとめるでしょうか。
真宗以外の仏教では、人間は「仏性」を備えているので、修行(努力)すれば「仏」になれるのに、真宗の教えでは、私には「仏性」はなく阿弥陀如来の本願力によりいただく信心が「仏性」なんだよと聞けば、どうしてなのかちょっと反発したい気持ちにもなりますよね。

よくよく考えてみると、真宗以外の仏教と真宗の仏教では、私への見方が違うからです。

今の時代は、自分の良い点を見つけて才能を伸ばすことがポピュラーで、悪い点ばかり指摘することはダメな方法と言われます。
どのように自分自身を見つめていくか、厳しいことですが、親鸞聖人は「凡夫というは無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらわれたり」と著していただいています。

私に「仏性」がこれっぽちもないと気づくまでが大切な時間なんだと思います。
そのことがあって初めて、阿弥陀如来の本願力に出遇えるのですから。 

知覚

知覚について
普段の生活であまり感じないことですが、視力・聴覚・嗅覚・味覚・触覚について話がおよんだことがありました。

それは、新型コロナウィルス感染症の後遺症で、嗅覚や味覚がこれまでと違ってしまうことからです。
嫌な臭いや良い匂いを感じない感覚、まずいや美味しいを感じない感覚は、新型コロナウィルス感染症の後遺症だけでおこるものでもなく、これまでも、誰もが、風邪で鼻づまりの時や高熱で寝込んでいる時などでも経験をしたこともあると思います。私も経験がある嗅覚・味覚に障がいが出た時の感覚は、限られた時間でしたが、あまりよいものではなかったと思います。
視覚や聴覚に障がいがあれば、周囲が見えない・音が聞こえない感覚も疑似体験をするだけでもとても大変だと感じます。

そのようなことを思いながら、私の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚ははたして普通なんだろうかと振り返ってみると、私の視力は強度の近視でメガネで矯正していますし、聴覚は先日の健康診断で高音が聞こえにくいようで精密検査をするように言われています。嗅覚だってそれほど確かな(鼻がきく)ものでないし、味覚も味が濃いものが好きで、繊細な味覚を感じているか疑問です。触覚も年と共に感じにくくなっているようにも思います。

これまで、私は、光が届かずなにも見えない世界や音が無い世界、無臭の世界、味覚を感じない世界、触覚を感じない世界が、知覚障がいと捉えて、生活する上で不便であると思っていました。しかし、私自身の見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、手や身体で感じたりしている感覚も、私だけの感覚で他者と同じではないことに思いいたりました。
また、私が知覚障がいと捉えている感覚は、ひっとすると法性(ほっしょう)の世界なのかもわからないと考え直しています。

4月のおてらおやつクラブ

4月のおてらおやつクラブは、県内の2つの支援団体様に「お供え」を「おすそ分け」させていただくことができました。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

【おてらおやつクラブHPから】

※現在、認定NPO法人おてらおやつクラブ(奈良県田原本町 代表理事 松島靖朗)は、2022年4月~2023年3月の期間、おてらおやつクラブの活動を紹介する巡回展を開催します

全国12か所の寺院・関係施設を会場とし、1年かけて月ごとに巡回していく本展示会。当活動の内容やその背景にある「子どもの貧困問題」の実態について多くの方に知っていただく機会をつくります

布教伝道大会

布教伝道大会
新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止の為、2年間中止になっていました布教伝道大会が高田本山にて3年ぶりに開催されました。
講師は、布教伝道研修講座を立ち上げられました最初の講師の本願寺派布教使の葛野(かどの)洋明先生のご法話です。

葛野先生は、妙華寺の報恩講でも2年に1度ご法話いただいている先生でもあります。

今回は、前半は学ぶ時間・後半は味わう時間として、「正定聚」について、詳しくわかりやすくお話をお聞かせいただきました。
私(凡夫)には何一つ実感のない「正定聚」であり、毎日の生活が凡夫の情(迷い)の中にいる私が救われるということは・・・
やはり、対面での話がこんなによいものと改めて味わっています。
※中川個人の感想です

多忙極まる毎日の生活の中で、どれだけ人生を豊かに過ごすことができるか考えたことがあります。好きなことに没頭することもその1つと思います。
私(住職)は、私の価値観と違う価値観から自分を見つめていくことでより充実した人生になることが気になり、仏教の教えを学び直しています。これでよいというものでなく自分の一生をかけて学んでいくことが大切なんだと今は感じています。
仏教の教え(仏法)に出遇うことで人生が豊かになることも実感しています。そして仏教の教え(仏法)に出遇うことの1つに聞法(もんぽう)があります。いつからでも始めることができる出遇いです。聞法する時間がないことも承知していますが、是非一度お試しください。

お寺(妙華寺)の年5回の行事でもご法話がございます。そこから始められるのはいかがですか。

お裏方様の本葬儀

お裏方様の 本葬儀
3月27日に往生されました 高田本山専修寺のお裏方様の本通夜が4月20日お対面所にて、本葬儀が4月21日(木)午後1時から如来堂にて勤まりました。
通夜は、坊守と一緒に焼香させていただき、本葬儀は、住職が出勤させていただきました。
本葬儀の時は、雨が降り出しましたが、御影堂(みえいどう)にモニターが二面かかり、如来堂の式場が映し出されています。焼香は、そこから如来堂の正面まで案内があり焼香する形でした。如来堂では、真宗各派のご門首猊下がご焼香をされました。
今回、如来堂のお勤めする僧侶も全てイス席で、これまでの着座のお勤めから、今後、イス席でのお勤めに変わっていくようにも感じられました。

他の出勤の方とお話をする機会もあり、往生されましたお裏方様との思い出をお聞かせいただいたり、私(住職)にもある思い出もお話でき、悲しみの中ではありますが出勤させていだいて良かったと思いました。

また、本通夜・本葬儀に、前ご法主殿・お裏方様のご両親の姿もお見受けして、子どもを見送る親御様の姿からいろんなことを考えさせられました。

【平成7年5月27日に専修寺にお輿入れ】

善光寺の一光三尊仏

善光寺の一光三尊仏ご開帳
コロナ下で1年遅れて今年4月3日から6月29日まで信濃の善光寺で7年に一度の「善光寺前立本尊(一光三尊仏)」のご開帳が開催されています。
私は、高田派の住職なので一光三尊仏と言えば、高田の本寺(栃木県)の如来堂の一光三尊仏が頭に浮かびます。本寺の一光三尊仏は、親鸞聖人が流罪をゆるされ、関東へ行く途中に善光寺聖として、勧進をしていた時の三尊さんとも言い伝えられています。善光寺の本尊に「親鸞松」と呼ばれる松1本を供えているとも聞いたことがあり親しさを感じています。高田派の寺院にも、善光寺如来絵伝やそれに高田に伝えられた一光三尊仏の掛軸・一光三尊仏像が伝えられています。高田派の本寺の一光三尊仏のご開扉は17年に一度で、8年後の2030年(令和12年)と記憶しています。
私(住職)にとっても善光寺は訪れたいお寺の1つでした。2009(平成21年)前々回のご開帳の時に家族で行った時のことを思い出します。

※7年に一度は数えで数えるので本当は、6年目が次のご開帳年
高田派の17年に一度も同様に16年目が次のご開扉年

【善光寺ご開帳のHP】から
「善光寺に伝わる歴史と信仰の物語宗派を超えて親しまれる善光寺。その成り立ちや阿弥陀如来信仰を伝える物語を抜粋してご紹介します。善光寺縁起 昔、天竺(インド)の大金持ち、月蓋(がっかい)長者が阿弥陀如来によって一人娘・如是姫(にょぜひめ)の病気を治してもらったことを喜び、阿弥陀如来のお姿を「一光三尊像」にして祀っていました。その仏像は時を経て、朝鮮半島の百済へ。そして日本の欽明天皇のもとに、仏教とともにもたらされました。しかし、後に悪い病気が流行った時、物部氏によって難波の堀江に捨てられてしまいました。それを拾い上げたのが信濃の人、本田善光(よしみつ)。善光は故郷の麻績郷(現在の飯田市)にお連れし、さらに阿弥陀如来のお告げに従い、現在の地にお堂を建てて安置しました。それが絶対秘仏である御本尊であり、善光寺のはじまりなのです。

牛に引かれて善光寺参り昔、信濃国小県の里に心の貧しいおばあさんが住んでいました。ある日、川で布を洗い干していると一頭の牛が現れ、角に布を引っかけて走り出しました。その牛を追いかけて、おばあさんがたどり着いたのが善光寺。日が暮れてお堂に入ってみると、光明に照らされた牛のよだれが「牛とのみ思いすごすな 仏の道に汝を導く己の心を」と読めました。すると、おばあさんはすっかり信心深い人間に生まれ変わりました。後日、近くの観音堂に詣でると、観音様の足元にあの布が。おばあさんは牛は仏様の化身と知り、ますます善光寺への信仰を深め、めでたく極楽往生をとげました。この仏様が小諸の布引観音といわれています。((https://www.gokaicho.com/about/about/ 参照 2022年4月16日))

「御開帳とは七年に一度、絶対秘仏である御本尊の御身代わり 「前立本尊」(鎌倉時代・重要文化財)を本堂にお迎えして行う「善光寺前立本尊御開帳」。仏都の春、御仏とのありがたいご縁が生まれます。善光寺の御本尊「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来」は、ひとつの光背の中央に阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ、善光寺独特のお姿をされています。白雉5(654)年以来の絶対秘仏であり、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして「前立本尊」が造られました。普段は御宝庫に安置されていますが、七年に一度の御開帳の時だけ、特別にお姿を拝むことが叶います。前立本尊中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸に変わり、白い「善の綱」として、本堂前の回向柱に結ばれます。その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じこと。ここにありがたいご縁が生まれ、その功徳ははかりしれません。
回向柱に触れて 如来さまとのありがたい結縁回向柱とは、御開帳期間中に本堂前に立てられる高さ約10mの柱です。前立本尊の御手と「善の綱」によって結ばれるため、回向柱に触れることは前立本尊に触れるのと同じ御利益があるといわれます。
松代から寄進される回向柱300年余の歴史、脈々と今に宝永4(1707)年に現本堂が再建された際、松代藩が幕府から普請の監督を任されました。それが縁となり、回向柱は現在まで300年余にわたって松代から寄進されています。松代から善光寺へ回向柱は、大名行列や姫行列とともに松代町を練り歩いた後、善光寺にやってきます。途中引き綱に触ると御利益があるといわれ、沿道にはたくさんの人がつめかけます。」((https://www.gokaicho.com/about/gokaicho/ 参照 2022年4月16日))

【妙華寺の一光三尊仏】

お寺と個人情報

お寺と個人情報
改正個人情報保護法が4月から施行されたことを知りました。
改めて、お寺と個人情報について考えています。

お寺の過去帳については、戦後、日本全国で「差別戒名」問題から議論があり、他者が過去帳を閲覧することは禁止になっています。。
前住職からも、「過去帳は、人(他人)に見せてはいけない」と言われていました。

個人情報保護法が施行されてからからは、「誰々のお墓はどこですか」とお尋ねに見えた方に果たして応えていいのかも考えるようになりました。
お寺のお世話方様や婦人会幹部の方がお亡くなりになると、慣例で、他のお世話方様や婦人会幹部の方へお知らせをすると、関係性が深い方々が、お通夜や葬儀にご焼香される方々もいらっしゃいました。
しかし、そのような連絡をしていいものかも考えることになりました。
毎年の年忌を記載する繰り出し表や、お寺への寄付者の張り出しも考えさせられる問題です。

お寺は昔から勧進(財施・寄付)により仏像や伽藍が造られる寄付文化も続いており、お寺の本堂の建設や改修、境内整備が続けられ今に至っています。
皆様方の尊い財施(寄付)によってお寺が支えられていることを顕彰することもお寺には大切なことと思っています。
また、現在は、財施(寄付)をいただいた金額も決算報告として提出しなくては、宗教法人の会計は成り立ちません。

どのような判断が適切なのか、専門家の意見や他の宗教師さんに意見を聞きながら考えていきたいと思います。

「お寺の慣習と個人情報文化時報社文化時報社2022年4月10日 08:39
※文化時報2022年4月8日号に掲載された社説です

改正個人情報保護法が4月から全面施行された。事業者は個人情報が漏洩した際、個人情報保護委員会へ報告し、本人に通知する義務を負うこととなった。宗教団体は、宗教活動の目的で個人情報を取り扱う限り、個人情報保護法の適用対象外とされている。ただし、収益事業などは対象となっている上、宗教活動であっても、苦情処理などの必要な措置を講じる努力義務は課せられている。たしかにお寺もけっして無関係ではいられない、と感じたのは、ある教団の研修会で次のような議論になったと耳にしたからだ。寄進した檀家の名前や金額を掲示したり、年回法要を迎える故人の氏名を張り出したりすることは、個人情報保護の観点から適切なのか―という問題が提起されたのである。寄進銘板や芳名板などとも呼ばれる寄付札は、金額の多寡によって、書かれる名前の順番や大きさに差を付けるのが通例だ。あるお寺では、掲示に対する賛否両論が檀家から寄せられ、住職は今後、掲げないことを決めた。経済的事情でお布施を出せない檀家が、肩身の狭い思いをすると考えたからだという。この住職は、後になって地域の有力者から「これは、皆がきちんと寄進したかどうかを知るための札だ」と教えられたことで、自分の判断が間違っていなかったと確信したと明かした。一方、年回法要については、その年に年忌を迎える人の名前などを本堂に張り出したり、寺報に掲載したりするお寺がある。お寺にとっては個別に知らせる手間が省けるかもしれないが、それだと檀家が知らせたくない親戚や近所がある場合でも、知られてしまう恐れがある。憲法20条で信教の自由が保障され、刑法134条2項で宗教者の秘密漏示罪が定められているのだから、宗教団体が個人情報保護法制にこれ以上縛られる必要はない、という考え方もできよう。しかし、法律の改正以上に社会の意識が変化し、条文が時代に追い付かないことは、しばしばある。個人情報への権利意識が高まっている以上、私たちは、法の定めは最低ラインだと見なさなければなるまい。私たちは、と断ったのは、メディアも同じジレンマを抱えているからだ。報道機関も、報道目的で個人情報を取り扱う限りは、法の適用を受けない。にもかかわらず、個人情報を理由に情報提供者の萎縮や取材対象者の協力拒否を招く事態は年々、深刻になっている。件の研修会では、寄付札や年回法要の張り出しをやめることに、異論も出た。寄付札は、本堂の修復など大掛かりな記念事業に貢献した人の名を後世まで残し、名誉をたたえる機会になる。年回法要の張り出しは、やらないと檀家にとがめられる地域もあるという。結局のところ、一律の判断は難しく、個々のお寺がそれぞれの地域性や実情に応じて対応を決めるしかない。場合によっては専門家の助言を仰ぎ、熟慮を重ねてほしい。」((https://note.com/bunkajiho/n/n28d5361a7923?fbclid=IwAR0fdfmN1ucWl2az8_bQF_dUSgfZ7H-AXvrRm0VIhBf2K_w6bWQqNb5ao5E 参照 2022年4月10日))

花祭り

花祭りは、いつから?

お釈迦さんの誕生を祝う仏事を、灌仏会(かんぶつえ)・花祭り・釈尊降誕会・仏生会などと言います。今は、メリー釈迦と言うときもありますね。

日本では、釈尊の誕生日と伝えられている4月8日に行われる。釈尊の誕生時に、天から甘露(かんろ)の雨が降り注いだと伝えられることにちなんで、香木を浮かせた水や甘茶を釈尊像に濯ぐことが行われる。【浄土真宗辞典】

『日本書紀』によると、606年(推古天皇14年)4月に「灌仏会」が元興寺で催されたと記されており、日本最古の記録になっています。

「花まつり」の名称は、1916年に東京の日比谷公園で僧侶安藤嶺丸(あんどうれいがん)らが中心となって、お釈迦さまの誕生法要を「花まつり」と称して開催したのが、日本最古の「花まつり」とされています。
1901年4月、ドイツに留学していた真宗大谷派僧侶の近角常観(ちかずみじょうかん)など日本人18名がベルリンのホテル四季館に集まって仏陀生誕を祝う「Blumen Fest」(日本語に訳すと「花まつり」)を開催したそうです。ドイツ語の「Fest」が「まつり」という言葉に影響しているのでしょう。
この時の18名の一人巌谷小波が記したヨーロッパ滞在記『小波洋行土産』にベルリンで開催された「Blumen Fest」の詳細が記されています。それによると、巌谷小波自身がこの会のために創作した『花祭』というお伽噺を余興として壇上で朗読したとあり、巌谷小波の「花祭」が「花まつり」の名称の由来になる可能性が高いと思われます。【浄土真宗 唯 VOL.38より】

妙華寺の花祭り(メリシャカ)
お釈迦さまが生まれて直ぐ7歩あゆまれ「天上天下唯我独尊」と指さした姿が誕生佛だそうです。日本では4月8日が誕生日と伝わり、天から甘露の雨が降ったことにちなんで、甘茶を濯ぐことになったようです。妙華寺では、隣寺と一緒に7日8日に「メリシャカ(花まつり)」を開催しています。