車止 設置しました

車止 設置しました

7月下旬に境内駐車場に近い墓石の石柵の一部が壊されていました。
今後、このようなことが起こらないよう、車止を設置しました。

改めて、駐車場に車を駐車されます場合、周囲にご注意して駐車してください。

高田本山専修寺の奉讃法会のご案内

高田本山 専修寺の奉讃法会のご案内
8月31日に高田本山の特別法要事務局長が、妙華寺にお越しになられました。
来年の奉讃法会のご案内とご寄付のご依頼でした。

来年(令和5年)5月21日から28日まで高田本山専修寺の奉讃法会がございます。
開山親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年・中興真慧上人500年忌・聖徳太子1400年忌を併せて「奉讃法会」を称しています。多くの皆様方にご参詣をお願いされています。
稚児練りも行われます。
注目する事業は、新宝物館の建設です。来年(令和5年)の5月のオープンに向けて建設が進んでいます。大きな事業ですので、高田派のご門徒様へもご寄付をお願いする次第です。ご賛同いただきました方のご芳名は宝物館に献納し、2万円以上のご寄付の方のお名前は展示廊下の壁面の銘板に刻銘されます。
(※銘板への刻銘は、制作に時間を要しますので、令和4年中にご寄付をいただいた方になります)

経済的に厳しい時期ではございますが、ご賛同いただけます場合、妙華寺にお申し出ください。

贈り物

贈り物
お寺には、多くの皆様から、思いがこもった贈り物をいただくことがあります。
その方が長年続けられてこられて、形となった作品。亡くなられた方が大切にされていた遺愛の品。手を尽くして育てた生り物や花。他にもいろいろなものをいただくことがあります。
今回は、駅近くで花屋をされていた方が、関東に住む嫁がれた娘さん家族の近くに引っ越しをされることになり、店頭に飾っていたモミジをお寺にお持ちいただきました。詳しい名称はわかりませんが、葉が小ぶりなのが良いとのこと。境内の休憩所あたりに置かさせていただき、参詣者の皆様にも愛でていただきます。

9月1日は「防災の日」

9月1日は、防災の日
関東大地震は、大正12年(1923)9月1日に発生しました。多くの方々の命が失われ、今年は亡くなられた方の100回忌(99年)にあたります。当時のことを詳しく知らないのですが、お寺の過去帳にも東京に出られたお同行様で地震で亡くなられた方のお骨を埋葬した記実もあります。

三重県も、昭和19年(1944)の東海地震、昭和21年(1946)の南海地震で被害があったことは、両親や祖父母から聞いていますが、お寺として大きな被害はなかったようです。ただ、阪神淡路大震災や東日本大震災などを目の当たりすると、今後必ずやってくる東南海地震災害への備えは必要だと感じています。

これまでもお寺のHPで何度か紹介しています、 救援マップ(未来共生災害救援マップ)の紹介させていただきます。
お寺のある三重県では東海地震や東南海地震が今後発生すると大きな被害を受けることは随分前から指摘されています。その為、行政からも地震が発生した時の備えや行動計画の事例も何度も注意喚起がなされ住民も確認し自治会などを通して防災訓練なども行っています。また災害時の行動について個人・家族で話し合う機会もあったと思います。
以前、「災害時のソーシャルキャピタルとしてのお寺」と題したオンライン勉強会がありました。大阪大学の稲場圭信氏の研究分野で災害時の避難場所のあり方などのお話をお聞かせいただきました。行政が指定している地域の避難所が諸事情で使用できない場合に、その地区で広い空間施設を持っている寺社を活用する取り組みをされています。(大型商業施設なども避難場所として指定または活用も進んでいます)
行政の避難所指定がなくてもその地域の避難空間としてお寺を活用できることは、お寺の社会貢献としての一面もあると思いました。
稲場圭信さんの研究所では、既に「未来共生災害救援マップ」と言う全国地図に行政の避難指定施設と共に寺院・神社にも避難された方がいる場合にその概略を記入できるスペースが作られたマップが無料提供されています。
地域に災害が起こる前に1度このマップを確認して、今いる場所の避難場所の再確認や避難場所になり得る広い空間施設を持つ寺院・神社の場所の確認をされるのはいかがでしょうか。

栃木県の本寺について

栃木県の本寺
先日、関東のご同行様が、本寺にお参りにいかれた時の写真をお送りいただきました。
私(住職)が本寺にお参りに行ったのは、今から40年ほど前に高田派の青年部の研修で行ったのが最初でした。本山から夜行バスで、早朝、東京で朝食を取り、東北自動車道経由で栃木の本寺に到着したのは午後だったでしょうか。本寺の皆様の歓迎と庫裡で泊まったことは今でも覚えています。その後3度ほど行くご縁がありました。平成28年の3月末に娘と行ったのが直近であります。

栃木県の本寺の伽藍は、栃木で2番目か3番目の大きさだったと聞いたことがあり、御影堂と如来堂も趣があり素晴らしいですが、私(住職)が気に入っている場所は、親鸞聖人のご遺骨が収めてある御廟(お墓)です。とても昔ながらの素朴な造りです。弟子の顕智上人が京都で荼毘にふされた親鸞聖人のご遺骨の一部を貰い受け、本寺に収められました歴史を感じさせられる墓所です。ご存知の親鸞聖人の絵伝に描かれる御廟と同じようです。

送っていただいた写真で、今、本寺の山門(楼門)が修理中であることを知りました。
私(住職)は知りませんでした。高田派では、来年親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年他の奉讃行事が予定されていて、高田本山では新宝物館の建設が始まっています。多くの伽藍を抱えている高田派の本山や本寺では、長年に及び傷んだ建造物をいつも修理をしていかなければいけないのでお護りしていくのは大変です。

※本寺の写真(3点)は掲載許可をいただいています。

遺影

遺影
ふと先日の葬儀の時に、「葬儀式で遺影を飾るのはいつからだろう」と思いました。私が葬儀式のお勤めを始めた40年前にもあたりまえのようにありました。
お寺の歴代では私の3代前(曾祖父・曾祖母 昭和20年代に往生されている)から遺影が仏間の鴨居の上に並んでいます。
お同行様の仏間にも、何代か前からの方の遺影が飾られていることもあります。

式場では、最近は、大きなディスプレイにデジタル写真として飾ってありますが、自宅に飾るのはこれまで通りのサイズだと思います。

白黒からカラー そして、喪服の合成も以前に比べて違和感がなくなり、また、遺影らしくない明るい姿の遺影も多くなってきました。
そういえば、生前にご自身の遺影を撮影する機会も増えているようです。笑顔がすてきな遺影も素敵ですね。

妙華寺では、正月に、本堂に掛けるお寺の代々住職の絵像は、5代前からのが残っています。

初代は木像で2代から6代までの絵像が残っていないのは、江戸後期の久居焼けで、当時の本堂が焼失したからだろうかと想像しています。

 

津 平和の鐘

津・平和の鐘
戦争が終わって77年 戦争を知らない私(住職)は平和をどう保っていくのか。いつも考えていかなければならない課題の1つです。
「津がつながる津ぅりずむ」が主催し、今年で5回目になる、津市内にある鐘を撞き「戦没者の追悼と世界平和を祈念する」ことに賛同した寺院が正午に黙祷をしてから鐘を撞きました。
一昨年・昨年同様コロナ禍での開催ですので、あまり周知はしていせんが、正午に鐘を撞き、黙祷しました。隣寺の鐘の音も聞きながら、今も世界で戦争が行われていることに向き合い。何もしなければ平和にはなれないことを痛感しながらこの時を迎えました。

ある時 突然に

ある時突然に
僧侶の「あるある」ですが、お盆詣りで一軒の家でお勤めをしていた時、突然念珠の糸が切れて珠が散らばったことがありました。その家の念珠をお借りして次からの家のお勤めをしたことがありました。葬儀の控室で、衣を準備をしてた時、衣の紐がはずれて結べなくなり。会場の方に安全ピンを借りて、その場を乗り切ったこともあります。自宅勤めに行くとき、自転車に乗ろうとした時、一方の草履の鼻緒がきれて、あわてて自坊に戻り違う草履に履き替えたことなどあります。
そうならないよう事前に確認をするのが大切なのだが、ある時突然にその時がやってきます。

今年は、本堂勤めの時の衣の袖の糸が外れて袖がみっともないことになっていたことがありました。
今日から8月のお盆です。汗かきの私ですので、お盆勤めで使う輪袈裟の首回りが汗染みになっています。

中陰の数え方

中陰の数え方

ご家族が亡くなられますと、枕勤め・通夜・葬儀と続きます。
お寺では、ご家族に、中陰の日にちを記載した「中陰逮夜忌」と称している中陰票をお渡ししています。
妙華寺でも、初七日のお勤めを、葬儀が終わった後にご依頼されることが多いのですが、その後(二七日以降)のことは、少し時間があきますのでご家族で考えて改めて連絡をいただくようにしています。

最近亡くなられた方の家族から中陰の数え方を聞かれました。
私(住職)も若かった頃は、多くの方と同じように、亡くなられて一週間後が「初七日」にあたると考えていました。
そのように数えて中陰をお勤めされる場合もあると思いますが、妙華寺の場合は、亡くなられた日の前日から数えるとのことで、また、中陰の示し方も「中陰逮夜忌」として前日の逮夜の日を示しています。なので亡くなられた日の5日後の日にちが初七日の日にちにあたります。その後は、プラス7日の日にちで数えます。

先代からの話では、真宗では命日の前日の逮夜にお仏壇でお勤めし、命日の朝お墓勤め・本堂勤め(報恩講と同じ形)にならっていると聞いています。

親鸞聖人のご命日のお勤めを報恩講と申していますが、高田派の専修寺では毎年1月16日が命日の7日前の9日の逮夜からお勤めが始まり、15日に盛大にお勤めをいたします。そして命日の16日の朝 ご廟(墓)でお勤めをして、御影堂でお勤めがありご満座(終了)です。

オンラインと対面(参詣)

オンラインと対面(参詣)
関東のご家族とこの2年間、オンラインでお勤めをしています。
今年のお盆に納骨を兼ねてお寺にお越しいただく予定が、7度目の感染拡大で、お盆のお勤めのオンライン(納骨は後日)になりました。

大阪の親戚家族は、お寺にお越しいただくことで、オンラインと本堂で対面(参詣)されるスタイルになりました。
全てがオンラインであったこれまでは、PCの画面に映る場所は限られていますので、本尊がはっきり見えるようカメラを内陣の中央に設置し、

住職のお勤めの場所にマイクとPCを設置してお勤めをしていました。
今回は、本堂にお越しいただく(対面)方のことも考えると本尊の前にカメラも設置やお勤めの前の経机前にマイクやPCを置くのも考えもので、カメラの設置位置やマイクやPCの置き場を考えていました。
大間の焼香台横にカメラを設置して本尊を映し、お勤めの声は、本堂のスピーカー前にPCに接続したマイクを置く方法を選びました。PC本体のスピーカーでオンラインの皆様の声を聞くことにしました。
本堂でのお勤めが終わり、私(住職)は、参詣者とお墓詣りに行きました。
お勤め中は、参詣者には本堂でお焼香もいただき、オンラインの皆様のお顔は拝見できませんでしたが、一緒にお勤めしていただいているお声も聞こえ、離れていてる中、同じ想いに満ちている時間でした。