11月の聞法

11月の聞法
21日に龍谷大学の大宮校舎で「伝道を考える これまで・そしてこれから 」と題する公開シンポジウムに参加できました。1部で、貴島信行師の「浄土真宗における伝道の目的と課題」、直林不退師の「これまでの伝道を捉えなおす」、朝倉行宣師の「これからの伝道を考える」の提言と杉本光昭師の節談の実演、朝倉行宣師の「テクノ法要」の映像ダイジェストがあり、2部では、1部の諸先生とコーディネーターに葛野洋明師が参加してディスカッションがありました。
僧侶(お寺)の取り組みで一番大切なことは、仏のみ教えを伝える「伝道」であることは異論ないことですが、伝える方法は多用にあり、また僧侶が伝える力をどのように磨いていくのかもそれぞれ違います。これまでの伝道についての研究からの課題を、時代の中で工夫して伝える努力をしていくことは大変だけど、それぞれの僧侶が自分にできる取り組みをしていかなければならないことと感じました。どうして説教に「節」がついて時代に受け容れられ盛況になりそして衰退したのか、お寺に来られる方が少なくなったことを自分の中で楽しく工夫してお寺に来てほしい思いを伝えることに、節談研究会の取り組みも、テクノ法要の取り組みも、その言葉にとらわれることなく柔らかい発想から始まったように感じました。
節談と妙好人の関係も興味深いでした。
2部の諸先生への若い方からの質問は、私(住職)の頭からは出てこないものばかりで、新鮮な気持ちで拝聴していました。若い方々の取り組みが広まることに期待します。
※中川個人の感想です。
コーディネーターの葛野(かどの)洋明師は、12月1日の報恩講の布教使でもあります。

※仏教についてのことではありませんが、11月8日に京都の裏千家学園で、
「水屋について」と言う講題で裏千家学園の公開講座が有りました。ご講師は、倉斗宗覚業躰(ぎょうてい)氏でした。
お茶の世界で使う「水屋」と言う言葉は、茶室に伴う場所としての言葉でもありますが、茶人の「はたらき」を指す場合もあります。場所としての水屋については、歴史史料の中で歴史的な変遷の研究が進んでいます。人の「はたらき」として捉えると、日本の伝統文化の中での「修行」ということだと感じました。1つの道を歩む姿として実践者でないと得られない経験を積んでいくことと捉えることもできると思います。私は、そこに僧侶の姿を重ね合わせました。
今年は、日本の伝統(文化)について考える機会が多くあったように感じます。
日本仏教を伝統文化として見ることに違和感を感じる方もいらっしゃると思いますが、伝統仏教と称される仏教は、これまでから長く現在に続いていることへの意味として、日本の伝統文化(思想)の1つとして捉えることもできると思います。日本仏教の中で活動する僧侶は、日本の伝統文化の担い手と同じように見ることもできると思います。私(住職)の所属する茶道組織では、平成に入るころからお茶の実践者や興味を持たれる方が少なくなる現状にどのようにお茶の魅力を知っていただくことができるか活動を通して、今に至っているかを少しだけ聞きかじっていると、仏教界での取り組みも同じ方向をもっているようにも感じています。
実践する中で失敗を自分の中で工夫して改善したり、乗り越えていく歩みはその人にとって得がたい経験として残ると思います。※中川個人の感想です。