降誕会(ごうたんえ)

親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
親鸞聖人の出自について覚如上人の『親鸞伝絵』に記されています。中世の史料には、聖人がいつどこで生まれたか具体的な記述がありません。
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人は、承安3年(1173)に誕生されたことは、聖人のお手紙・書物に年齢が記されていますので判明しています。誕生の月日は、1月1日・2月上旬・4月1日、10月の諸説があります。これらは江戸時代に編集された聖人の伝記によるものです。その中で高田派の良空(りょうくう)の『高田開山親鸞聖人正統伝』に記された4月1日(太陽暦5月21日)説が有力になり、定着していき、場所については山城の日野の里に伝承があり今に至ります。また聖人の誕生日の行事として法会が勤まるのは明治に入ってからです。降誕会とは普通お釈迦様の誕生をお祝いする行事ですが、真宗では「親鸞聖人は阿弥陀如来の応現(おうげん)」と頂くところから聖人の誕生を降誕会と言いお祝いの行事をしています。
また、お同行の皆様の喜びの1つに親鸞聖人90歳のお年を「祖師寿(そしじゅ)」と言い90歳になられたお同行の皆様の仏縁を共にお喜び申し上げています。
男性は降誕会の5月21日に、女性は6月の最初の日曜日に開催されます高田派婦人連合大会の式典で表彰されます。このことを励みにされていらつしゃる方もたくさんいらっしゃるそうです。来年は昭和3年(1928)生まれの方が該当されます。(今年の祖師寿の申し込みはすでに終了しています)
※五天良空(ごてんりょうくう) 四日市川原田の常超院の住職。 親鸞聖人の伝記研究に没頭し、専修寺の古い記録をさぐり、史料調査で聖人の遺跡を訪ね正徳五年『高田開山親鸞聖人正統伝』を著した。当時は聖人伝の研究の華やかな時で、大谷派の慧空・本願寺派の玄智などと論戦が行われた。
親鸞聖人像IMG_4002
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グリーフケア公開講座「悲しみを生き抜く力」

グリーフケア公開講座「悲しみを生き抜く力」
 上智大学・龍谷大学主催の春の公開講座があることをHPで知り締め切り間近に申し込みました。初回は参加できませんでしたが2回目の講座に参加しました。
「親鸞と世阿弥の哀しみ」 山折哲雄師
世阿弥についてはまったく知らずにいましたが、親鸞聖人と世阿弥に共通することは、時の権力者から流罪になったこと。親鸞聖人は、京都から越後に流され、赦免後、善光寺から関東へ歩いて行かれる姿に「苦しみ」=「哀しみ」のように感じる。世阿弥は、親鸞聖人からおよそ200年後の時代で、流罪で佐渡に流されたが、同じように流された日蓮聖人や親鸞聖人については何も語っていないのはどうしてか。
能の舞台では、演者が最初にあらわれて「憑きもの」に憑かれ舞い、謡い、やがて静まっていく。その舞台で何も語らず聞いている人物が、坊主で傾聴の姿ととらえることができる。また演者が静まり最後に舞台から消えることを「成仏」とも言うらしい。
親鸞聖人の晩年の和讃である「悲歎述懐和讃」を誰が傾聴したのか?山折師は、「阿弥陀如来」ではと話された。
その後の鎌田東二氏との対談で、比叡山の偉大さを再認識させていだき、比叡山に伝わる「論・湿・寒・貧」に耐える力の中で、「湿」が日本の風土からきたものと指摘されていた。
※中川個人の感想です。
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5月のおてらおやつクラブ

一人親家族様へお供えのおすそ分けをしています。新たに資格をとり仕事ができる喜びなどが書かれたお礼のお手紙などをいただくとこちらにも喜びをいただくことになります。また、おてらおやつクラブに参加されていませんが以前より児童施設へお菓子をおすそ分けされているお寺様もあることを先日知り、とても感心しています。素晴らしい活動がもっと広がることを念願しています。
今回は、おてらおやつクラブの事務局から案内がありました熊本地震で被害に遇われました現地で炊きだしのボランティア活動をされている九州のお寺様へもお菓子を少しですがお送りしました。

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ぴっぱら

ぴっぱら(PIPPALA)のこと
2ヶ月に一度発行のこの冊子を見たのは、高田本山に所用で伺い、待合で待っていた時、本棚にあるのを目にした。(公財)全国青少年教化協議会の発行するもので「ファミリアル仏教誌」とあり、手にした。冊子の裏面には、6つの願いが掲げられている。本文も易しい言葉で子ども達へ仏教の心を伝えようとしているのがわかる。私には、子どもへ仏教の素晴らしさを伝える力もなくどのようにしたらよいかわからなかったので早速会員になった。
 HPでは、「全国青少年教化協議会は、仏教精神に基づき、国内外における子どもたちの健やかな育成と家庭支援を目指す超宗派の団体です」とある。「子ども支援ネットワーク」ともあり、いろんな活動をしている。
全国青少年教化協議会(略称・全青協)は、仏教教団60余宗派と関連企業が協力し、青少年の豊かな生活と未来を願い1962年に結成(翌1963年設立認可)された公益財団法人です。2013年には創立50周年を迎え、同年12月2日に公益財団法人に移行いたしました。
「仏教子ども会・日曜学校」の推進をはじめ、子どものころから仏教に親しみ、世の中の移り変わりに押し流されることのないその教えによって、たくましい心をもった人間に育ってほしいと、諸事業を展開しています。
いじめ、不登校、少年犯罪など、ますます多様化する青少年に関する課題に対し、仏教や仏教者が果たす役割を常に考え、青少年はもとより、彼らとともに歩む青少年教化活動者を支援していきます。
また付属機関として2008年に「臨床仏教研究所」を立ち上げ、現代社会において僧侶や仏教者が果たすべき役割について研究し活動者の養成に取り組んでいます。
 個人的には、臨床仏教研究所の活動に興味もある。寺子屋教育の活動も興味深い。妙華寺で子ども達を通してどのような活動ができるか考える機会をいただいている。

※冊子名の「ぴっぽら」とは、お釈迦さまは、「ぴっぱら樹」という大樹の下に坐り、瞑想され、お悟りを開かれました。そこで、「ぴっぱら樹」のことを人々は「菩提樹(悟りの樹)」と呼ぶようになりました。本誌「ぴっぱら」は、「菩提樹」のインド名から名づけました。

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4月のおてらおやつクラブ

おてらおやつクラブ
果物のお供えがありました。一人親家族様にお届けするおてらおやつクラブでは、発送予定をしている時に果物のお供えがあることが少なく主に日持ちするお菓子が多いです。今回は、果物のお供えがありましたのでゴールデンウィークには少し早いですが発送いたしました。

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栄昌寺 前住職の葬儀式

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葬儀 前住職の一つ上の兄の葬儀式にお焼香させていただきました。
前住職の兄弟は6人で、戦争で亡くなられている方もいましたが皆お浄土へ行かれました。前住職の父は、高田派のお寺に生まれ、ご縁があり、浄土宗のお寺に入寺しお念仏の道を歩まれました。一番下の子供として生まれた前住職は、高田派の妙華寺に入寺してお念仏の道を歩まれました。父とこの度ご往生されました一つ上のお兄さんは、小さいときからいつも一緒にいて、「あきちゃん」・「かずちゃん」と互いを呼び合い父が病で入院最後まで夢を見ていたのか、「あきちゃんが来た」とか、一番上の姉さんの名前を呼んだり、最後まで兄弟のことを思い起こしていたようなことを改めて思い出しました。前住職の葬儀は、本堂の改修時で妙華寺会館で執り行いました。前住職の七回忌ももうすぐやってきます。

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4月のおてらおやつクラブ

4月のおてらおやつクラブ
3月に「神戸スイーツ学会」からご寄付がおてらおやつクラブ事務局様にありました。
・本企画は、普段洋菓子を食べる機会のない子どもたちに、美味しい洋菓子を食べてほしいというものです。お渡しするのは「子ども」限定とありました。
こうした企画が企業からおてらおやつクラブに持ち込まれるのは非常に有り難く、いつにも増して子どもたちに笑顔を届けることができると思います。
ぜひご協力をお願いしたく、企業さまからのご賛同もお待ちしております。
また、松阪市の方から「おてらおやつクラブ」の一人親家族様へとお菓子を一箱お送りいただき大変うれしく思い、お礼申し上げます。今回、「神戸スイーツ学会」様からのバームクーヘンと一緒に妙華寺がお送りしている一人親家族様にもおすそわけの一つとしてお送りいたしました。

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次の御開扉は、2030年(平成42年)

今日(30日)高田本山で、三日間にわたる一光三尊佛御帰山法会が終わり、栃木県の本寺にお帰りになります。本寺の方では、御復座法会が4月1日より行われます。
改めて、一光三尊仏の由来について記載します。
栃木県の本寺に伝わる一光三尊仏は、親鸞聖人が自ら善光寺よりお迎えされ、親しく御恭敬されました尊像であり、真宗高田派のご本尊であります。
この尊像は、中央に阿弥陀如来、脇侍(わきじ)として向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が一つの光背(こうせ)におさめられいますので、一光三尊仏と言われています。
一光三尊仏の伝来については、かつて印度の月蓋(がっかい)長者が釈迦如来に懇請し、閻浮檀金(白金)で造られ、中国・百済(朝鮮)に渡り、欽明天皇の時代に百済の聖明王より、朝廷に献上された我が国で仏教伝来の最古の尊像であります。
当時、仏教に反した物部の守屋大臣が、この尊像を七日七夜「ふいご」でふき、3日3夜鉄板上で打ち砕こうとしたが失敗し、ついに万策つきて難波の堀江に棄てたと言われます。堀江に沈んで18年、推古天皇の8年に信濃国の本田善光という者が縁あってすくい上げて、郷里の信濃国にお伴し、自宅の臼の上に祀っていたが、多くの人々の信仰が厚くなり、やがて、勅命(天皇の命)により、長野に善光寺が建てられ善光寺の本尊となった。
嘉禄元年(1225)関東各地を教化されておられた親鸞聖人が、下野国高田にお寺を建てようとせられた時「速やかに信濃国善光寺に来るべし、我が身を分かち与うべし」と夢のお告げがあり、善光寺に赴き、一光三尊仏の一体分身の尊像を感得せられ、笈(おい)に納めて背負って高田へ帰り、専修寺の本尊としてあがめられました。
高田本山の第10世真慧(しんね)上人の時に、本山は伊勢国一身田に移されましたが、下野の高田にそのまま一光三尊仏が安置され、善光寺にならって長く秘仏とされてまいりました。寛永15年(1638)第14世尭秀上人が本寺専修寺で初めて御開扉されました。その後、享保14年(1729)第17世円猷(えんゆう)上人が、伊勢をはじめ各地の御同行にも、尊像を拝ませたいと思し召し、出開帳をお許しになられ、それ以来17年目ごとに勝縁に遇うことができるようになりました。
王室においては、桜町天皇、後桃園天皇、後桜町天皇、光格天皇、仁孝天皇、明治天皇から御親拝あった尊像でもあります。
これらのことから、三国伝来の一光三尊仏、天拝一光三尊仏ともいわれます。
親鸞聖人の御和讃に
「弥陀 観音 大勢至  大願の船に乗じてぞ
生死の海にうかびつつ 衆生をよぼうてのせたまう」
とあります。私たちの救われて行く姿を如実に現して頂いている尊像に深く感激された一首でしょう。
妙華寺としては、大正7年12月12日より5日間御開扉申し上げましたのが始まりで、今回の御開扉は平成26年5月は7回目のご勝縁でありました。
次回の御開扉は14年後の2030年になります。

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あの日から5年

あの日から5年
5年前の3月11日 母を歯医者に送りいったん家に戻ってPCの前に座った。
私の住んでる三重県津市では身体の揺れは感じなかったが、部屋の電灯がゆっくり揺れ出した。「地震?」と思い、TVをつける。そのうちに大きな津波が映し出されて息をのむ。初めてではないが胸をしめつけられる。何も手がつけられず時間だけが過ぎていく。遠くにいるのに現場にいるような感覚。忘れることのできない光景。
これまでも忘れることのできない出来事はあるけれど、とっても心が締め付けられていた1日でした。翌日から多くの方々がボランティアとして現地で活動をされていました。私は「身が動く」こともなく、被災された方々にできることは何か考えていました。申し訳ないことですが、自分にできることはわずかばかりの義捐金をお送りすることと、翌月の4月11日と翌年の3月11日にお勤めを本堂でお勤めすることだけでした。何が私の中で変わったのか?変わらないのか?
『ボランティアは親鸞の教えに反するのか』木越康著 法蔵館の中で、35歳の息子さんを亡くされた方の話がある。365日泣いて、そして「もういいの・・・」と言わざるえない現実。頭の中にある地獄ではなく、地獄の中を生きている方々がいる。また中学の子供さんを亡くされたお母さんが「復興の定義が人それぞれ違うと思いますが、私にとっての復興とは息子が帰って来ること。なので、わが家にとって復興はありえません」の言葉は決して忘れてはいけない。違う章で高橋源一郎氏が親鸞聖人に魅せられ、その言葉に大きく心揺さぶれた経験が紹介されている。そして「もう5年」「まだ5年」この時期になるとメデイアなどで特集が組まれ被災者の現状を知り、現地で活動を続けられている方々のご苦労を知るのですが、それでも今年も、この日には何もできなくて申し訳ないとつぶやきながらお勤めすることでした。

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卒業式 +(プラス)

卒業式+
3月8日に、親族や友人がいるわけでもないのに東京神谷町の光明寺での卒業式に駆けつけました。私自身の卒業式は2年前でしたが所用で参加できなかったこともあるのかもわかりません。第4期の未来の住職塾の卒業式は、80名以上の参加者でご本堂は満堂でした。僧侶・寺族、また社会人として活躍されている方々の卒業式ですので高校や大学の卒業式と違いますが、一つの課程を修了し評価されたことはこれからのお寺の方向性やご自身の立場の覚悟も備わったことで自信にもなることと思います。私自身も刺激をいただきながら、また歩みを進めたい気持ちになりました。
2日目 のサンガ(卒業生)の集いは、東京ジャーミィ・トルコ文化センターに伺い、イスラム教のモスクと礼拝の見学でした。こちらも興味深い行事でありましたが欠席をして帰ってきました。ですので本来の+(プラス)については述べることができませんが、1日目の午前に築地本願寺にお詣りに行きました。築地本願寺には6年前に一度お詣りに行きましたがその時は、本願寺のお寺のご住職の葬儀式でご本堂にお詣りすることができませんでした。今回はご本堂に入りゆっくりお詣りをしました。明治時代のコンクリート建築ですが
今見てもモダンな感じがします。京都の龍谷大学の大宮校舎も同様に感じます。他、三重県の桑名市の諸戸邸も同時代のものだったと思います。使われながら残っている建造物はやはり大切にしていきたいと思いました。

【訂正】築地本願寺の建物は昭和6年に建てられたインド様式の建物です。龍谷大学の大宮校舎は明治12年に建てられました。また、桑名市の旧諸戸邸は大正2年に建てられいました。住職は明治時代の建物と認識していましたが、それぞれ建てられた時代は違っていました。ご指摘ありがとうございました。

平成28年3月9日

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