5月のおてらおやつクラブ

5月のおてらおやつクラブ
5月は、昨年もご寄付いただきました「神戸スイーツ学会」からのバウムクーヘンが届きました。
・本企画は、普段洋菓子を食べる機会のない子どもたちに、美味しい洋菓子を食べてほしいというものです。お渡しするのは「子ども」限定とありました。
こうした企画が企業からおてらおやつクラブに持ち込まれるのは非常に有り難く、
いつにも増して子どもたちに笑顔を届けることができると思います。
このようなおてらおやつクラブの活動に賛同いただける企業様が増えることも大切なことと思っています。
妙華寺にもバウムクーヘンが届きましたのでお寺のお供えと共に、一人親家族様と支援団体様におすそ分けしました。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

お寺の掲示板

お寺の掲示板

今や「死」は身近なものではなくなっている

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
著者は、「現代人は、死に接する機会、看取りの機会が相対的に減っています。そのため、いざというときに、とまどいや不安が大きくなってしまうのでしょう」と続けます。

私(住職)も、身近な「死」を考えたくないと思いますが、それでも「死」は誰にでやってくるものです。

5月の法語カレンダー

5月の法語カレンダー
十方の如来は 衆生を一子のごとくに 憐念す」     『浄土和讃』より
『浄土和讃』
親鸞聖人が、著した『浄土和讃』・『浄土高僧和讃』・『正像末法和讃』を三帖和讃と総称する。浄土真宗の法義が余すところなく讃嘆されていることから「和語の教行証文類」ともいわれる。親鸞聖人と真仏上人の筆による高田派専修寺蔵国宝本が現存するほか、古写本に高田派専修寺蔵正応3年顕智書写本(『高僧和讃』は現存せず)がある。
もつとも流布したものは文明5年 蓮如が「正信偈」とともに出版した「三帖和讃」(文明本)がある。これらの諸本の間には、和讃の本文や配列順序、左訓の有無など異動も多い。

「高田勤行本」では、「超日月光このみには 念仏三昧おしえしむ 十方の如来衆生を
一子のごとくに憐念す」とお勤めします。

阿弥陀さまが私たち一人ひとりを、わが一人子のように見てくださったと、聞きよろこんできました。親の一人子に対する愛情をもってたとえられています。しかし、このおたとえは、単なる親の愛情ではなく、自分と他者を分け隔てしないさとりの境地が、その大元であります。
いま、ここで、誰にもわかってもらえない痛みを覚え、苦しみに苛まれ、孤独を感ずるほかない私に、「その痛み、苦しみ、孤独、全部この阿弥陀如来が引き受けた。必ず救う」と届いてくださっている。
これが浄土真宗・阿弥陀さまのお救いです。

お寺の掲示板

お寺の掲示板

「死ぬとは、死に拘るのをやめることだ」

『なにものにもこだわらない』 森博嗣著

「こだわる」ことは本来良い意味でないが、近頃は特別の思い入れがあることにも使う。

著書の帯に、「拘ることの最大の欠点は、思考が不自由になることであり、思考が不自由になると、思いつく機会が減るし、また問題解決できにくくなる。こうなった人は、いつも周囲の誰かを頼ろうとするし、最近であれば、ネットで検索しようとする。自分の頭の中で問題を展開さえしない」と、今の時代の「拘る」ことについて発言している。

著書には、
・「生」に拘ることも「死」に拘ることも生きているからで、生きているものだけが、死を予感し、死を恐れ、あるときは死を選ぶ。死者は、なにも予感せず、なにも恐れず、そして選ぶこともしない。
・死に拘れるのは、生きているうちである。だから、死とは、死に拘ることをやめたときに訪れる。それは、死を受け入れる、という意味でもある。
・生と死は、表裏一体でどちらかで存在する概念でない。
など、「死」についての「こだわり」の視点から著者の考えを述べている。

私(住職)は、「こだわり」の視点から「死」を考えることは無かったので著書を興味深く拝読した。「死」に限ったことではないが、どれだけ自分の中の「こだわり」を捨てようとしても、自分の考えはどうしてもある「こだわり」からは逃れることができないのが凡夫だと思う。

お寺の一日(5月)

毎年5月は、18日に親友婦人会の総会があります。1年間に往生されました婦人会会員の追弔会をお勤めして、ここ数年は、『お寺の講演会』を開催しています。
今年の講師は、横浜の浦上哲也師で、『「適当」に生きるススメ』のテーマでお話の後、聴衆の皆様の質問にもお答えしながら、これからのお寺について考える時間もとりたいと思っています。


親友婦人会も会員の高齢化と新しい会員の加入減で組織としての活動もこれまでどおり行うことが困難になってきているのが現状です。

4月の聞法

4月の聞法
3月は、時間に余裕がなく、こ法話も聞くことができずじまいでした。
4月は、17日に紫雲会の講座に参加できました。「浄土真宗とは」と基本をお聞かせいただきました。基本でありますが根本のことでもあります。親鸞聖人のご著書の「顕浄土真実教行証文類」を始め、「和讃」や「一念多念文意」、「唯信鈔文意」などから引用をいただき充実した時間でした。後半は、浄土真宗の救い=利益(りやく)について法然聖人の言葉も引用され浄土真宗の要をお聞かせいただいた気持ちになりました。
個人的には、「身体の痛みと心の痛み」から「煩悩具足」の有り様や、「本願」・「名号」・「信心」を川の譬えで伝えていただいたのが印象に残りました。
※中川個人の感想です。

4月のおてらおやつクラブ

4月のおてらおやつクラブ
今月は、24日に一人親家族様、二つの支援団体様へ、お供えをおすそ分けさせていただきました。
また、妙華寺でも年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

昨年、おてらおやつクラブがグッドデザイン大賞を受賞したことで、素敵な催しが東京であったようです。既に催しは終了していますがご紹介します。

【おてらおやつクラブHP】から
【4/2〜4/22】グッドデザイン大賞展「おてらおやつクラブ 丸の内別院」のご案内
特定非営利活動法人おてらおやつクラブは、公益財団法人日本デザイン振興会と「おてらおやつクラブ 丸の内別院」という企画展を共同主催にて開催します。
東京丸の内のGOOD DESIGN Marunouchiに仏さまや三宝をお運びして会場をお寺と見立て、おてらおやつクラブの活動紹介や子どもの貧困という社会的背景、どういった点がグッドデザインと評価されたのかについて、より多くの方に知っていただく場として開かれます。
期間中は、仏さまへの「おそなえ」も常時受け付けております。ご関心ある方はぜひ一度、足を運んでみてくださいね。
■ 会期
2019年4月2日(火)~22日(月)
■ 時間
11:00~20:00
*会期中無休、入場無料
■ 会場
GOOD DESIGN Marunouchi
東京都千代田区丸の内3−4−1 新国際ビル1F
■ 内容
1)常時「おそなえ」受け付け
会場へ、お菓子やレトルト食品、日用品(タオル・洗剤)などの「おそなえ」をお持ちください。後日、おてらおやつクラブ事務局から必要な方や団体さまへ「おすそわけ」いたします。
*どのようなものが持ち込み可能かは、ホームページ「よくあるご質問」>「Q.おやつしか送ってはダメですか?」の項目をご参照ください(https://otera-oyatsu.club/temple/faq/)
*食品は、賞味期限が2週間以上あるものをお願いいたします
*生肉や生魚などの生鮮食品やアルコール類、金券などの換金性の高いものはご遠慮ください
2)古本勧進
読み終えた書籍等をお持ちください。「古本勧進」とは、読み終わった書籍やCD・DVD・ゲーム等を集め、その買取金額を寄付することで、おてらおやつクラブの活動を支援する仕組みです。開催期間中「おてらおやつクラブ 丸の内別院」にお持ちいただいた書籍等は提携会社バリューブックスを通じて、おてらおやつクラブの活動に役立てられます。
*ISBNの無い本、百科事典、コンビニコミックス、個人出版本、雑誌類の持ち込みはご遠慮ください

4月の法語カレンダー

4月の法語カレンダー
「真実の信心は かならず名号を具す」

『顕浄土真実教行証文類』より

『顕浄土真実教行証文類』6巻
親鸞聖人が、経(釈尊が説いた教え)、論(経説等をインドの高僧が解説した書)、釈(中国の高僧が経論の意味を解説した書)の重要な文章を集め、自身の文章も加えて真宗の要義を組織的体系的に論じ明らかにした書で立教開宗の根本聖典。教、行、信、証、真仏土、化身土の6巻よりなる。74歳の時完成するがその後幾度となく加筆訂正をする。聖人自筆本が東本願寺に蔵されている。

この法語は、『顕浄土真実教行証文類』の「信文類」から抜粋されています。
「真実の信心は かならず名号を具す 名号は必ずしも願力の信心を具せざるなり」
浄土往生を決定せしめる真実信心は、かならず「南無阿弥陀仏」の名号、念仏が離れずともなう。

ただ念仏を称えているからといって、かならずしも阿弥陀仏の本願にもとづいた信心をそなえているわけではない」

 

「水が入っていない水鉄砲を押しても水はでてこない」もともとお念仏を称えるはずもなかった、仏様に向かって手を合わすはずもなかった、頭を下げるはずもなかった私が、今「なんまんだぶつ」とお念仏しています。それは阿弥陀さまが私に至り届き、入り満ちて、今ご一緒してくださっていることです。

お寺の掲示板

お寺の掲示板

本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある

「いのちの歌」 作詞Miyabi(竹内まりや)

昨年「いのちの積み木ワークショップ」を受講した時に、以前小学生の合唱曲で聞いた「いのちの歌」を思い出しました。改めて聞きながらとても懐かしい思い出がよみがえってきました。見えない存在の先祖を見える化するすることで、「当たり前」が「ありがたい」ことに気がつきました。

 

「お寺の講演会」ご講師の浦上哲也師から 6

今回、来月5月18日の親友婦人会総会後の「お寺の講演会」のご講師をお願いしています横浜市の「なごみ庵」のご住職 浦上哲也(うらかみてつや)師に「お寺の講演会」の半年前の11月から月一度のペースでご寄稿をお願いし快く受けて頂きました。その6回目を掲載します。
浦上さんは、僧侶ですがお寺の本堂から飛び出して、多彩な活動をされています。
平成27年の親友婦人会総会の日には、希望者に「死の体験旅行」と言うワークショップを受講していただきました。私(住職)も受講して、死に向かっていく自分の感情や取捨選択を受講した者同士が共有しながら、今生きていることの不思議を感じたことでした。
「死の体験旅行」と言うワークショップを全国で開催されたり、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の共同代表や、「仏教死生観研究会」を立ち上げられたり、お坊さんが回答する「hasunoha」の回答僧のお一人であり、「まちのお寺の学校」の講師であったり、最近は「方丈社」マガジンに連載が始まりました。また妙華寺も賛同する「おてらおやつクラブ」に参加する寺院の住職でもあります。そのような多くの顔を持つ浦上さんの今感じることを月一度、妙華寺のHPにも掲載して5月18日の講演を楽しみに待ちたいと思っています。

浦上さんの掲載文で、何か感想などございましたら、お寺にお知らせください。

 

◇ 還る場所 ◇
 また1人、恩師がこの世の縁を終え、浄土にお還りになりました。
 16年前、私が東京都中央区の築地本願寺にある東京仏教学院で学んでいた際、「伝道と教養」という数人のご講師が順に講義をされる授業があり、最初のS先生からは「都市開教」について教わりました。文字通り都市部で新しく寺院を開く活動についての授業で、新しくお寺を開くなんてことができるんだ! と非常に驚いた記憶があります。後にそのS先生から個人的に都市開教について詳しくご指導いただき、徐々に構想を練っていきました。

 2人目のご講師が、今回お亡くなりになったT先生です。第一印象は、なんとも大らかな方だなぁ、というもの。聞くと北海道のお寺のご出身で、若い頃は海外開教使としてカナダで仏教を広めていたとのこと。北海道もカナダも大地が広い土地柄です。広い土地で育まれた人は、心も大らかになるのだな、と感じたことを覚えています。お寺に伺うと、関西出身の明るい坊守さまと一緒に迎えてくださり、お二人の人柄が醸し出す居心地の良さを感じました。

 最初のS先生から都市開教について色々と伺ったものの、なかなか踏ん切りはつきません。その時にT先生のお寺を尋ね相談すると、「どちらにしても住まいを借りるんだから、ちょっと頑張って借家を借りて、一室を本堂にしてみたらいいじゃない。それでダメだったら場所を移っても、やめてもいいんだし」と朗らかに言葉をかけていただき、悩みがスコーンと突き抜けたように感じ、布教所を開く決心がつきました。

 T先生のお寺は「奏庵(かなであん)」。音楽が好きで「奏でる」と、カナダにご縁があったので「カナディアン」とかかっていて洒落ています。それにならい私たちも「なごみ庵」と名付けました。最近はお目にかかる機会がなかなか無いままの別れになったことが悔やまれますが、私もいつか浄土に還った時、しっかりお礼とご報告をさせていただこうと憶念しています。