平成27年の出来事②

 

② 妙華寺の一光三尊佛の展覧
三重県総合博物館にて、高田本山専修寺の至宝展が3月21日より5月10日まで開催されていました。県内の一光三尊佛も一緒に展覧されることになりその一つとして妙華寺の一光三尊佛も出展させていただきました。江戸時代に作成されたものです。
三尊さんと言いますと信濃の善光寺の三尊さんが有名です。親鸞聖人も善光寺聖として善光寺よりいただいた三尊さんが高田に伝わる今の三尊さんです。しかし善光寺式の三尊さんと高田式の三尊さんでは少し違いもあるようです。  高田式の三尊さんは、県内にもたくさんあり、本山でのご開扉がはじまった頃から比較的多く作成されたようです。

 

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平成27年の出来事①

① ご本尊の修復
昨年、本山の一光三尊佛をお迎えして、その時に妙華寺のご本尊をご遷座いたしました。お帰りになられ改めてご復座をする時に、台座とご本尊を支える「ほぞ」が、長年の間にゆるくなっておりしっかり固定していませんでした。昨年に修復の見積もりをいただいて、年末に総代様、今年の世話方会でお世話方様にご理解をいただき修復することになり、2月の末に復元されました。
この阿弥陀如来立像は、妙華寺がこの久居の地に一宇を建立する時に、高田本山より「寂陽山 法苑院 妙華寺」の三号と慈覚(円仁)大師真作とされるこの阿弥陀如来立像を本尊とし三具足(佛前の香炉・燭台・華瓶)を添えていただいたものです。
妙華寺のご本尊として350年経った今、元のお姿に修復をさせていただきました。

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27組の報恩講

自坊が所属する27組の報恩講は、戸木(へき)の満誓寺様から始まります。女性が住職を拝命するのが難しい時からお寺を護られていらっしゃいます。声がきれいで式文の節回しが上手です。10月の第4日曜にお迎えしますので温かい日で、出仕するのも有難いです。
11月に入り、西向寺様は、ご住職様が境内の木々の剪定などをされ手入れの行き届いた寺院です。先代のご住職様が組長の時に、組内の報恩講のお勤めを本山の「初夜」のお勤めをと提案されてみんなで研修を受けて今に至っています。続いて、小戸木(こべき)の西林寺様は、今年新しく住職を拝命され、新たな気持ちでお勤めされました。お同行様もたくさんご参詣されていました。11月の最終日曜は、小造(こつくり)の蓮性寺様です。毎年出仕させていただいていながら、内陣に天女の絵があることに初めて気づきました。高田学苑の平井(故人)先生が描かれたそうです。余間の蓮の絵も迫力がありました。(後日、改めて拝見させていただきました)12月に入り、拙寺の報恩講に組内のご住職様にご出仕していただきお迎えできました。27組の最後の報恩講は、野村(のむら)の浄徳寺様です。ご住職様は、以前本山に勤められていて総務もされました。今は宗議会の副議長と言う重責を担っていられます。副住職様も、本山前のお店で「坊主バー」の活動をされ、TVの「ぶっちゃけ寺」にも出演されていました。今年は、桃園(ももぞの)の光蓮寺様の報恩講には出仕できなく申し訳なかったですが、組内の報恩講が終わりますと、少しほっとするのはなぜなんだか。
また年が開けると本山のお七夜(報恩講)が始まります。

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12月のおてらおやつクラブ

12月のおてらおやつクラブ
11月30日、東海おてらおやつクラブの事務局をされています名古屋の久遠寺様に、お伺いいたしました。こちらでは、一人親家族を支援されている団体様にお寺の「お供え」を「おすそわけ」されています。発送のお手伝いを初めてさせていただきました。この活動に賛同される方々が集まり(僧侶だけでなく、お寺以外の方々もお手伝いに来られ素晴らしい空間でした)それぞれが持ち寄ったお菓子・果物などを尊前に「お供え」し、お勤めをし、参加者の自己紹介をしてから発送作業が始まります。また一人親家族を支援されている団体の方もお手伝いに来られていて終わってからの茶話会で少しだけお話を聞くことができました。私のお寺のある津市(三重県)では、私のアンテナの感度が悪いせいか一人親家族を支援されている団体を見つけることができていません。他の地域のお寺様で地域の社会福祉協会さんへ働きかけて賛同をいただいたと言うこともお聞きしましたのでこちらでも働きかけたいと考えています。またおてらおやつクラブを賛同されるお寺様が増えることも願っています。

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報恩講式(ほうおんこうしき)

報恩講式(ほうおんこうしき)1巻 覚如著
「報恩講私記」・「式文」とも言われています。仏、菩薩、高僧の功徳を讃える「講式」の一つであるので「報恩講式」と著すのが良いのではないか。
永仁2年(1294)親鸞聖人の33回忌の時に著されたもので、本願寺第3世覚如上人が25歳の時の著述です。正応3年(1290)3月から2年間、父覚恵との東国下向で、親鸞聖人の遺跡を巡拝し、面授の門弟との交流と自らの想いと意欲を表明したのが、「報恩講式」であるのではないか。また高田派で、報恩講の初夜で報恩講式を拝読するのは、翌年永仁3年に完成した「善信聖人親鸞伝絵」と共に高田門徒に贈呈されたことも関係するのではと考察されています。
内容は、総礼、三礼、如来唄(にょらいばい)、表白、回向よりなり、表白は、初段真宗興行の徳を讃ず、2段本願相応の徳を嘆ず、3段滅後利益の徳を述ぶに分かれる。
初段では、親鸞聖人の真宗の興行の徳を讃嘆します。聖人は広く仏教全体を学び、修行に励まれましたが、法然聖人に出遭い、誰もが容易に救われる浄土念仏の教えを授かり、それ以外に救いの道の無いことを知り、自らの信心を人々に教え説いて、信心の道に差し向ける生涯を送られました。浄土の真宗を開かれ、それを私どもに示された聖人に感謝し、念仏に専念しなければなりませんと述べられています。
2段では、本願相応の徳を讃嘆します。聖人はひたすら念仏に専念され、阿弥陀さまの絶対他力の信心を身に備えられた希有な方であり、その説き弘められた教えは、阿弥陀如来の本願に叶うもので、私どもがこのご恩に報いるには、ただ阿弥陀さまにお任せし、お念仏に励む以外ありませんと述べられています。
3段では、滅後利益の徳を申し述べています。聖人は亡くなられた後も多くの人々を利益し続けています。祖廟に参詣した者は皆、聖人の温顔を思い出し、書き残された聖教を拝読しこの教えを伝えていく決意を新たにしています。私どもはひたすら阿弥陀さまの救済を信じ、お念仏に励みますからどうぞお救いくださいと記しています。
                  参照 『祖師親鸞讃嘆』報恩講式と嘆徳文 常磐井慈裕著 山喜房
※式文の3段に親鸞聖人が亡くなられて何年になるかを述べられる部分があります。
ご遠忌の年は、「●年」と拝読しますが、それを過ぎると次のご遠忌の年まで「●余年」と拝読されます。その部分をご遠忌前に書かれた式文で拝読する時、書かれているとおり拝読をしてしまいますと大変です。(工夫してその部分は紙片を貼り付けたりします)
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報恩講をお迎えして

今年も報恩講にお迎えさせていだきました。
自坊の報恩講は、私が大学時代には、12月5日6日でした。住職の祖父や父が、12月朔日のおみがきの日に、庫裡の畳をあげて大掃除をし、お非時(ひじ)の会場に模様替えをしていました。
組内の報恩講も、正月の3日や5日にお勤めするお寺さんもあり、今より寒い中、報恩講をお迎えしていました。
父の代になり妙華寺会館ができ、そちらがお非時の会場になり、庫裡の大掃除がなくなりました。また、日曜日に報恩講をお迎えするお寺さんが多くなり、現在は10月の終わりの日曜日から組内の報恩講が始まります。これまでより暖かな日に報恩講を迎えるようになりました。この頃当時の組長様が、組内の報恩講のお勤めを本山の「初夜」の形でお勤めをしようと提案され皆で研鑽していました。
50代に入った頃からは、「あと何回報恩講にお遇いできるか」と考えることがあります。よく「生涯の中で、あと何回食事ができるか」などと同じように人生の折り返し点を過ぎた頃に考える事と同じ思いなのかもしれません。本山の報恩講(お七夜)も、組内の報恩講、そして自坊の報恩講、毎年でありますが数えてみると限られた時間(回数)であります。宗祖のことを改めて思い、讃嘆させていただく時間を若いときよりありがたく思うことです。
報恩講の荘厳で特徴は、西余間に掛ける4幅の親鸞聖人の絵伝にあります。高田本山の圓遵上人の時のもので絵所は藤原佐助です。
また、親鸞聖人像をご安置しています宮殿の戸帳を外しますので、ご拝顔できる唯一の機会です。
婦人会の皆様のご奉仕で、お非時(ひじ)を今もお出しできることは、時代を越えて味を伝承させていただくことで本当にうれしいことです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

これまで12月5日にお迎えしていました報恩講を来年から12月の第一日曜日にお迎えすることになりました。師走に入りご多用の中ではありますが、ご聴聞の時間をおとりいただき親鸞聖人のみ教えにお遇いいたしましょう。

11月のおてらおやつクラブ

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今月は少し早いですが果物のお供えをいただきましたのでお送りいたしました。11月10日に、西本願寺様が会場で「子ども・若者ご縁づくり プレゼンテーション」大会がありました。既に多くのメディアで取り上げられています僧侶やお寺に関わる方の六つの活動の発表・報告でとても有意義な時間でした。その中で、「おてらおやつクラブ」の活動を代表であります松島靖朗さんが、この活動を始めたきっかけから今の活動報告をされました。妙華寺も微力ですがその活動に賛同し、今年の2月から始めています。
10月の末にお同行様の年回法要があり、お勤めの後、HPの開設のことを紹介しましたら、ご子息様が早速スマートフォンでHPを見ていただき、「おてらおやつクラブ」のアイコンを見つけてその活動を知り「すばらしい活動ですね」と話されました。
また、年末の「古本勧進」もリニューアルで支援先が一人親家族の支援として「おてらおやつクラブ」に変わりました。

お寺の360度診断

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平成25年の夏に「お寺360度診断」を受けました。お寺には、お堂や鐘楼堂など境内の建築物、住職や坊守など目に見える部分と、お寺とお同行様の関係、お寺の組織、人材の資質など目に見えない部分があります。この目に見えない部分(お寺の無形の価値)を可視化するものです。お同行の方、近くのお寺の方、お寺の外部のパートナー(葬儀会社・法衣店)、地域の方、寺族に匿名でのアンケート調査を行い、お寺の外部の(一社)お寺の未来さんが集計、診断するものです。二ヶ月後の10月に「診断書」を手渡されました。
住職が考えているお寺のあり方の実践が、お同行や地域の方、地域のお寺の方、お寺の外部パートナー、寺族にどのように映っているのか知りたい反面知りたくないそのような気持ちでしたが、客観的にお寺の目に見えない部分を知ること、また匿名ではありますがそれぞれの項目へのコメントを知ることはとても良かったと思います。
それによって、お寺のあり方をお同行の方や地域の方へのアプローチを改めて考えることになりました。すぐに実践できることは少ないですが、中長期的により開かれたお寺(公益法人)として存在できるよう考えています。

 

青巖寺の三尊さん

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青巖寺の三尊さん
 一志の小山にある青巖寺は、妙華寺の第2世の融海上人のご出身寺院であります。また前々住職の内室(坊守)も青巖寺よりおこしいただきました。
 組内の光蓮寺様の報恩講と重なり光蓮寺様にはご無礼をいたしましたが、青巖寺一光三尊佛御開扉法会の初日に親戚寺院の一人としてお勤めをさせていただきました。
 大きな行事ではありますので、総代様をはじめ、お同行の方々がそれぞれの役割を果たされているお姿が大変貴く感じられました。
 昨年の妙華寺の三尊さんの時には、青巖寺のご住職が維那(いのう)職として三尊様のご開扉をしていただきました。その時に青巖寺の役員の方々も、ご参詣いただき法会での妙華寺のお同行の役割を見ていただたことも思い出されます。
 初日は、稚児練りがあり、130名ほどお稚児さんと共にお寺まで歩くのですが、お稚児さん一人にそのご両親や祖父・祖母様も付き添われていることもあり、3倍4倍ほどの行列になり大変賑やかでした。17年に一度のご開扉を思いますと次に三尊様にお遇いできるかどうかわかりませんのでお遇いできる時にしっかりお遇いしたいと思います。

11月の日曜学校

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妙華寺の梵鐘には、「寛保4(1744)龍次甲子正月18日
勢州久居寂陽山法苑院現住  沙門釋恵成(当院三代)誌
治工洞津住 辻越後藤原種茂」と銘文があります。

津市の鋳物師辻家の6代目の作です。辻家では、高田本山の梵鐘や金灯籠や津観音の金灯籠が有名であります。

種茂の作としては、久居の子午(とき)の鐘など各地に数多くあります。

この梵鐘も昭和16年の金属類回収令により供出されたようですか、戦後も残って戻ってきました。

鐘楼堂に鐘が無い姿はとても寂しい姿のように感じます。