お寺の1日(12月)

12月は毎年自坊の報恩講で4年前から第1日曜日に変更をいたしました。今年は12月1日ですので前月からその準備であわただしいです。報恩講が終わってからやっと来年への準備が始まります。年末年始の準備も毎年でありますが忘れていることもあり昨年の記録を見ながらになります。1年が本当に早く過ぎようと感じるのは何のせいでしょうか。1日1日、新たな命をいただきながらその日を終えていく。やるべき事はたくさんあるのでしょうがその時の自分のできることは限られています。精一杯させていただきお任せさせていただくことがどんなに有難いことか尋ねていきたいと思います。

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11月の聞法

11月の聞法
21日に龍谷大学の大宮校舎で「伝道を考える これまで・そしてこれから 」と題する公開シンポジウムに参加できました。1部で、貴島信行師の「浄土真宗における伝道の目的と課題」、直林不退師の「これまでの伝道を捉えなおす」、朝倉行宣師の「これからの伝道を考える」の提言と杉本光昭師の節談の実演、朝倉行宣師の「テクノ法要」の映像ダイジェストがあり、2部では、1部の諸先生とコーディネーターに葛野洋明師が参加してディスカッションがありました。
僧侶(お寺)の取り組みで一番大切なことは、仏のみ教えを伝える「伝道」であることは異論ないことですが、伝える方法は多用にあり、また僧侶が伝える力をどのように磨いていくのかもそれぞれ違います。これまでの伝道についての研究からの課題を、時代の中で工夫して伝える努力をしていくことは大変だけど、それぞれの僧侶が自分にできる取り組みをしていかなければならないことと感じました。どうして説教に「節」がついて時代に受け容れられ盛況になりそして衰退したのか、お寺に来られる方が少なくなったことを自分の中で楽しく工夫してお寺に来てほしい思いを伝えることに、節談研究会の取り組みも、テクノ法要の取り組みも、その言葉にとらわれることなく柔らかい発想から始まったように感じました。
節談と妙好人の関係も興味深いでした。
2部の諸先生への若い方からの質問は、私(住職)の頭からは出てこないものばかりで、新鮮な気持ちで拝聴していました。若い方々の取り組みが広まることに期待します。
※中川個人の感想です。
コーディネーターの葛野(かどの)洋明師は、12月1日の報恩講の布教使でもあります。

※仏教についてのことではありませんが、11月8日に京都の裏千家学園で、
「水屋について」と言う講題で裏千家学園の公開講座が有りました。ご講師は、倉斗宗覚業躰(ぎょうてい)氏でした。
お茶の世界で使う「水屋」と言う言葉は、茶室に伴う場所としての言葉でもありますが、茶人の「はたらき」を指す場合もあります。場所としての水屋については、歴史史料の中で歴史的な変遷の研究が進んでいます。人の「はたらき」として捉えると、日本の伝統文化の中での「修行」ということだと感じました。1つの道を歩む姿として実践者でないと得られない経験を積んでいくことと捉えることもできると思います。私は、そこに僧侶の姿を重ね合わせました。
今年は、日本の伝統(文化)について考える機会が多くあったように感じます。
日本仏教を伝統文化として見ることに違和感を感じる方もいらっしゃると思いますが、伝統仏教と称される仏教は、これまでから長く現在に続いていることへの意味として、日本の伝統文化(思想)の1つとして捉えることもできると思います。日本仏教の中で活動する僧侶は、日本の伝統文化の担い手と同じように見ることもできると思います。私(住職)の所属する茶道組織では、平成に入るころからお茶の実践者や興味を持たれる方が少なくなる現状にどのようにお茶の魅力を知っていただくことができるか活動を通して、今に至っているかを少しだけ聞きかじっていると、仏教界での取り組みも同じ方向をもっているようにも感じています。
実践する中で失敗を自分の中で工夫して改善したり、乗り越えていく歩みはその人にとって得がたい経験として残ると思います。※中川個人の感想です。

11月のおてらおやつクラブ

11月のおてらおやつクラブ
今月は、先月同様3つの支援団体様へ11日に「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。
また、12月の報恩講のお非時(ひじ)の時に、支援団体様のご奉仕で「子ども食堂」を併設させていただく予定です。

昨年のカレーが好評で今年もあります。(なくなり次第終了)

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
宗教は 利用されるものでなく 利用するもの

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
著書は続けて「世の中には、悩める人を利用する良くない宗教も少なくありませんが、宗教だからといって敬遠せずに、うまく活用していきましょう」とあります。

死を意識すると、人は孤独を感じるようになります。さまざまな別れを伴うわけですから、それは自然のことです。
お墓参りや除夜の鐘、初詣、結婚式など、これまで仏教やキリスト教、神道といった宗教に、少しは関わってきた経験のある人が多いのではないでしょうか。
孤独や不安でいっぱいの最期を迎えるより、そういった宗教の力を借りることで幸せにれるなら、そのような選択もありだと思います。

宗教団体を選ぶときの基準としての一例として
「人の行動を規制しないこと」・「法外なお金を要求しないこと」・「人を騙さないこと」

※主体が私で、客体が宗教としての表現と思いますが、少し違和感を持たれる方もいらっしゃるかもわかりません。人は絶望の真っ只中にいる時、藁にもすがりたいと思います。宗教を利用していると思っている、私の「考え」が破られていくのが宗教の「み教え」とイメージしているのですが。

お寺の紹介③ 冊子「み法(のり)の苑(その) 妙華寺を楽しもう」

お寺の紹介③ 冊子「み法(のり)の苑(その) 妙華寺を楽しもう」
妙華寺の本堂は、平成16年11月29日に国の有形登録文化財となりました。
当時、日本近世史が専門の早稲田大学文学部教授で久居にご縁があります深谷克己先生に久居の歴史や妙華寺の歴史をまとめた「法苑院妙華寺縁起」と題した冊子を作成してお同行の皆様に配布しました。本堂を見学に来られる方や久居城下案内人の会の皆様にお渡ししていました。

冊子が少なくなり、平成27年に改めて登録文化財の紹介できる冊子を作成しました。今回は、登録文化財の本堂の説明文に (一社)お寺の未来 松﨑香織さんにお力添えをいただき英訳をつけました。
また、久居の歴史や妙華寺の略縁起・行事なども紹介した冊子です。

まだ冊子はありますのでご希望の方は、庫裡(くり)にお申し出ください。

お寺の紹介② お寺の紹介カード(朱印に代えて)

お寺の紹介② お寺の紹介カード(朱印に代えて)
寺社のご朱印がブームです。妙華寺もご朱印ではありませんが、お寺の紹介カードがあります。
これまで時々、ご遠方からお越しいただく方からご朱印を依頼されることがあり、その都度お持ちいただいた朱印帳へお寺の妙華寺にちなんで『重誓偈』の最後の一行「當雨珍妙華」と記していました。住職がお勤めの時や留守の時にお見えになられる場合は、お断りすることでした。その為、お寺の紹介カード(ご朱印帳サイズ)を作成してご朱印の代わりとさせていただいています。

先日、茨城県からお越しの方がご朱印を求められました。上記の説明でお寺の紹介カードをお見せしましたが、やはり朱印帳に記してほしいとのことでした。

お寺の紹介 ①登録有形文化財トレーディングカード

お寺の照会 ①登録有形文化財トレーディングカード

昨年(2018年)4月から配布をさせていただいています。登録有形文化財トレーディングカードは、今年の10月末に100枚を越えました。早くはありませんが、平均すると1ヶ月に5枚以上このトレーディングカードを求めに来られる方がいらっしゃいました。三重県・愛知県・奈良県の近隣の方もいらっしゃいますが、遠くは、新潟県や長野県、兵庫県からもいらっしゃいます。旅行やドライブの合間に立ち寄っていただくようです。このトレーディングカードをどこで知ったかとお聞きすると三重県の登録文化財のHPや時折紹介されます地元の新聞記事などのようです。また、全国のダムカードが有名でその収集と同じように収集されているとのこともお聞きします。

登録有形文化財トレーディングカードについては、平成30年(2018年)4月1日のHPに記載しました。
一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値をご認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも数に限りはありますが作成していただきました。
是非、現地にお越しいただき実物を見て、庫裡(くり)にて「トレーディングカードありますか」(なくなり次第終了)とお声かけください。また、三重県内の登録有形文化財にも足をお運びいただきトレーディングカードを集めてみてはいかがですか。

11月18日(月)13:30から秋の朗読会

4月に「春の朗読会」を開催されました「あめんぼう朗読会」さん主催の「秋の朗読会」が11月18日(月)13:30からお寺(妙華寺)の妙華寺会館(山門から入って左の建物)で開催されます。入場無料でどなたでもご参加できます。

お問合せは、妙華寺のHPからか、電話 059-255-2846 へ
妙華寺から主催者の「あめんぼう朗読会」様にお伝えします。

※「春の朗読会」も盛況でした。今回は何の朗読会になるのか楽しみです。

【写真は、春の朗読会の案内】

お寺の一日(11月)

お寺の一日

11月は、これまでの住職は来年の繰り出し(年回表)を筆で巻紙に書き始めるのですが、字が大変汚い私(住職)にはそのことが苦痛でワープロを使い繰り出しを作成しています。ワープロの字が小さいとお同行の方から指摘され次の年から少し大きな字体に変更しました。12月の報恩講の式文の稽古や報恩講の案内とその準備、特に境内の銀杏の葉が11月末頃から落ちだす時は暗くなっても境内の掃除をしています。

10月の聞法

10月の聞法
8日に、羽田信生師の「米国で真宗を学ぶ」~私が米国で体験した困難なことがらと米国人の真宗理解~の講演を聞くことができました。
私(住職)は英語も理解できない人間ですが、異国で多くの日本人か仏教を伝えようとされていることは知っています。羽田先生もそのお一人で現在も米国に在住して米国人に仏教(真宗)の教えを伝えられています。前半は、ご自身が仏教に出遇うことになったきっかけから米国に赴かれたこと。米国での生活の中で日本人と米国人ではバックボーンが違うことから、故郷とか家についての感覚や人間の見方などの相違点。英語を学ぶにあたっての難しさ特に英文を書くことは大変難しいことををお話されました。後半では、真宗のみ教えの「3願転入」から、米国人の真宗理解をお話されました。西洋思想にもある、理性的、合理的、倫理的な仏教や二元的、神秘的な仏教は理解されやすく人気がありますが、それらを超えた仏教には中々理解が及ばないようです。このことは米国人だけでなく今の私たち日本人も西洋思想を前提として勉強していますので「3願転入」に至る道をうなづくことは、師を通して聞法なくしては難しい道と思っています。
※中川個人の感想です。

17日は、4ヶ月ぶりに紫雲会に伺うことができました。講師は、本願寺派布教使の花岡靜人師で「恩徳讃を仰いで」の講題でお話いただきました。「恩徳讃」は身近な和讃で紫雲会の最後にも参加者全員で唱和しています。親鸞聖人が「恩徳讃」でどのようなお心を表現されようとしたのか改めてお話いただきながら私(住職)も考えていました。「如来」と「仏」のこと、「恩徳」の言葉の意味、「報謝」の生き方とは。「疑」についてや「粉骨砕身」の由来や和讃の背景など詳しくお聞かせいただきました。
個人的には、「平等」と「公平」についても興味深く聞きました。講義のようで法話のようなどっちつかずでなく、どちらとしても、私に迫ってくる貴重な時間でした。
※中川個人の感想です。

23日に毎年2回公開講座を開催しています、仏教教育研究センター公開講座の1つに妙華寺衆徒が『「お寺」を開く時代へ』と題してお話するご縁をいただきました。
また、妙華寺の衆徒の話を聴きたいとお同行様も一身田まで駆けつけていただき感謝申し上げます。
仏教教育研究センター公開講座のチラシには、【講師中川結幾から】
近年、様々な分野においてお寺の役割が再発見されつつあります。一方で、お坊さんが世間からの期待に十分応えることができているかというと、まだ検討されるべき余地が残されているように感じます。本講座では、私自身が経験してきた児童館での子どもを中心とした「地域づくり」や「子育て支援」、自死相談活動での「心の居場所づくり」などを通して、開くとはどういうことなのかについて皆様と一緒に考えてみたいと思います。
とあり、衆徒のこれまでの経験の中で、「お寺を開くこと」に関する衆徒自身の思いを共有する時間でした。
お寺の存在価値はどこにあるのか。そして、お寺の何を開くのか。考える中身は深くて様々ですので限られた時間で結論に至る問題ではありませんが、お寺について改めて考える時間となりました。私が思う「みんな」と言う概念の外側にいる「人々」(私が想定できない人々)に思いを馳せていかなければ「開く」ことの意義はないのだろうと言うことはとても新鮮でした。今回のようなテーマは、講師の話を聴くだけでなくWSのスタイルで色んな方の意見も聞くことができれば面白いのではないかと思いました。
私(住職)の知らない衆徒の一面を知ることにもなりましたし、お寺への思いを知ることにもなり親バカかも分かりませんが聴講して良かったと思います。
※中川個人の感想です。