こどもの日に

こどもの日に
「仏の子」と言う言葉をお聞きされたことはあるでしょうか。
私(住職)は、中学校の仏教の時間で初めて聞いたように思っていますが、どのような場面で聞いたかは忘れてしまいました。仏教の中で「仏の子」は、私たち人間は必ず「仏」になる「仏性(ぶつしょう)」があることで、「仏の子」と言われるのだと聞いたと思います。
ただ、真宗の教えでは、私(凡夫)には「仏性」はなく、阿弥陀如来の本願力によりいただく信心を「仏性」とすると教えていただきました。
「この私(凡夫)には「仏性」がないこと」をどのように受けとめるでしょうか。
真宗以外の仏教では、人間は「仏性」を備えているので、修行(努力)すれば「仏」になれるのに、真宗の教えでは、私には「仏性」はなく阿弥陀如来の本願力によりいただく信心が「仏性」なんだよと聞けば、どうしてなのかちょっと反発したい気持ちにもなりますよね。

よくよく考えてみると、真宗以外の仏教と真宗の仏教では、私への見方が違うからです。

今の時代は、自分の良い点を見つけて才能を伸ばすことがポピュラーで、悪い点ばかり指摘することはダメな方法と言われます。
どのように自分自身を見つめていくか、厳しいことですが、親鸞聖人は「凡夫というは無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらわれたり」と著していただいています。

私に「仏性」がこれっぽちもないと気づくまでが大切な時間なんだと思います。
そのことがあって初めて、阿弥陀如来の本願力に出遇えるのですから。